第三章 少女とヤクザと教祖

プロローグ:未来への一歩

 私はうんざりしていた。

 いつからこの白い建物の中で暮らしているのか、数えるのすら億劫になるくらい。

 白い建物の中で、苦痛に苛まされる実験を送るだけの日々。白衣を着た人たちは私達の事は実験動物のようにしか扱わない。ただ、私だけはちょっと別格の扱いを受けていて体の不調や精神の不安定には気を配ってもらっている。だからといってじゃあ何が変わるのっていうと、べつに何も変わりはしないんだけども。死なないように配慮されてるってだけで、命の値段が普通の人たちより軽い事には変わりない。


 ……私が住まわされている部屋は一言で言えば牢獄。

 壁に備え付けてあるベッドと鏡、簡単な扉で仕切られた水洗トイレ以外には何もない、すごく殺風景な部屋。暇つぶしに本をもらって読むくらいはできたけど、本だって毎日差し入れてもらえるわけじゃないから何度も読んでいずれ飽きる。

 そして実験。週に五回行われて、土曜と日曜は研究員が休みだから私も休み。

 実験内容は日によって違うけど、大体は苦痛が伴う実験が多くてそれがまた私の心を暗くさせる。

 憂鬱な気持ちでベッドで膝を抱えて座っていると、ドアのロックが外されて警備員と研究員が一人ずつ入って来た。私の前を研究員、後ろを警備員が挟んで実験室にまで連れられて行く。

 実験室では多くの研究員が機材と薬剤を準備して待っていた。

 針が太い注射が用意されているのを見て、私はにわかに青ざめる。あれが腕に刺さる光景を想像するだけで気分が悪くなってくる。

 腕の消毒の後に、血管めがけて針が刺さり、薬剤が投与された。

 痛みは凄いし注射された薬剤のおかげで気持ち悪いしでも吐くのを出来るだけ我慢しろと言われたし。我慢できるものなら我慢してるっての。出来ないから床に私はぶちまける。せめてもの嫌がらせのつもりで。それでも研究員は眉一つ動かさない。腹が立つ。

 その後になにやらベッドに寝かされる。天井には大きなライトがついてて眩しい。色々な機材が私の周りに設置されて、そこから伸びる何かの配線が私につながっている。何かの波長やら脳波やらを計測してるっぽいけど何を測っているのかは実験体の私にはさっぱりわからない。研究員は説明もしない。当たり前だけど。

 

 今日も午後五時までみっちり検査して疲れ果てた。私をねぎらう事もせず、一瞥もくれずに研究員たちは自分たちのラボに戻る。私には警備員が二人付いて部屋に戻るまで見張りをする。

 それにしても今日もしんどい実験と検査だった。ずっとベッドに寝転がっているだけとはいえ、眠っては駄目ってどういう事だよ。眠気を抑える為に何か薬をくれといっても検査結果が変わるから駄目だと言われるし。

 私は職員に連れられて歩きながら天井を見上げる。殺風景なのは部屋だけじゃなく、ここの研究所の廊下も同じ。蛍光灯が等間隔に並んで通路を照らすだけ。壁も真っ白で飾り気も何もない。時折金属製の長椅子が置かれているのと、後は火災報知器が蛍光灯と同じような感覚で設置されているだけ。

 長い廊下を歩き抜けると、ようやく私たちが普段居住しているエリアに戻れる。

 被検体はもちろん私だけじゃない。他にもいろんな子が居る。どの子も私と同年代かちょっと年上か、年下か。いずれも子供ばかり。

 警備員が私の部屋のロックを外すと、中から「お帰り」という声が聞こえてくると同時に、一人の金髪で赤い瞳をした少女が出迎えてくれた。


希愛のあちゃん、今日もお疲れさま!」


 彼女はアリサ。私よりも体が小さいからたぶん後輩のはず。

 その勢いのまま、私に抱き着く。彼女の天真爛漫な笑顔を見ているだけで実験の疲れは吹っ飛ぶ。

 警備員が無言で私達を部屋の中に押し込み、またロックを掛ける。電子ロックだから鍵の音はせず、ランプが緑から赤に変わって施錠されたことを示す。

 晩御飯まではだいぶ時間がある。

 そう言う時、いつも私たちはこういうやりとりをしている。

 

