21-5


 ◆


「な、なんや!? 今の声!?」


 青年の背後で、ジェニファーの頓狂な声が聞こえる。どうやら、自分以外の人たちにも聞こえたらしい――しかし、これは青年にとっては見飽きた光景であるのだが、周りにとっては慣れない状況だったようだ。


「こ、これはソリッドボックスの……ネッド、これは、本当に死後の世界なのか!?」


 ブラウン博士の質問に青年は頷いて答えた。


「で、でもでも!? この前みたく、ネーチャンの力でつなげてるわけじゃ、ないデスよね!?」

「それは、俺も分からん……いや、まさか?」


 青年には、一つだけ心当たりがあった。ヤツは自分と同じ道を選んだのではなく、むしろ逆方向を目指していたのだとしたら――そう、ブランフォードは、直接支配すればと言っていた。それが、現実になったのだとしたら――。


『ちっ……すまん、ヤツの行動を見抜けなかったようだ!』

「お、おいコグバーン!? どういうことだ!?」


 男の声――コグバーン大佐の声は、青年にも聞こえた。恐らく、あの世とこの世が繋がっているから、今はネイ以外にも聞こえているのだろう。


『それは……おい、ネイ! 前!!』


 一同の視線が、少女の目の前に注がれる――溶け合う世界の中心に、ぼやけた、白い影が現れた。


『ふは、ふハははハは! 大いなる意志ノ、ほんの一部分ダが……我が支配に治タゾォ!!』

 

 聞こえてきた男の声は所々裏返っており、正気でないことはすぐに理解できた。影はそのまま蠢き、顔の部分に該当する箇所を天に向け、大きく叫びだした。


『見タかァ! サかヴぃアァッ!! 私のホン質は、支配……タマシイのシハイ!!私は、ワタシは、模造品なンかジャなイ……誰かの猿真似ヲスるだけの、狡い男じゃナイんダァ!!』

『……グレートスピリットに取り込まれて、自我が崩壊しかけているのね……でも、それでも執着するなんて……どうして、それほど……?』


 男の咆哮に対して、サカヴィアのどこか戸惑ったような声が聞こえた。しかし、もはやその声も聞こえていないのか、白い影――ブランフォード・S・ヘブンズステアの魂が、ゆらゆら、ゆらゆらと――ネイのほうへと近づいた。


