20-4


 ◆


 青年が自分の体を取り戻してから二時間ほどが経過した。場所は移さず、今日は崩落した古都の近く、荒野の夜空の下で野営をすることになった。理由は二つあり、一つはあまり下手に移動すると無駄に時間を消費する恐れがあるから。ここからジェームズ・ホリディの拠点に戻るにも一日以上、フィフスサイドに行くにも一日という距離で、しかし拠点に戻ってしまうと丸々フィフスサイドに行くのに余分に時間を食ってしまう。そのためここで今晩中に、各々の身の振り方を、もう一度決める必要があった。

 もう一つ移動しなかった理由は、現在絶賛青年の目の前にある、巨大な鉄の塊のせいであった。いや、自分を救ってくれたのを鉄の塊呼ばわりするのも何なのだが――。


「うーん……これは、本格的な修理が必要デスねぇ」


 巨兵の足元で、ポワカ・ブラウンがそうつぶやいた。ゴリアテ三式は何とか自動で地中から這い出てくれたのだが、左の脚部が大破しており、元々右腕も壊れている状態であったため、もうそこかしこが破損していて、人型ゴーレムと言うより、もはや鉄の塊と形容するほうが相応しい状態になってしまっていたのである。


「すまん、ポワカ。俺を助けるために……」


 青年が近づいて謝っても、ポワカは口元に微笑を浮かべて、静かに首を横に振った。


「いいんデス。ゴリアテも、ボクもそうしたかったからそうしただけで……それに、三式は直せますから」


 そこで女の子はゴリアテ三式のほうへ向き直った。


「本当に怖いのは、哀しいのは、直らないことと、戻ってこないことデスから……だから、平気デス」


 そう言う女の子の背中は、どこか寂しげだが、それでもどこか強さもあった。子供が成長する瞬間っていうのは、こういう時なのかもな――青年がそんな風にしみじみと思っていると、今度はどこか邪悪な表情で、ポワカが振り向いてきた。


「それに、こうなったらオーバーホールして、めちゃんこ強い武装をドッカンバッキンくっつけるチャンスでもありますからね……グヒヒ!」

「お前さぁ、あんま若い子がグヒヒって、お兄さんどうかと思うよ?」


 一応呆れるように返しておいたが、ポワカだって半分はこちらに気を使って冗談っぽく言ってくれたのは青年にも分かっていた。もちろん、残り半分が本気なのも分かっていた。


「うーん、どうするデスかねぇ……蒸気砲は確かに威力ありすぎですけど、相手が結構トンデモ連中ならあってもいいかもですし……イヤイヤ、もっとにゅーじぇねれーしょん的なまったく新しい発想も必要で……」


 いや、やっぱり百パーセント本気だったのかもしれない。一人で怪しげに、且つ楽しげにつぶやくポワカを見て、青年はそう思った。

 青年が阿呆を見て和やかな気持ちになっていると、後ろから足音が近づいてくるのが聞こえた。


「おーい、ポワカ、ネッド、コーヒーを淹れたアルヨ」

「わーい、飲む飲むデース!」


 ポワカが青年の横をすり抜け、クーの横に並んだ。青年もアルアルデスデス言い合う二人の後に続いた。

 焚き火の周りには、お座りの状態で鎮座しているブラウン博士、岩を背もたれにニヤついているブッカー、三角巾で腕を支えて渋い表情をしているジェニーの三人の姿があった。


「……やっぱり慣れませんわね、これ」


 渋い顔をしていた原因は、黒い液体だったらしい。それに対してクーが笑い、人差し指をち、ちと振った。


「でも、やっぱり荒野の野営と言えばコーヒーアルヨ」


 今までも一緒に野営をしていたのだが、ジェニーの飲み物に関してはブッカーが紅茶をわざわざ淹れていたので、ジェニーだけコーヒーは全然飲んでいなかったのだ。


「へへ、すいませんねお嬢、オレが動けないばっかりに」


 ブッカー・フリーマンがニヤつきながら主人に謝った。全然悪びれている様子もなければ、すでに元気そうだった。うー、とか二十三歳にもなって恥ずかしげもなく呻いている南部女の後ろを通り過ぎ、青年はブッカーの横に座ることにした。


