25-3


 ジェニファーは聖誕祭の日に備え、出来る限りの準備を進めた。まずは機銃の練習、しかしポワカの言うとおり、移動する飛行船から撃つ機銃の扱いは難しかった。本番ではブラックノア自体がもっとスピードが出ているらしいので、ポワカの言っていた通り、自分はせめて大物に当てられるように練習をしておいた。その他空いている時間は、ギャラルホルン内部の構造から策を練ることに専念した。


 そのほかの面々も、各々決戦に向けて準備をしていた。クーを含む拳士達は、ブラックノアの外で組み手を熱心にやっている――もちろん飛行している状態なので危ないことこの上ないのだが、彼等は弾丸を止める程の手練であるので、ジェニファーはとやかく突っ込まないことにした。その他、兄とブッカーは武器の整備、ポワカはブラックノアのメンテナンス、カミーヌ族はグラントにエーテルシリンダーの使い方の指導を受けており――ネイはただ、眠りから覚めないネッドの隣で、多くの時間を過ごしていた。

 

 そして何とか各々準備が終わり、聖誕祭の二日前の夜、再び一同を展望室に集め、ジェニーは皆に策を伝えた。ポワカのようにモニターとやらは扱えないので、全て口頭での説明だった。しかしそれでも、皆真剣に耳を傾けてくれていた。


 ジェニファーが作戦を伝え終わるのと同時に、ポワカが手を上げて立ち上がった。


「……ブラックノアのデータを解析したところ、どうやらギャラルホルンの起動は、明日の夜に行われるようです。恐らく、日付が変わるのと同時に、新しい神が生まれるよう、計算していたのでしょう」

「成程、それならギリギリ間に合ったというところですね……皆さん、何か質問は?」


 女の質問に、一同は沈黙を持って応えた。とはいえ、これだけの人数の命を預かる作戦、自分の一存だけで決めるのは少々怖いものがあるのも事実なのだが――だが、兄のジェームズ・ホリディは微笑を浮かべ、長年の相棒である褐色の従者は、あくまでもいつもの表情を崩していなかった。そして、話を最後まで真剣に聞いてくれていた少女が、座ったまま口を開いた。


「……ジェニーらしい、いい作戦だと思うよ。コグバーンもいいんじゃないかって、そう言ってる」

「えぇ、ありがとうございます、ネイさん。でも本当は、大佐はそうは言ってないんじゃないですか?」


 ジェニーが笑顔でそう返すと、ネイは少し驚いた表情を浮かべ、しかしすぐ微笑を浮かべて小さく首を振った。


「さすが、大佐のファン一号は違うな……でも、お前が目指すところに辿り着きたいなら、悪くない作戦だって言ってるのは本当さ」

「そうですか……南軍の猛将に太鼓判、とはいかないにしても及第点をもらえたなら、良しとしましょうか」


 そう、世界の命運が掛かっているのだから、本当ならばもっと現実的に、徹底的に相手を打ち倒すべきことに専念するべきなのだ。それでも――この戦いの後のことまで考えると、きっとそれでは正しくないと思ったから。


 ともかく、ジェニーは二日前にはポワカが立っていた場所で、集まっている一同へ視線を移した。


「それでは、僭越ながらもう少々お話を……本当ならば、ここに立つべきは、我らが頼りないリーダーだったはずなんですけど、代理を務めさせていただきます。明日の夜、私たちは必ず勝たなければなりません。勝てば、聖典の原理主義者達に、私たちの可能性を示せるだけでなく……一番は、もしヘブンズステアやパイク・ダンバーの思い通りにしてしまったら、それは即ち、精神世界の破滅を意味します」


 そこでジェニファーは一息置いて、改めて集まっている面々の顔を見た。北部の軍人、南部の郷紳、褐色肌、ネイティブ、東洋人、ハーフブリード――ここには、この大陸のほぼ全ての人種が居た。


