10-2
「はぁ……そんなことがあったんですか……」
そう言ってのち、ジェニファーは静かにカップに口をつけてた。なかなか込み入った話になるだろう、ということで、ジェニーの取っている宿の部屋の中で、ロングコーストでの一件を話を終えた所だった。ジェニーとブッカーは信用できる相手なので、可能な限り全て話したつもりだった。報告している時は、なるべく淡々とした調子で、青年が伝えた。少女は帽子をとって、ずっと俯いていた。ジェニファーは真剣に聞いてくれたし、背後で腕を組んで佇んでいるブッカーも、また真剣に聞いてくれていたに違いなかった。
「……なぁ、ジェニー。アイツらの正体、何なんだろうな?」
「そう聞かれましても……うーん……」
ジェニーはしばらく考え込むようなポーズを取って黙っていた。そして何か思い付いたのか、ゆっくりと口を開き始めた。
「現大統領、元大統領の息子にして軍人、舞台女優……それらが結び付ける答えは……」
「こ、答えは……?」
「分かりません!」
青年は肩の力がガク、と抜けた。
「あ、あのなぁ……そんなら、思わせぶりな風に言うんじゃねぇよ!」
「とは言っても、ねぇ……私は、スプリングフィールドのことだって知らなかったんですよ? それこそ、まるで社会の暗部というか……」
そこまで言って、何かひらめいたようだった。ジェニーが指を鳴らし、ブッカーを促す――が、流石に今度ばかりは主人の意向を分かりかねたのか、褐色の従者も首をかしげている。
「……ネッド、一ボル札を」
「あ、あぁ……ぷっ!」
そう言いながら、青年はポケットから紙幣を一枚取り出した。ちなみに流石に面白かったのか、ネイも少し笑っている。それが気恥かしかったのか、青年の手から奪うように紙幣を取って、ジェニーはわざとらしく大きく咳払いをした。
「うぉっほん! いいですか、二人とも……なんと、この国には、いえ、この世界には、恐ろしい秘密組織があるのを、ご存知でしょうか?」
そして奪った紙幣の皺を伸ばし、ぴん、と二人の前で広げて見せる。
「……見てください、ここに、遺跡の上に目がありますよね? これは、真実の目、といわれるものです。このマークは、ある秘密結社のシンボルマークと酷似している、という話をご存知でしょうか?」
「……いいや、初めて聞いた。続けてくれ」
「えぇ……いいですか、紙幣は基本的に、国の発券銀行が発行するものです。その紙幣に、秘密結社のシンボルマークが掲げられているというのは……」
「成程、その組織がこの国の政治に、深い影響を及ぼしているってことか……」
青年が真面目な調子で呟くと、今度はジェニーの方が耐えきれなくなったのか、肩を振るわせ始めた。
「お、おい、なんだよ。冗談か?」
「い、いえ……まぁ、よくある陰謀論の一つなんです……ぷぷっ!」
「おいおい、こっちは結構真面目なんだぞ?」
「え、えぇ……ごめんなさい。ちょっと、悪ふざけが過ぎたかも知れませんね」
こちらの真剣さが伝わったのだろう、ジェニーも真面目な顔になり、紙幣を青年に帰してきた。
「……しかし、なんか知らないか? お前、南部のいいとこ出身だろう? 本当に何か、政治に影響を及ぼしているような、秘密結社があるとか……」
そこでジェニーはお上品に指をぴん、とたてて、青年の質問を止めた。
「ふぅ……いいですか? ネッド・アークライト……貴方が真剣なのは分かります。そして、貴方よりは私の方がそういった事には詳しい、それも分かります。しかし、私が良い所のお嬢様だったのも幼いころの話ですし、何より……」
「何より?」
「一般人が知っているような組織を、真の秘密結社とは言えません」
そう言われて青年は、確かに、と納得してしまった。いくらネイが秘密裏に行われていた実験の被験体であっても、いかにジェニーが政治に詳しくあっても、言ってみれば自分たちは昨日まで普通に荒野でドンパチやって生計立てていただけの一般人である。そんな奴らが知っているような組織ならば、今頃公になっていると考える方が、余程自然だった。
「はぁ……そうだよなぁ。いや、済まなかった、ジェニー」
「いいえ、謝ることではありません。むしろ、こっちが謝らなければなりませんね。また、お力になれずに……」
一瞬だけ、申し訳なさそうな表情をしたが、しかしすぐに毅然とした表情になり、ジェニーはネイの方へと向き直った。
