第9話 いざ赴くは死霊の巣窟
「…アンタ、一体どこの激戦地から帰還したのよ」
夜の学校。いつものように校門を跳び越えて、女子寮一階の端に位置する寮長室の窓を外から頭突きで叩き、中に入れてもらったその人が、俺を一目見て言った第一声がそれだった。
俺が何か言うよりも先に、妖精と悪魔のハーフである双子の片割れ、閃奈さんは俺の傷の治癒に当たってくれた。
「打撲、火傷、銃創…内側も相当酷いことになってるわね。あとこの右手、かろうじて形が残ってるからまだ治癒は可能だけど、流石に原型も残らないくらいミンチになってたらあたしでも治せないんだからね」
「いやあ、すんません」
素直に謝る。閃奈さんも、約束通りちゃんと手当てに来たからかそれ以上文句を言うことはなかった。
「それと、あたしは傷を治すことしかできないから、失った血液までは戻らないわ。同じように、体力も疲労もね。そこらも注意しておいて」
「はい」
どうりで傷は治るのにだるい感じが戻らないわけだ。
と、そこで部屋のドアからコンコンとノックがした。閃奈さんが返事をすると、ドアを開けて浅黒い肌の男が入ってきた。
「夕陽、大丈夫…ってうわ、全然大丈夫じゃなさそうだね」
褐色の肌に、漆黒の瞳。全体的に色素の薄い閃奈さんとは真逆に闇夜を思わせる外見の、双子のもう片方である蓮夜さんが血だらけの俺を見てぎょっとした顔になる。
「いえ、傷はほとんどもう治してもらったんで大丈夫ですよ」
残るは両腕。閃奈さんが両手で触れて淡い光が俺の腕を包んでいるが、傷が酷過ぎるせいで時間が掛かるらしい。まあ、表面から中心までズタズタだしな。
蓮夜さんは近くの椅子を引っ張ってきて座る。
俺の全身についた血と、現在治療中の俺の腕を見て、
「相当、手強いみたいだね」
そう呟いた。
「ええ、まあ。死霊を操ってるクズ自体はそれほど強くはないと思うんですけど、取り巻きがどうにも」
「会ったの?死霊使いと」
治療しながら訊いてきた閃奈さんに首肯を返し、両腕が元に戻るまでの間に一連の事情を説明する。
「…ふうん、なるほどね。
「〝魔に対し罰を下す力〟ってなると、僕達とは相性が悪そうだ」
ヤツの能力はおそらく人外全般、主に『魔族』の側に絶大な効力を発揮し、逆に人間種にはなんの影響も無いものだ。俺とヤツが一騎打ちでもしたら確実に俺が勝てるだろう。
だが、ヤツには祓魔を応用して人外を操作する術がある。
「それと、鬼性種の子か。夕陽アンタ、ほんと女に弱いわね」
「人聞き悪いこと言わないでくれますか?」
たまたまこれまで助けてきたのが性別上は女の子だったってだけの話だ。別に女だから助けるとか、そんな軟派な考えで動いてるわけじゃない。
「本来はお互いが同意してないと成立しない人間と人外の契約を強引に行使できている時点で、その祓魔師の力が強いのがわかるね。夕陽、これ以上一人でやるのは危ないと思うよ」
「日和にでも頼んだ方がいいんじゃない?」
双子の両方からそう言われ、しかし俺は首を振った。
「いや、俺一人でどうにかしますよ。日和さんだってヒマじゃないですし、あの鬼の子とも約束しましたからね」
鬼の子と話し、接した今、この件を他人任せにして終わりにはしたくない。今現在、捕まったあの子がどんな目に遭わされているのかわからないし、できればすぐにでも動き出したいくらいだ。
「閃奈さん。傷はまだ?」
俺の壊れた両腕に触れたまま対面に座る閃奈さんに訊ねる。
「まだよ。こんなの、修理というかほとんど新品に入れ替えてるようなもんなの。それだけ時間と手間が掛かる。今日中に治すのは無理かもしれないわ」
「んじゃ見た目だけでも治してくれればいいですよ」
あとは自力で動かしてみよう。それで無理なら、また考える。
とにかく早く。それだけを考えていた。
そんな俺の胸中を知ってか、閃奈さんはジト目で俺を見据える。
「それで戦えると思ってんの?見た目だけ無事に見えても実際戦闘になればそんなもんハッタリにもなりゃしないわよ。また無茶な“倍加”で二の舞になるのがオチね」
呆れたように大きくため息を吐きながら、閃奈さんは俺の両腕から手を放してはくれない。
とはいえ、感覚は指先まで戻ってきていた。軽く動かすくらいも出来る。今日中に完治は無理かもしれないと言っておきながら、さすが“治癒”を得手とするだけあって、その治療速度は尋常じゃなかった。
