第11話 篠
鬼の子は、夕方頃になって目を覚ました。
「……う?」
「よ、おはよう」
寝ぼけ眼で、鬼の子は俺の声に反応して顔を向けた。
既に傷の治癒は済ませてある。閃奈さんに頼んで、気を失っていた鬼の子と俺の傷を治してもらった。その後、鬼の子をとりあえず自宅まで運んで居間で毛布をかけて横にさせていた。
傷は治っても衰弱までは無理ということで、充分な睡眠もとれていなかったらしい鬼の子が自発的に起きるまではそっとしておくことにしたのだった。
「…え、と…。あれ、うーん…。…あっ!」
俺の顔をまじまじと眺めて、小首を傾げて、しばし何か考え込んで、それでようやく思い出したらしい。
椅子に座っていた俺を見て、鬼の子は色々と言いたげだった。でも何から言えばいいのかわからず、結果として言葉になっていない。そんな感じだ。
「どっか痛いとことかあるか?一応、全部治ってるはずだけど」
「え、あ…はい。大丈夫です。でもどうして…」
ひとまず俺から話をさせてもらうことにした。会話をしている内に鬼の子も整理がつくだろ。
「言ったろ、傷を治せる人がいるって。その人に治してもらった。俺のもな」
言って、腕や頭をぺしぺしと叩いて見せる。
「あれだけの大怪我を、ですか…」
「そう。だからお前を助けに行った。ちゃんと約束通り、完治してから」
鬼の子にとっては、まさか本当にこの短時間であの怪我を治して再度やって来るとは思ってもいなかっただろう。
「んで、質問はある?ってか質問だらけだろお前」
「……」
そろそろ整理もついたかと思い、そう言ってみる。
鬼の子は少し考えてから、立て続けに質問をぶつけてきた。
「…あの人はどうしましたか?」
「祓魔師のことか?一発ぶん殴ったんだけど逃げられたよ」
「死霊はどうされたんですか?」
「全部消滅させた。多分残ってんのはいない」
「ぜ、全部ですか…。あなたは、一体。人間ですよね?」
「ああ、『異能』持ちの人間だよ。死霊全部って言っても、全体の半分くらいはそこの日和さんがやっちまってんだけどな」
鬼の子が目覚めてからもまるで無反応に椅子に座って読書を続けていた日和さんを指して言う。
幸は椅子に座る俺の膝の上でじっと鬼の子を見ている。
「まだあるか?」
「…そのお二方は」
「座敷童子と人間の皮を被った何かだよ」
「…(こくり)」
「失礼だね君は。れっきとした人間だよ」
本当かどうか怪しいもんだ。
そのまま読書に戻ってしまう日和さん。ブレないなあ。
「他には?」
「あ…ありがとうございました」
「ん?」
それ質問?
「本当なら、最初に言わなければならなかったことなのに。すみません、いきなりいろいろでちょっと気が動転していて…」
「ああ、別にいいよ。お礼を聞きたくて助けたわけじゃないし。まあ落ち着けよ」
なんかわたわたしてる鬼の子を手で制する。
「お前も災難だったな、あんなクソ野郎に捕まるとは。死霊に足止めされてなけりゃ、お前の前で土下座でもさせたのに」
「いえ、わたしも迂闊でしたから」
「しっかし、思い切り顔ぶん殴ったのに平然と逃げやがったのな。意外とタフだったか」
意識は失ってたような気がするんだけど、すぐに戻ったのかな。
そんなことを考えていて、ふと思い出す。
「そうだ、日和さんなら見つけられるんじゃないですか?“千里眼”で」
この街くらいなら余裕で圏内だったはず。
「もう街から出たよ。索敵範囲からも出てもう追えない」
「きっちり視てたんですね」
「私が視てたのは終盤だけだよ、調べものが終わってちょっと覗いてみようかなと思って視たら、君が巨大な死霊と一騎打ちしてるところだった」
本当に最後の最後だ。何かの作業と両立はできないんだな、初めて知った。
日和さんが読んでいた本を閉じる。
