26-4
「……貴方も、ここまでで受けた傷があるはずです。そろそろ、手を引いてはくれませんか?」
「撃鉄を起こしながら言うことではないね……もっとも、私としては、そちらの方が好ましいが」
銃口をこちらに向けるジェニファーに対して、スコットビルは笑いながら応えた。
「それに、先ほどと今では状況が異なる。フェイ老子を死の淵に落とし、若きネイティブの戦士の腕を粉砕した。それ以外は、まだコグバーン君の能力で取り戻せるだろうが……」
「……それでも、です。何も、私達は、貴方を許そうと言っているのではない。この国の未来の為に、手を組もうといっているのです……貴方には鉄道トラストの代表者として、その社会的地位を活用し、此度の……いいえ、国民戦争時代からの原理主義者達が行ってきた悪行を公表し、この国の更なる発展に寄与する義務があります。不倶戴天、それは単純に、どちらか片方が潰えることを意味する……それよりも、手を取り合って、より良い方向に歩もうとするほうが、私は建設的だと思います。何より、マイノリティーの底力は、今見せ付けたはずです」
「……確かに、認めるよ。ここまで追い詰められたのは、何時ぶりか……これまた東洋の故事に、矢も束ねれば折れぬというのがあるらしいが……成程、確かに君達は強い。だが、それはあくまでも、物理的な力のことだ。社会的弱者たる君達が、本質的にマジョリティと同等になることは有り得ない。もっと言えば、人の世から差別は無くならんよ……何故ならば、差別というのは人間の持つ一種の防衛本能だからだ」
輝石のリミットを考えれば、あまり長話をするのは得策ではない――しかし、男も弁舌に興が乗ってしまったが故、敢えて相手の策に乗じることにした。
「犬や猫を差別する人間はいない。それは、畜生が地位を脅かすことはないからだ。しかし、同じ人間ならば話は別だ。人間社会は、地位の椅子取りゲームなのだよ。雇用にも富にもは限りがある。強き者は、新たな道を切り開いていくが、問題は弱き者だ。いや、下から二番目の階層といっても良い……つまり、市民権を持っているだけの、単純市民、彼らは自分達が崖っぷちに居ることを本能的に理解している。自分達がいつでもとって変わられる存在であることを、心の底で分かっているのだ。それ故に、自分の椅子を奪い取ろうとしている者達を叩き落すことには余念が無い」
そこで、スコットビルは一度煙を吸い込み――別に、シリンダーから出る煙はただ魂が焼却されただけの残滓であり、思考を明瞭にしてくれるわけでも無いのだが――だが、今程、頭が冴えている時も無い――呼吸を整えながら、夢想家の女性を見つめた。
「要するにだ、君達が如何に強かろうと、いやむしろ強ければ強いほど、心の弱い市民の反発は強い。一人の力は小さいかもしれないが、それこそ君達が力を束ねて私を倒そうとしているように、必ず数の暴力で第二階層はマイノリティーを圧殺するだろう。もっと言えば、仮に君達の社会的地位が認められたとしよう、そうしたら、今度は君達の中で争いが始まるだろう。利害関係が一致しているうちは、誰だって手を組むさ……第二階層が入れ替わり、最底辺を押し付けあうようになる」
「……でも、逆に、もしマイノリティーがいなくなったら……」
「そう、今度は第二階層で最底辺を押し付けあうようになる。つまり、人の心の本質はそんなものなのだ。人が手を取り合えるのは、共通の敵が居る間だけだ。そしてその敵との闘争が終われば、また次の敵を見つけ、闘争を始める……結局やれることは、幸福にできる人間を選定する事くらいだ」
「……それは、貴方の持論です。必ず正しいとは限らない」