「……すまん、怪我は大丈夫か?」


 青年は、自分が思いっきりブッカーを地面に叩きつけてしまったのは記憶していた。青年の謝罪に対し、ブッカーは表情を変えずに――つまり、ニヤついたまま応える。


「お前さん、最後に紐を引っ張ってくれただろう? アレが無けりゃ即死だったかもしれねぇが、こうして生きてるんだ、問題ねぇよ」


 ここで男の口元が、一転真面目に引き結ばれ、今度は低い声が続いた。


「それよりも、お嬢のことの方が問題だぜ……傷物にはしないでくれよ?」


 ブッカー・フリーマンにとって、ジェニファーは自分の体より大切な存在であることは疑いも無い。博士の見立てだと、ジェニーの左腕は安静にしていれば後遺症も無く治るだろうとのことだったのだが、もし傷が残るような怪我を負わせていたら、それこそ青年は本気でブッカーに殴られていたかもしれない。


「あ、あのなぁブッカー、私は別に……」


 過保護なのが照れくさかったためか、青年が攻められているのが耐えられなかったのか、ジェニーのほうからフォローが入る。しかしジェニーが言い切る前に、ブッカーは元のニヤけっ面に戻った。


「そうじゃなきゃ、性格的にアレなんだ、せめて綺麗にしてなけりゃ、余計に男が寄り付かなくなっちまうだろう?」


 その一言に青年は非常に納得して、冷静に「なるほどね」と返すことしか出来なかった。後ろでなんだか喚きだしたジェニーをよそに、クーが青年にカップを渡しに来てくれた。青年は夜に相応しい黒をしばらく覗き込み――そして、カップに口を付けた。予想通りの味だった。


「あぁ、もう、私は別にそんなんはどうでも……うん、どうでもいいですから、ともかく今後どうするか決めますよ!」


 仕切りたがりの南部女が焚き火の近くに立ち、右腕をび、と広げた。


「さて、では改めて……ネッド、貴方は聞くまでもありませんよね?」

「あぁ、言うまでもないね」


少女に会うために、この世に戻ってきたのだ。わざわざ奴らの好き勝手にさせておく理由もないし、ヴァンのことも心配で――なんにしても、青年がフィフサイドに行かない理由など存在しなかった。


 ジェニファーは真剣な面持ちで頷いて後、今度はクーのほうへ向きなった。


「貴女も、グラントを追うのですね?」

「えぇ……ネッドが居れば、グラント様も話を聞いてくれるかもしれないしね」


 そういうクーの表情は、どこか達観したような、自虐的な笑みを浮かべていた。自分でヴァンを止められなかった歯がゆさがあったのかもしれない。

 クーの返答に、ジェニーは短く「そう」と相槌を返し、カップを置いて目を瞑り、少ししてから口を開いた。


「……私も、フィフサイドに同行します」


 その答えは、青年にとってはやはり予想通りのものであった。確かにジェニーの能力――詳しいことはまだ聞いていないのだが、こちらの防御力を一切無視した一撃、当たればなぜか真っ二つになる弾丸――あれがあればアンチェインドの相手をするには頼りになることこの上ないだろう。しかし、けが人を鉄火場に連れて行くのも忍びない。


「……いいのか?」


 青年は、女の左腕の三角巾を指差しながら問うた。


「右腕一本あれば十分! 引き金さえ引ければ、雑魚を倒すくらいの援護はできます。それに、私は貴方の援護を、私の援護はブッカーがしてくれますから」


 主人の言葉に、珍しくブッカーが頭を掻いて、少々困っていた。こういうことは予想済みだったのだろうが、如何せん怪我人に無茶はしてほしくないのが本音で――しかし、大きなため息の後に、ブッカー・フリーマンは頷いた。


