第9話 海に唄えば 下

9-1


 診療所で横になりながら、ベッド横の棚上の小さなランプの灯りを頼りに、青年は本のイラストを見つめていた。本番は明日、朝までに衣装をどう作るか、決めなければならない。


 しかし、青年がわざわざ夜中まで起きている理由は、もっと別の所にある。


(……来たか?)


 階段の軋む小さな音が聞こえ、青年はランプの灯りを消した。足音の主は玄関から外に出るわけでなく、階下の廊下の奥へと消えて行った。

 少ししてからもう一度、階段を下りてくる音が聞こえてくる。それは診療所の方、つまり青年の方へと向かってきた。


「……どっち行ったか、分かるか?」

「方向はね。外には出てないみたいだけど……」


 ベッドから体を起こし、青年はネイの隣に立った。


「ま、とりあえず追っかけてみますか……鬼が出るか蛇が出るか……」


 そして二人は、マリア・ロングコーストを追いかけはじめた。

 抜き足差し足、家の中の者に気付かれないように――マリアは当然として、それはルイスとベルも含まれる――動き、青年は一つの扉の前で止まった。そして少女に視線を送る。ネイが頷き返したのを確認し、青年はなるべく音を立てないように、ドアのノブを回し、扉を押した。

 覗きこむように中を見ると、どうやら物置のようであった。しかし、中に人の気配は無い。


「……はずれか?」

「いや、ここに入ったのは間違いないはずなんだ……ちょっと、探してみるか」


 青年は手に持ったランプを灯し、改めて中を見た。所狭しと家具や漁に使う道具、それに何やら医療器具が置かれているようであったが、やはり人の動く影は見当たらない。しかし長い間使われていないようで、随分と埃がたまっている――そう思った瞬間、床の一部分に、奇妙な所を発見した。そこは、動かしやすい木箱が置かれているのだが、ちょうどその箱の大きさ分くらい、埃が堆積していない場所だった。


「……やっぱり、ここみたいだな」


 青年は小声で言いながらその場所に近づき、床の板をずらした。そこには降りるための梯子があり、覗いても暗くて下は見えない――動く気配がないのを確認して、ランプを持った手を穴の中に伸ばすと、どうやら地下洞窟があるらしい、その通路が先まで続いているのが見えた。


「……ネイ、ルイスとベルは?」

「大丈夫、追ってきてる気配は無い」

「オーケー。それじゃ、行きますか。俺が先行する。君は一応、蓋をしておいてくれ」


 ずらした木の板の裏には、しっかりと取っ手が付いており、中から閉められる使用になっているようだった。

 ランプを口にくわえ、ゆっくりと、なるべく音をたてないように降り始める。しかし梯子が金属でできているため、靴があたるとカツン、と渇いた音が坑内に響いてしまうが、それでも何の反応も無い所を見ると、この空洞はかなり先まで続いているのかもしれない。少なくとも、マリアがすぐそばに居るという事は無さそうだった。

 降り切ったらランプを持つ手を高く掲げた。なるべくネイが危なくないよう、少しでも明るくするためだ。


「サンキューな……よっと」


 着地すると、ネイがポンチョを引っ張り、肩の留め具を外した。最悪、この場で暴走体と戦う事もあり得るという判断なのだろう。


「……分かってると思うけど、急に立ち止まったりするなよ?」


 言いながら、少女は青年から一歩離れてしまう。それも仕方が無いのだが――まぁ、本当に仕方が無いのだ。


「……あぁ、大丈夫。何かあったら、合図はするよ」


 少女は変形前の銃剣を持ち、最悪いつもで戦える準備は整った。青年が灯りを持ってゆっくり先行し、暗い洞穴の中を二人は進んで行った。最初のうちこそ人間が掘削したように、多少は秩序だった形をしていたのだが、ある所を境に、一気に足場が悪くなった。しかも、妙にぬかるんでいる――それに、僅かながらにランプの炎が揺れている。


「外に通じてるみたいだな、これ……おいネイ、足元には気を付けろよ?」

「あぁ、分かってる」


 まぁ、少女の身体感覚があれば、こけたりはしないだろう。

 そしてしばらく進むと、青年は違和感を感じ始めた。鼻につく匂い、というより、腐臭。それが奥の方から漂ってきている。奥に進めば進む程、その臭いは強烈になっていき――そして先に、何やら明りが見えた。それは、鼈甲色の輝きであった。


(……どうやら、ビンゴかな)


 青年は、なんだか微妙な心境だった。突如として異常発生した暴走体、そして――辿り着いた先には、輝石の鉱脈があった。どうやらここは、海に繋がっているらしい、光り輝くエーテルライトの水晶群の対に、海水が溜まっている場所がある。そして、今は潮が引いているせいか、水の傍には海洋生物の死体が打ち上げられていた。つまり、ここは海の生き物たちの辿り着く墓場であり、宝石の輝きと死が混在する、一種の異界だった。


