第67話 気持ちのいい朝

 昨夜は楽しいことも辛いこともいろいろあったものの、次の日の朝はいつものように訪れる。

 結菜は新鮮な朝の気分で背伸びをして起床する。


「よし、起きよう!」


 今日も学校がある。いつまでものんびりとはしていられない。


「翼さんも学校生活を楽しめと言っていたし」


 それがどういうことか何を楽しめばいいのかまだ高校に入って一年生の一学期である結菜にはいまいちピンと来てはいなかったが、別に学校に行くのが嫌なわけではないしクラスメイトからも良くしてもらっている。

 それは委員長である美久の人柄ゆえかもしれないが、とにかく張り切って行こうと思った。


「おはよう、結菜」

「おはよう、麻希」


 張り切って自分の部屋を出たところでばったりと麻希と出くわした。相変わらずポーカーフェイスな彼女はまだパジャマを着ているが、顔にはいつものように眼鏡を掛けている。

 先生と呼ばれている麻希の恩師は結菜の両親と知り合いらしく、結菜の知らない大人達の話し合いで麻希はこの家で暮らすことになった。

 どんなことが話し合われたのかその内容を結菜は知らないが、両親は麻希のことを実の子であり結菜の兄である悠真よりも気に入っているし、なんならずっとここで暮らしてもいいとまで言っていた。

 結菜も別に同居人が増えることで困ることは特に無かったので別に断る理由は無かった。

 かつては魔王と呼んで自転車でデッドヒートを繰り広げたこともあったが、今では仲良くなって、麻希は気さくな同居人として声を掛けてくる。


「もう昨日のことは引きずっていないようね」

「うん、いつまでも引きずっても仕方ないしね」

「それでこそ田中悠真の妹だわ」

「お兄ちゃんと一緒にされても」


 麻希の先生は悠真に一目置いていて麻希もその意思を同じくしているようだが、結菜には兄がそんな凄い人物であるようには思えなかった。

 彼は普段は大学の寮で暮らしているので、今は家にはいない。前に帰ってきたのは翼がこの町で開いた大会をサークルの部員として取材するためだった。

 さて、いつまでもここで麻希と話をしていても遅刻してしまう。


「早くしないと遅刻するわよ」

「分かってるって」


 先に行動して廊下を歩いていく麻希の後について、結菜も急いで朝の準備を済ませに向かった。

 いつもと同じように朝食を食べ、いつもと同じように身だしなみを整えて制服に着替え、鞄を持って玄関を出る。

 初夏の朝の日差しに目を細め、家の横に止めてある自転車を玄関の前の道路まで運んでくると、先に待っていた麻希が声を掛けてきた。


「自転車の調子はどう?」

「大丈夫みたい。ありがとう」


 昨夜の帰りに少し調子の悪いようだった自転車は結菜の目にはどこが悪いのかよく分からなかったが、麻希が見て工具を持ってきて直してくれた。


「たいしたことはしていないわ。壊れていたら部品を買いに店まで行かないといけないところだったけど。その場合高くついたわね」

「あはは、壊れないで良かった」


 いろいろあって町の人達に認められ勇者と呼ばれるようにはなっても、身分は普通の高校生である結菜にはたいしてお小遣いは無いのだ。


「大鷹翼に言えばもっと良い自転車ぐらいは買ってくれるんじゃないの?」

「そこまで迷惑は掛けられないよ」

「懸命な判断ね」

「そうかな」


 あっさり流されるともっと良い自転車が欲しくなるのだが。改めて自分の自転車を見下ろす。

 両親に春休みに買ってもらった自転車。この自転車で今まで走ってきた。

 兄の精神が宿り、麻希を追いかけ、天使と戦い、大勢の観客達が見ている前で大鷹翼と勝負した。

 昨夜は闇烏隊の渡辺友梨と戦って勝利した。思い出すと自然と笑みが出た。


「これからもよろしくね」


 結菜は軽い気分で相棒に声を掛け、朝の道を軽快にペダルを漕いでいった。




 町で名前を聞けば誰もがあの名門のお嬢様学校か! ……と驚く学校の教室で。

 姫子は朝から一人で席についてとてもニコニコしていた。

 それはちょうど教室に入ってきた親友の苺も思わずびっくりしてしまうほどに。


「おはよう。うわっ、姫ちゃんとても嬉しそう!」

「分かります? うふふふふ」

「…………分かるよ」


 姫子はあふれ出す明るいオーラを隠すこともせず、笑顔でたじろぐ親友の姿を見上げた。

 これは話さないとがっかりされそうだ。苺はあきらめて声を掛けることにした。


「何かいいことあったの?」

「昨日悠真さんとデートしたんです。わたし待ち合わせから失敗しちゃって翼さんにも迷惑を掛けちゃって本当にどん底の気分だったんですけど、こんなわたしなのに悠真さんは優しくしてくれて……昨日の流れ星も一緒に撮ったんですよ。見たいですか。見たいですよね?」

「うん、ミタイナー」


 彼氏の話か……苺としてはご馳走様だと遠慮したい気分だったが、断れる空気でもない。

 それに落ち込むよりは明るく幸せな気分である方がずっと良い。苺自身も最近は暗く落ち込むことがあったし。

 苺の尊敬する翼が何でデートの話に絡んできたのかはよく分からなかったが。

 とりあえず了承すると、姫子は怒涛のように話を繰り出してきた。

 明るい方が良いとは思ったが、ここまで激しいのはちょっと遠慮しろと思う苺だった。調子に乗った姫子は止まらない。

 矢継ぎ早に次々と口撃を繰り出してくる。


「それで悠真さんが今夜は良い星空だから写真を撮ろうって言ってくれてねー」

「ハイハーイ」


 苺が何とか言葉の荒波を越えようと踏ん張っていると、姫子がふと時計を見て何かに気が付いたように言葉を止めた。


「あ、そうだ。授業が始まる前に翼さんにも伝えておかないと」

「え? ちょっと」


 何を伝えるつもりだ。

 苺が止める間もなく、姫子はもう教室を出ていくところだった。急いで背中を追う。

 教室を出て横を向いて廊下を見ると、姫子はもう向こうの階段の角を曲がるところだった。


「姫ちゃん、速い!」


 苺は急いでなるべく走らないようにして階段の下につくが、もう姫子の姿は見えなかった。


「あたし陸上部なのに……くそったれ!」


 嫌でも前の勝負で眼鏡に先を行かれたことを思い出してしまう。尊敬する叶恵と同じ苗字で失礼な口を叩くあの眼鏡。

 そして、姫子の怒涛の走りのことも。


「もうあたしは迷わないと決めたんだ!」


 苺は頭を振って雑念を追い払い、上へ続く階段へと足を踏み出した。

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