「少なくとも、君より多くの人間を見てきた、統計的な論拠に基づいているつもりではあるのだがね……もっともその通り、私が正しいとは限らない。だが、人心に手を加えられるというのならば、それが一番確実で、合理的で、人の世から無益な争いを無くす近道なことには違いないだろう? それに君の方こそ、君の理想を全人類に押し付けるつもりかね? それは結局、私達とやっていることは本質的に変わらない。君の思い描く社会が、人々にとって良いもの、正しいものとは限らないのだからな。それを押し付けるなど、人々の自由意志を奪っている……」
男の話に、ジェニファーの顔がどんどんと曇っていく――だが、それを一発の銃声が遮った。それは、こちらに向けられて発砲したのではなく、単純にこちらの話を中断させるため――ブッカー・フリーマンの右手に持った拳銃から、上に向かって硝煙が立ち上っていた。
「旦那、あんまりウチのお嬢を苛めないでくれ」
「……話を始めたのは彼女だ。私は、それに付き合っただけに過ぎない」
「いいや、違うね。アンタはそうやってお嬢を口で叩きのめすことで、自分がこれからやることを肯定したいだけだよ」
シニカルに笑う褐色肌の男に対し、スコットビルは言い返すことが出来なかった。確かに、その気は有ったかもしれない――そう思い、ただ男の次の句を待っていると、ブッカーはふ、と口元を引き締め、落ち着いた調子になった。
「スコットビルの旦那よ……オレはオタクほど本を読んでるわけじゃねぇ。人間を見てきたわけでもねぇ。だが、そんなオレにも一つだけ言えることがある……それは、少なくともオレは、ジェニファーお嬢様の夢に、共感したってことだ」
「近しい者の夢だからだ。もっと言えば、君の忠誠心が肩入れしているだけだろう」
「半分は正解、半分は不正解だ。近しい者の夢だから、それはその通りだろう。だが、オレはお嬢様に忠誠心から付き従ってた訳じゃねぇ」
ブッカーは胸元に拳銃を仕舞い、顔を上げて、随分と遠くなった天井の隙間に浮かぶ星空を見上げ――遠く、遠くを見て続ける。
「……ライトストーンが北軍に包囲されたあの夜、オレはお嬢様を置いて逃げる事だって出来た。砲撃が飛んで来る中、一人で逃げるほうがよっぽど安全だったのに、しなかった……それは、忠誠心からお嬢様を護ろうと思っていたわけじゃねぇ。単純に、この人には着いていく価値があると判断したから……オレは自分の自由な意志で、お嬢様を護っていくと誓ったんだ」
再び視線を戻したときには、よく見るニヤけた口元に戻っていた。だが、それは誰かをあざ笑っているようなものでもなく、自嘲的なものでもない、そんな笑いだった。
「そして、オレはオレの自由な意志で、お嬢様の夢に共感したんだ……誰かにそうしろと言われた訳じゃねぇ、自分で選んだんだよ。オレは生まれて、物心着いた頃には奴隷身分だった。それでも、ライトストーンを脱したあの日から、自分の生き方は全部自分で決めてきた。オレは、この人を立派なレディにしてみせるってな……まぁ、少々お転婆に育っちまったがね」
従者の言葉に、主人は「またか」という感じで顔をしかめていた。それが面白かったのか、ブッカー・フリーマンはなおのこと口元を釣り上げ、しかしすぐにこちらへ向き直り、真剣な調子になった。
「ともかく、お前さんが分かってねぇのはだな、スコットビル、人には共感する心があるってことだよ。別に、ウチのお嬢様は、他人に思考を強制しようだなんて考えてもねぇ、一度もしたこともねぇ……ただオレが、お嬢様の思い描く未来を尊いと思ったから、だから一緒にここまでやってきたんだ」
「つまり、君はこう言いたい訳だ……キングスフィールド君の思想が真に正しいのならば、人々は共感し、社会はより良い方向に動いていくと」
「いいや違う……他人の思想が誰かの一生を縛ることなんて有りえねぇ。だが、お嬢様の言葉が、少しでも誰かの心に響けば、きっと少しずつ世界は良くなっていく……オレは、それを信じてるんだ」
