25-9


「……先ほども言ったが、貴様は破門だ、ネッド。故に、お前は、自分の力で、持てる力とその魂で、私を越えなければならん……明日を生きる覚悟があるのならば、それくらいはやってみせろ!」


 壮年の腕が振り上げられ、再び縦一閃の斬撃が走る。青年はそれをサイドに軽く跳んでいなした。


(……ダンバーが二手先を読むなら、俺は三手先を読まなきゃなんねぇ……)


 しかし、相手の攻撃が激しくて、防戦一方どころかかわすので手一杯である。無様に走り回って、やられずにするのが精一杯だった。


(そもそも、遠距離、中距離は完全に向こうの間合い……下手に繊維を伸ばしても……!)


 文字通り合間合間を縫って、先端を尖らせた繊維の槍を飛ばすのだが、見てから撃ち落す反応速度がダンバーにはあるし、何より切り落とした斬撃が防御とこちらへの攻撃と一体となって襲ってくるから厄介だった。


(クソ! 考えろ俺! なんとか、間合いを詰めて……いや……)


 相手の剣閃をかわしながら、青年は相手の意表を付く一撃が無いかを思考し続ける。そもそも、あの刃の間合い、ダンバーの手の長さと合わせて二メートル以上の間合いは、ダンバーの間合いだ。それならば懐に入り込むしかないのだが、相手だってそれは予想しているだろう――もっと言えば、それをさせないために牽制をばら撒いているのであるし、更に言えば、ダンバーのことだ、仮に間合いを詰められたとしても、対抗策は準備しているだろう。


(だとするなら、ダンバーが自分の物だと思っている間合いで、相手の意表を突かなきゃならない……それで……)


 青年はダンバーに切り落とされて下に散らばっている繊維を見た。あれも、使えるかもしれない――そう思い、相手の一撃を横にかわした後、青年は右手でベルトから一気にボビンを五本取り出した。今日という日のために、ボビンのストックはポケットの中に沢山入っている、遠慮は要らない。


「大盤振る舞いだ! もってけジジイッ!!」


 青年の能力で紡ぎ上げられた武器は、先に巨大な鉄球のような形状の物をぶら下げた、いわばモーニングスターの超巨大版のような形を取る。青年は先端の球体部分が中空に浮かんでいる間に体を回転させ、まずは鉄球ならぬ繊維球を横に薙いだ。


「ふっ!」


 ダンバーも、流石に自分の作った武器の形状に少々驚いたのか、切り落とさずに上へと跳んでかわしてくれた。地面すれすれを走る球体を、青年はそのまま体を回した勢いに乗せて、もう一回転してから、今度は魂の荒野を背後に跳んでいるダンバーに目掛けて放り投げる。


「どっせいッ!!」

「甘いッ!!」


 当然、ダンバーは空中で剣を縦一文字に振るい、青年の投げた球体ハンマーを真っ二つに切り落とした。だが、こんなもので決定打にならないのは分かっている――青年は前進して相手の剣閃をかわし、今度は左手でボビンを二本取り出し、すぐに次の武器を練り上げる――左手に、先端に刃の付いた槍を精製し、撃ち落された繊維を踏みながら、今度はそれを宙で剣の切っ先を下げきっているダンバーに向かって放り投げた。


「オラァッ!!」

「ちぃっ!?」


 ダンバーはなんとか腕を引き上げ、刀身で青年の投げ槍を防いだ。別に、今のは文字通り投げやりな一撃、相手の意識を防御に専念させるためで、本命はここからである。

 青年は息を吸って気を練り、その場で足のバネを使って跳躍した。目指す先は、我が師匠、パイク・ダンバー。やっとの思いで潜り込むクロスレンジ。


「その姿勢じゃ、剣は振れないな!?」

「……舐めるなよ、ネッドッ!!」


 流石は達人というべきか、師匠は右腕を剣ごと左の脇に押し込み、そのまま刃をすぐに横薙ぎを放った。


(読んでんだよッ!!)