「あの、ネイさん、ごめんなさい。少し、お買いものを頼まれていただけませんか? ブッカーだけだと、ちょっと荷物が多くなりそうなので」
「あ、アタシか? まぁ、かまわねーけど……」
少女がちら、とこちらを見てくる。そしてジェニーの方を見ると、ただカップを
「ネイ、俺からも頼むよ」
「……分かった」
机の上にある帽子を取って、少女が扉の方へと向かった。
「そんじゃ、よろしく頼むぜ嬢ちゃん」
「あぁ、こっちこそな」
そして、ネイとブッカーが部屋から出て、少し経ってから、ジェニファーが静かに語りだした。
「……あそこで周りが申し訳なさそうな顔をするから、あの子の気分が落ち込むんですよね」
そう言いながら、ジェニファーはカップを机に置き、おもむろに椅子から立ち上がった。
そして握りこぶしを作って、青年の前に立つ。青年はなんとなく、女の所作を見守っていた。
「……私がどうするつもりか、お分かりで?」
「あぁ……そうされるだけのことはやってきた」
「そうですか。それじゃ……歯を食いしばりなさい!」
青年は目を瞑って、来るべき痛みに耐えようとした――だが、ふ、と頬に風が当たっただけで、結局南部女の堅い拳は自分の頬を打ち抜かった。
「……今、本当にいらっとして殴りそうになったんですけどね。やめておきました」
再び椅子に座り、ジェニーはカップを呷りだした。しかし、多分あのカップは既に空である。
「……なんだ、意外と優しいんだな」
「いいえ、優しくありません。だって、殴って欲しい貴方を、敢えて殴らなかったんですから」
結局、不甲斐ない自分を叱咤して欲しかっただけだった。そう考えれば、確かに優しくないのだが――逆を言えば、それだけ自分に厳しくしてくれている証拠でもある。
「いや、やっぱり優しいよ」
「はぁ? 気持ち悪いですよ、ネッド・アークライト……そんな風におべっか並べる位なら、いつものように皮肉の一つでも飛ばしてみせなさいな」
「おや、こいつは手厳しい……でも、確かにその通りかもな」
青年は笑ってしまった。自嘲的な笑みだったが、なんだか久々に本気で笑った気もした。
「……とにかく、あの子は人の感情に敏感な子です。貴方がそうやって辛気臭い顔をしてるから、あの子だって沈んでるんですよ。勿論、それだけじゃないと思いますし、貴方だって出来ることをしてきたのは私も納得します。でも……」
「いや、お前の言う通りだよジェニー。俺ももう少し、肩の力を抜くべきだった」
急に喉が渇いていることを思い出し、青年は目の前に置かれてる、手つかずだったカップの中身を飲みほした。
「……紅茶は、ぐびぐび飲む物じゃありませんよ?」
「腹に入れば何でも一緒さ。この場合喉が潤えばかな?」
「ふぅ……ま、少しはマシになりましたね」
優しく微笑む女の横顔を見て、やはり、コイツには敵わない、青年はそう思った。
「……しかし、卑屈になるわけじゃなくってさ。ネイに元気になってもらうには、俺がどうこうってだけじゃ駄目なんだと思うんだよ」
「そうですね……あくまで、貴方が辛気臭かったのは遠因の一つですからね。根本的には……」
「あぁ、あの子は今、迷子なんだよ。どこを目指していいのか、分からなくって……それで、不安で、俺の袖を必死につかんでる、そんな状態なんだ」
根本的に解決するためには、あの子に新しい目標が必要なのだ。
「きっと、俺みたいなのが居るのも、悪くはないんだと思う。でも、俺だけじゃ、ネイの悩みの根本を解消してやれないんだよ」
「……そうね。人間って面倒やな。一人じゃ生きていけないけど、二人でも、きっとまだ足らない。難しい問題は年上に解決を仰ぐべきだし、人生の問題は友人に相談するのがきっと相応しい。時には年下に頼りにされることが、言葉以上の価値になることもある……所謂、適材適所。あの子の新しい生きがいになる逸材は、私でも無ければ貴方でも無い。それだけの話やね」
恐らく、敢えて訛りを出したのだろう、机の上で手を組みながら、眼を瞑って優しい調子で、ジェニーは一人言のように呟いた。そして、今彼女が言ったことは紛れもない事実で――大切な人を一人で守れないのも悔しくもあったが、きっとあの子を自分に依存させるのは歪な形だから――だから、ジェニーの言ったことは正解なのだろう、青年はそう思った。
