第17話 誰が為に鐘は鳴る 中

17-1


 青年が訪れた街は、吃驚するような喧騒に包まれていた。別段、これと言って何か特別なことがあるわけでもなく――勿論、数日後に行われるらしい式典はあるものの、それとは関係無しに――単純に、都会なのだ。


「……十年前に、ここが一度は焼け野原になったなんて、なんだか信じられないな」


 ここは、国民戦争で一番の激戦があった場所の近くで、南部が一番痛手を受けた場所でもある。だが、現在の様子はどうだろうか、立派な真新しい建物が左右に立ち並び、道なども碁盤の目のように整然としていて、如何にも近代都市と言わんばかりではないか。

 青年の横で、帽子を深くかぶり、サングラスを外しているブッカー・フリーマンが笑った。


「いやぁ坊主、考えて見ろ? 十年前なんてのは、お前さんなんかまだまだこんなだっただろう?」


 そう言いながら、男は腹の辺りで手を振った。実際はもうちょっと身長もあったと思うのだが、言いたいことはよくわかったのでとやかくは言わないでおくことにした。

 現在、ソルダーボックス州の街、ライトストーンを二人で移動中だった。理由は何点かあり、まず第一に予定していたヴァンの使者と会う日より早く目的地に辿り着いたため、そうでなくとも安全に行動するための拠点が必要なこと。それに伴い第二点目として、ブッカーの旧知を訪ねてみることになった――手配書は全国に周っているモノの、ブッカーの人相書はサングラス付きで描かれているのが幸いした。


「ま、白人から見たらオレらなんか皆同じ顔に見えるからなぁ」


 そう言うブッカーの顔には、一切卑屈な物は感じられなかった。この男はまったくこう言う奴で、自らの境遇も何もかも受け入れており、それに対して不安も不平も無いのだろう。だが、哀しいかな、この男が気にしていなくとも、周りは褐色肌を気にしているようだった。自然と、ブッカーに周りの視線が集まっている――もちろん、元々奴隷制の敷かれていたこの南部で、褐色肌が珍しい訳ではない。ただ、表通りには極端に元奴隷たちは少なかったし、何より堂々と歩いているこの男が、彼らの眼には一種異様に映っているのだろう。


「いや、やっぱり西部はいいな……言ってみれば自由だからな」


 別段調子も変えずに、飄々とブッカーが言った。実際、西部はネイティブの迫害こそ酷い物の、褐色肌に対する風当たりは結構ゆるい。体が丈夫な彼らは――もっとも、その傾向が強いと言うだけだが――あとは他に乗馬の技術でもあれば、立派な牧童として西部では食べていける。恐らくこの南部だと逆で、先住民に対する忌避感はそこまで無くとも、褐色肌に対する抵抗は強いのだろう。それは、身近にあるかどうか、その差に違いなかった。

 最後に青年とブッカーの二人な理由は単純で、残りのメンツはクーを除いて大手を振るって大路を歩ける状況ではないから、郊外で留守番中ということになっている。もし体よくブッカーの旧知を頼れるようならば、夜にでも馬車でそこに移動する手はずになっていた。


「しっかし、アンタも根なし草だったわけだろ? その知り合いとやらとは、定期的に連絡を取ってたのか?」

「いや? 最後に手紙をやり取りしたのが八年前か……やっこさんも、もうくたばってるかもしれねぇな」


 そう言いながら、男はまたシニカルに笑った。


「あ、あのなぁ……それじゃ困るって言うか……うん?」


 青年がそこで言葉を区切ったのは、喧騒に負けないような大きな声が聞こえてきたからである。音の下の方を辿ってみれば、何やら褐色肌の、みすぼらしい服を着た男性が抗議をしているようであった。


「お、おい。大丈夫なのか? あれ……」

「あぁ、ほっとけほっとけ。大方、こんな賃金じゃ暮らしていけねぇよって抗議しているだけだ」


 ブッカーは冷静に、だが声の方は見ないまま、青年に言葉を返してきた。


「……流石に、オレだって以前の方が良かった、なんて言う気は無いぜ。だが、大して良くもなってない……褐色奴隷ブラウニーは今や現代の農奴さ。小作人として、安い賃金で地主の下で働かされる……扱いは家畜から人間に上がった、が……」