「……あまりに不確かな賭けだ。そんなもの、話にならない」
「そうだな、オレもそう思うぜ。だがな、肝心なのは、できるできないの話じゃねぇ。オレはそれが正しいと思っている……それだけよ」
そう言って笑う男に対して、スコットビル自身も自然と口元がにやけてしまうのを感じた。
「君は自由な男だ。まったく、何物にも縛られない」
「いいや、アンタは自由の本質を理解していない」
「ほぅ、それはどういうことかね?」
ブッカー・フリーマンは言葉の代わりに、棺の取っ手を持ってぐるりと回し、底の銃口をこちらへと向けることで応えた。
「……アンタは今、こう思っている。お嬢がどれだけこれ以上戦いを止めようと言っても、まったく聞く気は無い。アンタはアンタの本質、勝利を追い求めて、オレ達が一人も立てなくなるまで闘い続ける、ってな」
「ははっ! そうだ、その通りだよ、ブッカー・フリーマン!」
「そんなら、オレだってその気だぜ……さっきの答えは鉛弾と一緒に、テメェにぶち込んでやる」
「そうか……ならばッ!!」
叫んだ瞬間、シーザー・スコットビルはブッカー・フリーマンに向かって突撃した。相手が棺の取っ手を捻ると、銃口から大口径の銃弾が無数に乱射される――だが、スコットビルはそれをジェニファーの方から撃たれた銃弾ごと一気に前方に倒れこむような形になってかわし、しかし上半身が床に付く前に、つま先の脚力で再び一気に低姿勢のまま前進した。相手の得物は長物ゆえ、懐に入り込んでしまえばこちらのものである。
「ちっ……!」
褐色肌の口元が、憎憎しげに歪んだ。恐らく、棺を捨てて壁に退避するつもりだったのだろうが――。
「遅いッ!!」
ブッカー・フリーマンが跳び退くよりも、スコットビルの貫手の方が早かった。低姿勢から潜り込んだ故、心臓を刺し貫くことは出来なかったが、それでも相手の脇腹を、男の右手の五本の指が刺し貫き――そのまま手のひらまで押し込んで、男の臓器を握りつぶした。
「……ブッカー!!」
「ぐ……おぉ!!」
ハリケーンと呼ばれた賞金稼ぎの二人は、それでもなお闘う意志が折れていなかった。ブッカーは口元から血を吐きながら胸元から拳銃を取り出し、素早く銃口をこちらへ向けてくる。ジェニファーのほうも従者に射線が重ならない位置に移動すべく、通路を進んでこちらへ来ているようだった。スコットビルは素早く手を引き抜く瞬間、褐色の従者の拳銃が火を噴き、しかし弾丸はスコットビルの頬を掠めて終わり――そのままスコットビルはブッカーに左の肩からぶつかって、相手の体を吹き飛ばした。橋の下には落とせなかったが、ブッカーの体は通路へと続く脇の壁にぶつかり、そのままずるり、と埋まった。
「……貴様ぁ!!」
声のした方を振り向いてみると、ジェニファー・F・キングスフィールドの美しい顔が、怒りに歪んでいた。
「ははっ! どうだ、見たことか!! 近しい者を死に追いやった私と!! 君の従者の血で染まったこの右手と!! 君はまだ手を組めるというのか!?」
男は赤く染まったグローブを、ジェニファーにまざまざと見せ付けるように体の前面に押し出した。
「うぁああああああああああッ!!」
その行為は、彼女の怒りに油を注いだようで、女は癇癪を起こした子供のように、右手の大口径をこちらへ向けてきた。そう、結局どれだけ綺麗事を並べても、これが人間の本性なのだ。大切な物を奪われて、平然としていられるわけが無い、相手を許せるわけが無い――人間の本質を垣間見て、スコットビルは笑うしかなかった。
「いいぞ、それでいい!! 存分に殺しあおうじゃないかッ!!」
そう言う自分のおぞましさ、あぁ、やはりパイク・ダンバーは正しいのだろう、そう、自分自身が、この世で最も卑しい、闘う事にしか生きがいを見出せない、一番の畜生――。
(だが、これで最後、骨の髄までしゃぶらせてもらうッ!!)