『ふひ、フヒひひ……ツクる、カミのくニ……』

『……自我が消える前に、ネイの肉体を乗っ取ろうとしているの!?』


 サカヴィアの声が聞こえたの同時に、白い影が広がり、少女の体を覆うように襲い掛かる。


『サァ、ネイ!! 父さンとひとツにナロうッ!!』

「……はぁッ!!」


 襲い来る白い影を、少女は躊躇もなく、右の握り拳で撃退した。


『ヌグゥッ!?』

「誰がお前なんかと一つになるかッ!!」


 多分、殴る必要性は一切無かっただろう、今のネイは心がハッキリしているから、取り込まれる心配など皆無だった。

 だが、もう一つの可能性があったのではないか――どうすればいいのか分からず、途方にくれて、揺らいでいる魂が。


『か、カクなるウエは……!』

「……えっ?」


 白い影が、リサの方へと一気に伸び――彼女の影が白い影に侵され、次第に黒と白とが混ざっていき、リサの背後に灰色の影が浮かんだ。


「うぅ、ぐぅ……あぁあぁああああっ!!」


 頭を押さえ、リサがその場にうずくまってしまう――それを見て、すぐにネイがリサの元に駆け寄った。


「り、リサ!? リサッ!! しっかりしろ!!」

「わ、わた、わたしの中に、何かが……私、消える……やだ、怖い、お姉ちゃん、助けて……!!」

「リサぁ!!」


 妹が必死に伸ばした手のひらを、姉がしっかりと繋ぎ――直後、黄昏の荒野は消え去り、元のフィフサイド砦が景色を取り戻した。リサは、頭を垂らし、その表情は見えない。


「……リサ?」


 少女が、心配そうに妹の顔を覗き込もうとする。しかしその前に、リサが顔をば、と上げた。そこには、歪んだ唇と、どこか焦点のあっていない瞳とがあった。


「あはははははは!! お前も馬鹿な娘だよ、リサァ!!」


 自分のことを、自分で娘などと言う輩は、この世に存在しないだろう。つまり、リサの肉体は――。


「お前!! リサから出ていけ!!」


 少女が手を離すのと同時に、右腕の文様が白く光る。しかし、相手の方が早かった。


「アハァ!!」


 不気味な笑い声と共に、リサの体を乗っ取ったヘブンズステアが、娘の両腕でネイの体を思いっきり押し出した。


「ネイッ!」


 青年は踵を擦り上げて走り、吹き飛ばされる少女の体を、その身で受け止めた。そのまま背中から壁に激突してしまうが、青年はあまり痛みを感じなかった。


「ね、ネッド!? 大丈夫!?」

「あ、あぁ……それより、あいつを……」


 青年の言葉に少女ははっとし、青年の腕を離れて、妹の体に入った父親の魂と対峙した。相手はそんなことはお構いがないというように、なんだか虚ろな調子で独り言をぶつぶつと言っている。


「ふぅ……しかし、危なかった。神と融合したのはいいが、あのままいけば取り込まれてしまっていたからな……」

「お前……リサをどうするつもりだ!?」


 ネイが叫ぶと、父は興味なさげに娘を見つめた。


「聞き分けの無い娘め……この私の愛を否定するとはな」

「そんなことが聞きたいんじゃない!! リサを返せッ!!」

「もう、お前は私に必要ない」

「人の話を聞けッ!!」


 まったくかみ合わない親子の会話――それを、銃声が遮った。音の方を見れば、ジェニファーの左手のハンドキャノンの――マリアの能力のおかげで、もう左腕の三角巾を外している――音だった。


「……ブランフォード・S・ヘブンズステア。あの世からよくも遥々と帰還してくれやがりましたね……それで? 貴方はこれからどうするおつもりで?」


 あのまま親子に話させていても、会話は永遠に平行線だっただろう、ナイスな横槍だった。


「ふふ……全ての魂は、グレートスピリットへ繋がっている……そして、私はグレートスピリットの一部分と融合した。後は、我が国の信徒の信仰心で持って、神の国をこの世に実現させるだけだ」

「意味が分かりません。自分語ではなく、この国の言葉を話してください」

「愚鈍な輩に、逐一説明するほどの慈悲を、私は併せ持っておらん」


 なるほど、こちらも結局平行線で終わりそうだ。苛立つ表情をなんとか抑えて、ジェニーは再び冷静な顔になり、銃口をリサの体に向けた。


「ともかく……それならそれで、貴方を捕らえればいいだけの話です。こちらは八人、貴方は一人……多勢に無勢、降伏するなら今のうちですよ?」

「ふっ……侮ってもらっては困る。何せ、今の私は……!」


 目を見開いて静かに笑うリサの体の足元から、一斉に鼈甲色の稲妻が走り――電流が走った場所が、一気に崩壊し始めた。


「神の力の一部を! 取り込んでいるのだからなぁッ!! あはははははははははぁあああ!!」


 エーテルシリンダーを使うこと無しに、能力を使い続けるとは、自分やダンバーとは違った方向性の力――なるほど、確かにグレートスピリットの一部を取り込んだとは本当なのかもしれない。

 崩れる大地、崩壊する砦、灰に還るアンチェインド達――力を放出させているだけなのが幸いしているのか、こちらに人的被害は無い。しかし、この場に居ては、いずれ相手の壊す力に巻き込まれてしまうだろう。


