10-5


 東館の一階には、扉が三つほど並んでいる。南側に普段は陽光を取り入れるための窓が設置されていているが、今は雨に叩かれ、時折走る雷の光を招き入れる不気味な装置と化していた。


「さて、それでは私は手前を、貴方は向こうの扉をお願いします」


 既にジェニーはドアノブに手をかけている。


「い、いやいやいや、待てよジェニー。別行動するのはマズイって」

「はぁ? でも、仲良く一緒の部屋に入って、それこそ先ほどの甲冑に逃げられでもしたら……」

「お前さんの言う事には一理も二理もあるんだがな……」


 別々に行動すると、一人ずつ狩られていく、そんな予感があったのだ。特に、先ほど変なことを言った、というより現状でも妙に強気なジェニーの方が危険だ。


「……もしかして貴方、怖いのですか?」


 そういう南部女のニヤつく顔を見て、普段なら「怖くなんかねぇぜ!」と返す所なのだが、既に一人やられているのだ、自分が冷静でなければならない。


「あぁ怖いね……というかお前が気を抜き過ぎだジェニファー。まず、あんな風に脅してきたんだ、歓迎されてないのは一目瞭然。その上ここは向こうのテリトリーで、どんな罠が張ってあるかも分からないんだ。ともなれば慎重を期すのは当たり前だろ?」


 青年の言葉にはっとしたのか、ジェニーは真面目な顔をして直後、すぐさまバツの悪そうな表情を浮かべた。


「……確かに、貴方の言う通りですね。私の方がなんやかんや、怖さを誤魔化すために粋がってたのかもしれません」

「そうかもな。とにかく、この屋敷の正体を突き止めることには反対しない。だけど、気を引き締めていこうぜ」

「了解です。では、まずこの扉から……」


 ジェニファーは銃を右手に握りながら、ゆっくりと左手でドアノブを回し、扉を少し開けて、中を覗き見た。


「……どうだ?」

「暗くて、何も見えませんね……」


 それならばと、青年はおあつらえ向きに近くに置いてあった燭台を手に取り、蝋燭に火を灯した。そして二人頷き合い、女の方が扉を蹴り開け、中へ銃口を向ける。


「……とりあえず、中に誰もいなそうですね」

「そのセリフ、なんか意味深だな」

「はぁ? 貴方、頭は大丈夫です……あぁ、正常な時の方が少なかったですね」


 狙って適当なことを言って、狙った通りの呆れ顔が返ってきたので、青年はなんだか小気味が良かった。


 さて、警戒は解かず、ジェニーが扉の中へと入る。青年はそのすぐ後ろを追いかけた。中は客間のようで、部屋の真ん中には木製の机とソファー、奥にはベッドが置かれている。しかしどれもボロボロに朽ちており、ソファーなどに座った日にはそのまま破れて尻を打つんじゃないか、と思うほどだった。


 青年が燭台を取り回しながら、おかしな点がないか探し回る。


「うーん、ここには何にも無さそう……うぉ!?」


 壁に、顔があったのだ――しかも、その眼から、赤い滴が垂れており――青年は思わず腰を抜かしそうになった。


「……よく見てください。ただの絵じゃないですか」


 この女、どこまで肝が据わっているのだろうか、確かによく見ると、どこにでもあるような肖像画だったのだが、ジェニーはなんとそれに近づき、眼から垂れる滴を手ですくいあげた。


「……多分、絵具を溶かした水かなにかですよ。少なくとも、鉄の匂いはしませんから」

「そ、そうか……いや、俺もそう思ってたところだ」


 本当は全然分かっていなかったのだが、ジェニーが活躍するのが悔しくて、青年はついついうそぶいてしまった。


「……ところで、味はみておかないのか?」

「あのねぇ……血じゃないと分かっても、こんな得体のしれないもの、舐めたりする訳ないでしょう?」


 言われてみればその通り、毒物でもあったりしたらトンデモ無いことである。名探偵でもない限り、謎の物体の舐めるなど、止めておいた方が無難だろう――いや、名探偵でも問題なのだが、ともかく青年は妙なテンションになっていた。


