第8話 海に唄えば 中

8-1


「まぁ何にしても、危なげなく倒せて良かったな」

「あぁ、そうだな」


 荷台の後ろから飛んできた少女の声に、青年は適当に相槌をうった。

 既に獲物は仕留め、今は帰路についているところだ。少女の見事な一閃で切り落とされた、バッファローの角が少女の隣に置いてある。

 件の暴走体は村よりも更に北東の辺りを根城にしていた。直線距離ならもっと早く帰れるのだが、折角なので少々迂回して、海の見える道を帰ることにした。まだ日も高いが、このままセントフランに戻るには少々遠い。また村で一泊させてもらうのがよいだろうし、そちらのほうがネイにとっても好都合だろう。


 しかし、どうしても一点確認しておきたいことがある。海を楽しげに眺めている少女に唐突に聞くには、やや重い質問かとも思ったが、それでも重要な問題なので、青年は思いきって聞くことにした。


「……なぁ、ネイ。一つ聞きたいことがあるんだが……」

「うん? なんだ?」

「これから、どうするんだ?」

「どうするって……」

「……旅は、どうするのかってことさ」


 ジーンの話によれば、もはや少女の縁故はマリアとリサしか居ない。しかも、リサの方は生きているとも限らないし、マリアはあの村に骨を埋めるつもりのようだった。そうなれば、これ以上の旅を続ける意味は無いのかもしれない――しかしそれは、青年にとっては、かなり重要な問題だった。そこに、自分が居てもいいのか――これは、朝方にマリアにも言えなかった悩みである。


「あー……そうだなぁ……」


 あまり深く考えていなかったらしい、少女の方は曖昧に笑った。


「……どうしよう?」

「いや、どうしようって言われても……」

「……逆にさ。逆に、聞きたいんだけど……アタシが仮にここに残るって言ったら、お前はどうするんだ?」


 不透明な笑いは崩さないまま、少女は言った。なんと答えて欲しいんだろう、何を求めてるんだろう――違う、自分のことのはずなのに、相手本位で考えてしまう。


「……どうしようか?」


 青年も、もはやそう言うしか無かった。きっと自分は今、少女と同じような表情をしている。なんとなくだが、そう思った。


「はは、どーすんだろうな、コレ……でもやっぱり、すぐに答えは出せないよ」

「そっか、そうだよな……ごめんな、ネイ」

「……なんで、謝るんだよ?」


 怒っている訳ではない。優しく、小さな声だった。

 昨日と同じように、海が輝いている。青年は、なんだか胸が詰まる様な想いがした。


「……自分本位で聞いちまったから、かな」


 青年は手綱に視線を戻し、絞り出すように言った。結局、自分がどうすればいいのか、分からないで焦って、そして困らせてしまったのだ。


「お前はもうちょっと、自分を出してもいいと思うぞ?」


 背中に、少女の声がぶつかってくる。そう、この二人の時間が、自分にとってはあまりにも愛おしくて――。


「そんなことないさ。俺は何時だって、思ったことを好きなように言っているよ」

「そんなことねーよ。お前は何時だって、誰かに遠慮してる……そっか、お前、結構臆病なんだな」

「……え?」


 少女の突然の言葉に、青年は驚いてしまった。


「うん、気を悪くするなよ? お前は、本当の自分をさらけ出すことを恐れてるんだ。だから、道化を演じてる……そんな風に見える」


 そんなこと、初めて言われた。だが、その通りなのかもしれない。何でもかんでも言えばいいというものではない、青年はそう思っている。弱みを見せないように、なるべく自分のことを語らない。一人で生きていくには、大切な考え方だと思う。だけど――。


(……そうか。意外と俺は、寂しかったのかもしれないな)


 少女と出会ったのは、稼ぎを多くするために都会へ出る列車に乗り合わせたのがきっかけだった。だけど本当は稼ぎなど、どうでもよかったのかもしれない。あの日見た少女の瞳の奥に、なんだか自分と同じものを感じた――そしてようやく、青年はマリアの言っていたことが納得できた。


「しかし、そう言う君も……」


 臆病だ、そう言おうと思った。だけど、止めておいた。きっと少女にも自覚はあるし、口にするだけできっと傷つけてしまう。


 そして後ろから聞こえてきたのは、大きなため息だった。


「そこで切るから、遠慮してるって言うんだよ……でも、お前の言いたいことは分かってるよ。きっと、アタシも臆病者さ」

「……そっか」


 誰かと仲良くしたいのに、自分が居ると不幸になるからと、勇気を持てずに踏み出せない少女。対して自分は、深い付き合いになることを恐れて、表面上でどうにかしてしまう。成程、確かに似た者同士かもしれない。