「成る程!! リサ、お前は良い子だよ!! この力、破壊の力ッ!! 存外に役に立つぅううう!!」


 砦の中央で、両腕を広げて高笑いする男に対して、怒りを向ける二つの魂――しかし、姉の方よりも、男の方が早かった。


「……調子にのるなよヘブンズステア!!」


 崩壊する地面を、上手く脚の斥力を使って飛び移って行っているのであろう、マクシミリアン・ヴァン・グラントが、この場の蹂躙者に向かって近づいていく。きっと、ソリッドボックスで青年が感じた怒りと近いものを感じて――都合の良いときだけ、自分の娘を愛している、良い子だなどとのたまうあの男の魂を、ヴァンは許せなかったのだろう。


「おぉおおおおおお!!」


 右腕の機構から蒸気が噴出し――だが、アレがヤツの甘さか、右腕の手甲ではなく、左手の握り拳で、リサの体からヘブンズステアを叩き出そうとしている。

 ヴァンの拳が振りぬかれようとする瞬間、女の顔から狂気が消え、泣きそうな女の子の顔に変わった。


「……やめて!! 酷いことしないで!!」


 ヴァンの拳が、リサの顔面の目の前で止まった。しかしその拳の奥に、再び狂った笑みが現れた。


「ヒャァ!!」


 リサのが、ヴァンの左手を叩いた。一瞬、すべてが止まってしまったかのように静まり返り――青年は立ち上がり、胸に親指を当てて擦り上げた。自分の体を包む炎の向こうで、ヴァンの左手が消し飛んでいるのが見える――そのままよろけて後ずさり、ヴァンの体がヘブンズステアが空けた大穴へと吸い込まれた。


「ヴァァアン!!」


 自らの魂を燃やしながら、青年は大穴の壁を下に向かって駆け出した。自由落下よりも早く追いつかなければ――左腕から大量に血を噴出す旧友と並んだ。


「うぉぉおおおおッ!!」


 土壁を蹴り、友の体に繊維を伸ばして捕まえた。後はそのまま反対側の壁を目指し、大穴の中を三角とびし続け――穴を抜け出し、ネイの目の前に着地した瞬間、再び自分が纏っていた黒衣が解かれた。


「ね、ネッド!」

「俺のことはいいから! ヴァンの腕を!」

「わ、分かった!」


 少女がヴァンの左腕の断裂部――肩より先が全て持っていかれている――に右手をかざすと、血が止まり、皮膚が切断部を覆い始めた。息が荒く、苦しそうにあえいでいるが、とりあえず、これで命に別状は無いだろう。


「……麗しきかな隣人愛。しかし、神の使命の前には、瑣末なことだ」


 胸の違和感を押さえ、青年は声のした方に振り返った。すべてが静まり返った世界の中心、崩落の起こった真ん中で、両手を腰の辺りで広げ、虫をあざ笑うかのような笑顔で、娘の体に入ったブランフォード・S・ヘブンズステアがこちらを見ていた。


「……俺は聖典には詳しくないが、右の頬をぶったら、左の頬を差し出せって言うだろ?」


 青年は再度立ち上がり、もう一度、魂を燃やす覚悟を決めた。


「……意味が違うぞ、馬鹿弟子が」


 落ち着いた、しかししっかりとした侮蔑の声に、青年は驚き――残った後方の建物の上から何者かが飛び出し、リサの体の横に並んだ。


「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ……この聖句は、相手の全てを受け入れよと、そういう意味だ。目には目をの復讐法を説いたものではない」