「……我々は、この大地の社会的弱者マイノリティです。しかし、だからと言って嘆くことはありません。私たちは私たちの自由な意志で、明日を切り開いていくことができる。しかし、もしヘブンズステアの好きなようにさせてしまったら……我々は大いなる意志から与えられたただ一つの平等を、自由な意志を奪われてしまうのです。それだけは、絶対に避けなければならない」


 そう言って、女は何か、一つの違和感に気づいた。あぁ、きっとこの感じは、ソリッドボックス襲撃前夜に似ているのだ――あの時と同じ轍を踏むわけにはいかない。


「以前、こんな風に仲間を集めて、ネッド・アークライトがこんなことを言っていました。人殺しをするのに、笑っていたらいけないって。自分たちは、ただ利己的な目的のために、戦う……そう、結局暴力に任せるというのは、そういうことなのかもしれません。それでも、私は今回の戦いが、この国の大いなる一歩の礎になると信じています。私たちの敵は、人間じゃない。魂のあり方を脅かす、天災なのですから……それ以外の者とは、きっと、分かり合うことが出来ると信じてここまで来ましたし、またそれを理解していただいたうえで、皆さんはここにいらっしゃると思います」


 しかし、使命感に燃え、今日に尽きてはならない――女は一度眼を瞑り、開いて、真剣な面持ちでこちらを注視している一同の覚悟を一身に受けながら、再び口を開いた。


「私からのお願いは、たった一つです、勇気ある方々。貴方方の勇気を、決して間違った方向に使わないでください。我々の相手は強大です。今日というこの日まで、この大陸を支配し続けた、聖典の使者が相手です。それでも……」


 ジェニファーはそこで、一旦ネイの方を盗み見た。少女は真剣な面持ちで、頷き返してくれた。


「本当は、死んでいい命なんて、ないんですから……だから、私からのお願いは、貴方方に生き残って欲しいということです。それは私達も……そして、聖典の使者も」


 そう言い切った瞬間、女の瞼の裏にはネッド・アークライトの後姿が浮かんだ。彼の勇気は、無謀なものだったのだろうか――いや、まだ全てが終わったわけではない――女は小さく頭を振り、グラスを手に取り、以前彼がやったように顔の上くらいの高さに掲げた。


「この盃に注がれているのは、聖者の血ではありません。ですから、これが最後の晩餐とならぬよう……もう一度皆で、次は勝利の美酒を呷れるように……それでは、乾杯」


 皆がグラスを掲げ、そして女が呷るに合わせて、他の者達も盃を呷った。


「……さぁ、堅苦しいのはここまでです。折角めぐり合った何かの縁ですから、みなさん、どうか親睦を深めてください」


 ジェニーの言葉に、人々はそれぞれ料理を取り合い、酒を飲み、談笑を始めた。生まれも育ちも違う人々が故、背景が違えば言語が通じるかも少々怪しいのだが、それでも同じ目的を持って集まったもの同士、見えない絆で結び付けられているように、みな楽しそうだった。

 その光景を眺めているのは、自分だけではなかった。まず目に入ったのは、傍にいたポワカ・ブラウンだった。


「……人間って、不思議ですよね。好き嫌いで喧嘩したり、もっと酷いときには、相手のことを良く知りもしないのに暴力を振るったりするのに、一方でこんな風に、今まで全然関わり合いが無かった人たちが、こうやって集まって、みんなで笑いあってるんですから」

「えぇ……そうね。でもきっと、どっちも人間の姿なんですよ」

「それじゃあ、人間はいつまでも、喧嘩を止められない、ってことですか?」


 そう言って覗き込んでくる女の子の目は、どこか寂しそうに揺れていた。


「……そうですね、きっと喧嘩は止められないです。だって人間は、我が身が一番可愛いですから。その次に身内、その外は、自分の利益を害するなら敵……とってもシンプルですよね。でも……」