それを目の当たりにしながらも、俺は閃奈さんの言葉に反論する。
「今度は同じようにはなりませんよ。次は俺も本気でいきます」
それに閃奈さんは肩を竦め、蓮夜さんは「おお」と呟いた。
「じゃあ、大丈夫かな?」
「こんなザマになる前に決断してほしかったわね、あたしとしては」
実に耳に痛い。
確かに最初から本気でやっていれば、こんな大怪我を負うこともなかったかもしれない。
でもまあ、しょうがないのだ。俺としてはそうとしか言い様がない。俺だってできればやりたくないのだから。
俺の『本気』は俺以外に負担を掛け、俺の『全力』は俺以外にもツケが回るから。
まあ、本人はそうやって負担を気にして頼ってくれないのを不満に思っているようだが。
「夕陽、手を動かしてみて。どんな感じ?」
治癒を示す淡い光が腕を包み続ける中、閃奈さんに聞かれて右手と左手を握ったり開いたりしてみた。
「まだちょっとぎこちない感じですね。痺れてるような」
真冬に雪の中に手を突っ込み続けた結果、意思に反して凍えた手の動きが鈍重になった時のような、ともかく思ったように素早く握る開くはできない。
見た目はだいぶ治ったように見えるが、やはりまだ完治ではないらしい。
「内部の治療がまだ完全じゃないから、その両腕はまだ思い通りには動かせないわよ。今日はとりあえずそこまで。もう帰りなさい」
「えっ、完治させてくれないんですか?」
あともうちょっとじゃないの?
「まるであたしが意地悪してるかのような言い方は止めてほしいわね。アンタの為に言ってるんだからおとなしく帰りなさい」
俺の為に今日は完治させないという。
よくわからない。閃奈さんはどういう考えでそう言ったんだ?
「あたしの“治癒”は、あたし自身の力とアンタの力を両方使って使用してるの」
俺の表情からその思考を読み取ったのか、俺の両腕から手を放した閃奈さんが説明してくれる。
「俺の力って、“倍加”と“干渉”ですか?」
「『異能』の話じゃなくて、人間としてのアンタの中にある力よ。生命力とか、寿命とか?」
「…もしかして閃奈さんの“治癒”は相手の寿命を代償に行ってたりするんですか」
だとしたらヤバい。回数で数えたら閃奈さんの“治癒”にはかなりお世話になっている。
何ヵ月、何年?
知らぬ内に俺は寿命をかなり持っていかれていたのか…!?
「うーん、そうね、今のはあたしの言い方が悪かった。正確には、それらを形成してるエネルギーかしら。生きていく為に補給しているエネルギー。あたしの力はそのエネルギーを“治癒”の力に変換して怪我に充てる能力」
「生きていく為の補給って、食事とかってことですか?」
「そう。人間は生きて動く為に食事をするでしょ。まあそれはあたし達も同じだけど。そういう時に体内で変換されるエネルギーを、強引にこっちで再変換して治療に回してんのよ。だから大きな怪我とかを一気に治そうとすると対象者が衰弱状態になったりすることもある。何回も“治癒”されてるんだから、そういう感覚も覚えがあるでしょ?ちょっとした虚脱感とか」
言われてみれば、怪我を治してもらった直後は異様に腹が減ったり、妙に体が重くなったり疲れやすくなったりしていた…かもしれない。
そういえば腹減ったな。晩飯は食ったはずなのに。
「今夜の戦闘で失った血液と体力、さらに“治癒”に変換され消えたエネルギー。アンタ自分が思ってるより疲弊してる状態だと思うわよ。また明日。ちゃんと食事と睡眠をとって来なさい。そしたら完治できるでしょ、多分」
今の俺の状態では、傷の完治まですると疲弊度が限界を超えてしまうらしい。確かに即刻傷を治して動き出したいところではあるが、それで動けなくなるまで疲れてしまっては元も子もない。
ここは閃奈さんの言うことに従った方が賢明なんだろう。
「わかりました。また明日、ここに来ます」
「そうしなさい。一応、家まで送った方がいいかしらね」
閃奈さんが目配せすると、蓮夜さんが頷いた。
俺を家まで送るつもりらしい。
「大丈夫ですよ、多分。帰るくらい」
「いや、まだわからないよ。討ち漏らした君を、死霊を使って探し続けているかもしれないし。なんなら、今日は家に帰らず僕の部屋で寝るかい?」
家に帰るまでの道程で襲われる心配があるくらいなら自分の部屋に泊まらせた方がいい。そう判断したらしい蓮夜さんの提案をやんわりと断る。