「でも、アタシはちょっと変われたと思うんだ。その、お前のおかげでさ……リッチ、ジェニー、ブッカー、それにグレース。以前ならきっと、仲良くできなかったと思う」

「……うん」

「なんだか、お前が居ると、人が集まるんだと思う……そんな感じがする」

「いやぁ、そんなこと無いさ……それだったら、君と出会う前に、誰かと組んでたと思うよ?」

「それは、そうかもだけど……」


 そこで、会話が一旦途切れた。青年の視線は、相変わらず前を――というより、どこへとも焦点が定まっていなかった。なんだか、この世のどこにも自分がいないような、そんな感覚。耳を撫でる潮騒の音だけが、これが現実であるという証拠だった。


「……とにかく、お前もさ。少し変わっていいんじゃないかって、そう思うんだ」


 きっと、言うには覚悟が必要だったのだろう、遠慮がちな声が聞こえてきた。振り返れば、帽子をはずして、風にたなびく黒い髪を赤い腕で押さえながら、少女は海を眺めていた。


「……変わるには、どうすればいいのかな?」

「簡単だよ。もうちょっと、自分のことを話せばいいんだ……アタシは、知りたいよ……ネッドの事」


 目は合わせてくれない。しかし、きっと日が熱いせいだ、少女の頬が上気している。


「……いつもだったら、勘違いするなよ、お前の過去に興味なんか無いんだけど、お前の成長のためだ、とか言いそうなのにな」

「そういうお前も、いつもだったらアタシの声真似してるとこ、してないだろ?」


 なんだか、不思議な雰囲気だ。幻想的で――まるで世界に二人しか居ない様な、そんな感覚。荒野を往くときだって変わらないはずなのに、いつもと感じが変わってしまうのは、きっと海のせいなのだろう。


 だから、少し素直になってみようか、青年もそんな風に思った。


「でも、自分のことって言っても、何を言えばいいのか……」

「それじゃあ、師匠が居たって言ってただろ? その話、してくれよ」


 そう言われて、青年は少し悩んでしまった。決して、明るい話では無い。だから話そうか悩んでいるうちに、少女の声が背中にぶつかってきた。


「ネッドは、アタシの過去を真剣に聞いてくれた。もしかしたら、話すのも辛いかもしれない、でも……アタシは、受け止めるよ」

「……ネイ」

「そ、それに、いつもアタシの事ばっかじゃ、ふこーへーだろ!?」


 どうやら、恥ずかしさの限界だったらしい。とうとう顔を真っ赤にして、こちらに向かって叫んできた。幻想的な雰囲気もどこかへ吹き飛んでしまい、青年はなんだか笑ってしまった。


「ば、ばか、笑うなよ! アタシは、真剣なんだぞ!?」

「悪い悪い……いや、でもこういう雰囲気の方が、多少は話しやすいかな……」

「あぁ話せ、すぐ話せ、さっさと話せ!」


 こういうペースになるとからかいたくなってしまうのだが、それが自分の悪い癖だ、そう思い少し笑って、青年は息を大きく吸い込み、さてどこから話したものかと考え始めた。


 だが、そんな様子だからであろうか、少女の方は逆に大きく息を吐き出した。


「……だから、ヤマもオチもなくていいんだ。思ったことを思ったように言えばいいんだよ」

「確かに、そうかもな……それじゃあ、えっと……」


 師匠のことを話すのならば、自らの生い立ちにも触れねばならないか。


「俺、貧しい家の生まれでさ。しかも、ちょうど生まれた歳に戦争が始まって……入植者法って知ってるかい?」

「……聞き覚えはある。コグバーンがなんか言ってた気がするんだよな……まぁ、教えてくれ」

「あぁ、簡単に言えば、の国民になる意思のあるものであるならば、五年以上開墾すれば、一定の範囲の土地を自分のモノにできる、そんな法律さ。それが、国民戦争の時に出された」

「成程な、思い出した。出したのは北部だろ?」

「その通り。この国とは、つまり北部を指す――貧しい奴らはこの法にすがって西漸せいぜん運動を行った。ウチも、そんな家庭だったんだが……」

「長引く戦争の結果、義勇兵として戦争に参加すれば、更に多くの土地をもらえる、と」

「その通り。それに目がくらんで、別に強くもたくましくもない親父は、戦争に行っちまって……そのまま帰らぬ人となり、俺のお袋は学も技術も無い、そんな人だったからさ。一人じゃ子供を養える訳でもなく、俺は丁稚奉公に出された。それが、十歳の時、丁度戦争が終わった年だ」


 青年は、奉公先での出来事を思い出していた。大変だったし、楽しくも無かった。だが、あの時代には自分のような奴がたくさんいたから――それも仕方ないかと諦めていたように思う。


「だけど、そこは何かと治安の悪いこの西部、僅かな金を求めた荒くれ者どもに、奉公先が襲われたのさ。そん時助けてくれたのが、俺の師匠、パイク・ダンバーだった」

「…………」


 ネイは、黙って聞いてくれている。なんとなく、今朝マリアにあれこれ話した時のことを思い出した。ネイも、なかなか話を聞くのが上手いのかもしれない――そう、意外と包容力もあるのではないか、そんな風に思った。


