第50話
魔法を知らない魔法使い。
そう密かに呼ばれている平城忠泰は不思議に思う。
何故、自分は粛清者などと言う殺人鬼と闘っているのか?
何故、目の前の敵は魔法を使ってこないのか?
相手の言葉を信じるならば、左手に触れられれば絶命するはずだと言うのに。
「ウオオォオォオオォォ」
ヤツの左手が右手に触れた。
ヤツの左手が左肩に触れた。
ヤツの左手が脇腹に触れた。
ヤツの左手が頸部に触れた。
ヤツの左手が左胸に触れた。
ヤツの左手が……、
「どうして生きてる⁉︎」
左手を右腕を触れた。だが、やはり死ぬことはない。
そんな現実が認められないとでも言う様にレイブンが叫ぶ。
そんな風に言ったレイブンに対して、掴まれた忠泰が言ったのはただの一言。
「そんなの知らない」
そう言って、空いた左手でレイブンの右頬を打つ。
「グッ……ッツ‼︎」
しかし、レイブンが戦い慣れているからか、忠泰が殴り慣れていないからか、怯みはすれども倒れることはない。
「大したものだな。死の魔法を完全に打ち消す上に、この体じゃ躱しきれん」
「?」
レイブンの言っている事は忠泰には、よく分からない。
魔法が効かない?
そんな風にしてもらった記憶はない。
「貴様には魔法が効かんというなら、魔法以外で蹴りをつけようではないか」
左手の手袋を右手で外す。
人の死を選定する死神の手から、人の命を拾う人の手へと変化させた。
「さぁ、技量は確かにこちらが上だが、こちらは満身創痍。中々にいいハンデをくれてやっていると思うが、何か不満はあるかね?」
レイブンが仕掛け、浅葱が迎え討ち、天津が掻き乱し、忠泰を巻き込んだ。
この短いようでありながら、長い長い戦いが、いよいよ終着を迎えようとでも言うのか。
知恵と知恵が、技能と技能が、叡智と叡智がぶつかったはずの戦いは、単純で野蛮で原始的な暴力で決着をつけようとしている。
しかし、結局のところ勝負とは、戦いとは、無駄な贅肉を削ぎ落としていけばそう言ったものなのかもしれない。
そういった意味では、最も相応しい、と評すべきか。
「いいえ、全く」
そう言った終わりは、忠泰の好みではないが、嫌いでもない。
故に不満などない。無いのだが……、
「レイブンさん……でしたね?」
忠泰とレイブンの距離は約二メートル。
ほんの一歩踏み込めば互いに手が届く位置にいながら、忠泰が口を開く。
「何の為に魔法使いになりたいと思ったんですか?」
「何だと?」
唐突な言葉に戦っているのも忘れて思わず聞き返す。
「魔法使いは人を助けるんでしょう。どうして人殺しの魔法なんかを使うんですか?」
その言葉にレイブンは怯むことはない。
そこには一つの信念があった。
「私の目的はたった個人を救うことなんかではない」
「個人?」
「そうだ。魔法使いの役割は、所詮は一人一人の活動の延長線上。たった一人を救ってもその他大勢を取り
それは魔法使いの持つ欠点、というよりも時代という変化が生み出した問題点。
人が増え、思想が多様化し、魔法以外の技術が発達した現代。魔法が絶対ではなくなった。
どれだけ魔法でカバーしようとしても、その隙間を縫うようにして起こる悲劇は絶対に避けられない。
だから、レイブンのような魔法使いは別の道を模索した。
「より多くの人を救うこと。善人が死ぬ要因を摘み、人を殺す人を殺す。そして、人の世の秩序を護る事が、私の目的なのだよ」
レイブンが望み、願い、行き着いた結果である言葉を聞いて、
「何ですかそれ?」
忠泰の抱いた感想はそれだけだった。
それまでに抱えていた、どこか狂気の孕んだ怒りはその一言で冷め、虚しさと、呆れ、そして憐憫。
魔法使いであるのならば、最初の
「あなたには秋則が人殺しにでも見えたのか?」
「あの子は善人なのかもしれない。だが、そうでなかったとするならば、誰かの死に追い込むかもしれんのだよ。止めてやることこそがあの子の為というべきではないのか?」
ダメだ。
忠泰は悟る。
この人は自分の正しさを疑っていない。
いや、おそらくは疑う事を止めてしまったのか。
その言葉は忠泰に説明するというよりも、自分に言い聞かせているように思う。