「鬼性種も起きたことだし、ちょうどいいから言っておこうかと思う。二度も三度も言うのは手間だからね」
鬼の子を連れてきてからも特に何か言わないでいたのは、鬼の子が起きてから話をするつもりだったからか。
「はい、なんですか?」
「祓魔師には仲間がいた。君が死霊と戦っている間に、気を失っていた祓魔師を回収して逃げた者が一人いた」
「マジすか」
ずっとアイツしか見てなかったから、あの男が単身で起こした騒ぎだと思っていたのに、他にも共犯がいたのかよ。
「まあこれはいい。敵と犯人が一人から二人になっただけの話だからね。鬼性種、君に訊きたいことがあるんだけど、いいかい?」
「あ、は…はいっ」
話を振られた鬼の子はびくっと体を震わせて返事をした。
「昨夜、彼が戦った銃殺の死霊についてだ。死霊は死んだ原因を攻撃方法に変えることができる。ならその死霊は銃で撃ち殺されたんだろう。だが普通に考えてこの日本で銃を所持してる者なんてそうそういたもんじゃない。当然祓魔師も持ってはいなかっただろう」
「…」
「君は見てたんじゃないか?祓魔師の他に、死霊を生産する過程で様々な殺し方をしている場面を。そこで祓魔師以外の誰かが死霊となる素体の人間を銃で殺しているところを」
「…そうなのか?」
日和さんの話を聞いて、鬼の子は少し顔を俯かせてから、ゆっくりと首肯した。
「何者だ?同じ祓魔の人間かい?」
「いえ、多分違います。人間なのは間違いないですけど…。でも」
鬼の子は怯えた様子で、
「人間じゃない、みたいでした。狂ったみたいに笑い続けて、楽しそうに人を、撃ち殺してました。すぐには死なないように、手足から胴体へ向けて」
「…んむ。つまるところ、外道が二人」
「ってことですね」
やはり逃がしたのは失敗だった。多少無理をしてでも、あの場で捕えるか殺しておくべきだった。
「そして、これもまあいい。ただの確認だからね。本題はここから」
別にまあいいこともないんだけど、日和さんにとっては興味無しってことですかね。
日和さんは鬼の子を真っ直ぐ見据えて、
「君、これから先をどうするつもりだい?」
「「え?」」
鬼の子の声と、意図せず重なってしまった。
何を言ってるんだ、日和さんは。ってかどういう意味だ?
「祓魔師からは解放され、傷も癒えた。これ以上ここに留まる理由は無いが、これからどうする?それ如何によっては、君の契約を完全に破棄する必要もあるわけだが」
契約というと、俺が祓魔師の行っていた強制契約の権限を奪い取った話だろうか。今はその契約は俺と鬼の子で繋がれているはずだが。
なんて思っていると、日和さんは今度はこっちに顔を向けてきた。
「君も、ちゃんと契約を完了させずに中途半端に終わらせたら駄目じゃないか。なんの為に君に術符をあげたと思っているのさ」
「え、中途半端?ちゃんと奴から契約は奪い取りましたよ?」
「それだけでしょ?それじゃまだ正規契約は成立していないよ。最後に相互同意がないと」
なんのことかと疑問を覚えて、そして思い出した。
『最後、祓魔師から契約の成り代わりを終えたら鬼性種に問うんだ。自分に仕えるかと。その時は適当に説明して一時的にでも同意させた方がいい。じゃないとその時点ではまだ祓魔師の仮契約と同じ状態だ。また奪われる可能性も出てくる』
「………」
「忘れていたね」
うん、いやまあ、うん。
完全に忘れていた。
いやだってしょうがないでしょ。秘密の呪文とやらを覚えるのに必死で、それが終わったあとのことまでは覚えてなかったんだから。
「危なかったね。祓魔師にその気があったら、下手をしたらまた仮契約で縛られるところだったってことだから」
日和さんからもらったあの札は、使用と同時に塵になって散ってしまった。使うと消滅してしまうらしい。一度きりしか使えないみたいだから、もし祓魔師にやり返されていたらそれで詰んでいたのか。そうしなかったから助かったけど。