 振り返ると、ネイが口元を左手で押さえている。それもそうだろう、自分だってこの空間はキツイ。だが、マリアはどこにいるのか――輝石の灯りに照らされて、奥に扉が見えた。随分と朽ちてしまっている、木製の扉で――隙間から、僅かに風が吹いて来ている。恐らく、あの先にマリアが居る。


 青年はゆっくりと扉へ近づき、少女の方を見た。ネイが頷くのを見て――もはや、ゆっくり開けた所で意味も無いだろう、一気に扉を押しあけた。


「……そうよね、おかしいと思われない訳、ないわよね」


 扉の先の景色よりも先に、まず女の声――マリア・ロングコーストのかすれた声が耳に入った。彼女が座っているのは、波打ち際の前、水面に浮かべている箱の手前だった。辺りを見回せば、何やら実験室も兼ねているようで、洞窟の中には大量の書物が積んである机、何やら実験器具が並んでいる戸棚に、その隣にはたくさんの瓶が――何やら、ホルマリン漬けにされている、動物の体の一部や臓器が入った瓶がおさめられている戸棚がある。中央には寝台、というにはややグロテスクな、赤いしみの抜けきらない石の台があり、何よりここは外と繋がっているらしい、マリアが座り込んでいる水場の向こうは岩が見えるが、そちらから風が入ってきている。どうやら、海の方からは見えにくい、自然の浸食で作られた洞窟らしかった。それを、あの家の地下に繋げ、ここに扉を作ることで、海の方から輝石の輝きが漏れないようにしていたのだろう。

 マリアの前の箱の中には、一体の犬が横たわっていた。まだ息はあるようだったが、しかし息の根を止めるためか、女の手には鋭いメスが握られており、近くには鼈甲色の水晶の塊が置かれていた。


「……マリア、やめてくれ」

「えぇ、分かっているわ、ネイ……」


 何かを諦めたような虚ろな目をしながら、マリアはメスを後ろへ投げた。そして、犬を抱き上げてこちらへ向かってくる。


「貴方達のお察しの通り、暴走体の異常発生の原因は私。この場で輝石の力を借りてとある実験に取り組み、を流していたの。それが外で暴れていて……貴方達に処理してもらっていた訳ね」

「……失敗作? 暴走体を作ってたんじゃないんですか?」

「暴走体は、魔物よ。人々、いえ、全ての生物に仇なす、理性無き捕食者。見境の無い食欲と、無限の闘争本能に駆られた化け物。それを狙って作るだなんて、愚かしいわ」

「それじゃあ、貴女は何を作ろうとしていたんですか?」


 青年の質問に返ってきたのは、沈黙だった。マリアは、薬か何かで眠らせたのであろう犬を青年に渡し、そして頭を垂れた。恐らく、改めて誰かに見られたことで、罪の意識がより肥大化して――彼女が行っていたのは死者への冒涜。死んだものを辱める行為に及んでいたことが、彼女が死後許されないと確信した所以だったのだろうか。


 しばらく静寂が辺りを支配し、だがそれを破ったのはネイだった。


「マリア、教えてくれ。きっとアタシ達には、知る権利がある」

「……それを聞いてしまったら、貴方達は引き返せなくなるわ。だから……」


 マリアは、そこで自嘲気味に笑った。


「……聞かないのが貴方達のためよ、なんて……私が、自分の保身のために話したくないだけなのよね……」


 そして顔を上げた。生気が失せてしまって、唇が震えている。だが、眼には少し力が戻ったようだった。


「少し、時間を頂戴……きっと、話すわ。でも今は……少し勇気が足らないの。逃げないわ。約束するから……」


 そこまで嘆願されたら、それを無下にするのも可哀そう――などと思ってしまう自分は甘いのかもしれない。青年はそう思った。


「……うん、分かったよマリア。でも、これだけは教えてくれ。何を作ろうとしてたかは、後でもいい。でもなんでこんなことをしてたのか、それは今教えてくれないと駄目だ」


 ポケットから包帯を取り出し、右腕に巻きつけながら少女が問うた。しかしその声は優しい、というよりも毅然としたもので、なんだか今の一瞬だけ、どちらが姉の立場なのか分からなかった。マリアの方も、一瞬ネイの態度に呆気に取られて、だがすぐに笑った。力の無い笑みだったが、少しは調子が出てきたのかもしれない。


「えぇ……そうね。何を言っても言い訳だけれど……私は、今の生活を護りたかった。それだけよ」


 生活を護るために、見境なく攻撃する化け物を作っているだなんて矛盾している。しかし、何か暴走体を越える様な、そんな化け物が必要な程、切羽詰まった理由は何なのか――。


