7-6
寝ざめは、悪くなかった。結局昨晩は遅くまであれこれ考えてしまっていて、若干寝不足ではあったのだが、深酒はしなかったので、眠いような、意識がハッキリしているような、青年はそんな不思議な感覚に包まれていた。
窓の外を見ると六月の青空広がっており、潮風が窓のレースを揺らしている。その光景は、当たり前の日常であるよな、しかし荒野を渡り歩く青年にとっては新鮮な様な、そんな不思議な気持ちを起こさせた。
しかし、なんだか良い香りがする――そう思っていると、診察室の方へ向かってくる足音が聞こえた。その音は軽快で、子供のものであることは容易に想像できた。
「……おじちゃーん! 朝ご飯だよー!」
だから、なんで子供は自分のことをおじちゃん扱いするのか、満面の笑顔を浮かべて青年を起こしに来てくれたベルを見ながら、青年はそう思った。
食卓には、すでにネイとマリアが座っていた。そしてマリアの隣の椅子にベルが腰掛けるのを見て、青年もネイの隣に座った。
「あの、ルイスさんは?」
「あの人は、もう漁に出てますよ。漁師の朝は早いんです」
成程そういうものなのか、青年はそう思った後、自らの眼下の料理に目を向けた。昨晩の食事は絶品だった。マリアが作ってくれた食事ならば、絶対にはずしはしない――そう、今朝も美味しそうだった。だが、スープの野菜の切り方が妙に不均一な気がする。勿論、敢えて形を揃えない切り方もあるが、普通大きさはあわせるものだ。
だがまぁ、何か意図があるのかもしれない。青年はそう思って食べ始めることにした。
「いや、美味しそうですね。それじゃあ、いただきま……」
「ちょっと待ってください、ネッドさん。まず、お祈りです」
成程、彼女の名前はこういうところにも活きているらしい。そういえば昨晩もやらされた。一応最低限のマナーとして、食事前の祈りも知っているので、青年はマリアの音頭に合わせて、形式上の祈りを掲げた。ふと目を開けて周りを見ると、自分以外は熱心に祈りをささげている――普段はやっていないが、きっと孤児院に居る時は普通にやっていたのだろ、ネイの祈りもなかなか様になっていた。
「さぁ、それでは食べましょうか。ネッドさん、召し上がってください」
「えぇ、ではいただきます」
青年はスプーンを取って、なにやら意味深なスープを解析することにした。しかし、なんだか正面のマリアとベルが楽しそうな笑みを浮かべている。
「……何か?」
「いえ、どうぞどうぞ。私のことはお気になさらず」
「おきになさらずー」
なんだか気になるのだが、気にしても仕方が無い、青年はスープをよそい、スプーンを口に運ぶ――前に、猛烈な視線に気づいた。それは隣からだった。
(……成程ねぇ)
どういうことか察し、青年はそのままスープを口にした。良い先生に教えてもらっているのだ、味は悪くない。しっかりと煮込む時間を取ったのだろう、別に野菜が生臭いと言う事も無いし、普通に食べられた。
しかし、どう感想を言ったものだろうか。これでまだ食べられないものでも出されれば、反応もしやすかったのだが、如何せん普通である。普通というのは、一番コメントに困るものだな――だが、正面からの楽しそうな視線と、横からの不安そうな視線を前にしたら、何も言わないと言う訳にもいかない。
「……ネッドさん、どうです? スープのお味は」
しかも催促されてしまった。こうなれば、思い付いたことを言うしかない。
「……普通に美味いですね」
「ですって、良かったわね、ネイ」
「……普通って、喜んでいいのか?」
マリアは楽しそうな表情を崩さず、ネイは微妙な表情になっている。
「いいのいいの。料理は一朝一夕じゃないわ。確かに折角作ったものだから褒められたら嬉しいでしょうけど、そんな初めから上手くいくものじゃないの。それなら、悪くなかっただけ上出来だわ」
相変わらずのお姉さん口調で、少女はたしなめられてしまった。ここまで言われたらぐぅの音も出ないだろう、少女はだんまりを決め込んでいる。
「いやーきみがつくったのかーぜんぜんきがつかなかったぞー?」
「……てめぇ、最初っから分かってやがったな?」
「まぁ、あんな親の敵かのような目で見られてたらねぇ」
だが、折角少女が作ってくれたのだ。そう考えると自然とスプーンも進み、なんだかんだで最初にスープを空にしてしまった。
「……おかわりある?」