 そう、これくらいは想定のうち――青年は空中で上半身を思いっきり後ろに仰け反らせて、そのまま空中でバク転する――都合、ブーツでダンバーを蹴り上げる形になる。


「もらっ……」

「ぬんッ!!」


 ダンバーの掛け声が聞こえてきたときには、すでに青年の腹に、師匠の左の肘が叩き込まれていた。内臓から上に逆流するものを感じるが、この体のお陰で、痛覚によって意識が持っていかれることは無い――ただ、ちょっと息苦しいだけだ。

 ダンバーの一撃によって、青年の体はほとんど垂直に落下した。背中から地面に叩きつけられ――背骨が持っていかれるのはマズイ、苦しい中でも息を吸い込み、青年は気を練ってダメージを緩和した。


「ぐっ……!」

「……どうした、ネッド。そんなもので、この私を……」

「……今のも読んでんだ!!」


 声と一緒に、師匠が落ちたその一帯には、青年は罠を張っていた。青年はすぐさま、ブーツにくくりつけていた黒い糸に電流を流し――四方に散らばっていた繊維が一斉に地面で渦を巻いて収束し、パイク・ダンバーの両足を取った。見上げた先で、しかしダンバーの表情は冷静そのものだったが――ともかく、相手が足を動かせない今がチャンスで、青年は肘と腹筋で一気に起き上がり、壮年の体を目掛けて突撃した。


「今度こそ、いただ……」

「ふん!」


 喋りきるよりも前に、男の石頭が、青年の鼻頭にぶち当たってきた。だが――。


「……ぎだッ!!」


 青年の声に、今度こそ少し離れた壮年の顔に、驚愕の表情が浮かぶ――鼻をやられたせいで、最後までキチンと言い切れなかったが、青年は相手の攻撃を受けながら震脚し、そのまま掌底を相手の腹にぶち込んだ。


「がっ……!?」


 ダンバーの呻き声が聞こえ、だがそのまま、青年は差し込んだ拳を振り上げた。異形の力を使わずとも、師匠に叩き込まれた術式と功夫があれば、大の男一人を数メートル飛ばすことなど容易い。男の体が上空に吹き飛ばされ、そこそこのダメージになっていたのだろう、ダンバーは空中では物理法則に抗うことはせず、しかし地面に叩きつけられた瞬間に受身を取り、すぐさま刃で足枷を切り、立ち上がって剣を構えた。今度ばかりは、さしものダンバーも息切れをして、額に汗を浮かべていた。 


「ふぅ……成程、近接戦での頭突き、一度見せた手だったな。私が浅はかだったわ」

「はぁ……はぁ……あぁ、テメーの石頭だって、来るって分かってりゃ、我慢も出来るってもんよ」


 そう、頭突きが来るまでの一連の流れまで、青年はすべて読んでいたのだ。ダンバーは得物を下ろさず、相変わらず鋭い剣気を放ちながら呼吸を整えている。ハッキリ言って、自分の方が消耗している――このまま続けたらマズイだろう、しかし先に有効打を入れたのは、間違いなく自分なのだ。青年は相手を指差しながら、一時休戦の申し出をすることにした。


「おい、流石にこれで一本、取ったことにしてくれていいんじゃないか?」

「ふむ、そうだな……だが本来ならば、私が地面に叩きつけられた瞬間に、トドメをさせるように動かなければ駄目だった。そうでなくとも、あの一瞬の隙に、私の動きを拘束できるようにしなくてはな。結果、私はこうやって復帰し、まだ戦える状態になっている。これでは一本とは言えん」

「……相変わらず厳しいことで」


 淡々と説明するダンバーに対して、青年はただ肩を落とすしか出来なかった。一方ダンバーは刃を下ろして、小さく笑った。


「だが……無茶苦茶な武器の精製からの瞬間的な読み合いの連続、そして私の手癖を読みきった洞察力と戦術眼、何より私の肘と石頭を我慢と気合で乗り切ったお前の馬鹿さ加減に免じて、合わせ技一本にしてやろう」

「……たく、本当は悔しいくせによ」

「それならばもう一回やるか?」

「い、いやいや! 全然結構です!」


 全力で手のひらを横に振り、ダンバーが剣を下ろすのを見届けて、青年はふぅ、と力を抜き、鼻を押さえながらその場に座り、胡坐をかいた。


「……それじゃ、教えてもらおうか。アンタが、人類の心のあり方に、拘る理由をさ」

「あぁ、約束だったからな……」


 青年が師匠を真っ直ぐ見据えると、男も刃を固い地面に突き立てて、青年同様に胡坐をかいて座った。


「……私が人類の心のあり方に拘る理由は、お前だ、ネッド」

「……俺が?」


 パイク・ダンバーは、空に浮かぶ魂の荒野を見上げたまま、天の地に向かって懺悔を始めた。


「厳密に言えば、お前と出会いが私を変え、そして私がアンチェインドに討たれた時、その時に決めた……あの日、炎の燃え上がる農場で、泣きそうなお前を見つけて……その時、私は決めたのだ。お前の言うとおり、人一人でできることなど、たかが知れている……だから、自分の手の届く範囲だけでも護ろうと、そう誓ったのだ。だが……」