「まったく、うちのじゃじゃ馬様には困ったもんだ。まぁ、そこまで言われちゃ、やるしかねぇですぜ」

「頼むでブッカー。それに、私たちはあくまで後方支援、私だって死ぬ気はないし、無茶する気は毛頭ありません」


 ジェニファーは一度切って、今度は逆に、ジェニファーのほうが青年のほうを指差してきた。


「今回の主役は、私ではありませんから……ねぇ? ネッド・アークライト」

「……あぁ、そうだな」


 青年は自分の右の握り拳を左の胸に置いた。確かに、血を送り出している鼓動を感じる――だが、それ以上に、この心臓が、不可逆な魂の砂時計であることも分かっていた。

 しかし、その流れを速めてでも、得たいものがあるのだ。青年は顔をあげ、女に向かって強く頷き返した。


「皆には、俺のために無茶をしてもらったからな……次は俺の番さ。任せてくれ」


 青年の言葉に、ジェニー、ブッカー、クーの三人が頷いた。


「ポワカと博士は、どうするんだ?」


 流石に、一番の武器が壊れている状態で付き合わせるのも危険だろうし、当人たちに戦闘力が無いのだから、それこそジェニー以上に戦地に向かわせるのも忍びなかった。


「ボクも行くデス!」

「い、いやいや……頼みの綱のゴーレムがあの状態なんだ、危なくないか?」


 青年の否定に、ポワカは笑みを浮かべ、まず右後ろに居る黒いフォルムの蒸気人形のほうを指差した。


「ジェンマが居るデス!」


 そして今度はポワカの隣にいる狼を指し示した。


「トーチャンが居るデス!」


 博士は戦闘能力はほとんど無いのだが――しかし、ポワカが誰よりも頼りにしているのは間違いないし、ネイのアンチマテリアルライフル、ブッカーのデスペラード、ジェニーのハンドキャノンは、博士の助力無しにはポワカも作れなかったと言う。何より、一度スコットビルを撃退できたのも博士のおかげだし、そう思うと確かにここぞで何かしてくれる気もする。


 そしてポワカが立ち上がり、焚き火の前でスカートを翻しながら一回転して見せた。


「ジェニーにブッカー、クーネーチャンにネッドも居るデス! だから、大丈夫デス!」


 何が大丈夫なのか良くわからないが、確かになんだか大丈夫な気がしてきた。自分もやはり単純だな――青年は小さく笑ってしまった。しかしほんわかした青年の心とは裏腹に、ポワカはスカートを掴んで俯いてしまう。


「それに、まだみんなじゃないんデス。大切なピースが、欠けたままですから……」


 この子は、なかなかこういう所が良い子で――青年は立ち上がって、なんとか自然な笑顔を意識して、ポワカの頭の上に優しく手を置いた。


「……そうだよな。全員集まらないと駄目だよな」

「デス!」


 女の子の屈託の無い笑みを浮かべる傍らで、機械の狼が特大のため息を吐き出した。


「はぁ……まぁ、ワシが何か言ったところで、言うことを聞く子でもあるまいな」

「ははっ、お互いお転婆のお守りは大変さな、ブラウンのとっつぁんよ!」


 シンパシーを感じて嬉しかったのか、ブッカーが博士の横に並んで、首に腕を回して豪快に笑った。


「ボクをジェニーと同レベルにしないで欲しいデス!」

「ちょ!? ポワカ、それどういう意味ですか!?」

「どうもこうも、確かにジェニーと同じような扱いをされたらイヤアルねぇ」


 焚き火の火の粉が舞い上がり、軽口でみんな笑い合っている――いい仲間を持ったな、ネッド・アークライト、青年はそう思った。

 そう言えば、フィフサイドに行く前に一つ準備をしなければならないことを思い出し、青年は静かに焚き火を見つめているブラウン博士に話しかけた。


「なぁ、ネイの右腕の包帯って、誰か持って来てないかな?」

「あぁ、それなら……」


 博士の胸の部分が機械音を立てて開き――というか、そんな機能があったのかよ、青年は心の中でつっこんだ。


「……大分擦り切れてしまったがな。ポワカが持っていこうと……」

「……そっか」


 青年は、焚き火の向こう側で楽しそうに談笑しているポワカを見つめ、感謝の言葉を心の中で言い、博士の胸から短くなってしまった赤い布を取り出し、少し一人になりたく、一人暗い岩場のほうへと歩いていった。




 皆から少し距離を取って、岩場の影で青年は一人座り込んだ。そしてしばらく、ぼぅ、と空の星を仰ぎ見ていると、誰かが近づいてくるのが聞こえた。


「……貴方、実はどこか悪いんじゃないですか?」


 声と共に、空と自分との間を女の顔が遮った。


「……いや、別に苦しいとか痛いとか、そういうんじゃないんだがな……」

「でも、どこか違和感がありますよ。まぁ、私も貴方も、ある程度はそういう覚悟を持って、こういう形になったわけですけど……」


 言いながら、ジェニファーが青年の隣に座った。青年は少し考えて――言わなくても構わないのだが、自分とこいつの仲だ、話して少し気楽になるというのならそれもいいだろうし、こいつも変に抱え込んで欲しくないのだろうから――話すことにした。