「ばっ、おま……うん、あるぞ」
「よそってもらえる?」
「……しっかたねぇなぁ! 特別だぞ?」
ネイは青年の前から皿を取り、キッチンの方へと小走りに向かって行った。青年はその後ろ姿を見送りながら、なんだかむず痒いような気持になり――。
「ネッドさん、やりますね」
マリアが意地の悪そうな笑みと小声を青年に向けてきた。
「……そうでもないですよ。むしろ、これは不正解だったのかも」
「……はい?」
「おーい、よそってきてやったぞ」
「お、ありがとう、ネイ」
ちょうど、ネイが戻ってきてくれたおかげで、青年は自分の失言から逃げることができた。
「……ネッドさん、ちょっといいですか?」
居間の机でくつろぐ青年に、奥の診療所からマリアがきて話しかけてきた。外からは、ネイとベルの声が聞こえる――どちらかというとベルの声の方が大きいのだが、とにかく面倒見の良いネイが、ベル遊び相手をしているところだった。
「俺は、構いませんけど。マリアさんは大丈夫ですか?」
「えぇ、見ての通り開店休業状態で……不思議と忙しい時はとことん忙しいのに、暇な時はとことん暇だったりするんですよね。特に、静かな村ですから」
そう言いながら、今朝と同じように青年の前に女は腰かけた。
「まぁ、仕事ってそんなものだったりしますよね。それで、聞きたいことって?」
「それは、色々あるんですけど……とりあえず、今朝のことですかね。不正解って、どういうことですか?」
「あぁ、それは……」
青年は、自分の気持ちを吐露しようかどうか、真剣に悩んでしまった。
「……あの子の言った通りですね。意外と、真面目な話は苦手……というより、自分のことを話すのが苦手なんですね、貴方は」
きっと、昨晩二人であれこれ話している間に、そんな話題が出たのだろう、マリアの方から沈黙を破ってきた。
「でも、たまには心を内をさらけ出すのも大切ですよ? 口にすることで、考えも纏まったりするものですから」
「そういうもんですかね?」
「そういうもんですよ。大丈夫です、私はこう見えても結構口は堅い方ですから。さぁ、壁にでも話すつもりで、話してください」
言いながら、マリアは胸をとん、と叩いた。しかし壁と言うには、そこはいささか豊満な気がした。
「……それに、私はあの子の関係者でもありますから。身近にいる貴方がどんな想いをあの子によせているのか、気になるんですよ」
「……その言い方はずるいですよ。はぁ、分かりました……」
青年は意を決して、思っていることを――かなり言葉を選びながら話すことにした。
「俺は、あの子を一人にしないって、そう決めました。それは、今でも変わりませんし……でも……」
そこで、言葉を区切る。どう表現すればいいのか、分からなくて――。
「でも、だからこそ、これ以上距離が縮まるのが怖い。そういうことですか?」
その言葉で、青年は顔を上げた。自分の視線が下を向いていたことにすら気付いていなかった。
「……多分、そう言う事です」
なんとも情けない話だ。元々は、こんなつもりじゃなかった。何時からだろう、きっとハッピーヒルの、あの月夜の晩の時からか――少女のことを、変に意識してしまうようになったのは。だが最大の要因は、恐らくグレースとの会合であったのだと思う。あの子が、自分に向けてきた好意が、逆に自分の想いを浮き彫りにしてしまったのだ。
しかし元々は、本当にネイは妹というか、親戚の娘さんというか、そういう感じで相手が出来ていた。だけど気が付いたら、妙に意識してしまって――。
「……でも本当は、きっと出会った時から、あの子には特別な感情があったんだと思います」
普段なら、あんな風に肩入れしなかったであろう。彼女の綺麗な碧眼を見た時から、きっと惹かれていたのだ。
「でも、当人同士がいいなら、それは……」
「……俺は、あの子が俺のことを、そんな風には見てくれないと思うんですよ。これは卑屈になってる訳でもなんでもなく、単純にそう思うんです」
「……というのは?」
そう、ここが一番の悩みどころだった。マリアの言う通り、別に当人同士が良ければ、それでいい。少女の言う通り、年齢差などさしたる問題では無い。最大の問題は――。
「……あの子は、寂しがり屋の甘えん坊です。でも同時に、身近な人を失う事を誰よりも恐れている。近くなれば近くなる程、相手が自分のせいで不幸な目に合うと、真剣に思っています。だから……」