「さて……それじゃ、正体を確かめますか」


 ジェニーが青年に対して目で合図を送ってくる。言わんとすることを察知し、青年は踵を擦り上げ、空いている手でいつでもボビンを引き抜けるようにし――そして、ジェニーが絵の額縁を壁から外した。警戒はしていたものの、その先からの攻撃は無かった。しかし、確かに穴が空いており、隣の部屋と繋がっていた。


「……何者か分からないけれど、裏から小細工してただけのようですね」


 言いながら、ジェニーは額縁の裏を青年の方へと見せた。確かに、立派な額縁の一部分が斬り取られており、カンバス裏地の眼の部分に、赤い液体が染み付いていた。


「幽霊屋敷気分もここまで。こんなことをするのは人間に決まっています。ロビーでのアレは種は分かりませんが、ネイさんが怯える様なことは、無かったってことですね」

「あぁ、そうだな……それじゃ、隣に行くか」


 額縁の後ろに空いている穴は小さくて、大人が通れるような隙間ではない。二人は廊下に出て、すぐさま先ほどと同じように隣の部屋に入った。


「……ありましたね」


 ジェニーがぽつり、とこぼした。青年が明りを照らしている先に、一つの甲冑が鎮座している。他は先ほどと同様、ただの客間のようで、鉄の鎧が隅に置かれていること以外にそう違いは無かった。


「コイツも、種があるに決まっています……さぁ……!」


 ジェニファーが銃に付けられたエーテルシリンダーを起動てしゃがみ――なんと、床の木材を使って木製のハンマーを作りだした。こいつやっぱり武闘派だな、青年はそう思った。


「こいつで、ぶっ壊れろ!」


 お嬢様にあるまじき乱暴なセリフと共に、ハンマーが大上段から振りおろされる。ごぉん、という小気味の良い音を立てた後、甲冑はその場に砕けて崩れ落ちた。


「……嘘」


 先ほどの威勢はどこへやら、崩れた甲冑を見つめながら、ジェニファーがぽつりとこぼした。改めて青年も明りを近づけて、真相を確かめようとその場を注視する。


「……おい、名探偵。コイツの種は?」


 そう、青年も恐らく、中に何かしらの機械でも入っているかと思っていた。しかし、甲冑の中は、どうやら空だったようである。


「い、いえ! きっと中に人でも入っていて、私たちがここに来る間に、脱ぎ捨てて……」

「あのなぁ、フルプレート脱ぐだけでも時間がかかるのに、その上そいつは、わざわざご丁寧に甲冑を立てて……それで、どこに逃げたんだ?」

「ぐ、ぬぅ……」


 返答に窮するジェニー。しかし自分も分からないのだし、ここで変に言い争っても仕方が無かった。


「いや、俺が悪かった……俺だってどんなんだか分かりもしないのに、きつく言っちまったな。すまん、ジェニファー」

「いえ、それはいいのですが……何とも奇妙ですね。それこそ、万が一幽霊だっていうなら、あんな絵のいたずらなんかしなくてもいい。逆に生きた人間のやっていることなら、甲冑のことが説明できない……」


 ジェニファーは手を口元に当てて、何やら考え込んでいる。そして少ししてから、何か思い付いたのだろう、はっとした表情を青年に向けてきた。


「……そもそも今壊した甲冑が、さっき逃げた奴だっていう証拠は?」

「確かに、ロビーに居た時は暗くて、そんなによく見えて無かったからな……となれば……」

「えぇ、まだもう一つ部屋があります。そちらへ行ってみましょう」


 青年は頷き、二人は再び廊下へと出た。だが、三つ目の扉を開ける前に、青年はふとある疑問が浮かんだ。


「……いや、ちょっと待て? それじゃ、さっきの絵の細工はどうなる?」

「もし、甲冑が逃げ込んだのがこの最奥の部屋だった場合、二つ目の部屋に誰もいなかったことになる、ですか。確かにその通りですね」


 再び少し考えてみたが、案の定、互いに建設的な意見は出せなかった。


「……考えていても埒が明かないのも事実。とりあえず、ここの部屋を調べてから考えましょう」

「あぁ、そうだな。それじゃ、頼むぞジェニー」


 女が頷き返し、三度目の押し入りが開始された。


「……っ!? これは……!」


 銃を構えながら、ジェニーが息を飲むのが伝わってくる。青年も、その部屋の惨状には驚愕が隠せない。先ほどまでと同じような客間の様な間取りなのだが、一点、大きく違う点があった。それは、東側の壁の一部にべっとりと付着している赤黒だった。


「あれも、絵具だと思うか?」

「……いいえ、アレはそういう感じじゃありませんね。どうやらこの屋敷で何かがあったのは、間違いなさそうです」

「……博士、生きてるのか?」

「そんなこと聞かれても、私には分かりませんが……ですが、今回の情報は新しいものでは無かったです。ジェームズ・ホリディがグラスランズ州にあるブラウン博士の屋敷を訪問したのは三年前、それから博士の消息は、途切れているのも確かです。まぁ何にしても、博士の消息を知る意味でも、しっかりとこの屋敷を探索しないとですね……ネッド、明りを」


 青年も一歩部屋へと足を入れ、中を燭台で照らした。目星の物が見つかり、女が再び巨大な戦鎚を作りだし、それを思いっきり鎧に叩きつけた。


「……ビンゴ、ですね」


 言いながら、ジェニファーがにやり、と笑った。粉砕されてしまって細かくは分からないが、先ほどの空の鎧と違い、崩れ落ちた中には複雑な機械が入っていたようだ。その証拠に、粉砕された鎧の近くに、ネジや歯車が音を立ててそこら中に飛びまわっている。


「やはり、幽霊なんかいない。種があるのですよ。もしかしたら、博士のいたずらか何かで……」

「いいや、霊は存在するよ」


 声が聞こえ、青年とジェニーは声の方へと向き直る。ベッドの上に古いアンティーク人形が置かれており、どうやら音はそこからしたようだった。


「に、人形が、喋った?」

「はっ、アレだってどうせ中に細工があるんですよ」


 細身の体に似合わぬ力で――勿論シリンダーの助力があってだが――木製ハンマーをぐるりと一回転、肩にかけて、ジェニーはベッドの方へと歩いて行く。すると人形の目と口が、慌ただしげに動き始めた。


「な、なんじゃお前さんは!? 乱暴な奴じゃな!?」


 女の子の可愛らしい人形なのに、出てくる声はどことなく男の老人の様な声だった。しかし、本気で慌てている――というか、確かにアイツは乱暴な奴だ。青年はそこに同意してしまった。


「そういう貴方はお喋りなお人形さんね……どりゃあ!」

「ぐへぇ!?」


 掛け声とともに、無慈悲な一撃が人形を打ち砕いた。ベッドがぐしゃり、と折れ曲がり、次いで先ほどと同様に、ネジや歯車が宙を舞い――何やら白い煙の様なものが、人形から抜け出て行き、天井の上へと消えて行った。


「……ほら、これも機械仕掛け……それに、どうやら……」


 ジェニーが指差す先は、折れたベッドが置かれていた壁の下だった。そこには、人形であれば通れるような小さな穴が空いている。


「どういう仕掛けで動かしてるかは謎ですけど、今の人形がこの穴を通って絵の細工をしていたのですよ」

「成程、言われてみれば全部種があったわけだが……しかし、今抜け出た煙みたいのはなんだったんだ?」

「そこまで知りませんよ。でもまぁ、何者かがこの屋敷の捜索を止めようとしていることだけは確かです……こういうのって、逆に燃えてくるわぁ」


 触れるなと言われれば触れたくなる、探すなと言われれば探したくなる、人間なんてそんなもんだ、青年がそんな風に思っていると――。


「うぉおおおおおおお!?」


 ロビーの方から、男の叫び声が聞こえてきた。


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