16-5


 少し行くと、川のほとりへと出た。昼間に地図で見た限りでは、大陸を縦断する大河、メニベン川の小さな支流のようだった。青年は近くにある丁度良い大きさの石の上に座って、空を仰ぎ見た。静かで、暗くて――星灯りが眩しいと言っても、それは遠い空の向こうの話。地上は、こんなにも暗くて――しかし、時にはこういうのも必要なのだ。


「なんだ、そんな黄昏ちゃってさ」


 後ろから足音と共に、予想通りに青年の背中に声をかけてくる人物がいた。もちろん、声で誰かも分かっていたし、半年の付き合いといっても、圧倒的に二人の期間の方が長かったのだ、もはや変に気を使う事も無い。


「いやぁ、賑やかなのも楽しくていいんだけどさ……俺だって、たまにはこうやって物想いにふけりたい訳ですよ」

「なんだ……それじゃ、邪魔かな?」

「いいや、君はやかましくないからな。丁度いいかも」

「どっちなんだよ……でも、アタシもどーかんかな」


 足音が、こちらへ近づいてくる。しかし、青年の二歩ほど後ろで止まってしまった。青年とは違って、この子はまだまだ遠慮しいなので、振り向いて声をかけることにした。


「せっかくだし、隣に座ってくれよ」

「う、うん。それじゃあ……」


 口ではこんな風に言っているが、十中八九、青年がこう言うのを待っていたのだろう、はにかむような笑みを浮かべて、ネイは青年の隣へ腰掛けた。


「……なんだか、こんな感じも久しぶりだな」


 少女の言う通りで、二人で旅をしている期間は当たり前のようだった静かな夜も、気がついてみれば本当に久しぶりで――カウルーン砦で話したのが最後きりであっただろうか。


「あぁ、そうだなぁ……でも、どうだ? こういう賑やかな感じはさ」

「うん……凄く気に入ってる」


 少女は、星空を見つめながら笑顔で応えた。


「リサと会った後、なんだか一回見失っちゃったけど……アタシは元々、自分の居場所を探してたわけだから。きっと今居るこの場所が、アタシを受け入れてくれる皆がいる場所が、アタシの居場所だから……」


 そこで少女は翠の瞳でこちらを見つめてきた。


「……でも、たまにはこういう時間も、欲しいかなぁ、なんて思う。アタシ、我がままだな」

「そうだなぁ……でも、俺も同じようなことを考えてたからさ」

「そっか……うん、なんだか嬉しいかも」


 互いに視線を空へと戻した。何度も何度も、こんな風に二人で夜空を見上げてきた。きっと二人とも、自分の遠くにあるものを掴もうとして、手繰り寄せられて、そして出会ったのだろう。


「……ネッドと会ってから、アタシ、ホントに変わったと思う。ネッドのおかげで、皆と出会えて、ホントに良かった」


 そこで少女は顔を落として、例の膝に顔を埋めるポーズになる。


「……さっき、終わった後の話もしたけどさ。ホントに、終わっちゃうのももったいないと思うし……でも、みんなやるべきことがあるわけだし……何より、みんな無事で帰れるかもわからないって、それは分かってるんだけど……」

「……大丈夫、約束したろ? 君に伝えたいことを伝えるまでは、俺は死なないって」

「うん……でも、お前が一番心配だよ。我先に無茶するんだもん……」


 とは言っても、多少は無茶をしなければならない身の上というか、多少奇抜でもなんでも、相手の裏の裏の裏をかくぐらいのつもりでなければ、自分は役に立たないのだから仕方ない。だが、別に好きでやっているわけでもないのも確かでだった。


「……それも、今度限りで終わればいいんだけどな」

「あ、無茶するのが好きな訳じゃないんだ?」

「当然だろ? むしろ、俺は割と堅実に生きていきたいタイプなんだよ」

「ははっ。全然説得力無いぞ? ネッドはさ、自分でも分かってると思うけど、飄々とした振りをしてさ、割と根っこが熱血野郎なんだよ」


 少女はそこで切って息を吸い、両手を組んであげながら、少し後ろに身を逸らして夜空を見上げた。しかし、自分としてはそんな気は無いのだが。だがそう言えば、つい最近もこんな風に自分で視えていなかった所を、誰かに指摘された気もする――。