「その人は、剣の達人でさ。この銃器がモノ言う大陸でだぜ? まあ、なんでも国民戦争時の北部のそこそこお偉いさんで、戦争が終わってからは西部を旅してたらしい」

「なんだそれ、コグバーンみたいだな」

「いやぁ、あの人は多分、コグバーン大佐と正反対なんじゃないかな。銃じゃなくて剣使いだし、堅物だったし、北部の軍人だしな」

「そっか……でも、初めて聞いた名前だな。コグバーンは有名人なのに」

「こんな言い方したら悪いけど、判官贔屓ってやつなのか、意外と敗軍の将の方が有名人だったりするんだぜ。なんなんだろうな、散る者の美学とでも言うのか……まぁ、それはいいや。とにかく救ってもらって、俺はあの人の強さに憧れて、それで弟子入りしたんだ。それが十二の時だな」


 随分、師匠の説得には苦労した記憶がある。それもそうだろう、戦う力など、本来大人が持っていればいいものだ。それを、子供ながらに得ようというのは、本来道徳上正しいものとは言い難い。


「……厳しい人だったけど、子供は好きだったんだろうな。だからこそ、ガキだった俺に戦う力など与えたくなかったし、でも、生きていくためには力が必要なのも間違いなくて……結局、ダンバーが折れてくれた。それで、弟子入りしたんだよ」

「……そっか」


 その返事は、なんだか柔らかかった。もしかしたら、実は同じような境遇であったから、共感を覚えてくれたのかもしれない。


「師匠は、もう一人子供を連れてたんだ。俺と同い年なんだけど、臆病で、大人しい奴でさ」

「へぇ、なんて名前なんだ?」

「ヴァンって呼ばれてた。苗字は何故だか教えてくれなかったし、なんで師匠と居るのかもずっと内緒にされてたんだぜ? でも、仲は良かった。お互いに無い物を持ってるから、丁度良かったんだろうな」

「うん? どーいうことだ?」

「俺が結構ヤンチャだったからさ。俺は頼れる兄貴分だったんだ」

「あはは、ヤンチャだけホントで、残りはウソだろ? お前はきっと、そいつに迷惑ばかりかけてたにちがいねー」

「いやいや、ホントだって。アイツなんかよく『ネッド~』なんて情けない声出して」


 少年時代のヴァンの声真似をした。不思議と明瞭に覚えていた――存外、自分で思っている以上に、大切な思い出だったのかもしれない。


「でも、俺も頼られてるって安心感があったしな……あれ? これって今も同じような?」

「おう、アタシは今、真剣にお前の話を聞いている。だから、真面目に話せ」


 呆れたような少女の声。だけど、それは青年にとってはご褒美だ。

 しかし、確かに今はそういう場面ではないかもしれない。話すことで何かがほぐれていく感じが、確かにしているのだ。


「すまん、つい、ね……でもとにかく、そんな感じで三年ほど、ヴァンと切磋琢磨しながら、旅をしながら勉学に励み、術式の訓練をして……それで……」


 時折夢に見る光景、それが青年の脳裏を横切った。その瞬間、嫌な汗が出てくるのを感じ――。


「……ネッド」


 その声に、再び後ろを向き――その真剣な翠の瞳に、青年は覚悟を決めた。


「突然、襲われたんだ。黒いローブを着た連中に……師匠は凄い強いのに、まるで歯が立たなかった。弱った所をハチの巣にされて、そして、俺は……」


 崖から落とされた。不幸中の幸いと言うべきか、はたまた悪運というべきか。


「……水面に叩きつけられて大けがを負ったモノの、通りかかったポピ族に救出されて、一命をとりとめた。一応すぐにポピ族の人たちに襲撃された場所に行ってもらったんだが、ヴァンは居なかった。師匠の死体も無かったけど……」


 あれだけ派手に朱色を散らしたのだ。もしダンバーが生きていたら、それこそ少女の横に転がっている角の持ち主以上の化け物であろう。


「うん、ありがとな。アタシの我儘に、付き合ってくれて……」

「いや、なんだろうな。なんだか、すっきりしたよ。もしかしたら、知ってもらいたかったのかもしれないな、君にさ」


 そう言うと、少女はまず嬉しそうに頷き――だが、段々と顔が赤くなってきた。


「お、お前さぁ。たまに息を吐くようにくっさいこと言うよな……」


 そして、例の体育座りスタイルになり、顔を隠してしまった。


「俺の吐く息が臭いだと? 失敬な、フローラルの香りがするだろうよ」

「成程、どっちにしても便所の香りだな、それ」


 恥ずかしい空気をボケで誤魔化そうと思ったら、なかなかよいツッコミが返ってきた。


「しかし君、女の子が便所とははしたないんじゃないか?」

「うっせーな……どーでもいーだろ?」


 しかし、やはり心地が良い――そんなことを想いながら、青年は馬を走らせ続けた。


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