 青年も、情報としては知っていた。国民戦争後に奴隷身分から解放された褐色肌の者たちは、しかし結局は依然と苦しい生活を強いられていることを。実際、奴隷解放は北部の掲げた公約であっても、それは戦争に勝つための手段の一環に過ぎない。北部は戦後の褐色肌達の自立に向けた施策を用意していた訳でもないし、戦後は綿花の国際競争に勝つために、南部の行っている小作人制度を黙認しているような状態で――ブッカーの言った通り、農奴と呼ばれるような立場に立たされていると言っても過言では無かった。

 ブッカーの歩みは段々と速くなっている。恐らく、これから起こることを見ないようにするために――青年も合わせてその横を歩くが、通り過ぎた後ろの方から、今度は男たちの叫び声と、一つの悲鳴、そして何かを殴りつけるような音が聞こえてきた。


「なまじっか格上げされちまったもんだから、今度は風当たりが強くなった……ところで、なぁネッド。差別ってのはなんで起こるんだろうな?」


 もう、後ろから悲鳴は聞こえなくなっていた。ブッカーの言葉に返答もせず、青年が後ろを振り向くと、褐色肌の男が大路に倒れているのが見えた。しかしどうやらリンチをしていたのも、なかなかボロを着ている連中で――。


「オレが思うには、だ。差別ってのは恐怖の裏返しなんだ。もしかすると、自分の居場所を脅かしてくるかもしれない……そんな恐怖が、暴力に代わって牙をむく」

「……そうかもしれないな」


 青年は、ブッカーに対してそんな言葉を返すしか出来なかった。実際、なかなか的を得ているような――そう、本当に強いならば、差別になど走る必要は無い。結局弱者がより弱い物を虐げることで、自らを安心させて――もっと言えば、自分の居る位置まで這いあがってこないように叩き落としているのだろう。


「……もういっちょところで、なんだが……お前さん、ジェニファーお嬢様の夢、どう思う?」


 青年は、褐色の従者がジェニーのことをこんな風に呼んでいるのを初めて聞いた。もしかしたら、普段は照れ隠しをしているのかもしれない――しかし、今の言い方には色々な想いが込められているようだった。尊敬しているような、しかし同時に心配しているような、そんな調子だった。


「誇張も冗談も抜きで、立派な夢だと思っているよ」

「そんな前置きをするってことは、懐疑的なんだな?」


 その言葉にドキリとし、青年は男の方を見た。そこには、ただ微笑があるだけだった。


「いや、お前さんの考えが間違ってるわけじゃねぇ。実際、オレだって夢物語だと思っているさ……理屈は悪くねぇんだが、如何せん人の根っこのいい部分に頼り切ってる所がある」


 彼女の夢は今ブッカーが指摘した通りのモノだと、青年も考えていた。社会的弱者マイノリティーが市民権を得るためには、力による闘争では無く、まずは学校を建設し、公教育を受けさせ、しかる後にペンで以て自らの地位を確保していく。実際、彼女の言う通り順序が逆なのだ――強者マジョリティの中に武器も持たせずに、弱者を放りこむのは、まさしく肉食獣の檻に草食動物を投げ込んで生き残れと言っているような、無理難題なのである。だからこそ、肉食動物と張り合うために、知識や技術というような武器を手に入れなければならない――これがジェニファー・F・キングスフィールドの意見だった。


 しかし、如何せんマイノリティー達はその日を生きるのだって精一杯だ。果たして公教育を整備したとて、子供が教育を受けている暇があるかも甚だ疑問であるし、況やなんとか学校に通う時間が出来たとしても、すぐに成果が出る物でもない。更に言えば、結局成功するかも分からない。そして何よりも――ブッカー・フリーマンが言ったように、自分達の居場所を脅かしてくるやもという恐怖が、絶えず迫害という名の暴力へと変換され、振るわれていくだろう。