「……俺は聖人じゃないんでね。舐められたら舐められっぱなしってわけにゃ、いかねーんだよ」


 そう皮肉を返し、青年はパイク・ダンバーに向かって指をさした。しかし、ダンバーはそれを無視し、ヘブンズステアの方へ向き直ってしまった。


「よくぞ戻ったな」

「おい、無視すんじゃねーよ」


 声を張り上げようにも、なかなか体が言うことを効かず、なんだか淡々とした口調になってしまったが――しかし、どういったところで、結局ダンバーには無視されてしまった。


「……それで、どうだ?」

「あぁ……ダンバー、お前の目指した優しい世界が、目の前に来ているぞ……」

「そうか……ならば、協力しよう」


 ダンバーは頷くと、リサの体をちょうどお姫様抱っこの形で抱え上げた。


「おい、逃げるのか?」

「周りをよく見ろ、ネッド……みな、限界だ」


 言われて周りを見てみると、確かに皆、疲れきってしまっているようで――横に立っていたネイも、苦しそうな表情を浮かべて汗を流し――そのままその場に倒れてしまった。


「ね、ネイ!?」


 青年が声をかけても、反応が無い――そうだ、先ほどのリサとの戦いで、本来は相当消耗しているはずなのだ。


「マリア・ロングコーストの力で傷は癒えようとも、擦り切れた精神までが回復するわけではない。まだ戦えると言うのなら、それは……私と同じ化け物だよ、ネッド」


 その言葉は、青年に重く圧し掛かった。自分とて、今日でかなり消耗しているのは間違いない。しかし、やろうと思えば――魂が燃え尽きるまでは、戦い続けることができる。それは、確かに健全ではない、化け物の所業なのかもしれない。自分が改めて普通から離れてしまった、そんな実感が、今更ながらに青年の頭を覆い尽くした。


 ショックを受ける青年をよそに、師匠は黒く染まった瞳で、青年を見つめていた。


「……ともかく、今日はここまでだ。ヘブンズステアもまだ万全ではない。そちらも、お前以外は疲れきってしまっている……この場で雌雄を決そうとすれば、全員が無意味に滅んで終わりだ」


 そこで、パイク・ダンバーは胸に指を押し当てた。別に、瞬間的にこの場を離脱するためだけに能力を使おうというだけなのだろう、しかしこちらが力を使うのを止めていて、自分は使おうと言うのだから――。


「……アンタも大概、自分の魂を安売りしてんな」


 青年がそう言うと、パイク・ダンバーは少し優しげな表情を浮かべた。


「お前に言われるとはな……しかし案ずるな。先ほど言っただろう? 決着は、しかるべき場所で……ただ、今日のこの場所が、そうでなかっただけだ」


 煙が舞い、それが晴れるころには、すでにダンバーとヘブンズステアの姿は無くなっていた。

 ほんの少しの間、青年はただ、ダンバーとヘブンズステア、二人が立っていた場所を見つめていた。その奥から、まばゆい光が差し込んでくる。なるほど、一晩中、こんな緊迫感の中に居たのだ、みんな疲弊しきっていて当然だった。 


(……化け物、か)


 師匠の言葉を、胸の内で反芻した。それが青年の胸にまた重く圧し掛かった。


 ともかく、嵐は去った。先ほど倒れてしまった少女を介抱するべく、青年はしゃがみこみ、少女の体を抱き起こした。顔は青白く、目は閉じられており――かなりまずいかもしれない、青年は自分の悩みなど吹き飛んでしまった。


「おい、ネイ、大丈夫か? しっかり……」


 そこまで言って、ぐぅ、と間抜けな音が当たりに響いた。その音は、青年の凄く近くから聞こえた。そして、目を閉じたままだが、少女の顔がだんだん青白いものから赤いものへと代わっていった。多分、現在少女がプルプル震えているのは、シリアスだった場面を一気にぶち壊してしまった恥ずかしさのせいだろう、一瞬周りを見ると、ジェニーたちも座り込んで、しかし笑いを堪えているようだった。


「……ここんとこ、ほとんど飲まず食わずだったんだよ……」

「……そりゃ、腹が減るわな」


 目を閉じたまま、小さく言い訳する少女が可愛らしくて、青年の心はほっこりした。


 見れば、ヴァンは気を失っているものの、呼吸も安定してきている。周りの仲間達も、徐々にこちらへ集まってきて――ちょうど、朝日が差してきた。やっと、長い長い夜が明けた瞬間だった。

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