「いえいえ、俺が家に戻らないとあの子が不安になりますし、日和さんにも状況の説明をしておこうかと思ってるんで」
日和さんは基本的に俺の行動に直接関わるつもりはなさそうだけど、何があったかは話しておいて間違いない。もしかしたら既に一部始終を視ているのかもしれないけど。
「そう、か。それじゃあ仕方がないかな。本当に付いていかなくて平気?」
「はい。そっちも気を付けてください、死霊が向かってくる可能性もゼロじゃないと思うんで」
「わかった」
渋々納得した蓮夜さんと話をつけ、ふと閃奈さんの表情を窺って見ると、なんともいえない顔で溜息を漏らしていた。決まり掛けた話に割り込むつもりはないようだ。
もし襲われるようなことがあれば、その時に全力で駆けつければいいと思っているのかもしれない。この二人は同じ人外の気配には敏感なようだし。
俺も、帰りは紅葉からもらったお札を注視しながら行くとしよう。
今は目の前に『魔族』が混じった二人がいるから真っ黒に染まっているが、きちんと魔が近づけば反応してくれるはずだ。
「それじゃ、お世話になりました。また明日」
「うん、また明日」
「寄り道しないでさっさと帰りなさいよ」
一礼して、女子寮長室を出た。
ーーーーー
「や、おかえり。お疲れだったね、傷は治してもらえたかい?」
「…」
何事もなく家に帰宅すると、まず眠気でふらふらになった幸が俺を出迎えてくれた。そのままおんぶして居間へ入ると、日和さんが本を読んで待っていた。
口ぶりからして、多分『視て』たな。
「完治とはいきませんでした。また明日治してもらいます」
「そっか。なら今日はもう寝た方がいいね。幸も眠たいのを堪えて待っていたんだし、早く寝かせてあげなよ」
「はい、そのつもりです。でもその前に、ちょっと聞いてもいいですか?」
俺の腕の中でほとんど意識が落ちかけている幸を抱えたまま、俺は座ったまま読書を続けようとしていた日和さんに問う。
「強制的に行使された契約のことかな?それとも鬼の子や祓魔師のことについてかな」
「やっぱ知ってるんですね、全部」
俺がやっていたことは全部、このお方には筒抜けになっているらしい。つくづく恐ろしい。
「できるだけ分かることを教えてほしいんです」
「まあ、そうだね。情報は大事だ、関わった以上は知っておかないと不味いだろうしね。いいよ、教えてあげる」
ぱたんと本を閉じた日和さんは、空いた片手で椅子に立て掛けてあった、布に包まれた細長い何かを放り投げてきた。
「それと、ほらこれ。あんまりぞんざいに扱わないでね」
「あ、これ…」
ぎこちなく動く右手でどうにかキャッチすると、それは竹刀袋に入れられた真っ黒な木刀。俺が日和さんから貸してもらっていたそれだった。
銃殺の死霊を相手にした時、ぶん投げて遠くへ行ってしまった木刀。
なんでこの人が回収してるんだ?
「“千里眼”なら、それくらい見つけるのは容易いよ。ついでにうろうろしてた死霊を二体ほど屠ってきた。多分君が相手してた奴だろうけどね。鬼性種の子は祓魔の男と一緒に撤退したみたいだ」
どうも、日和さんは俺が閃奈さんに治療してもらっている間に、俺が投げ飛ばした木刀を回収しに外出していたらしい。で、ついでであの殴殺と焼殺の死霊を倒してきた、と。
あの二体、死霊のレベルとしては相当高かったと思うんだけどなあ…。
俺が帰宅の道中襲われなかったのは、日和さんが死霊を退治していたからか。
「すみません、せっかく貸して頂いてた物なのに」
素直に謝る。悪いのは完全に俺だ、借り物を投げ捨てたのだから。
「んむ、いいよ。ただ、次からはあまり手元から離さないようにね。君の命を守るものでもあるし、単純に私の大切なものでもあるから」
「はい」
あっさりと許してくれた。俺が言うのもなんだが、日和さんはそれでいいのだろうか。
しかし本人にとってはそれでこの話は終わったようで、さっさと話題を次に持っていってしまう。
「それで、祓魔師の施した強引な契約だけどね、やり方次第で破棄は出来るよ」
「本当ですか?」
「うん」
またしてもあっさりと日和さんは頷く。
「元々、あれは不完全な契約だよ。お互いが同意してないのに完璧な契約なんて出来ないからね。あれは、鬼性種の子の特性を利用して祓魔師が付け込んだだけの仮契約だ」
「特性?」
日和さんは椅子の上で大きく伸びをしながら、
