26-3


 左腕から流れる血を感じながら、橋の上で蹴りを放ったままの姿で静止しているグラントの部下、クー・リンを改めて見た。聞くところによれば、クーはフェイ老子を父同然として師事を受け、育ってきたらしいのだが――女の眼には迷いも無く、涙も無く、何より復讐に燃える炎も無く、ただ真っ直ぐに、こちらを見つめていた。


「……美しいな、クー・リン。迷い無き君の瞳は今、とても美しい」


 率直な意見を言っても、クーの表情は一切変わることなく――構えを変えて眼を瞑り、大きく息を吸って、そして改めて、その迷いの無いまっすぐな闘志をこちらへぶつけてきた。


「……老子は、こうなることを予見していた。だから、ワタシは迷わない……老子が穿った小さな穴を、次に繋げるために!」


 言葉と共に女の足元の鉄板が弾け、一気に間合いを詰めてきた。腕の使えない左に回りこんで、仕留めるつもりなのだろうが――しかし男の左拳は封じられたといえども、まだ肘より上は自由に動かせる。スコットビルも相手に習って震脚し、息を吸って気を練り、動きの悪くなっている左の肘を炎を纏った鋼鉄の具足に迷うことなく打ち当てた。


「なっ……!?」

「狙いは悪くなかった。だが、戦いとは常に、相手の予想を越えていかなければならない……!」


 驚愕とこちらの一撃に相手の動きが止まり――右の具足にヒビが入り、しかし相手の武装が砕けるよりも前に、スコットビルは女の腹に右の掌底を打ち込んだ。正面から女の嗚咽が漏れ――だが、生半可では仕留めきれぬし、戦場に立つならば戦士として、手を抜く理由も無い。内臓から破壊してやる――だが、力を込めるよりも前に、上の橋からジェニファー・F・キングスフィールドが、こちらを狙っているのが見えた。

 それならば、方針を変えなければならない、スコットビルは手のひらをそのまま振り上げ、クー・リンの体を上に打ち上げた。砕けた女の具足の欠片が舞うその隙間から見上げると、ジェニファーは射線に味方を入れないように銃口をずらしており――その隙に、スコットビルは健在な脚でまずは一足飛びで壁へと跳び、壁に接着しいている照明を右手で引き剥がして持ち、更に今度はジェニファーが立っている十字型の連絡橋目掛けて斜めに跳んだ。


「ちぃっ!!」


 ジェニファーはすぐにこちらに照準を合わせて来るが、くると分かっている狙撃に対応できないほど、黙示録の祈士は甘くは無い。右手の照明を弾丸に打ち当てて能力を無力化し、そのまま第二射が発射されるよりも前に橋に着地し、相手の方へと肉薄した。


「ふっ!!」


 こちらが振り抜いた右の拳を、ジェニファーは南部式銃型演舞で避け、右手に持った拳銃を下から抉りこむような角度でこちらへ向けていた。だが、こちらも易々とやられる訳にはいかない、顎を引いて相手の銃弾を完璧にかわし、すぐに肩を相手の上半身に押し当て、鉄山靠で女の体を吹き飛ばした。


「がっ……!?」


 こちらも先ほどのダメージで呼吸が不十分であったため、浅い――そのおかげか、女の体は原型を保っており、命を絶つ一撃にはならなかった。しかし吹き飛んだ先は鉄の壁、ジェニファーは口から血を吐き、しかし先ほどのクーと同様、眼に闘志を浮かべながら、こちらを睨んでいた。


「お嬢!」


 壁を駆け下りてきたブッカー・フリーマンが、主人の壁から救い出し、一旦上の連絡橋に退避した。それを最後まで見届ける直前で、入れ替わりで上からマクシミリアン・ヴァン・グラントが正面に、ジェームズ・ホリディが左に舞い降りてきた。すでに辺りにフェイ老子とクーの姿が無いのを見ると、恐らく今降りてきた男達が、カウルーンの拳士を上に退避させたのだろう。ネイ・S・コグバーンが繋がっているマリアの力を使えば、既に闘う力を取り戻しているグラントと同様、脚を砕いた別として、クー・リンは立ち上がって来ることが予想された。

 ともかく、気を引き締めなおさなければならない。スコットビルは左腕に力を込め、筋肉を引き締めることで止血し、少し力を取り戻した両腕で、まずはジェームズ・ホリディの機関銃の弾を迎撃し始めた。タイプライターを叩くような軽快な音が鳴り響く――しかし、スコットビルは両手の指で弾を弾き、弾かれた弾はまた別の弾を弾き――自身の足元には、鉛玉が積み上げられ、相手の背後には空の薬莢が積み上げられていった。

 前門の虎が弾を撃ち終えると、今度は後門の狼が牙を剥いてきた。グラハム・ウェスティングスの巨兵を相手に、拳一つで渡り合った男を、傷ついた左腕で迎撃するのは難しい。しかも見れば、グラントは両手を交差させ、恐らく斥力と繋ぐ力をぶつけ合い、エネルギーを拳に蓄えているようだった。