「ねえ、希愛ちゃんはここを出たらどんなお仕事したい? アリサはね、お花屋さんでお仕事したいの。花に囲まれてお仕事したら、とっても楽しいだろうなって」

「私はどうしようかなぁ。体を動かすのが好きだからスポーツ選手になれたらいいなって思うけど」


 けど、の先の言葉は出さない。

 でもすぐにアリサは返事をしてくれる。


「プロスポーツ選手! いいよね! 私は運動苦手だから出来ないけど希愛ちゃんならきっとなれるよ。でも何のスポーツ?」

「うーん……。何がと言われるとちょっと言葉に詰まるけど、とにかく思い切り体を動かせる仕事って良いなって思ったんだ。ほら、ここは体を動かせる事ほとんどないから。あと、お仕事とはちょっと違うけど、世界を回りたい、旅したいなってずっと思ってる。寒いところ、暑いところ、森、砂漠、街……いろんなところを見てみたい。遠くへ行きたい」

「うん……。アリサもここじゃないどこかに行きたいねえ。お外の世界は、きっと毎日が面白いんだろうな。おそとでたーい!!」

「外にいきたーい!!」


 遠い目をして、二人で天井を見上げて叫ぶ。相変わらずの白い世界。横の壁を見ても、床を見てもただの白。もう、本当にうんざりするほど見飽きた。

 私達はずっと研究所に居るから外の世界を知らない。

 知らない事が当たり前だと思っていた。知らないまま、ここで実験の途中で死ぬんじゃないかってずっと思っていた。他の部屋の子がきっと思っているように。

 アリサがこの部屋に来る前までは。

 底抜けに明るく、希望に満ちた言動を諦めない彼女。ずっと外の世界を見たいと言い続けているから、つい私にもそれが移ってしまった。本当は心の奥底でずっと願っていた事だったのにね。

 一人だったら諦めていた。

 二人だからまだ諦めていない。お互いにくじけそうになったら励ましあって、心を奮い立たせるんだ。そうして私達は支えあっている。ただ一つの願いの為に。

 外に出る。外の世界を見る。狭い世界の中で私達は終わる存在じゃない。そんなにちっぽけな存在じゃないんだ。

 絶対に死ぬものか。死んでたまるか。

 そう思っていた矢先に、唐突に機会は訪れる。


 耳をつんざくような警報が辺りに響き渡る。

 同時に、このエリアの電気が遮断されて非常灯が点灯される。

 そうして次に、警備員や研究員達が慌ただしく動き回る。


「非常警報発令。生物災害の疑いあり。ただちに職員は外へ出て身の安全を確保せよ。繰り返す。非常警報発令……」


 警報発令と共に、なぜか私達の部屋のドアロックが解除され、開かれた。

 こういう時、実験体や被検体というものは隔離されて処分される運命にあるんじゃないのか? 少なくとも読んだ小説ではそうだった。

 

「ねえ、これって神様がお外に出なさいって事じゃない? きっとそうだよ! 行こうよ希愛ちゃん!」


 間髪入れずにアリサが言う。

 彼女の瞳は今まで見たことも無いくらいに見開き、輝いていた。


「……うん、今しかないよね。行こう!」


 私とアリサは即断してドアの外へと一歩踏み出した。

 ドアの外は非常灯で薄暗く照らされている。どうやら他の部屋のロックも解除されているようだ。他の部屋の子たちは、ドアロックが解除されている事を奇妙に思っていたが、外へ出る気はないのかベッドにうずくまったり、床に転がってぼうと天井を見上げたりしているだけのようだ。外に出たいという欲求を抑圧して、諦めてしまっているのだろう、完全に。

 一緒に出ようと声を掛けようかと思ったけども何時この状況が収まって、警備員や研究員が戻ってくるかもわからない。

 だから二人だけで逃げた。

 逃げる前に研究所の見取り図と地下水路の地図を職員たちの詰所から入手して、どこを行けば外部につながる道へと出られるかも把握して。ただそれも奇妙な事に、詰所内の大きなテーブルの上にこれ見よがしに置かれていたのだが。