「そう言えば……師匠にも、似たようなこと言われたなぁ」

「あ、その話詳しく聞いてなかったな! 折角だし、話してくれよ!」


 食い入るような感じで、少女が身を乗り出してきた。しかし、自分の師匠だけ生きていて、ネイの師匠は完全に死んでいて、不公平かなとも思ったのだが、肝心の少女が全然気にしている様子も無かったので、まあいいかと、青年は話すことにした。


「まぁ、そんな特別なことがあるわけでもないんだけど……でも、俺に技を教えてくれただけじゃなくってさ、背中も押してくれたから……正直、師匠が居なかったら、俺はカウルーン砦に向かってなかったかもしれない」


 そこまで言って、青年は少々情けないような気持になった。というか、こんなことを言ってしまったら幻滅させてしまったかも――そう思い少女の方を除き見ても、むしろ喜んでくれているようだった。


「そっか……ネッドの師匠のおかげで、アタシ達は助かったんだな。お前が居なかったら、スコットビルに全滅させられてただろうし……」

「い、いや……別に、俺はそんな……」

「ほら、そういう謙遜する癖も……って、そうじゃなかったな。続けてよ」

「えっと、そうだな……」


 それから、青年は師匠と再会して話したことや数日間の修行の話をした。途中、クンフーに興味を持ったらしい、少女も「アチョー」なポーズを取ったりして、それが余りにもかわいかったので、青年が凄くイイ笑顔をしたら、恥ずかしがってしまっていたのが印象的だった。


「でも、良かったな……会いたい人に会えてさ。それに、あの金髪やろーだって、お前の友達だろ? まぁ、アタシはアイツの事、好きじゃないけどな」

「うん? なんでだ?」

「だって、ネッドに大怪我させたし」


 心配してくれるのは有難いし、確かにあれだけやられて何も思う所が無い程、青年も腑抜けているわけでもない。しかし、ネイにあまり誰かを嫌って欲しくないし、あの色男もなんやかんやで旧知であるので、嫌われているのも哀しかったが――少し思い返して、少女を嗜める冴えた方法を思いついた。


「それを言うなら、俺はリサの事が嫌いだね」

「むっ……なんで?」

「君に酷いことをしたからな」

「……成程、お前の言いたいことは分かった」


 そう、以前も思ったが、自分と少女は意外と境遇が似ているのだ。国民戦争時の英雄を師に持ち、旧知が敵組織に身を置いている――だが、やはり青年の方が何倍も恵まれているだろう、どうやらヴァンは味方の様だし、師匠にも結局会えたのだから。


「……正直、やっぱりリサとはキチンと話をしたいな」

「それは……」


 以前も思ったが、あの子はもはや話が通じる相手では無いだろう。それ以上に、手心を加えて対処できる相手でもない。敵が集結すると言うのなら、確実に居て、一番厄介なのがリサだ。実際、スコットビルは攻撃力、スピード、耐久力、どれをとっても凄まじく、祈士の中で最強なのも頷ける。しかし、ヤツにはまだ「触れられる」し、青年の繊維だって当てることは出来た。だがリサには触れることも難しい。左手に当たれば即死だし、武器も無力化されてしまう。青年にとって、二重の意味でも三重の意味でも、一番厄介な相手だった。


「いや、アタシも分かってるよ……手加減できる相手じゃない。全員でかかれば、流石に倒せるかもしれないけど、それでも何人生き残れるか、分からないような相手だから……覚悟はしてるよ、色んな意味でさ」


 だが、その言葉とは裏腹に、少女は辛そうだった。また膝を両腕で抱き、寂しそうに声を上げた。


「でも、でもさ……あの子の言う通りっていうか、なんか、アタシばっかり恵まれて……あの子にも、こういうあったかい世界があるんだよって、きっと掴めるんだよって、教えてあげたい……」


 そこに関しては、気持ちは痛いほど伝わってきた。もちろん、可能ならば少女の願いだって叶えてあげたい。しかし、ネイだって分かっているのだ――なんだって、思い通りになる訳ではないことくらいは。だからこれは、ただ、思ったことを口にして、少しでも自分の気持ちに整理をつけたいだけなのだろう。ここで「こうすれば」とか助言を出すのも違うと思ったので、青年は何も言わず、ただ空を見え上げていた。


