17-5

 ◆


 青年の目的地は、街の郊外にある、国民戦争終結十周年の特別記念式典場であった。場所は、ホテルに置いてあったパンフレットを見ることで分かっていた。先ほどは少女に一緒に外に行きたいなどとも言ったが、冷静に考えれば緊急事態というか、あまり浮ついた気持ちで居るのもマズイのではないか――そう思い、いや、思ったのだが、やはりどうにも落ち着くことが出来なかった。


「……? どうかした?」

「い、いや……なんでもないさ」


 隣を見ると、ネイが見上げて青年の顔を覗き込んできている。もちろん、二人きりの期間も長かったのだから、こんなふうに二人で街を歩く、なんていうのはそう珍しい訳でもない。しかし、少女の今の格好は、まさしく年相応の女の子のそれだった。今までは旅に適した、戦闘に適した格好だったのが、突然、異様に可愛らしく変身し――もちろん、セントフランの一件で、一度ドレスを着せたことなどもあったが、アレは自分が作った衣装を着ていたため、ある意味想定の範囲内であった。だが、今回のは完全に飛び道具で、青年は思わぬ衝撃にやられてしまった。ジェニーはなかなかセンスがイイ。ホテルで階段から下りてきた少女を見た瞬間、一発でやられてしまった。自分の横に居るのは、普段のドンパチやっている時の相棒ではない。歩いていれば目を引くような、可愛らしい街娘になっていた。いや、周りがちらちらとこちらを見ているのは、恐らく物珍しさなのだろうが――青年と少女はかなり身長差があるため、そのデコボコ加減が余計に目を引くのだろう。少なくとも、恐ろしい様な物を見る目だとか、慌てる様な素振りも無いので、少女が史上最高額の賞金首だと言う事は、気付かれていないようだった。


 ともかく、こうなっては多少気分が高揚してしまうのも無理のない。南部諸州の中でも、比較的内陸地に所属するソルダーボックスは自然豊かで、二人が歩いている道など街路樹が立ち並んでおり、既に十月も終わりに近く、少しずつ色の変わってきている葉の色と、空とのコントラストがまた美しくて――端的に言えば、絶好のデート日和と化していた。


「なんか、埃っぽくない街並みってだけで新鮮だな」


 少女の言う通りで、青年達が歩いてきた街の多くは砂塵の舞う場所が多かった。セントフランなどは別にしても、あそこはどちらかというと海の美しさで、こちらは山や木々の美しさが素晴らしかった。こんな調子なのに、要人暗殺のための計画を練るなどという気も全く起きず、しかし知っている場所も無いので、ともかく一応郊外の方へと向かっている、一方で中央から離れていけばいくほど、また自然が綺麗で――そんなところであった。


「ねぇ……さっきから口数が少ないけど、アタシ、なんか変かな?」

「変じゃない。いや、やっぱり変だ……むしろ、変なのは俺か?」


 少女の疑問に対し、青年はそんな訳のわからない答えを返してしまった。少女はそれに小さく笑った。


「うん。ネッドはいつも変だよ……でも、その……」


 少女は腕を動かしながら、自分の衣服を眺めていた。自分が口数が少なくなって、不安にさせてしまったのだろう。


「いや、似合ってるよ……逆に、似合ってるからこそ、俺の方が緊張しちゃってるんだ」

「そ、そういうもんか?」

「そういうもんなんだよ……とにかく、大丈夫。全然、君は変じゃないから」

「そっか……うん、変なの」

「変じゃないって言ったろ?」

「なんか、変じゃないのが変だ」


 もはや、お互いに何を言ってるのかよくわかっていないのだろう、適当過ぎる、意味のない会話――それでも、そんな時間が楽しくて、愛おしかった。


 しばらく歩いて行くと、割と洒落たテラスのある喫茶店があった。丁度歩き疲れてきていたため、二人はそこによることにした。

 外の対面席に腰かけたものの、注文をしてからは二人とも黙って景色を眺めていた。まだ日も高いが、静かに吹く風はすでに少々冷たくなってきていて――きっともう少し経てば、石畳の道も辺りの木々の落葉で、綺麗な絨毯に染まるのであろう、そんな風に思っていると、丸テーブルに、湯気の立つふたつのカップが運ばれてきた。少女がせっせと砂糖を入れている横で、青年は先にカップに口をつけた。


「……アタシが淹れたのと、どっちが美味しい?」


 少女は自分のカップに手を付ける前に、そんなことを質問してきた。変におべっか並べるのも良くないし、青年は率直な感想を言う事にした。


「さすがに、こっちの方が美味いよ」

「そ、そっか……いや、当たり前か」


 そう、二杯で一ボルというのは、単価で考えたらかなり高額だ。もちろん、利益を出すために高く設定しているのは当たり前にしても、そもそも豆だって拘っているのだろう。青年はそう、味に細かい訳でもないが、それでも多少香りだって違う――ような気がした。


「……いや、正直に言えば、あんまり差は分からないも。結局、コーヒーはコーヒーだからな」

「はは、お前は腹に入れば何でも同じってタイプだもんな」


 別に褒められた訳でもないのだが、なんとなく青年は嬉しかった。お互いの事が分かるようになるまで――それほど、自分たちは一緒に居たということの証なのだから。きっと、相手もそんな風に思っているのだろう、少女は笑顔でカップに口をつけた。