 

「地図…? 何のために? 私達には都合がいいけれども」

「職員さん達も脱出経路とか見てたんだろうねぇ」


 能天気なアリサのセリフをここは信じるとしよう。

 何より色んな疑問を考える時間的余裕なんてない。

 脱出経路に従って逃げ、研究所入口近くのマンホールから地下水路を伝って外へと出る。幸い外を見る限り、ここは陸の孤島じゃなかった。何処か人里離れた山の中ではあるけれど、ならばどこかに繋がっている。

 地下水路に入ると、中はじめっとしてすえた匂いが漂っていた。でも最近造られたのか天井はかなり高く、横幅も広く、等間隔の蛍光灯の明かりで照らされていて全く暗い雰囲気はなかった。ねずみが走り回っている形跡もなく綺麗なものだ。

 水路に流れる水は濁っている。泥混じりの水だから、多分一昨日あたりに降った雨のせいかもしれない。

 しばらくコンクリートで造られた地下水路を歩いていると、更に道が広くなっている場所に出た。多分調節池? とか呼ばれている所なのかもしれない。

 そこは数々の水路から集められた水がうねりを伴って流れていて、また歩くほどのスペースも残されてなくて泳ぐしかない。でもこんな強い流れの中を、足も着かずに泳ぐなんて無謀も良い所だ。


「どうしよう?」

「大丈夫、アリサに任せてよ」


 言うなり、いきなりアリサは水に飛び込んだ。


「ちょっと!?」


 あの濁流にのみ込まれたら人間流されて終わりだ。普通の人間なら。

 しかしアリサは普通の人間じゃなかった。

 水面から顔を出し、強い流れの中でも難なく泳ぎ回っている。

 体の皮膚がゴムのような質感になり、また腕や足がヒレのように変化している。海にすむ哺乳類たちの特性を彼女は持ち合わせている。


「いきなり飛び込まないでよビックリしたでしょ」

「へへ、ごめんね希愛ちゃん。じゃあ、私の背中にしっかり捕まっていてね。離れたら、命はないよ」


 この時だけ、アリサの真剣な声色を聞いた。

 言われるがままに私はアリサの背中にしがみつき、水の中を進んでいく。

 水に適応した能力を持つアリサといえども、この流れの中を行くのは並大抵の事ではない。また私も、しがみついて前を見ているだけで精一杯だ。

 頭の中に叩き込んでおいた地下水路の地図の行く先は、多分この道で正しいはずなんだけども……水量が多すぎて目印となる現在地を示す刻印が見えない。

 こうなればあてずっぽうで進むしかない。水の流れに従っていけば、いずれは何処かの川に出られるはず。

 そうして水の中を漂って数十分くらい経った頃だろうか。

 薄暗いばかりだった水路の先が、明るくなってきた。


「外かな!?」

「きっと外だよ!!」


 二人して喜んで光へと向かっていくと、果たしてそこは未知の世界だった。

 私達の知らない世界。

 研究所のような殺風景な所じゃない。

 川だ。川岸は草で覆われて、まばらに木が生えている。ここは紛れもない外の世界だ。水路から出た先の流れは、綺麗で水底まで見えてゆっくりと流れている。

 私達は岸へ上がり、二人で大の字になって寝ころんで空を見上げる。雨上がりだったせいか草が濡れているけど、水の中を進んできたから今更そんな事はどうでもよかった。

 青く澄み渡るような空の色。研究所のガラス窓越しから見られる空とは違う、生の青い色は鮮烈に私の目を貫く。


「青いね。すっごく青いよ! なんでこんなに真っ青なのかしら」


 アリサがつぶやく。


「ね。綺麗だよね」

「うん。よかった。お外に出て、良かったよ……」

「ね、本当に良かったよね。本当に」


 二人して顔を見合わせて笑った。泣き笑った。どうして涙が出ているのか、よくわからないけどきっとこれで良かったんだ。

 これからどうするべきなのか私達はまだ知らない。

 でもきっと、私達の未来は明るいって、その時は無邪気に信じていたんだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る