「……なんていうか、心と体がうまく連動していないんだ。笑いたくても笑えないと言うか……」

「なるほど、ただでさえ無愛想な貴方が、余計に無愛想になってしまったと、そういうことですね?」

「はっ、言っとけよ」


 この女、なかなかいい女だ。下手に心配されるより、皮肉の一つでも言われたほうが、青年の心も軽いと、分かってくれているのだろう。


「パイク・ダンバーもそんな感じだったからな。正直、覚悟はしていたよ」

「そうですか……他に、何か違和感は?」

「お前が、俺に妙に優しいってところくらいかな」

「あ、あのねぇ……はぁ、まぁいいです」


 会話が途切れ、少し互いに空を眺めていた。そして、ちょうどこの女がなかなかオシャレであったことを思い出した。


「……なぁジェニー、センスのいいお前に一つ聞きたいんだが」

「な、なんですか気色悪い……ま、聞いてあげなくも無いですよ?」

「あぁ、これなんだが……」


 そこで青年は、先ほど博士から受け取った赤い布を取り出し、ジェニーに見えるように広げた手のひらの上に乗せた。


「……それ、ネイさんの」

「あぁ。あの子には、やっぱり必要なものだからさ」

「でも、短くなっちゃってますね」

「それはいいんだ。だけど、短くなったら短くなったなりに身に付けるんだったら、どうすればいいかなぁって」


 青年の言葉に、ジェニファーはふむ、と息を出し、右手を顎に当てて考え始めた。


「……貴方は、どう考えてるんですか?」

「一応、リボンにでもしようかなぁと思ってたんだけどさ。でも、術式が刻まれてて赤黒いから、なんとなくだけどリボンにするには変な感じかなって」

「ふむ、確かにそうですね……まぁ、まったく考え無しに助言を求めているわけじゃないんだったら、考えてあげましょう」


 女は顎に右手を当てたまま、しばらく月夜を眺めていた。考えること十数秒で、いい考えが浮かんだのか、指をぴん、と立てながら青年の方へ向き直った。


「ミサンガなんかどうです? 赤と黒の二色で縞々にすれば、割と洒落てるんじゃないでしょうか」

「なるほど……お前は本当に頼りになるな」

「ふふっ……どういたしまして」


 青年は早速、踵のシリンダーを起動させ、自身の能力で残った赤い包帯を丁寧に紡ぎなおす。


「でもそれ、切れてしまったら、彼女の能力を押さえ込むことはできないんじゃ?」

「いや、いいんだ……もう、押さえ込む必要なんて無いんだからな」


 青年はジェニーの質問に端的に答え、赤と黒が交互に重なるように、帯状の組紐を完成させた。


「……どうだ?」


 青年が完成させたミサンガを指で摘んで見せると、女はそれをしばらくじっと見つめ、頷いた。


「うん、いい感じです」

「おう、サンキューな」


 出来上がった作品をポケットの中につっこみ、青年はまた少し空を見上げた。隣の女も同様に、空を見上げているようだった。別段気まずいわけでもないのだが、空を見上げているうちに聞きたいことが出てきたので、青年は質問することにした。


「ところでさ、ジェニー、さっきのどうやったんだ?」

「さっきのって?」

「いや、俺の腕を、ただの銃弾で吹き飛ばしただろ?」

「あぁ、アレね……おかげさまで、自分を深く知れたと言いますか、それで出来るようになったんですよ」

「はぁ? 全然意味わからないぞ?」

「いえ、私の本質が『切り拓く』なので、土とか石以外も色々と、切ってひらけるんじゃないかなぁと」

「駄洒落か!?」


 青年の反応に満足したのか、ジェニファーはけらけら笑い出した。しかしその駄洒落のおかげで、自分も暴走を押さえ込めた訳なのであるし、自分の体に戻ってから思わず一番に大きな声が出たので、青年自身も自分で驚いてしまった。


「あっはっは、まぁ、それだけ元気に突っ込めるなら、まだまだ大丈夫そうやな」


 笑い終えて、ジェニファーは立ち上がって、数歩先まで歩いていった。そしてそのまま、青年のほうには振り向かず、ただ足元をじっと見つめていた。


「……なぁ、なんとなく思ったんやけど……」


 ジェニファーはそこで言葉を切ってしまった。秋の夜風が吹き抜ける音が妙に耳に残るほど、少しの間静かな時間が続いた。


「お、おい、なんだよ、続きは?」


 青年の疑問に、女が振り返った。意地の悪そうな笑顔を浮かべているだけだった。


「へっへー、秘密や」

「あ、あのなぁ……気になるから言ってくれよ」

「駄目駄目、なんせ私は勝者、今日のお前は敗者やから? 教えてやーらない」


 そして再び女は青年に背を向け、今度は天井の月を眺め始めた。その後姿が、なんだか綺麗で――やっぱりコイツは上を見ているのが似合っている、青年はそんな風に思った。


「……ネッド、ありがとうございます」


 女は空を見上げたまま、振り返らずに話を続ける。


「貴方のおかげで、私は自分を見失わずに済んだ……自分の夢を、裏切らずに済みました」


 礼を言うのはこっちの方だ、そう思ったが、あえて口を挟まないようにしておいた。


「もう一度、みんなで手を取り合って歩める未来のため……頑張ろうって思えました。あの子のために一生懸命な貴方を見て、改めて自分のやるべきことを、見つめなおすことが出来ました」