「あの鬼の子の本質、真名は知らないよね?」
「…?はい。名前あるんですか?」
本人は無いと言っていたが。
「鬼性種としての識別名はね、誰にだってあるよ。ただあの子自身の名前は無いだろうけど」
よくわからないが、あの鬼の子を指し示す名称があるらしい。俺達人類を『人間』と呼ぶように、鬼の少女のみを示す鬼性種の種類があるのだろうか。
「それで、その識別名?が何なんですか?」
「いや、別に識別名に意味は無いよ。ただ、彼女の真名を知っていれば分かることなんだけど、あの子には仕えるべき『主人』が必要なんだ。本能的に『主人』を求めている。今はそれがいないから、その空席の『主人』に自らの存在を割り込ませて強引に主従関係を構築させたのが今の状態。その強引を押し通しているのが祓魔の力」
「祓魔師の能力を悪用して、無理矢理に鬼の子の主人になってるってことですか」
「実力自体は本物のようだね、あの祓魔師は。『魔』を祓うのではなく服従させる方向へ能力を歪めている。元々の性質は司祭や神官に近いから、そういう使い方も出来るには出来るんだろう」
日和さんの話は時々よくわからなくなる。でもとりあえず、あの祓魔師の力は本物であるらしい。実に腹立たしい。
ということは、やはり契約を破棄させる方法は、あれか。
「殺せば契約は解けますか」
「それが一番手っ取り早いだろうけど、あまりやってほしい方法ではないね。殺す相手が人外ならまだしも、一応人間だから。法律で人間は人間を殺しちゃいけないって決まってるらしいよ?」
そんなんもちろん知ってる。
「でも他に方法が」
「私が用意するよ。明日の朝までには間に合わせておくから」
俺の言葉を遮って日和さんが何でもないことのように言う。
そんな簡単に違う方法を用意できるものなんだろうか。うーん…。
でも日和さんすごい自信だし、ってか日和さんはいつもあんな感じか。まるで不安を感じさせない表情は、いつも通りにやんわりと微笑んでいる。
任せてもいいのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「何がだい?」
「いや、そんないきなり用意とか…負担じゃないかなって」
「君が人殺しの犯罪者になる可能性と下衆な祓魔師如きに殺されてしまうかもしれない懸念を考えれば、この程度は負担の内に入らないよ。任せなさい」
ということらしい。
非常に申し訳ないが、ここは日和さんにお任せしよう。
「他に聞きたいことは?」
そう言われて、少しだけ考えてみる。
今一番必要だった情報は、あの鬼の子を強引に繋がれた契約から解放する方法。それ以外は、特に。
「…特に無いですね」
あの祓魔師は俺が真っ向から潰すとして、これといった小細工を使うつもりもないし。ヤツの力も大体、どんなものかは把握した。
この件を終わらせるのに、これ以上の情報は多分いらない。
幸ももう船を漕いでいるし、早くベッドに寝かせてあげた方がいいだろう。
あとは、…寝る前に、ちょっとした雑談でも。
「日和さんの方の仕事は、どんな感じですか?」
死霊とは別件の人外関連の仕事。俺では手に負えないらしく日和さんが動いている仕事。
俺の方に意識を向けているせいでそっちが捗っていなかったりしていたら申し訳ないし、そういう意味も込めて訊いてみた。
「ああ」
俺の質問に、日和さんは半眼になって浅く息を吐いた。
日和さんは俺が持つ木刀の入った竹刀袋を指さして、
「さっき、それを回収しに外出した時にね、会ったんだよ。仕事の対象と」
「はあ」
仕事の対象というと、酷い敵意と悪意を持った厄介な相手とかいう。日和さんからすれば殺した方が手っ取り早いらしい人外のことだろうか。
ってかこの人一度の外出で色々やってんな。木刀回収するついでに死霊二体滅して依頼内容の相手とも会ってきたとか超有能。
「で、どうでした?話でもしてきたんですか」
「いきなり襲われたから返り討ちにしたら逃げた」
「えぇー…」
「逃げ足は速かったね」
何してんだこの人。
いきなり襲ってくるとか話に聞いた通りのとんでもない奴らしいけど、それを問答無用でボコった日和さんも大概だな。本当に邂逅一番殺す気満々だったのか。
「私を人間だと見て侮ってたみたいだね。深手を負わせたからもう数日は姿を現さないかも。今なら君でも倒せるかもしれない。祓魔師を潰したら次はそっち行ってみる?」