言っていて、哀しくなってきた。あの子を一人にしないためには、今以上の距離になってはいけない。もし踏み込もうとするならば、きっと少女の方から離れて行ってしまう――そんな気がするのだ。
マリアは、青年の告白を頷きながら、しかし黙って聞いてくれている。しかし、冷たい雰囲気では無く――成程、この人は話を聞くのが上手いんだ。青年はそう思った。
「それに、あの子は俺の事、好いてくれてると思います。これは自慢でもなんでもなくって……ただ、それは友情的な物って言うか、人間的な意味です」
あの子が自分を何かと気にかけてくれるのは、きっと見捨てられたくないからで――そこに好意はあっても、それ以上の物は無い。
青年は、ふと窓に目をやった。揺れるカーテンレースの向こうから、少女の声が聞こえてくる。今はそれを聞くだけで、胸が痛くなった。
「……それは、どうでしょうね?」
「……え?」
「ネッドさん、貴方の言う事は分かります。あの子は凄く臆病な子ですから……これ以上踏み込まれたら引いてしまう、そうかもしれません。それにきっと、あの子の辞書に好きとか愛という言葉はあっても、恋という言葉は無い……その通りだと思います」
「そうですよね。だから……」
「ですけど、貴方は女を甘く見ているんですよ。今朝の料理だって、貴方の預かり知らない所で上達して、それで美味しいって言わせたいって。言葉は無くとも、本能はあるんです」
そう言われて、どきり、としてしまう。男の自分よりも同性のマリアの言う事の方が的を得ているのだろうし、それならば期待してもいいのかもしれない、そんな淡い期待を抱いてしまう。
しかし、青年の期待を打ち壊すように、マリアは静かに首を振った。
「でも、そうですね……今はまだ、その時ではないかもしれません。あの子が、自分の右腕を受け入れられるまでは……」
「……ですよね」
結局はそこだった。きっとあの子は自分自身のことが好きではないから、自分の右腕は、誰かと繋げないからって遠慮してしまう、そんな結果がありありと見えた。
「ふふっ……でも、ネイが貴方と居る理由、なんとなく分かりました。二人とも、似てるんですね」
それは、少々意外な指摘だった。以前、ジェニファーに似ているとネイに指摘されたが、その時以上に腑に落ちなかった。
「えっと、どこがですか?」
「どこでしょうね? それは自分で考えて見るとイイと思いますよ」
マリアは意地の悪い笑顔を浮かべた。青年は肩の力がどっと抜けてしまった。
「ま、私は壁ですから。あんまりなんでも答えたら詰まらないですしね。それより……」
そこで唐突に真剣な表情に代わった。
「貴方達、この辺りに異常発生している暴走体の退治をしに来た……ネイからそう聞いたんですけれど、その通りですか?」
「あ、はい。その、先立つものがちょいと不安で……」
しかし、恐らく会いたかった妹分に、危ないことをして欲しくない、そういう思いもあるかもしれない。
「……そうですか。いえ、止めようってわけでは無いんです。暴走体を止められるような賞金稼ぎは限られますし、むしろ、あの子の能力を使えば……」
そこで、苦しそうな表情を浮かべて――まるで自らのことのように、少女を想ってくれているのかもしれない。
「でも、あの子は優しいから、如何に暴走体と言えども、引き金を引かねばならないのは、心苦しいでしょうし……」
「……いや、そーでもねーよ」
ふと、戸口の方から聞きなれた声が聞こえてくる。もちろん、一番動揺したのは青年だった。
「ネイ!? いつからそこに!?」
聞かれたら大分恥ずかしい、もとい、マズイことも話していた。聞かれていたら、もう立つ瀬が無い。
「いや、ちょうど今しがただよ」
あっけらかん、という口調なので、恐らく事実だろう。実際聞かれていたら、この少女のことだ、もっとよそよそしくなるに違いない。
「とにかくマリア。アタシはずっとこれで食ってきたし……それに、暴走体は止めてやるのがいいって、コグバーンも言ってたしさ。何より、お前が居る村があぶねーのはほっとけないよ。だから、任せてくれ」
「……えぇ、ごめんなさい……お願いするわね、ネイ」
そういうマリア・ロングコーストの表情は、なんだか苦しそうだった。
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