そして少しして、再び指をぽん、と立て、お嬢様モードに戻ったジェニーが得意げな調子で口を開いた。
「ところで、ネッド? もしやることが無いんだったら、今一度ちょっと協力してくれませんか?」
「……はぁ?」
お嬢様の急な提案に、青年は素っ頓狂な声をあげることしかできなかった。
◆
「……成程? その、謎の兵器を作ってる連中を探して、こんなへんぴな所まで来てたのか」
「まぁ、そういうことさ」
こんな
一応、ネイにジェニーの真意をばれないようにするため、実際にそれなりに買い物をした。そのせいで少女にもそれなりに荷物を持たせてしまっている。だが、この細腕には少々重たい量かもしれない。
「……だいじょうぶかいお嬢ちゃん、重くないか?」
「いや、全然! こんくらいへーきだよ!」
そう言って両手に荷物を持ちながら、ネイ・S・コグバーンは元気にくるり、と周って見せた。成程、これなら確かに大丈夫そうだ――しかし、先ほどからずっと違和感もあったのだ。ブッカーは、それを問いただしていることにした。
「……なぁ、お嬢ちゃん。ウチのお嬢と坊主が話してる時、結構神妙な表情をしてたよな?」
そう言われて、ネイの顔が少しひきつった。恐らく、外に出て少し気分転換になっていたのであろう表情に、影が見えてしまった。
だが、多分吐き出させてしまった方が楽になるに違いない。そのあたりは、しっかりと配慮するつもりだった。
「……オッサン、よく見てんな」
「あぁ、見ることに関しては、割と自信があってね……喋るより、余程自信がある」
「……ジェニーに、言う?」
「内容によるなぁ」
「そんじゃ、言わない」
ぷい、と背を向けてしまった少女に対して、ブッカーはやれやれ、とため息を吐いてしまった。それならば、言い当ててやるだけである。
「……坊主とお嬢が仲良さそうにしていると、もやもやする」
言った瞬間、少女が凄い勢いでこちらへ振り向いてきた。その反動で、持っていた荷物を落としてしまっている。念のために割れそうなものはこっちで持っておいて良かった。
「な、なんで……?」
「言っただろう? 見ることには自信があるってな」
実際、多分誰が見ても丸わかりなのだが、分かっていないのは当人達だけ――とは言っても、ジェニーとネッドは話に真剣になっていただけで、普段ならば気付いたのだろうが。
ネイはバツの悪そうな表情を浮かべながら、落ちた物を拾っている。そして立ち上がる前に、膝を突きながらぽつん、こぼした。
「……この前もそうだった。リサがネッドの傍に行くと、なんだか、たまらない気持になって……」
そして、立ち上がった。だが、その目は不安そうに揺れている。
「なぁ、アタシ……イヤな奴なのかな?」
成程、この子はずっと、そういうことと関係の無い世界で生きて来た――生きて来てしまったが故に、自分の胸に浮かびあがってきた感情の名前を知らないらしい。もちろん、知っていたからといって完全にプラスの感情とは言えないし、あんまり強いのも問題があるのだが。
「大丈夫だぜお嬢ちゃん。お前さんは、むしろ正常さ」
「……え?」
「むしろ、それを坊主やお嬢に話してみろって。泣いて喜ぶぞ、あの二人は」
いや、ジェニーが聞いて喜ぶ理由もないのだが――いや、「可愛い」で済ませそうである。そしてネッドにしわ寄せがいくのだ、「こんな男と懇意になってると勘違いされて腹ただしい」と。そう思うと、男の頬は自然と緩んでしまった。
「そ、そーなのか? でも、なんかこう、憎い……みたいな感情って、やっぱりよくないっていうか……アタシは、ジェニーの事、好きだし、でも、だから……」
なんだか混乱して、どう言えばいいのか分からないらしい。なるほど、こう一生懸命になられては、庇護欲を誘うというのも納得できる話だった。
「お嬢ちゃん、お前さんが抱いてる感情は、憎いってのと別もんだぜ」
言ってしまえば同系統なのだろうが、字面が代われば雰囲気だって随分変わるものである。
「……それじゃ、この気持ちは、なんていうんだよ」
さぁ、どうしようか――少し悩んだ後に、ネッドやジェニーよろしくに、この少女を少しからかってみることにした。何故なら、楽しそうだから。
「あぁ、その気持ちはな……やきもちっていうんだ」
「や、やきもち? なんか、美味そうな名前だな……」
「確かに美味いぞ?