神経が研ぎ澄まされている、思考が現実の何倍もの速さで駆け巡る――並みの銃弾なら拳圧で弾き返すことも可能だが、先ほどから見るアレの火薬量、そして推進力ならば、こちらの巻き起こす圧を潜り抜けてくるだろう。それならば、完全に回避しなければならない。弾倉を見る限り、装填数は五発、それを耐え凌ぐのが最後の楽しみと言ったところだろうか――更に、上からの狙撃も懸念しなければならないし、ジェームズも見たところ、まだ動けそうだ――いいぞ、楽しい、人生最高に追い詰められている。恐らく、後全力で戦えるのは一分と言ったところ、それまでに全てのケリを付けなければならない――いや、それが適わぬ場合、それはそれでいいのかもしれないが――。
ともかく、第一射、女二人の十字砲火、それは男は右斜め前に出ることでかわした。すでにジェニファーの大口径の癖は読んでいる――火薬量が多いゆえか、実際には少々左にブレる傾向がある。上からの狙撃は、ボルトを引いて排莢するまでにディレイがある――第二射、男は弾丸より早く手すりを
だから、男は敢えて上を選んだ。先ほどブッカー・フリーマンを落とすのに、下から潜るのは見せたからこそ、一歩前進し、そして跳躍した。その先は、丁度ネイ・S・コグバーンの居るところの真下――下を見ると、二つの銃弾は自分が居た場所の三歩先の床を穿ち、しかしネイは養父の声を聞いていたのだろう、こちらの攻撃を避けるため、その場から退避しているようだった。
「はぁ!!」
スコットビルは宙で反転し、上部の連絡橋の下層部分を蹴り砕いた。そしてその反動を利用し、一気にジェニファーの方へと肉薄する。ジェニファーも、眼を見開いて、こちらに銃口を向けている。そして放たれた第五射――それを、男は迷うことなく、左の手のひらで受けた。切り開く力を失った弾丸は、しかし威力は減衰せず、自分の脇腹を幾分か抉り――しかし、衝撃は体内の気で抑えたお陰で、相手に迫る勢いを減衰させずに済んだ。
「なっ……!?」
ジェニファーの顔が驚愕に変わる――そう、確かに自分の左手は、女の切り開く能力に、五本の指、手のひらの半分が持っていかれた。どの道、左腕は自由が効きにくくなっていたし――。
「……君に近づくのに、手のひら一つ、安い代償だと思わないかね?」
「くっ……!」
男が着地した瞬間に、女はすぐに後ろに跳び、左手のリボルバーをこちらへ向けてきた。こちらも当たれば必殺だが、弾丸の威力そのものは貧弱、まだ対応の仕様もある――案の定、三発のファニングショット、男はそれを今度こそ右の拳圧で落とした。
「……おぉおお!!」
まだ、女の戦う意志は折れていない――それでも、最早こちらの間合いだった。スコットビルは左足を大きく前に出し、女の左手に右手で掌底を当てる。銃弾は空しく上へと跳んでいき、ついで女の手首が一気に折れ曲がった。
「ぐっ、うぅ……!」
低姿勢のこちらを、背の高い女性が、痛みなど意に介さず、苦痛と怒りとを宿した瞳で見下ろしていた。それに対し、男は何を言おうか一瞬迷い――だが、上からネイ・S・コグバーンが狙いをつけているのは分かっている。残念だが、すぐに終わらせるしかない――スコットビルは今度は右足を前に突き出し、膝を女の腹に決め――女も僅かに身を引いていたせいか、こちらのダメージもあるせいか、いやその両方が原因か、浅い――だがすぐにそのまま振り向き、最後の強敵の弾丸を打ち落とすべく、右の拳を振るった。
「……ジェニー!!」
上を見上げるのと同時に、ライフル銃から撃たれた弾丸が、男の拳厚で中空で勢いを失い落下しているのと、下を見ている少女の碧の瞳が見えた。その視線の動きで、ジェニファーを落とせたということを、男は理解した。だが、隙を作っている暇は無い。スコットビルは左足を上げ、勢いよく振り落とし、自身の足元に迫っていたジェームズ・ホリディの左の掌を踏み潰した。
「ぐっ……!」
「……さて、これで残るは君だけだ、ネイ・S・コグバー……」
「……まだだッ!!」
戦意の衰えていない、下からの声に喜び、スコットビルは視線を下に移した。見れば、ジェームズ・ホリディは右手に手榴弾のようなものを持っており――しかし、飛び退いて爆発から体を守ることは不可能ではない。むしろ爆風に乗って壁へと飛び、そのままネイ・S・コグバーンに近づけば――だが飛び退いた瞬間、巻き起こったのは爆風ではなかった。鼓膜を震わせる轟音と、眩いばかりの閃光――男は予想外の一撃に、一瞬だけ油断をしてしまった。
「…………!!」
音を正確に拾えない耳に、しかし誰かが咆哮しているような異音が入ってくる。直後、自身の腹部に、強い衝撃が走り――感覚が戻った時に、全てを理解した。今、自分は背を下にして、ギャラルホルンの電波塔を、重力に引かれるままに落ちている。そして腹部には巨大な鉄の塊が打ち付けられており――その先には、口元を釣り上げて笑う、ブッカー・フリーマンの顔があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます