25-2


 少女は廊下の一番奥の部屋、廊下の突き当たり手前の扉を二回ノックした。


「……もしかしたら、起きてるかもしれないし……」


 しかし、中から返事は無かった。少女は一応「入るよ」と小さく言って、扉を静かに開けた。


 中には二つのベッドが並んでいる。片方はシーツは少々乱れており、恐らく少女が起きた後、直さずにそのままにしていることが予想された。少女はそのままベッドの上に座って、もう一つのベッドで目を瞑っている青年を、悲しげに揺れる碧で――改めて見ると、眼の下にクマが出来ている――見つめていた。


「ポワカやグラントと作戦を練っているとき以外は、ずぅっとここで、ネッドを見てたんだ……」

「ネッド……」


 ジェニーはベッドの横に立ち、ネッド・アークライトの顔を見つめた。顔は青白く、本当に死んでいるようで――小さく上下している胸が、僅かに彼がこの世にしがみついている最後の証のようだった。

 女はその場に座り込み、青年の顔を改めて見つめた。いや、実際はどこを見ていたのか――目の前の現実を直視するのも辛いし、とはいえ、なんと言葉を掛けて良い物かも分からなかった。


「……ジェニーも、ネッドのこと、好きなんだよね」


 後ろから聞こえてきた声は、穏やかなものだった。それでも女は心の奥底を突かれたような気持ちになり、一瞬どう返そうかと悩んでしまい――こうなっては駄目だ、変に取り繕っても碌な事にならない、しかし後ろを向く勇気は出ずに、ただジェニーは青年の顔を見つめながら応えた。


「……いつ、分かりました?」

「集合写真を撮った時。あの時のジェニーは、なんだか可愛かったし……言っただろ? 誰かを好きになると、可愛くなろうとしちゃうってさ」

「そうですか……でも、私は、どうこうする気はないんです。だって……ネッド・アークライトは……」

「ストップ。駄目だよジェニー、その先は、言ったら駄目……アタシだって、聞いてないんだからさ」


 意外だった。というより、アレだけべったりしていたのだから、てっきり想いは伝え合っているものかと思っていた。それがなんだか不思議で、なんだか可笑しくて――やっと、ジェニーはネイのほうに振り返ることが出来た。


「なんや、ヒモ男、意外と根性なしだったんか?」

「うぅん、アタシが言わないでって。全部終わったら、教えてって」

「……そっか」


 少女の声も、自分の声も、なんだか十は歳をとったような、どことなく疲れた調子だった。きっと、互いにここまで来て、色々と大変な想いもしてきて――どことなく、老け込んでしまったのかもしれない。


「なんだか、初めてジェニーと対等になった気がする。今までは、ジェニーって大人で、どっか遠い存在だったんだけど……」

「なんや、嫌味か?」

「うぅん、そうじゃない、そうじゃないんだ……そう、結構こういうこと、考えるんだけど……アタシがコグバーンに連れ去られていなかったら、ここに居たのはリサで、アタシは今頃ブランフォードに取り込まれていたかもしれない。そうじゃなくても、アタシより先に、ジェニーがネッドと出会ってたら、今このベッドに座っているのはジェニーで、そこに居るのはアタシだったのかもしれないって」


 そこまで、膝の上で組んでいた両手からやっと視線を上げ、ネイはジェニーのことを真っ直ぐに見つめてきた。


「つまり、色々な巡り会わせで、アタシは今ここに居るだけ。でも、それは決して弱気なわけでも、後ろ向きな訳でもなくって……アタシがネッドのこと、大好きなのは本当。仮にジェニーと喧嘩したって、絶対に譲らないんだから」

「……ふふ、なんだか不思議……今の言葉を聞いて、妬けるような、残念なような、安心したような……そんな気持ちになりました」


 そう言って互いに笑いあい、ジェニーは再びネッドのほうに視線を戻した。こんなに恥ずかしい話をしているというのに、この男はまったく起きる気配も無く、それが少し安心したような、それでも残念なような、ジェニファーはやはり複雑な気持ちが湧き上がってきた。


「……でも、私は、きっと彼とは幸せになれないです。ネッド・アークライトは、目の前のことを大切にするタイプですから……対して、私は愛よりも、夢を取りますから」

「ん……そっか……」


 再び振り返り見ると、少女は十七という――いや、すでに十八になっているのだろう――歳に似合わぬほど、憂いた表情を浮かべていた。それは、まるで全てを諦めてしまったかのような――いや、厳密に言えば、まるで世捨て人のような、浮世離れした表情をしていた。


「ネイさん、貴女……」

「……大丈夫だよ、ジェニー。アタシは、もう死ぬ気は無い……何があっても、生きていくつもり。だって……」


 頭を振りながらそこで一旦切って、再び少女は膝上にある自分の右手に視線を落とした。


「……こうやって、人並みに生きられるようになったの、ネッドのおかげだから……それに、それに……アタシが死んでも、ネッドにもう一度めぐり合えるわけじゃない。だって、ネッドは……このままいったら、消えちゃうん、だから」


 少女はそのまま黒い髪を横に揺らし、かすれた声で言葉を続ける。


「でも、だからこそ、凄い、凄い申し訳なくって……ネッドは、アタシのために戻ってきてくれたのに、アタシは……!」

「ネイさん、駄目ですよ」

「……うん、ともかくきっと、アタシが死ぬのは、ネッドが望まないと想うから……だから、何があっても生きるよ。そして、リサを救うんだ……それで……」

「……それで?」

「リサと一緒に罪を償って、それで、後はひっそり、生きていこうと思う」


 そこで少女は、やっと頭を上げてくれた。しかし、やはりそこに浮かんでいるのは、今にも何かが噴出しそうな、滲む碧の瞳だった。


「……きっと彼は、それも望まないと思いますけど」

「でも、アタシの想いだってあるもん」


 そう言って頬を膨らませるネイは、やっと歳相応の少女に戻ってくれた。


「それに、まだ全部諦めたわけじゃない。ブランフォードを倒して、リサを救って、それにネッドだって、まだ消えたわけじゃない……助かる道があるかもしれない」


 しかし、少女はそこでまた、暗く視線を落としてしまった。


「だから、凄く複雑なんだ。もし聖誕祭までにネッドが目覚めちゃったら、ネッドはきっと戦う道を選ぶ。でも、それは、きっと魂の終わりを意味する……それなら、いっそここで寝ていてくれれば、もしかしたら助かる道も、探せるかもしれない。でも……」

「……最後の戦いは、彼の力無しでは、厳しい戦いになる」

「うん……だから、もう、何が正解なのか、全然わかんなくって……」


 大きく息を吐きながら、少女は鉄で覆われた天井を見上げた。


「……でも、たった一つ、確かなことがある。アタシは、ここまできたことを、後悔していないって。もしかしたら、この先には悲しいことが待っているかもしれない。それでも、アタシはここまで来て良かったって……うぅん、良かったのとは少し違うかもしれないけど、でも、絶対に、みんなとここまで来れた事を……」


 そこで少女は一端きり、一旦青年のほうを見つめた。


「……ネッドと出会ったことは絶対に間違いじゃ無かったって、そう思うんだ」

「ネイさん……そうですね、私も、ここまで皆で来れた事、絶対に後悔しません。そして……」


 ジェニーが立ち上がると、ネイも一緒に立ち上がった。少女は背が低いので、普通に見下ろす形になってしまうのだが――ともかく、ジェニファーはスリットからゆっくりと銃を引き抜き、少女も脇のホルスターから銃を抜き出し、互いの得物を交差しあった。


「アタシ達の勝ちで」

「全てを、終わらせましょう」


 しかし、以前こんな風に銃身を交錯させたことがあったっけ――ジェニファーが過去を思い返していると、相手も同じことを思ったのか、きっと自分と同じように笑っていた。


「……こうやってると、初めて出会ったときのことを思い出すな」

「えぇ、そう言えば、お手合わせ願いましたっけ」

「あの時はアタシが負けたけど、今度やったらアタシが勝つよ」

「まぁ、怖い、でも……」


 ジェニーは銃をスリットへ戻し、少女に対して不敵に笑って見せた。


「それならそれで、こっちは貴女の上を行ける様、策を練るだけや」


 宣言すると、少女も少し笑って、ホルスターに銃を戻した。


「ジェニーは何をしでかしてくるか分かんないからな……頼りにしてるよ」

「えぇ、お褒めに預かり、恐悦至極に存じますわ」

「あはは、その返し、そこの寝坊助並だぞ?」


 ネッド並みといわれると、なんだか俄然癪な気持ちになるから不思議なものである。きっとこちらの引きつった表情が面白かったのだろう、少女はけらけらと笑って、しかしまた部屋に入ってきたときのような憂い顔に戻ってしまった。


「……大丈夫、ジェニーなら、きっとシーザー・スコットビルを越えられるよ。だって、思い返してみればさ、アタシやネッド、グラントは結構負けたりしてるけど、ジェニーはアタシが知ってる中じゃ、無敗なんだから」

「ふふ、そうです……だって、このジェニファー・F・キングスフィールド、勝てる勝負しかしないんだから、勝って当たり前なんですよ。そして……きっと貴女の期待通りに、シーザー・スコットビルだって下して見せます。もちろん、私一人の力は小さいのはわかっています。それでも、この一年間で、ネッドが紡いで、貴女が繋いできた絆があるから……聖誕祭の夜、きっと新しい可能性の産声を上げさせて見せますわ」


 少女に勝利を誓い、女は二人の部屋を後にした。


 割り当てられた部屋に戻ると、すでにクーが戻っており、神妙な表情の上、豊満な胸の下で腕を組んでベッドの上に座っていた。


「そう言えば私、最初に出会ったとき、貴女とは絶対に仲良く出来ないって思ってたんですよね」

「いやぁ、不躾極まってるアルねぇ」


 こちらの真意を察しているのか分かっていないのか、しかしこちらの突飛な発言に硬い表情を崩して、クーは笑ってくれた。


「でも、気がついてみれば意外とよろしくやってますからね……やっぱり人間、きちんと話せば、手を取り合う事だって出来るといういい証拠になるでしょう」

「うん、流石にアナタが何を意図しているのか、分からないわジェニー」

「いえ、ちょっと先ほどネイさんと話をしていて、そう言えば私達って、殴り合って分かり合ってきたんだなぁって、なんだかそんなことを思い出しまして」


 クーは「成程」と一旦頷いた直後、すぐに「成程?」と疑問を顕わにしていた。しかしすぐに斜めになった首を立てに戻し、再び硬い表情になって、ジェニーのほうを見つめてきた。


「……ネッドは、どうだった?」

「ぐっすりでしたよ……それこそ、死んでいるようでした」

「そう……」

「そう、だから、彼の力が無くても勝てるように、万全に万全を期さないとなりません。そのために……」


 ジェニーがそこまで言うと、クーは備え付けの机のほうを指差した。ジェニーは頷き、椅子を引き、机の上に置かれている資料に熱心に目を通し始めた。


「……私はこの大陸の中で、恵まれた環境で生まれ育ち、ここまで来たとは思う。でも、特別選ばれた人間なわけや無い……凡人が奇跡に手を伸ばすには、血の滲む努力と、諦めない心、それに……」


 そこで、ダスターコートの長身が脳裏に浮かんだ。その姿は、先ほどベッドに寝ているものでなく、そして異形の力を使って戦う彼でもなく――足りない力をその身を削ってでも戦い抜く、以前のネッド・アークライトの姿――水晶の夜に、散った彼を思い出し――そう、自分に本当に必要なものは――。


「……魂を燃やす、覚悟が必要なんや」

「……そうね、最後のその時まで、一歩でも成長しなければ……それじゃ、わたしはフェイ老子に手ほどきをお願いしてくるアル」

「えぇ、貴女のアチョーな拳法で、スコットビルの涼しい顔に、一発お見舞いしてあげてください」

「一発でいいアルか?」

「百発でも千発でも。でも……」

「分かってる。貴女の言いたいことはね」


 資料から一旦目を離し、クーのほうを見ると、扉の前で背中を向けて、人差し指を天井に向けて立ち止まっていた。


「……アナタも、あんまり根を詰め過ぎないようにね。寝過ぎでぼけられても困るし、寝不足でぼけられても困るんだから」

「あはは、りょーかいや」


 クーは一旦振り向いて笑って、部屋の外へと出て行った。ジェニファーはそれを見届け、すぐに資料に目を戻し、ギャラルホルンの内部構造の把握に努めた。

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