現に、今の自分は楽しい気持ちだった。
「そ、それで? そのやきもちってのは、どんな感情なんだ?」
「……その前に聞くがな、嬢ちゃん。お前さん、あのネッドって男を、どう思ってるんだい?」
「そ、それは……その……な、なんか、関係あるのか?」
そう聞くと、少女の顔がなんだか赤くなった。それで、もう答えは分かった様な物なのだが、面白いのでもう少し続けることにした。
「あぁ、残念ながら結構重要なんだ。それで、どう思ってるんだ?」
「そ、その……す、す……!」
少女は過呼吸気味に息を吸ったり吐いたりして、そして少しして、やっと人間の分かる言語を紡ぎ出す。
「……す、すっごく、嫌いじゃない」
そう言われた瞬間、ブッカーは思わず吹き出してしまった。
「な、なんだよ!? そんな、笑わなくたっていいだろ!?」
「い、いや、すまん……いやぁ、しかしな嬢ちゃん。反対の反対は肯定だ。しかも、そこにすっごくという形容がついたら、それは結構なことだぞ?」
一瞬、少女はなんだか分からない様な顔になったが、また顔を赤くして、というより真っ赤になってしまった。
「ちちちちち、違うんだよ! その、嫌い、なんていうのも悪いだろ? それでその、なんか勢いで出て来ちゃったて言うか、なんていうか……あーもう! 笑うなよ! 笑うなー!」
しかし正直、少女が必死になれば必死になる程面白いのも事実であった。
「……まぁ、そんだけ元気なら、大丈夫だろ?」
「あっ……まさかお前、アタシに気を使って……」
「いや、単純に面白そうだからからかっただけだぜ」
一転、ネイはムッとした顔になったが、だがすぐに少し微笑んだ。
「ふぅ……アタシの周りには、どうしてこう、変な奴ばっかりなんだろうな……それで? やきもちって、どういう感情なんだ?」
「単純さ。大切な物は一人占めしたい、そういう感情だよ。あんまり無頓着でも味気ないし、かといって強すぎても相手に迷惑だ……まったく、人間ってのは面倒だな」
男がそう言うと、少女はなんだか納得した様な顔になった。
「……つまり、アタシがアイツの事を嫌いじゃないからこそ、やきもちを抱いちゃうわけだな」
「そういうことだ。でも、やきもちは抱くもんじゃない。なんだか抱いたら、熱そうだろう?」
「はは、確かにな。オッサン、結構おもしれーじゃねーか」
「お前さんのほうが、よっぽど面白いぜ?」
そう言うと、また少女がムッとした顔になった。成程、話をしてて飽きないお嬢さんだ。ネッドやジェニーがついつい構いたくなるのも、納得できるというものだった。
「だが、とにかくだ……お前さんが抱いた感情は、割と一般的で、健全なものさ。だから、気にするこたぁねぇ」
「……そうかな?」
「あぁ、そうだとも」
少し安心したのか、少女の足取りが軽くなる。しかしそれも束の間のことで、すぐに立ち止まり、俯いてぽつんと呟いた。
「……でも、アタシは……リサに……やきもち以外の感情も、持っちゃったから……」
成程、この子の悩みはやはり単純ではないらしい。自分程度が何とかしてやれる、などというのもおこがましかったかもしれない。
「……そこばっかは何とも言えねぇよ。でもま、くよくよした所でなんかが変わるわけでもねぇんだ。さ、帰ろうぜ」
そろそろ、戻ってもいいころ合いだろう。少女も男の意見に賛同し、二人は互いの相棒の待つ宿へと足を進めた。
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