「……この一撃でッ!!」

「その一撃、できれば正面から受けてみたいところなのだが……」


 ぶつかり合っても、まだ右の拳一つで正面突破できる自信はある。しかし、相手の放つエネルギーと、自身の拳の威力がぶつかり合えば、このギャラルホルンの電波塔がもたないだろう。それだけでなく、下手をすれば反作用でお互いに消し飛んでしまうかもしれない――そのため、スコットビルは渋々、相手の突撃をしゃがんでかわし、すれ違いざまに相手の背中に右の拳で裏拳を入れた。


「がっ……!」

「猪突猛進、大いに結構……もう十年も修練を積めば、私を越えられたかも知れんな。しかし……」


 実際、マクシミリアン・ヴァン・グラントは、この若さでよくぞここまで上り詰めた。しかし――。


「私は五十年間走り続けてきた。この壁は易々と乗り越えられるほど、甘くはない」


 そこまで言って右の拳に力を入れて、グラントの体をそのまま押し飛ばした。どうやらギリギリで能力を発動させていたおかげか、命どころか背骨を折るにも至らなかった。


「浅かったか……」

「……ちぃ!」


 スコットビルは振り向いて、グラントの体が壁に衝突し、そのまま落下していくのを見届けるついでに、ジェームズ・ホリディのボウイナイフを右の手刀で叩き落した。


「お兄様!」


 上の連絡橋から、ジェニファーの声が聞こえてきた。黙っていれば奇襲になったのに――勿論、火薬が炸裂する音で避ける事は可能だが――敢えて声を上げたのは、兄から意識を逸らさせるためであろう。しかし、相手の思い通りに動いては詰まらない、スコットビルはその場で宙返りする形で蹴りを放ち、ジェームズ・ホリディに攻撃を加えながら、ジェニファーの銃弾を後ろに跳びながらかわした。


「……また、浅かったか」


 着地と同時に並んだ兄妹を見ると、兄のほうは外套の中央が破れ、その奥から血が滴っているが、どうやら自身の蹴りは、男の腹から胸の表面をかすって終わってしまったらしかった。むしろ、ジェームズ・ホリディの反応速度を褒めるべきところか、相手もこちらの一撃を察知し、すぐに後ろに引いて致命傷を抑えていたのだから。


 いや、それだけではない――スコットビルは普段より熱くなっているパイプを持った瞬間、ジェニファー・F・キングスフィールドの真意に気づいた。ここまで全力で立ち回り続けてきたことで、シリンダー内の燃料の消耗が激しい。フェイ・ウォンやクーにもらったダメージも癒えきらぬまま、輝石が尽きたら、それはこちらの敗北を意味する。


 スコットビルがパイプから魂の残滓を吸い込み、吐き出すと同時に、兄の体を支えていた妹が立ち上がり、改めてこちらに銃口を向けてきた。


「……ここまで大人数で立ち向かって、ここまでボロボロにやられて、こんな風に言うのも可笑しいかもしれませんが……そろそろ、貴方も、いいえ、貴方のシリンダー内の輝石が限界なはずです。観念したらどうですか?」

「ふふ、いや、ここまで追い詰められるとは思って居なかった……だが逆に、この極限の緊張感こそが心地よい」

「えぇ、そうでしょう、そうでしょう……貴方は、そういう男です、シーザー・スコットビル」

「君のような麗人に、理解をしていただいて嬉しい限りだよ。しかし、残るは……」


 ここまでの戦闘で、相手の戦力は半分以上は削いだはず。ネイティブの戦士は降りてきている気配はないし、カウルーンの拳士達はクー・リンを除いて倒した。しかしクーも具足を破壊したから、継戦は不可能。グラントは奈落の底へと落ちていき、ジェームズ・ホリディにも確かなダメージは与えた。だから残りで万全に闘えるのは――。


「君と……」


 再び煙を吸い、吐き出したタイミングで、スコットビルは二つ上の連絡橋の方を見上げた。そこには長柄の銃口をこちらに向けている、テンガロンハットにポンチョ姿の少女の姿がある。


「ネイ・S・コグバーンと……」


 本来身体能力に優れる彼女が降りてこない理由は、恐らく二つ。一つは、単純に周りの能力向上を解くわけにはいかないし、回復も担っている彼女は、最後まで落とされてはならないという理由。もう一つは、これから降り立つ男とジェニファーの、十字砲火クロスファイアに巻き込まれぬためだろう。

 そして、最後に残る強敵――それは、今しがた背後に降り立った、棺を携えた褐色奴隷ブラウニー――。


「ブッカー・フリーマンのみだ」


 これで、自身を狙う前、横、上という、立体射撃とでも言う布陣が完成していた。だが、向こうもすぐには動かない――ただ一触即発の緊張感だけがあった。

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