「それで、どうする?ここにいたくないというのなら、私がその仮契約を完全に破壊して遺恨を残さず行けるようにしてあげるけど」
そんなことできるんかい。有能過ぎるだろ。
「…えっと、あの」
その提案を聞いて、鬼の子は戸惑いながらも俺の顔を窺ってきた。
「ん?俺に遠慮してんなら構うことないぞ。もうこれで契約なんて懲り懲りしたろ、さっさと解放されて自由になった方がいい」
助けてもらった手前、契約を解除するのを躊躇っているらしい。んなもん気にしなくていいのに。
でもまあそれを本人の口からってのは言い辛いだろうし、俺から言ってやる。
「………駄目、でしょうか?」
「え?」
「貴方に、仕える…というのは、駄目でしょうか?」
思わず聞き返してしまったが、鬼の子は二度目ではっきりと言った。
俺に仕えたいと。
「いや、だからさ。引け目に感じることないんだって。俺はお前にそんなことさせたくて助けたわけじゃない」
「はい、わかっています。だからこそ、貴方を主としてこの身を仕えさせてほしいんです。助けられたこの命、貴方の自由に使ってくださって構いません」
意味がわからん。
せっかく拾った命を、俺の為に使いたいとか一体どうしたこの子は。
「あのな、俺があの祓魔師みたいにお前を酷い目に遭わせるかもしれないんだぞ」
「するの?薄い本みたいに」
「いやしませんけども!」
楽しそうに見ていた日和さんが口を挟む。膝の上に座る幸はきょとんとした表情で事の成り行きを見ている。
「大丈夫です」
「何が」
「そんなことはしない人だって、信じてますから」
「信じるのは勝手だけどな、お前」
「信じたいって、思わせてくれた人ですから。だから仕えたいと思えました」
俺の言葉を遮って、鬼の子は自らの考えを口にする。
「それに、今契約を破壊して自由になったら、またあの祓魔師に捕まるかもしれないよ?まだこの街の周辺に潜んでいる可能性も無くはないんだから」
鬼の子のフォローをするように日和さんが危険性の一つを指摘する。あなたは鬼の子の味方なのか。
「…あー。そういえば、確か生身の人間が人外との契約をいくつも結ぶのは寿命を縮めるとかなんとか聞いたような」
「幸みたいに肉体に力を貸し与えるものならね。でもその鬼性種との契約というのは意味が違う。主従関係を結ぶということだ。絶対命令権を君が得て、その子はそれに絶対従う。ただそれだけの契約さ。気に入らないなら、君が命令しなければいいだけの話だよ」
「……だー、もう!」
逃げ道は無さそうだ。そう諦める。
「俺はお前に、無理な命令や理不尽を押し付けるつもりはない」
「はい」
「契約という形をとる以上、お前の身に何かあったら俺は必ずお前を助ける。今回みたいにだ。でもお前は何もしなくていい。俺に従う必要もない」
「それは頷きかねます」
なんでだよ。
どうも、鬼の子にも譲れないものがあるらしい。仕方ない、じゃあもうそれも妥協の内に入れよう。
「わかった、もうお前の好きにしろ。ただ、どうしても納得のいかないことがあったら、命令してでもお前を止めるからな。それは俺も譲れん」
「わかりました」
本当にわかってるのだろうか。
とりあえず、この子との契約を受け入れると、直感的に俺と鬼の子とを糸のようなものが繋ぐのを感じた。
「はい契約完了」
いきなりそんなことを言った日和さんの言葉にも、なんとなく納得して理解してしまった。かつて幸との契約を交わした時と似たような感覚があったからだ。
「元々の契約基盤は君が助けた時に済んでいたからね、あとはお互いの同意があれば勝手に成立する」
説明して、自分の役割は終わったとばかりに読書を再開し始めた。結局何がしたかったんだろうかこの人は。