「……誰かに、狙われている、そういうことですか?」

「えぇ。そのために一度だけ成功した……いいえ、突然変異を起こしたモノを、自衛の手段として作ろうとしていたの。私は、公表されてはマズイ情報を持っていますから。だから本当は、一所に留まるべきじゃ、ないんですよ」


 青年と少女から目を逸らしながら、マリアは独白のように続ける。


「でも、もう逃げ回るのにも疲れました……だから、安らぎを求めて、この地に流れ着きました……いいえ、戻ってきたんです。小さい頃にこの鉱脈のせいで発生した暴走体によって、両親に先立たれ、この地で暮らしたのも七年といったところでしたけれども……それでも、私の心の中にはいつも海があった。幼い日に見た故郷の風景が、私を呼んでいる気がして……あの家は、もともと私の父が、診療所をやっていたんですよ。だから、取り戻そうとしました。女を武器に、ルイスさんに取り入ってね」


 そこで、マリアはなんだか苦笑い、とも少し違う、しかし微妙に暖かな笑みを、青年たちに見せてくれた。


「でも、駄目ね。あの人、イイ人なんですもの。ベルだって、大人しい子だったのに、あの人と会ってからあんなに明るくなって……だからこそ、今の生活が暖か過ぎて……自衛の手段を考えたの。それで……」


 マリア・ロングコーストには戦う力は無かったが、禁断の力を知っていた。しかし、小さな幸せを護るために禁忌を犯した彼女のことを、一方的に罪だと言える人間はいるのだろうか。もしいるとするならばきっと、人生に一度も後ろめたいことの無い立派すぎる人間に違いない。


「……幸い、貴方達のおかげで目立った被害はなかったようですけれど、何時かはきっと、恐ろしいことになっていたでしょうね。だから、ありがとうネイ、ネッドさん……貴方達を利用した私が、こんなことを言えた義理ではないのは、分かっているんだけど……」


 再び自虐的な笑みを浮かべながら、マリアは頭を垂れた。ネイが、青年を見てくる――少女の心中は、青年は分かっているつもりだった。だから、ここは自分が言わなければならない。身内の少女ではなく、赤の他人の自分が。


「顔をあげてください、マリアさん。俺の方こそ、貴女にはお世話になりました。だから今回の件は、相殺ってことにしませんか?」

「……はい?」


 上がったマリアの顔には、貴方は何を言っているんですか、という文字が書いてあった。


「だから、俺は気にしてません。勿論、貴女が今回の件でその、殺めた動物達や、危ない想いをした人たち……最悪、知らない所で暴走体に殺されてしまった人だっているかもしれません。ですから、貴女が良いことをした、なんて口が裂けても言えないですけど、俺は貴女に借りがあるし、暴走体を対峙したことや、貴女を止めたことは、その借りを返しただけ……じゃ、駄目ですか?」


 マリアには、ネイのことで色々相談に乗ってもらった。それに今回の事件の張本人だと知っても、青年はどうしても攻める気になれなかった。


「駄目ですかって……ふっ、あはは」


 青年は真面目に言ったはずなのに、何故だか笑われてしまった。


「あはは……いえ、ごめんなさいね、多分真面目に、本心を言ってくれたんでしょうけど……でもだからこそおかしいっていうか、ネイの言っていること、良く分かりましたわ。ネッドさん、貴方は……『馬鹿』みたいに優しい人なんですね」


 馬鹿の部分は二人の女の声が、綺麗に重なっていた。真面目に言ったのに馬鹿扱いされるのは心外だったが、美女美少女に馬鹿と言われるならご褒美でイイか、青年はそう思った。


「そうだぞマリア。こいつ、馬鹿だからな。そんな畏まるだけもったいないんだぞ?」

「いやぁ、言うねぇ君も」


 やれやれ、と言った調子のネイに、思わず青年が突っ込んでしまった。しかし、それも可笑しかったのか、マリアはけらけらと笑った。


「ふぅ……なんだか、アレね。貴方達を見てると、なんだか世界って捨てたもんじゃないのかもって、思えるわね」


 やっと元気が出てくれたらしい、元の聖母のような笑顔が、やっと復活した。マリアの笑顔に、少女も笑顔を返した。


「それで、アタシも気にしてねーから……あとは、コイツの言う通り、マリアがやったことは、全部が許される訳じゃない。それでも、ベルとルイスを想ってくれるなら、きっとまだやり直せる所に居る……偉そうに言っちゃったけど、そうだと思う」

「そうね……いえ、それを私が認める訳にはいかないわ。盗人猛々しくなってしまうものね。でも……ありがとう、ネイ。なんだか、救われた気がするわ」


 マリアは胸の十字架を握った。やはり、彼女の中にはまだ信仰があるのだろう。なんとなくだが、青年はそんな風に思った。


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