 そこで女は一息つき、半身振り返って青年の方を見つめてきた。月明かりに照らされる女の横顔は、儚げな微笑をたたえていた。


「……今は、まだ道の途中。それで、私の道と貴方の道は、この先は重なっていますか?」


 女の言わんとするところを、青年は完全に理解しているかどうかは分からなかったが――多分、相手の感じている寂しさは、自分の感じている寂しさでもあっただろう。

 青年の道と女の道は、きっと今、交錯している。しかし、互いにやろうとしていることを突き詰めていけば――互いにすれ違い、いつかは違う道を行くことになるかもしれない。それが自分と相手の感じている寂しさの正体なのではないか。

 だが同時に、それはなんだか酷い思い違いのように、青年には感じられた。その違和感の正体の糸を探り、少し考えて――手繰り寄せた思考の意図を、青年は女に伝えるべく口を開いた。


「そんなこと、気にすることはないんじゃないかな……俺のやりたいこと、お前のやりたいこと、それが自然と重なっている状態が、きっと理想的なんだからさ。変にあわせることなんかないんだ」


 青年の答えに、女は一瞬きょとん、として、だがすとん、と落ちたのか、すぐに笑顔に代わった。


「ふふっ……なかなか言うじゃないですか、ネッド・アークライト。でも、その通りですね。今、貴方と私のやりたいことは、確かに重なっていますから……それでいいんですね」

「そうそう。人との関係を、そんなに深く考えるもんじゃないぜ」

「あら、他人との距離に人一倍気を使っている貴方が言っても、まったく説得力がありませんけど」

「ほっとけよ……それに、お前さんはどーんと構えて突き進んでりゃいいんだよ。ついて行きたい背中をしてるんだからさ」

「はいはい……褒め言葉として受け取っておきます」


 青年は純粋に褒めたつもりだったのに、女の心にはイマイチ響かなかったらしい。自分で言っておいてなんだが、やはり人との距離感と言うのは難しいな、青年はそう思った。


「それじゃあ、私はそろそろ戻ります。貴方も、考えがまとまったら戻って、明日に備えてください……それと、やっぱり貴方が馬鹿で良かったと、改めて思いましたわ」


 そう言いながら、ジェニファー・F・キングスフィールドは右の手をひらひらと振って、みんなの居る方へと戻って行った。

 

 なんだか相手の真意を推し量れなかった気持ちの悪さを抱えたまま、青年は再度空を見上げた。しばらくの間はなんだかスッキリしなかったが、徐々に気持ちも晴れてきて――まず、ジェニーのこと。彼女のおかげで自分の体を取り戻すことが出来たのだから、ともかく彼女の夢を出来る範囲で協力しよう、青年はそう心に決めた。


 そして、次には明日のことを考え始めた。恐らく、明日の同じ時間には、フィフサイドに到着している。最悪なのは、ダンバーとスコットビル、リサが同時にいることだろう。青年自身、アンフォーギブンの力の使い方も、まだ完璧ではない。その上、仮に完璧に使いこなせたとしても、ダンバーのほうが素の実力が上なため、恐らく五分より条件は悪い。青年がダンバーの相手に掛かりきりになったとしても、あとはスコットビルが居るだけでどうにもならなくなってしまうだろう。


(……それでも、やるしかない)


 無限の荒野を抜ける前に、約束をしてきた。あの子に伝えないといけないことがあるのだから――青年は再度右手を胸の上に置き、しばらくの間ただ無心で俯き、自分の不安をかき消すように祈り続けた。


(……こんなんになっても、俺は変わらないな)


 崩落する地下空間から一足飛びで抜け出られるような力を得たのに、それでも明日への不安に脅えている。その変わらなさがなんだか面白くて、しかし安心したのか、なんだか眠気が一気に押し寄せてきた。

 実際、感覚が少々鈍くなっている――先ほど、コーヒーの苦味をあまり感じられなかった。寒さもあまり感じないのだが――とはいえ、あまり体を冷やすのも良くはないだろう、青年は焚き火のほうへ戻って一眠りすることにした。すでに起きているのは、トーマス・ブラウンただ一人だった。

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