幸を持ち上げて、俺が座っていた椅子の上に座らせる。そのまま俺は鬼の子と向き合う。お互い立ってると身長差が子供と大人くらいあって不自然だな。
「それじゃ、まあよろしく。改めて自己紹介でもしとくか。俺は日向夕陽」
「はい、よろしくお願いします、主様」
「なんだその仰々しい呼び方は。名前でいいよ」
「いいえ、そんな恐れ多いことはできません。わたしのご主人となってくださったのですから」
いきなり命令して名前で呼ばせてやろうかと思ったが、やめた。呼び方くらい好きにさせてやればいい、少し俺がくすぐったい思いをするだけなんだし。
それと、ずっと気になっていたことを解決しよう。
「お前の名前も決めようか。無いと不便だろ」
「名、ですか?」
首を傾げる鬼の子を見下ろしながら、考える。
「鬼でよろしいのでは?」
「お前それでいいのかよ…」
人外は自らの名前を必要としないのが大半とは聞いていたが、ここまで無関心なものか。
でも俺が不便だ。鬼の子とか呼び続けるのもおかしい。
「日和さん、どうしましょうか?」
「君が名付けてあげればいい」
日和さんは本に視線を固定したまま答える。
「またそれですか」
「その鬼は君に仕え、全てを捧げる覚悟でいる。いわば君のものだ。なら君が責任をもって名付けてあげるのが筋じゃないかな?」
もっともらしいことを言われてしまった。
どうしたもんか。
これまでも人外に名前を付けてきたことはあるけど、これが結構悩む。下手すりゃ一生使い続けることになるわけだし、いい加減なことはできない。
うーん。うーん…。
「あ、そうだ夕陽。醤油がもうないから買ってきてくれない?」
「今考え事してるんですけど」
顎に手を当てて唸ってるのを見てわからないのだろうか。多分わかってて言ってきてるんだとは思うが。
「ちょうどいいじゃないか。行って帰ってくるまでにじっくり考えてきたらいい」
「まあ、いいですけどね。幸、どうする?」
聞くと、幸はすぐに椅子から降りて俺の隣に並んだ。人混みは苦手だからなるべく人気のない道を選んで行くとしようか。
「お前はもう少し寝てた方がいい。傷は治ってるけど、まだ疲れてるだろ。ゆっくり休んで元気になれ」
「いえ、もう平気です。お供します」
「しなくていいから。命令だ命令、おとなしく療養してろ」
閃奈さんの“治癒”を受けて大怪我を治したんだから、疲れてないわけがないんだ。俺だって何度も経験があるからよくわかる。
「……わかりました」
やや不服そうにしていたが、言うことは素直に聞いてくれた。主従関係を律儀に守るのはこの子の信条か何かなのか。
財布をポケットに突っ込む。
「…」
居間を出る前に、本のページをめくっている日和さんを見る。俺の視線に気付いたのか、顔をあげ柔らかく微笑んだ。
「何か?」
「俺がいないからってその子を苛めないでくださいね」
「君は私をなんだと思っているんだ」
その笑顔が一瞬で曇った。悪いことしたかな、一応言っておこうと思ったんだけど。
すぐに戻ってくるからと言って、俺は幸を連れて行きつけの店まで出掛けた。
ーーーーー
『…』
『…』
『……』
『……』
『………あ、あのっ』
『…二人きりで沈黙が居心地悪いのはわかるけど、気にしなくていいよ。私のことはいないものだと思ってくれていい』
『いえ、そうではなくて。…あなたにも、まだお礼を言っていなかったので。ありがとうございました』
『夕陽も言っていたことだけど、お礼を言われたくてやったことじゃないからね。それに私は君を助けたいという彼の意思を尊重して手助けしただけだ。悪いけど君の為じゃない』
『それでも、結果としてわたしは救われたので、感謝しています』
『まあ、それならどういたしましてと答えるのが妥当か』
『…』
『…君は、私にも恩義を感じているんだよね?』
