第5話 結菜と新しい自転車 5

 一週間が終わり土曜日が来た。土日で休みの二連休前半の今日は少し張り切って道を走って手掛かりを見つけようと決めていた。

 結菜が出かけようと靴をはきかけた所を玄関のピンポンが鳴った。


「はあい」


 顔を上げて返事をし、素早く靴を履いて立ち上がる。

 玄関のドアを開けるとそこに立っていたのはこの前は知らなかったけど、今は知っている少女だった。


「あなたはこの前の……」


 つい数日前、帰宅途中にぶつかった可愛らしい感じの少女だった。前は制服だったけど今日は私服を着ている。目が合って彼女はびっくりしたように視線を下げてしまった。

 慣れない場所に来て緊張しているようだ。結菜としては落ち着いて相手を見ることが出来た。

 今はおどおどしているが、微笑めば可愛らしそうな少女だ。

 着ているのは彼女の雰囲気に似合った柔らかさと優しさを感じさせる服装だった。結菜にはよく分からないが、お洒落していると思った。

 この前のことを言いに来たのだろうか。結菜は前にぶつかった時のことを思い出す。あの時は何も話せないまま逃げるように自転車で走り去ってしまったけれど。

 今日の彼女は覚悟を決めたようだ。

 もじもじと突き合せていた両手の指を下ろしてから、決意したように顔を上げて言った。


「あの……わたし、伊藤姫子って言います!」

「え……」


 どこかで聞いたような名前だと思った。結菜は思い出そうと試みる。


「伊藤さん……伊藤さんか……」


 頭の中を探り、思い出すよりも早く、相手は言葉を続けてきた。


「悠真さんは……ご在宅でしょうか……」


 後になるほど声がトーンダウンして萎んで消え入りそうになっていく。

 緊張しているのもあるだろうが、彼女自身の性格も控えめで上がり症なのかもしれない。

 自信を無くしたようにまたうつむいてしまった。結菜はふと思い出した。


「伊藤さん……姫子さん……って、ええーーーー! もしかしてあの姫子さん!?」


 伊藤の方に気を取られて気づくのが遅れてしまった。結菜の叫びに姫子はびくりと身を震わせて顔を上げた。


「はい、そう言いましたけど」

「お兄ちゃんの彼女の!?」


 その言葉に姫子の顔がみるみる赤くなる。彼女は慌ててあたふたと両手を振って弁解した。


「ち、違います。わたし彼女なんかじゃ……」


 控えめだった彼女にしてはオーバーなリアクションに結菜は納得して理解した。


「そうだよね。あのお兄ちゃんに彼女なんて出来るはずないよね」


 ほっと安堵の吐息をつく。

 長い間引っかかっていた魚の小骨が取れたような気分だった。

 やはり兄に彼女なんていなかったのだ。

 きっと話しかけられるか優しくされるかして一方的に勘違いしただけなのだろう。

 ありそうな話だと思った。

 姫子は戸惑いながらも話を続けてきた。


「あの、それで悠真さんは……最近公園に行っても会えないので心配になってこちらへ伺ったんですけど……ごめんなさい。いきなり家に来たりして迷惑でしたよね」

「いえ、別に迷惑ではないけれど」


 結菜はどう説明していいか迷った。

 まさか自転車になったなどと馬鹿正直に言うわけにもいかない。

 いくらおとなしい印象の姫子でもふざけたことを言うなと怒ってくるかもしれない。人が自転車になることなどありえないのだから。

 結菜は兄の事で自分が責められるのは嫌だった。

 だから、当たり障りのない言葉で言うことにした。


「お兄ちゃんは遠くの世界へ旅に出たの」

「旅に? それって地図部の活動でですか?」

「うん、多分そう」


 地図部というのは聞いたことがないが、葵が言っていた兄の大学のサークルのことだろうと見当を付ける。

 姫子は結菜の知らない兄の事情を知っているようだった。

 それが何だが面白くない。だが、他にも何か知っているかもしれない。

 結菜は気を取り直して訊いてみることにした。


「姫子さんは黒い自転車の少女って知ってる?」

「なんですか、それ?」


 知らないようだった。姫子は不審そうな目で見つめてきた。不自然に話を打ち切るのも変なので結菜は適当に話を続けることにした。


「お兄ちゃんはその子を探して旅に出たらしいの」

「その人は悠真さんの何なんですか?」


 姫子は話に食いついてきた。その瞳に真剣さが増している。女子というのは誰でもコイバナが好きらしいと結菜は思った。

 適当に話を繋げることにした。


「お兄ちゃんの……彼女かもしれない……」

「悠真さんに彼女が!?」


 姫子は心底驚いていた。

 まるで世界が終わったと聞いたかのように。

 わなわなと震えて両手を口元に当てて目を見開いていた。


「どうして……そんな……信じられない……」


 その反応はオーバーすぎると思ったが、気持ちは分かる気がした。

 結菜も初めて兄に彼女がいると聞いた時は驚いたものだ。

 当の本人から否定されて、それは勘違いだと分かったのだが。

 姫子は事態を飲み込んだようだ。肩を落として呟いた。


「でも、そうですよね。悠真さんだったら彼女ぐらいいますよね。それなのにわたしったらいい気になって家まで来たりして。ごめんなさい。迷惑でしたよね。もう帰ります」


 姫子は頭を下げて踵を返して帰ろうとしたが、向かう玄関の外の先に立っていた人物がいて足を止めた。

 結菜は外に立ってこちらを見ているその人を知っていた。

 前に校門で会った、兄と同じサークルに所属している山本葵だった。

 姫子は歩みを再開して彼女の横を通ろうとしたが、葵は手を横に突き出してその進路を遮って通さなかった。

 葵は訝しそうに見る姫子の顔を爽やかな顔で見つめて話しかけた。


「君も悠真とその彼女のことで来たのか。わたしもそのことで結菜ちゃんと話をしに来たんだよ。ちょうどいい。君も一緒に付き合ってもらおう」

「あの、でも、わたしは……」


 姫子は視線をそらして遠慮して断ろうとしたが、葵は帰すことはしなかった。姫子の腕を掴んで言う。


「ちょっとぐらいいいだろう。少しだけだから」

「でも……部外者のわたしなんかがいたら迷惑じゃ……」

「頼むよ。これは大事な話なんだ」

「はい……」


 強引に言われると断れない性格のようだった。

 葵は姫子の手を引いて結菜のところへ来た。

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