「……でも?」

「きっと、喧嘩の程度を抑えることは、出来ると思うんですよ。それに、喧嘩してしまうことよりも、皆でこうやって笑い合っていられるこの光景は……未来を信じるのに、十分じゃありませんか?」

「うん、そうですね、ジェニー、なかなかクサいけど、今のはグッと来ましたよ」

「それなら良かったですわ。クサいは余計ですけどね……」


 そこまで会話して、ポワカは別の面々の方へ可愛がりに移動し、ジェニーもネイのほうへと向かった。


「ん、いい音頭だったよ、ジェニー」


 少女の顔には笑顔があるのだが、寝不足が酷いのだろう、眼の下を擦りながらの挨拶になってしまっていた。


「……ネイさん、貴女、大丈夫ですか?」

「そーだな……ごめん、ジェニーの折角の舞台だったってのに」

「いいえ、いいんですよ……それよりも、明日の決戦に、そんな風にクマを作ったままのほうが心配です。今日は先に、早めに寝てはいかがですか?」


 そう、きっと眠いだけでなく、ネッドのことも気になるのだろうから――一緒に居られないのは残念かもしれないが、それ以上にこの子には好きにして欲しいという想いもあった。ネイのほうも右手で眼を擦って、微笑を浮かべて頷いた。


「うん、それじゃ、悪いけど……」

「えぇ、明日は元気なネイさんを見せてくださいね」


 そう言って小さく手をあげ、ネイが展望室から出て行くのを見送った。そして、そのまま視線を横にスライドさせる――壁を背に、長年の相棒が、微笑を浮かべてこちらを見つめていた。


「ブッカー、どうやった?」


 ジェニーは褐色の従者に近づきながら、先ほどの演説の感想を求めてみた。


「えぇ、良かったですぜ……ジェニファーお嬢様も、ご立派になられた」


 ブッカー・フリーマンは言いながら、ゆっくりとサングラスを外した。目尻に僅かに寄せられている皺が、この男がもはや若くないことを象徴しているようだった。


「おかげさまで……貴方が、私をここまで引っ張ってきてくれたんや。もちろん、色々な人の助けがあって、特にここ一年は、良い出会いに恵まれてたけど……それでも、もし貴方が私を立派な淑女と言ってくれるのなら、それは貴方がこの十年間、一生懸命駆け抜けてきてくれたおかげよ、ブッカー」

「はは、やめてくだせぇ。オレは好き勝手にやってきただけですぜ……」


 ブッカーは一度目元を押さえて、すぐにサングラスを掛け直してしまった。


「お、なんや、今日は私の勝ちやな」

「はは、そうやってすぐに勝ち負けにこだわるようじゃ、やっぱりまだまだお転婆だってことです」

「……でも、明日は勝たなきゃならん、そうやろ?」

「えぇ、そうです」

「……何度言ったか分からんが、敢えてもう一度言うで……ブッカー、ブッカー・フリーマン、頼りにしてるからな……頼むで?」

「えぇ、お任せを。きっとアナタのその手に、勝利を運んで見せましょう」


 ブッカー・フリーマンはそういいながらかしずき、ジェニーの右手を取った。


 ◆


 少女が部屋に戻っても、やはり相棒はベッドの上で眼を瞑って横になっているだけだった。


「まったく……いつまで寝てるんだ?」


 少女が問いかけても、青年は応えてくれなかった。起きて欲しいけれど、しかし起きてしまったら、今度こそどこかに行ってしまう様な気がして――だから少女は、静かに、青年の眠る隣まで歩いてゆき、そして静かに腰を下ろした。外から、僅かに皆が騒ぐ声が聞こえてくる――しかしそれも遮断して、少女は暗い部屋の中に意識を集中させた。隣に座ってやっと聞こえる、青年の小さな寝息が、少女を少しだけ安心させてくれた。