 今度は視線を落とし、ダンバーは膝上にある自分の両の手のひらを哀しげな瞳で見つめた。


「……崖から落ちていくお前を、護れなかった自分、それが許せなかった。どうして、か弱き者ばかりが、かくも残酷な目に合わなければならないのか……この世界のあり方が、許せなかった」


 自分の手のひらが、頼りなく見えるのは、青年にも共感できた。しかし、師匠の言っていることに矛盾を感じ、青年はダンバーの告白を遮ることにした。


「おかしいぜ、師匠。だって、俺が落ちる原因を作ったのも、アンタが撃たれたのも……原因を作ったのは、ヘブンズステアだ」


 アンタが悪いわけじゃない――それを言うよりも早く、ダンバーは一度頷き、そして今度はじ、と青年の顔を真摯な表情で見つめてきた。


「……問題は、それよりも先にある。問題は、ヘブンズステア一人ではないのだ。この前、ブラウン博士に語ったのは、偽らざる私の本心だ……人を放っておけば、必ずお互いに傷つけあう……いや、傷つけあうだけならばいいだろう、自ら破滅に向かって進む者だけが、そのまま破滅に呑まれるだけの話。だが……自ら戦うことも選べないような幼き命が、ただ世界の理不尽に押しつぶされるのが、私にはどうしても納得できなかったのだ」


 目の前の男は、どこまで行ってもパイク・ダンバーだった。その身を魔道に落としても、黙示録の祈士という、その優しさに似合わぬ冠を被せられても――未来の萌芽を護るために、自らの魂を燃やす男は、あの日に自分を救ってくれた男そのものだった。

 そして、そう考えている青年をよそに、師匠は今度は静かに俯き、しかし口元がシニカルに釣りあがっていた。


「……お前が生きているとスコットビルから聞いた時、私は運命の悪戯を感じたよ。私に魂の荒野を抜けようと覚悟を決めさせた少年が、まさか生きていて、その上ヘブンズステアの娘と一緒に居るなどと……まるで、私の目論見を、止めに来ているかのように感じられたのだ」


 魂の荒野を歩くだけの決意をさせた少年が、自身と同じ力を持って、自分を止めに来る――それは、ダンバーにとっては、確かに言ったように運命の悪戯に感ぜられたに違いない。しかし、同時に、ダンバーには何度もチャンスがあったはずなのだ――仲間と離れたネッド・アークライトに手を差し伸べ、フィフサイドでは妨害せず、湖底での戦いでは、敢えて青年の心臓を潰さなかったのだ。つまり――。


「……アンタ、迷いがあったんだな。自分が正しいかどうか、アンタが行く道が本当に人類の未来のためになるのか、確信が持てなかったんだ」


 青年の言葉に、ダンバーは自嘲気味に笑った。


「いいや、それは違う……だが、お前が生きていたという事実は、少なからず私に迷いを生じさせたのも確かだ。だからこそ、私は賭けに出た。私の最後の迷い……果たして、私は正しいのか、それとも間違っているのか、その解を得るために……永久を見ている私が正しいのか、それともただ、明日だけを見ているお前が正しいのか。億を考える私が正しいのか、一を見るお前が正しいのか……その答えを知るために、私はヴァンに打ちのめされたお前と接触したのだ」


 そこで男は口元を引き締め、真剣な眼差しで青年を見据えた。

 

「そしてお前は私の予想通り、私と同じように魂の荒野から舞い戻り、そして最後の抑止力となって、私の前に立ちはだかった……」


 そこでパイク・ダンバーは剣を持って立ち上がり、青年に背を向けて一歩、二歩と離れ始める。


「……私とお前は、互いに世界の上位存在に見放された存在だ。私たちは見てきた、魂の還るべき所を……それでも、再会したあの日、お前は私の信仰心は本物だと言ったな? それは意外にして、存外的を射ていたのかもしれん。何故ならば、このような運命の悪戯は、まるで神の天啓かのようにしか感じられなかったのだからな」


 師匠に合わせて、青年も立ち上がった。そして相手に敢えて背を向け、一歩、二歩と前に歩き出した。視界の奥には、大地と雲との合間に、聖なる夜に相応しいような満月が挟まれていた。