『は、はい』
『なら一つ、私のお願いも聞いてくれないかな』
『はい、わたしに可能なことでしたら』
『簡単だよ。彼の力になってあげてほしい』
『主様の、ですか?』
『うん。彼は、今回のように人外絡みの危険なことや荒事によくよく首を突っ込む。多くの経験を積んでほしいとは思うけど、その反面保護者としてははらはらしっ放しなんだよ。彼を支えてくれる戦力が多ければ、それに越したことはない』
『わたしの契約に賛成してくださったのも、その為ですか』
『その通り。君は戦闘能力という面ではやや力不足だが、それを補って余りある隠形の術がある。彼が必要とする時、あるいは彼が危険な状況にある時、君が助けてあげて』
『それはもちろん、我が主人となってくださった方ですから。全身全霊でお力になるべく尽力する所存であります』
『それは良かった』
『ですが、わたしなんかよりもあなたの方が主様のお力になれるのでは…?』
『私が関わると彼が経験を積む前に事を片づけてしまうからね、意味を成さない。君や幸がいてくれれば、彼も無暗に無茶をしたりはしないだろう』
『そうですか。わかりました、この身に代えても主様はお守り致します』
『んむ、よろしく頼むよ。それともう一つ、君に確認しておきたいことがある』
『なんでしょうか?』
『「
『っ…!』
『その一角、
『…よく、おわかりになりましたね』
『それだけ隠形術に特化した鬼性種などそうはいないよ。鍛えて得たものではなく、先天的にその身に宿る「異能」の一つだろうとは思っていた。となればもうそれくらいしか私は知らない。私の“感知”でも君らのいる場所を見つけるのに一晩かかったからね』
『…』
『それで疑問に思ったのは、何故君しかいなかったのかだ。君以外の四鬼はどうしたの?』
『それは、…』
『言いたくないならそれでもいい。とりあえず、可能性として残りの四鬼が君を探してここに訪れることがあるのかどうか、それを聞きたい』
『わかり、ません。まだわたしに固執しているようなら、もしかしたら探し出して来るかもしれないです』
『固執、ね。穏やかな話じゃあなさそうだ。まあ今はそれでいい。君に害成すつもりで来るのなら、当然夕陽は君に味方するだろう。もし敵として私達の前に現れるのであれば夕陽は戦う。それで無理なら私が殺す。ここまでで、異論はあるかい?』
『…彼らがわたしを探して来るのなら、対応はわたしがします。主様やあなたにまで迷惑を掛けるつもりはありません。どうにかしてみます』
『君の手に負えるのならそれでもいいさ。私としては対鬼性種の戦闘を夕陽に経験させるのもいいと思っているだけだからね』
『すみません。まだ確実な話ではないので、話す必要はないかと思いました』
『ああ、いいよ。夕陽にも話さないでいい。本当にその状況になったら、その時改めて話せばそれで。君には夕陽の力になってもらうわけだし、君にも多少力を貸すくらいなら安いものだ』
『…』
『今は体を休めなさい。祓魔師との一件もまだ完全に片付いてはいない。最近どうもおかしな流れを感じる。まだ終わっていない、まだ何か来る。―――こういう予感だけは妙に当たるから嫌になるんだよ、まったくね』
ーーーーー
「幸」
「…」
醤油とその他足りなくなっていたものを買い足した袋を提げて、俺と幸は帰路についていた。
見るからに疲れている隣の少女に声を掛けるも、薄っすらとした反応しか返ってこない。
「眠いんだろ。ほら、おんぶしてあげるから背中に乗って」
「…」
人気のまったくない道端で、俺は膝を曲げて身を屈める。幸はそのまま素直に背中に体重を掛けて後ろから両手を首に回してきた。
「今回はありがとうな、幸。いや、今回も、か。おかげで助かったよ」