「秋則が善人でなかったとするならば?」
だが、無駄と知りつつも、忠泰も言葉を止められない。
それは、彼自身もその正しさを疑いたくないと、信じたいと願ったから。
「何ですかそれ……。そんな事をキチンと確認もせずに決めちゃうんですか?」
「……」
その言葉には、流石に即座に言い返すことは出来なかったようだった。
「与えられた任務だからですか? それでも、確認する位の応用性は持ってくださいよ。人の命を握ってるんですよ」
人の命は重たい。
それは、魔法使いで無くとも知っていなければならないはずの事なのに。
「どうして、そんなことも分からない⁉︎ そんな独りよがりで
対してレイブンが放ったのは一言。
「好き放題言ってくれる」
彼自身も、常に悩み、答えを出して来た。
その程度の言葉では、レイブンの胸には届かない。
「私もたった一人の弱者を護る魔法使いを志した事がある。だが、たった一人で出来ることなど高が知れている。あの時、私は欲張り過ぎて誰一人すらも助けることも出来なかった。分かるのか? 社会的な意思から外れてでも護りたいものを守れないこともあると! 何も知らない子供は黙っていろ!」
あの時。
それが何時で何処なのか。さらに言えば何があったかなど彼は知らない。
それが彼にとってとてつも無い悲劇であった事は想像するしか無い。
だが、忠泰は同情しない。妥協もしない。ついでに許す事も無い。
何故なら……、
「……だったら、秋則のような弱者に死ねって言うのが、社会の意思なんですか? そういう人を助けての魔法使いじゃないのか⁉︎ 悩んで行き着いた答えがその程度だっていうなら、あなたの言う"正しさ"は僕が知ってる"正しさ"とは違う」
声を振り絞る。そんな事は受け入れられない、と叫ぶ様に。
「たった一人を救えなかった
それが、何よりも悲劇の被害者にとっての救いとなるはずだと言うのに。
「あなたが勝手に諦めるのは自由だけど、それを僕たちに押し付けるな!」
「勝手なことを……言うんじゃない!」
ついに一歩。先に踏み込んだのはレイブンだった。
もう一秒もここに居たくない、とでも言う様に、その顔は苦悶に満ちていて、泣き出しそうな子供の顔をしていた。
左拳を突き出していく。死の脅威は孕んでいない真っ白の手は致命的な物ではないが、素人を昏倒させるには十分。身体は傷ついていたが、それでも
対して、忠泰は動かない。
ただ、迎え撃つのみ。
(レイブン……)
それは挫けたわけでは無く、むしろ逆。
戦術的なことも、戦略的なことも関係無く、ここは動くべきでは無い、と信じていた。
何故なら、ここで動いてしまっては……、
「
そう言った忠泰の渾身の右手が、彼の左顔面に突き刺さる。
レイブンはこの瞬間に悟った。魔法でも殴り合いでも無く、何よりも"心"で負けてはいけなかった事に。
「ガ……ハッ」
身体が錐揉みでもかけるように、殴られたポイントを中心に弾かれ、そうして無様に地面に転がる。
折れかけた心では自分の身体を支えることは出来ず、どれだけ力を入れようとギアが外れた様に意思と身体は繋がらない。
なんとか、僅かに動く指を動かして地をつかもうとするが上手くはいかず、そのまま、意識はを失う。
「本当……どうして見失ったりしたんですか?」
勝利の勝鬨だと言うのに、その言葉に勝利の高揚感など微塵も感じられず、懺悔でもするかの様な口調だった。
「もうしばらくケンカは要らないなぁ」
痛む拳をさすって、この戦いはついに終わったが、傷こそなかったが、極限状況の中で精神はもはや限界。後ろへ倒れこむようにしながらコロンと寝転がる。
「はぁ、もう限界だぁ」
戦いの結果をみれば、勝った事になるのかもしれない。
だが、それは勝ったことになるだろうか?
浅葱がどうなったか分からない。秋則も保護しなければならないし、自分もひょっとしたら追っ手がかかるかもしれない。
だが、とにかく。
「今は……」
そうした中で意識は沈んでいく。まだ、終わっていないのは分かっていたが、今はそれしかできなかった。
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