 そして青年は、相手に背を向けたまま、自分達を見放した大地を見上げながら呟いた。


「アンタは自分を理解していないぜ、パイク・ダンバー……確かに、俺の知る中で、アンタが最も正しい信仰心を持っている、そう思ってる。だけど、アンタが今信じたいのは、神様じゃないぜ」


 背後で、師匠が息を呑む気配を感じた。まだ振り返らず、青年はそのまま言葉を続ける。

 

「アンタは、本当は……誰よりも、人間の善性を信じたいんだ。でも、現実は無常だから……だから、人の心のあり方に拘っちまうんだ。アンタが俺に期待しているのは、抑止力なんかじゃない。人間の可能性だ。リアリストのアンタは性悪説を唱えても、心の奥では、誰よりも性善説を信じてる……だから、人間の本質は、素晴らしい物なんだって、そいつを俺に期待してるんだろ?」


 そして振り向いてみると、パイク・ダンバーは目を閉じ、静かに髪を風に揺らしたまま、口をつぐんでいる。


「……残念ながら、アンタの言ったとおり、俺は明日しか見えない馬鹿野郎だからさ。もっと先のことなんてどうこうする気もないし、そもそも出来やしないって思ってる。もっと言えば、俺はアンタほどロマンチストでもないから、人間が良いもんか悪いもんかなんていうのだって、どっちだっていいんだ……でも、これだけは言える……俺は、この世界で、アンタに出会って、人の温かさに触れた。そして、ネイと出会って、誰かと手を繋ぐことの難しさと、大切さを学んだ……俺にあるのはそれだけだ。でも、それだけで良いと思ってる。それだけで、生きる価値があるって思ってるんだ」


 青年は、目の前に立つ優しい壮年に対して、笑顔に努めた。今の自分があるのは、師匠のおかげで――その感謝を伝えるために。しかし、この頑固親父は、決して言葉では納得してくれない。


「……分からず屋のアンタに、俺がしてやれるのは、精々一人で寂しくないように、一緒に遊んでやることくらいだよ……アンタが求めている答えは、ここまで一緒に来た皆が教えてくれる」


 そこで、今度は青年が空に浮かぶ大地を仰ぎ見た。そう、あの空の異変を、人の心の弱さの象徴を、きっとアイツがどうにかしてくれる。そして、再び視線を落とすと、まだダンバーは眼を閉じて、青年の言葉に耳を傾けていた。


「……もう一度言う、俺はアンタと戦いに来たわけじゃない。だが、アンタがグレートスピリットを掌握しようって言うんなら、俺はそれを止めなきゃならない」


 青年がそこまで言うと、ダンバーはやっと、ゆっくりと瞼を開いた。


「……ここまで来たのだ。我が子と妻を失い、国民戦争時代には多くを殺め、そしてヘブンズステアやリサ、ウェスティングスの虐殺に眼を瞑り、ここまで来たのだ……私は、すでに引き返せないところまで来ている……私ももう一度言うぞ、ネッド。私は賭けたのだ……成程、お前の言うこと、一理あるやもしれん。私は、お前に人類全体の可能性を見ようとしていた、それを否定はしない……だが、あまりに小さな可能性だ。お前の中には、あの子しかいない。そんな小さな絆で、人類全体の夢想できるほど、私は甘くも耄碌もしていない」


 言いながら、ダンバーはラスティファングから朽ちたエーテルライトを取り出し、新しいものに入れ替え始めた。それならば、こちらも準備なしというわけにはいかない――青年も踵からシリンダーを取り出し、新しい輝石を入れ込んだ。


「私が、私とスコットビルが勝てば、永遠の王国【ミレニオン】の元で、人々は永久の平穏が約束される。お前と……お前とその仲間達が勝つならば、それは神の思し召し……そういう、賭けなのだ。そして磐石の元に計画を進めるのならば、お前を倒し、スコットビルと合流し、荒野の無法者共を一掃するのが、最も合理的な判断というもの」


 パイク・ダンバーは刀身の機構に親指を乗せ、中央に光る魂の結晶を擦り上げた。こちらも、踵をこすり上げ――間合いにして五メートルほど、二人の男の周りには、魂が燃焼して巻き上がった蒸気が吹き荒れる。


「……そうかよ、この分からず屋のジジイ、いや、馬鹿師匠がよ」

「ふっ……そういうお前も、大概頑固だよ、この馬鹿弟子が」


 最後に、互いに笑い、そして互いに左胸に親指を押し当て――二人の男、互いに輪廻の理を断ったもの同士の、最後の魂のかがり火が燃え上がり始めた。

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