 つまり、彼女の夢はマイノリティー達の自立心や忍耐力を期待し、更にはマジョリティ達の支援、最悪でも妨害してこない――青年は今まさしく、マジョリティ達が妨害しているのを目の当たりにした――こういった好条件がそろって、なお時間がかかる目標なのだ。


「……それでもよ、賭けてみてぇんだよな……あの方の、綺麗な夢によ」


 人ごみの中で静かに、褐色の従者は呟いた。見れば、ブッカーは器用に人を避けながら、しかし視線は上を向いていた――そこにはただ澄み切った秋の晴れ渡る青空があった。


「そうだな……いや、アイツは強い奴だから。そこだけは絶対だ……だから、きっと大変でもやってくれるさ」


 実際、あの女の背中は本当に強い。勝つために奇策を弄したりするが、だが嫌味は無く、そして一生懸命に、全力で走っているから――アイツの背中を見れば、誰だって自然に着いて行きたくなるような、そんな自然な魅力がある。だから、きっとやりとげてくれる気がする、それは青年の偽らざる本心であった。

 ブッカー・フリーマンは視線を下ろし、そして立ち止まった。見れば、いつものニヤけっつら、といってもサングラスをしていないので印象は結構違うのだが、目じりに皺を寄せて笑う男の顔は、いつもよりも数段親しみが持てる物だった。


「あぁ。なんだかな、不思議とオレもそう思うんだよな……ま、綺麗な話はここまでさぁ」


 男が向き直った先は、街の郊外である。整然と並んでいる表通りとは違い、藁や廃材を継ぎ足して作ったような家が並んでいて――言ってしまえば小汚い、この街の裏の顔がそこにはあった。


「数回手紙でやり取りした感じなら、アイツはここに住んでいるはずさ……もっとも、文字が読めりゃ上等だからな。こんなスラムなんぞに、既に住んじゃいないかもしれないが……」


 もしくは、下手に偉ぶってやっかまれたかいずれかだ、ブッカーはそんな風に着けたしながら、雑多でお粗末な集落へと足を踏み入れた。


 今度は、先ほどとは別の現象が起こった。周りの褐色肌達の奇異の視線が、青年に浴びせられているのだ。


「そういや、これから会いに行くうのは、どんな奴なんだ?」


 ブッカーの後に続き、青年が尋ねた。さして興味があるわけでもないのだが、強い手を言えば目的地までの暇つぶしには丁度いい話題であろう。


「キングスフィールド家に使えている時の知り合いでな。オレと並んで、結構旦那さまには良くしてもらってたんだよ……読み書きなんかも、お嬢様の父上が教えてくだすったんだ」


 会いに行く相手から、キングスフィールド家の元当主の方へ話が若干ずれてしまったが、青年にとってそこはさしたる問題では無かった。この周りから浴びせられる奇異の目から意識がそらせれば何でも良かったのだし――もっと言えば、なかなかジェニーの父というのにも興味が沸いたのだ。


「へぇ。ジェニーの父ちゃん、立派な人だったんだな」

「まぁ、半々って所だな……イイ人だったのは間違いないんだが、結構気が弱い所もあってな。長い戦に段々と神経をやられてしまって、頼りになる奥さまも戦中に亡くしてな……いや、奥さまは体が弱かったから、誰かにやられたわけじゃないんだが……そいでここが北軍に占領されるとなると、最後には発狂しちまったんだ。しかし、オレ個人が旦那さまには恩を感じているのは間違いない。もちろん、オレたちに読み書きを教えてくれたのは、単純に仕事の能率を上げるためってのが大きい訳だが、おかげさんで何かと役に立ったからな」