「……ありがと。気を使ってくれてんだな」

「いや、唐突に喋るのが面倒くさくなっただけさ」

「そっか……そんじゃ、そういうことにしといてあげるよ」


 少女はこちらを向いて少し笑って、そしてまた星の瞬きへと視線を戻した。対して青年は下を見て――もうすでに完全に動かせるようになった自分の右手を見た。


(……この子にはやっぱり、リサを手に掛けさせる訳にはいかないな)


 少女と出会った時には、随分と頼り無く見えた自分の右手。今だって、自信があるわけでもない。しかし、幾許か死線を乗り越え、半年ながらに随分と強くなった気もする。以前はリサに手も足も出なかったし、先ほど思ったように相性も最悪なのだが――。


「……あの子の相手は、アタシがやるよ」


 青年の決意を、横から少女が立った一言で打ち砕いてきた。


「いや、もちろんアタシ一人じゃ勝てないと思うけど……でも、あの子がああなった責任は、アタシにもあるから。だからさ、ネッド……あんまり、気負い過ぎないで?」

「いや、そんな、全然……」

「気負ってる……分かるよ、だって、ずっと一緒だったんだから」


 少女はそこで区切って、一度眼を瞑り、息を吸い込んで、そして再び翠の瞳でこちらを見つめて――。


「ずっと、見てきたから。この半年間、アナタのことを……」


 アナタ、という言い方に、なんだか青年はドキリとしてしまった。しおらしいような、奥ゆかしいような、それでいて、凄く想いの籠っているような――。


「アタシに気を使ってくれるのは、凄く嬉しいんだけど……でも、それじゃ不公平だよ。ネッドにばっかり重たい物を背負わせて……そういうの、駄目だと思う。これからも、一緒に居たいから……だから、ちゃんと分け合おう?」

「あぁ……そうだな、その通りだ」


 満天の星空を天井にして、二人は微笑みあって、頷き合った。しかし、段々と事態を互いに把握し始めて――先に少女の方が爆発した。


「ばっ、なっ! 凄いこと言っちゃったような気がするんだけど!? そんな、深い意味は無いって言うか……!」

「な、成程? 単純に思ったことを言った訳だな?」

「そうそう……って、なんかそれ、もっと恥ずかしくないか!?」

「た、確かに……」


 青年もやや慌てていたせいか、そんな風に返してしまった。それで、余計に恥ずかしくなって――そこで、少女が急に周りを警戒し出した。


「ど、どうかしたのか?」

「いや……最近、こういう場面だとアイツらに覗かれてたりするからな」

「ははぁ……でも、それを対策するために、こんな拓けた場所に居たりしたのだよ、俺は」


 そう、なんとなくだが、青年は少女が来てくれる気がしていたのだ。仲間たちに囲まれているのも、凄く充実していて、まったく文句など有りようも無いのだが――しかし、やはりこの二人の空気も大切で、同じように思ってくれているのならば、きっと来てくれる、そんな確信はあった。


「……じゃ、意図して待っててくれたんだ?」

「ま、俺たちは俺たちで結構似た者同士だからね……そろそろこういう時間も必要なんじゃないかって、そっちも思ってるんじゃなかろうかとね」

「そっか……うん、なんか嬉しい」


 膝をから除く少女の顔が、いじらしくって――いけない、このままだと色々と抑えが効かなくなりそうである、青年はそう思い、わざと大きな欠伸をしてみせた。


「はは、なんだよ……そろそろおねむか?」


 そう言う少女は面白がるような、しかし少し残念な様な、そんな様子だった。


「あぁ……君と居ると、リラックスしちまうらしくってさ。ま、明日も早いし」

「そうだな。そろそろ寝るか」


 ネイは跳び上がるように元気に立ちあがった。青年もそれに合わせてゆっくりと立ちあがると、少女は自然と青年の右手側に並んだ。もはや、そこにとやかく言うようなことは何も無く――これが、二人にとって自然体なのだ。


「……いつかは、そっち側を歩いてみたいような気もするけどな」


 星空の下、青年の袖を掴みながら、少女は消え入るような声でそっと呟いた。

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