『……誰かを好きになるって、大変よね』


 寝息に混じって母の声が聞こえ、少女は薄れ行く意識の中、ベッドに腕と頭を置いて、ふと胸に湧いた疑問を聞いてみることにした。


「うん…………ねぇ、お母さん?」

『なぁに?』

「お母さんは……アイツのこと、好きだったの?」

『そうね……』


 サカヴィアはそこで少し考え込むように相槌を入れて、少ししてから娘の疑問に答え始める。


『もし、燃えるような想いが愛だと言うなら、私はあの人のことを愛していたわけではないわ……でも……』

「……でも?」

『……あの人に、特別な感情があったのは、間違いない』

「……イヤなヤツでも?」

『ふふ、そうね……むしろ、イヤなヤツだからかしら? 放っておけないっていうか……』


 母は一度そこで言葉を切って、今度は諭すような調子で語りかけてきた。


『ねぇ、ネイ。一人って、寂しいわよね?』

「うん……凄く寂しい」

『それは、あの人も一緒なのよ……あの人はヘブンズステアの嫡男として生まれ、神の国を建設するために奔走してきた。でも、それはあの人が、自らの血筋や家系のためにやっていわけではないわ……あの人自身が、それを自分の使命だと思い込んでいたからなの』

「でも、人に迷惑をかけていい理由には、ならないよ」

『えぇ、その通り……私も、そのことを何度も何度も、彼に言い続けたわ。その結果が……』


 ブランフォード・S・ヘブンズステアにとって、やはり人とは分かり合えないという答えになった、そういうことなのだろう。しかし一方で、ブランフォードは母のことをどれだけ理解しようとしていたのか――きっと、自分勝手な歪んだ想いを、母にぶつけていただけでなかったのか。


『……でもね、私があの人に特別な感情があったのは、きっと彼が弱い人だからなの』

「……えっ?」

『あの人は、とても孤独な人だったわ。彼という存在を知る人は、少なければ少ないほど、彼は動きやすかった。そういう、実践的な意味合いでも、彼は文字通りに孤独で、そして誰かと分かり合おうとしなかった。でもそれ以上に……本当は、そんなに心の強い人じゃないのに……いいえ、強くないからこそ、他人を信じられなかった。人は裏切る生き物だからって……』


 それは、水晶の夜に、少女が父に叩きつけた言葉だった。あの時は、直感的にそう思っただけなのだが――それでも、あの男の本心がそれなのならば、どこか違和感があった。


「……変なの。人が好きじゃないのに、人が争わない世界を創ろうとしてたってこと?」

『いいえ、反対よ、ネイ。彼は人が信じられないから、皆を思い通りに動かしたかったのよ。心を掌握できれば、安心でしょう?』

「そっか…………でも、聞けば聞くほど、イヤなヤツだよ?」


『ねぇ、ネイ。私が魂の荒野で十五年間彷徨っていたのは、魂が本能的に、貴女を探していたから……でも、それだけじゃないの。最後に、彼が私を手に掛けた時の言葉、君だけは分かってくれると思ってた……その言葉が、ずっと残っていて……』


『もし私が、ブランフォードを救ってあげられていたら、今日の悲劇は無かったかもしれない。だから……私はきっと、あの人のことも救いたくって、ずっと待っていたの』

「……そっか……うん、きっとそれは、お母さん、アイツのこと、好きなんだね」

『えぇ、きっとそう……そして、多分彼も……』


 フィフサイドのことを思い返せば、確かにブランフォード・S・ヘブンズステアは、サカヴィアの名前を叫んでいた。そう言う意味では、彼も――単純な愛ではないのだろうが、また母のことを意識しているのは間違いなかった。


「……ちょっとくらい駄目な奴の方が、愛着も湧くってことなのかな?」

『えぇ、きっとそういうことよ』

「……でも、アイツ、リサの母親と浮気したわけだろ?」

『ふふ、そうね……だから、貴女が羨ましいわ、ネイ』

「うん……でも、アタシはまだ……」


 彼から返事を聞いていない――少女は青年の顔を覗き込み、しばらく顔を眺めていると、段々と意識が眠りの底へと落ちていった。

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