「成程なぁ。だからその忘れ形見であるジェニーに、忠義を尽くしてるってわけか」


 青年の言葉に首を振り、しかし相変わらずの顔を向けてきた。


「いいや、旦那様に感謝してるのは間違いねぇが、オレがお嬢に着いて行ってるのはオレの意思さ。勝手にオレが選んで、オレが決めた事だ。なんせ……」


 その先は、言わせずとも分かっていていた。この男の口癖なのだ。


「はいはい、自由人だもんな、お前さんはさ」

「そういうこったぜ……っと、着いたな。多分ここだぜ」


 ブッカーはポケットから取り出した色あせた便箋を眺めながら、そう呟いた。青年も改めて見れば、確かに表通りに比べれば粗末な物の、この裏通りの中では比較的立派な屋敷があった。


「おぉい、モーリス! 居るか!?」


 青年を置いて扉へ近づき、ブッカーは屋敷のボロい扉を乱暴に叩きながら叫んだ。この男の太い腕でそう乱暴に叩いたら壊れてしまいそうなのだが――ともかく、壊れる前に小さく声が聞こえ、男が叩くのをやめると、扉が僅かに開き、その隙間から褐色肌の給仕の女の子が現れた。


「あの、旦那様に、なにかごようでしょうか?」


 おどおどした声の調子は、ブッカーが恐ろしいからなのか、それ以上に恐らく気が弱いのだろう、そんな感じだった。逆にブッカーは女の子の言葉が面白かったのか、大げさに吹きだしてから続ける。


「はぁ……アイツが旦那様なんてタマかぁ? まぁいい、居るなら呼んで来てくれ」

「い、いえ、流石に誰だかわかんねぇ方に……」


 女の子の言う事はもっともで、素姓のしれないヤツを家に入れるのも危ういし、ましてや危なげな男二人組に旦那さまを引き合わせる訳にもいかないであろう。しかしこちらもこちらで、安易に名前を上げるのも危ないかもしれないのだ。ブッカーもそれは分かっているので、後ろの刈りあげた髪を掻きながらどうしようか悩んでいるようだった。


「あー……そうだ、それじゃあ旦那にこう伝えてくれ。テメェが懐にこっそり収めていた物を黙ってやってた恩を、今こそ返す時だってな」

「え、でも……」

「いいから……さもないと、この建てつけのわりぃ扉をぶっ壊させてもらうぜ?」


 面倒になったら実力行使、流石ハリケーンの片割れである。まったく乱暴極まりない。先ほどちょっとジェニーと合わせて尊敬というか、色々と頑張ってほしいと思ったことを返上しようかな、青年は真剣に考えた。

 ともかく、男の太い太ーい腕を見て、コイツなら本気でやりかねないと察したのか、給仕の女の子は急に慌てた調子になった。


「はわわ!? それはマズイです……ちゃ、ちゃん言ったら、壊さないでもらえます?」

「急いでくれないと、壊しちゃうかもなぁ」

「わ、分かりました! すぐさま言ってきますぅ!」


 扉を閉めて、奥からパタパタと走る男が聞こえてくる。青年はそこでやっと自由人の横に並んだ。


「お前さぁ。女の子にはもうちょっと優しくしたらどうだ?」

「はっ! 相棒をいっつも縛ってるお前さんに言われたら終わりだな」


 などと小粋なジョークを飛ばし合っているうちに、今度は駆けてくる音が近づいてきた。今度は、バタバタと言った調子で――女の物では無い、男の足音だった。

 扉が思いっきり引き開けられ、やはり褐色肌の、しかし今度は肥えた、ブッカーに比べると明らかに老けこんでいる男が姿を現した。


「ぶ、無事だったのか、ブッ……!」


 名前を言う前に、ブッカーが男の方へ踏みこんで、口に指を当てて黙らせた。


「へい、ブラザー。頼むから一応そこで止めてくんな……あんまり大声で名前を叫ばれると恥ずかしいぜ。なぁ? モーリス」

「お、おぉ、おぉ……! いや、ともかく会えてうれしいぞ、ブッカー、ブッカー・フリーマンよ」


 今度は周りに聞こえないくらいの声で互いに名を呼び合い、二人の男はかたく抱擁を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る