「うん、アタシも良く違いが分からないや……お互いに、やっすい舌なんだな」

「いやいや、安上がりに越したことは無いさ。変に肥えてるのも、きっと金がかかって大変だからな」

「ふふ、そーかも……でも、このコーヒーはおいしいよ。味の違いは分かんないけど……」


 少女はカップを置いて、薄緑や黄色の葉が萌える木々の方を見つめた。


「なんていうか、雰囲気でおいしい」

「うん、同感だよ」


 その表現は、なんとも稚拙であるように思われたが、青年もまったくの同意だった。きっと、自分が美味しく感じたのも、少女と同じような気持ちだったからに違いないから――。


「ねぇ、ネッド。世の中って、いろんな所があるんだな」

「あぁ、そうだな」

「アタシ、もっと色々な景色を見てみたいかも」

「俺もだよ」

「なんだ、意外と気が合うじゃないか」

「意外とは意外だな。結構長く一緒に居るのにさ」

「確かにそうだ……うん、結構一緒に居るんだよね」


 そこで少女は笑顔のまま、一旦カップを手に取った。しかし確かに、この景色もなかなか素晴らしい物だった。もちろん、一人で手持無沙汰にふらっとここに辿り着いて、そこはかとなく考え事でもするにも良い雰囲気だし――しかし、やはりこれだけ満たされているのは、もっと別に理由があるだろう。


 そうだ、この件が終わったら、ジェニーが言っていたように、ヴァンの奴からたくさん報酬をふんだくってやろう。それこそ、もう危ないことはこりごりだ。この半年間、随分身の丈に合わないこともやってきた。後悔も無いし、楽しい時もたくさんあったが、ともかくしばらくは静かに暮らしたい。しかし、西部を飛び出してみれば、成程、世の中色々な場所があるものである。西海岸だって素晴らしかったし、今居るライトストーンも荒野にない美しさがある。


 だけど、それをありのまま以上に楽しめているのは、きっと青年が一人ではないからだった。


「……ネッド、また考え事か」


 随分自分の世界に没頭してしまったらしい、意識を引き戻すと、少女の優しい笑顔があった。


「でも、今は楽しいこと考えてたんだな……口元がにやけてた」

「マジ? もしかして、マヌケじゃなかった?」

「うん。すっごいマヌケだった……それで? 何を考えてたんだ?」

「いや、この件が終わったらさ。今度こそ賞金稼ぎを廃業して、単純に色々旅するのも楽しそうかなぁ、なんて思ってね」

「ポワカと一緒に?」


 少女の言葉を、青年は一瞬理解できなかった。だが、そう言えば劇団をやるとかなんとか、そういう話をしたことを思い出し、呆けたように頷いてしまった。


「……お前、ポワカとの約束、忘れてたんだろ?」

「い、いやぁ……それはその、なんていうかですねぇ……」

「ふふ、いいよ。黙っててあげる……でも、正直言うとさ。アタシはちょっと、一所に落ち着きたい様な気もするかな」

「へぇ、そりゃまたなんで?」

「言ってみれば、アタシは十年以上根なし草だった訳だし……いや、旅も好きだし、こうやって新しい風景に出合うのは、素晴らしいことだと思う。でも、さ……」


 そこで、大事そうにカップを両手で包みこんで一口、その後、僅かに上気させた頬に、はにかむように細めた翠の目で、少女は続けた。


「ずっと探してた居場所を、意外な所で見つけられたから。そこで、しばらくはノンビリしたいって思う」


 青年は一瞬、言われたことの意味が分からなかった。皆の居る所が自分の居場所だなんて言っていたけど、そこではないのか――午後の陽ざしを受けて、きらめく黒髪がまた綺麗だな、なんて考えているうちに――しかし、自分をじっと見つめてくる瞳のおかげで、遅ればせながらやっと真意に気付くと、青年は自身の顔が一気に熱くなるのを感じた。


「あ、いや、あの、その……」


 予想外の一撃に、ただ青年は狼狽することしかできずに――なんと返そうか、いつもみたいに冗談で返すか、いやしかし、相手だって真剣な所で、そんな風にふざけるのも違うのではないか、俺も男だ、ここは真面目に受け止めるべきで――そんな考えが一気に駆け廻っているうちに、どうやら青年の態度が可笑しかったのか、今度は少女はけらけらと笑いだした。


「あはは、なんだ、冗談返されると思ったのに……そんなんじゃ、こっちの調子も狂っちゃうだろ?」

「……なんだい、ジョークを返されたかったのかい?」

「うぅん……多分、そういうわけじゃない。むしろ、真剣に考えてもらえて、嬉しかった」


 少女は微笑んだままカップを戻し――どうやら、呑み切っていたようだ――今度は一転して、真面目な顔になった。


「でも、そう言う話は後でもゆっくり出来るしな……会場に行く気だったんだろ? そろそろ、行こうか」


 そこに、迷いは無かった。その強い顔は、街娘から一変して、戦う意思のある者の顔で――少女の中で、引き金を引く決意が固まったということか。青年はどうにも、やはり少女に暗殺などして欲しくないのだが、安全に、迅速にことをやり遂げるためには、それが一番確実で、手っ取り早いのも確かで――何より、ネイが覚悟を決めているのだ、自分がとやかく言う筋合いも無いだろう。


「そうだな……それじゃ、そろそろ行きますか」

「あぁ」


 会計は、先払いで済ませてしまっている。二人は同時に立ちあがり、並木の続く更に先、記念会場の方へと足を運び始めた。

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