万事解決とはいかなかったが、そこは単純な俺の力不足だ。まったくこんな小さな女の子に無理させてまで出しゃばったのにこのザマとは情けないことこの上ない。
だが、結果として死霊は殲滅できたし鬼の子は助け出せた。契約関係になるのは想定外だったが、個人的には別に迷惑な話ではない。
鬼の子。
(名前どうすっかなあ)
一応ずっと考えてはいたが、結局店に行くまでの間には思いつかなかった。
やはり、あの鬼の子の特徴から考えるのがいいだろうか。
中学生くらいの小柄な体躯、額にある短い鬼の一本角。
うーん。
もっとも特徴的なのは、やっぱり鎖帷子に墨染めの衣装。一見するとまるで忍者のような恰好だなとは思った。
忍者か。
………
駄目だ、多重人格の元霊界探偵が頭に思い浮かんでいけない。聖光気とか使いそう。あるいはどこぞのヴァンパイアか。
でも絶対忍者だよなあれ。隠形術の使い手って時点で隠密特化なわけだし。忍者にんじゃ、忍ぶ忍べ…しのんで…しの……。
あ。
ーーーーー
「
自宅に帰って早々、横になっていた体を起き上がらせて出迎えてくれた鬼の子にそう提案する。
「篠、というと竹の一種ですか?」
「いやそうじゃなくて、お前の名前だよ。考えて篠ってどうかなと思った」
何をどう考えてそうなったのかは聞かないでほしい。一応これでも真剣に考えたんだ。
「篠…」
小さく、鬼の子は口の中で何度かその名を呟く。
「き、気に入らなかったか?」
どきどきしながら訊ねる。駄目なら駄目でまた考えるだけだが、これを拒否されると次からのプレッシャーが増す。
「…いえ、良い名だと思います。ありがとうございます」
「無理はしなくていいぞ?」
「そんな、無理だなんて。本当に嬉しいです。篠、この名を大切に使わせて頂きます」
そう言って微笑み、鬼の子―――改め篠はぺこりと頭を下げた。
「…」
いつの間に起きていたのか、俺の背中でおぶわれていた幸が俺の背中越しに右手を篠へ向けた。
「はい?あ…はい」
一瞬疑問符を浮かべた篠だが、すぐにその意図を察して右手を出した。そのまま小さな手と手で柔らかく握手を交わす。
「この子は幸。俺のパートナーみたいなもんだ、いつも助けてもらってる。今回も、この子がいなかったら何もできなかった」
「そうなんですか。初めまして、篠です。今後とも主様の為に尽力致しますので、どうかよろしくお願いします、お嬢様」
「なにお嬢様って」
またおかしな呼び方を。
「主様のパートナーということは、主様と同じくわたしの尽くすべきお相手ですので」
「ああ、そう…」
まあね、呼び方くらいね、好きにしたらいいよ。
幸もまんざらでもなさそうだしな。ってかご満悦じゃねえか。
「ちなみに日向日和さんは?」
「日向様です」
そこは普通なんだ。奥様とか呼ぶのかと思った。奥様でもないけど。
こうして、死霊騒ぎの件はとりあえず一段落した。と思う。
結局わからないことだらけだった。死霊を操って何がしたかったのか、学校の人間を襲おうとしたのは何故か、祓魔師の目的はなんだったのか。
奴は単独犯じゃなかった。死霊生産に一枚噛んでいたもう一人の外道。連中はまたきっと近い内に行動を起こすだろう。いつかはわからないが。
次こそきちんと終わらせる。絶対に。
ひとまず今俺がするべきことは、
「なあ篠。そんなべったり俺にくっつく必要ある?」
「いつ何があるかわかりません。何時も傍を離れることがあってはならないのです」
「なあ篠。便所にまでついてくんの?」
「大丈夫です。外でお待ちしておりますので」
「全然大丈夫じゃねえよ馬鹿野郎」
「?、何故ですか?」
うん。
ひとまずはあれだ、篠の教育から始めよう。プライバシーの侵害という言葉の意味をしっかり理解させなければなるまいて。
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