「いやいやいや」
だって万全の状態だったら俺なんて即惨殺死体にされるくらい強いんでしょ?それ弱ってたところで俺に勝てる相手じゃないじゃん。
日和さんはRPGのボス戦とかだと強いキャラで弱らせたあとにレベルの低いキャラでトドメを刺させて経験値もらうタイプか。
「んむ…不安ならそうだね、深手の上からもう手足の一本でも千切ってみようか。それなら実力的にはいい感じに拮抗すると思うんだけど」
「おやすみなさーい」
寝る前にそんなスプラッタなこと言わないでほしかった。幸が完全に寝てたのがせめてもの救いかな。
ーーーーー
やはり、朝になっても俺の両腕はうまいこと動いてくれなかった。おかげで朝食はそこそこ苦労した。
「さてと」
どうにかこうにか身支度を整えて、俺は椅子に座ったままの幸に向き直る。
「……」
昨夜俺を出迎えたまま眠ってしまった幸は、朝起きると俺を見て頬を膨らませていた。
どうも、俺が大怪我をして逃げ帰ってきたことを知っているらしい。日和さんから聞いたのか、そうでなければ契約上の繋がりで俺の危機を察していたのかは不明だが。
だから幸はご機嫌斜めだ。頼られなかったのが気に入らないと。
というわけで今朝は幸のご機嫌取りからだ。
「悪かったって。あんなことになるとは俺だって思ってなかったよ」
「……」
「いやだってお前も眠かっただろ?あんな時間だったしさ。無理に起こしてってのもどうかなーって俺も考えたんだよ」
「…」
ふるふると、幸は無言で首を左右に振るう。
そんな気遣いはいらないと。
「でもな、幸よ。お前にだって負担が掛かることだし。出来ることなら自力でだなぁ…」
「…」
さらに幸はじっといつもより目に力を入れて俺を見上げる。
もっと頼ってくれと。
何故かはわからないが幸の言いたいことはいつも大体わかる。これも契約関係の恩恵かね。それとも幸の言外での意思伝達能力が優秀だからか。
ともかく、幸の不満はわかってる。だからもう、とりあえずその意思を汲んで俺は本題に入る。
「…今日は、幸の力も借りたい。昨夜のことで俺個人の力じゃ太刀打ちできないのはわかったからさ。お前がいないと、勝てない」
「…」
「頼めるか?」
その言葉を待っていたとばかりに、椅子から降りた幸が俺の右手を両手で包み込むように握り、俺を見上げてふわりと微笑んだ。
ーーーーー
「それじゃあ、今日は学校は休むのかい?」
「そうなりますかね」
いつもの登校よりもかなり早い時間に、竹刀袋を担いだ俺は幸を連れて玄関に立っていた。
昨夜あんなことがあって、呑気に学校が終わってから事を終わらせに行く気にはなれない。
「すみません、日和さん。学費も払ってもらっているのに」
こんな堂々とサボる宣言して、本当に俺は最低だ。こんなことばっかりで自己嫌悪が絶えない。
「んむ、気にしなさんな。君は君のしたいようにしたらいい。学校には、私から連絡入れておこうか?」
「いえ、友達に適当に誤魔化しておいてもらうように頼んだので」
「そう。じゃ、あとは朝君に渡したそれで。使い方は理解してるよね?」
「はい、教えてもらった通りに」
「うん。では頑張ってくれたまえ、ゆーくん」
まだ眠気が払えていないのか、眠たげに瞼を擦って日和さんがひらひらと片手を振る。
「日和さんは、今日はお休みですか」
「んむ…明日明後日くらいはもう出てこなさそうだからねえ。家で適当に調べものでもしつつ君らの健闘を祈ろうかと」
「なるほど」
どうせ手が空いてるなら“千里眼”でいつでも視れるんだろうしな。調べものとかいうのがちょっと気になるけど、多分訊いてもはぐらかされるんだろう。必要のない情報はなるべく伏せておこうとするからな、日和さんは。
「んじゃ、行ってきます」
「気を付けてね。駄目だと思ったら、すぐに逃げてここまで帰るように。そしたら私が処理するから」
「そうならないように頑張りますよ」
日和さんに見送られて、俺は幸と一緒に玄関のドアを開けて外に出た。
ーーーーー
「早いわねえ…」
「すんません」
昨日と同じように窓からお邪魔して、俺達は女子寮長室に入る。
夜ならまだいいが、明るい時間は女子寮生も普通にうろついているから見つかると厄介だ。基本的に女子寮は男子禁制だからな。
「早速で悪いんですが、治療お願いできますか?」
寝起きなのか、若干不機嫌そうな閃奈さんには申し訳ないと思いつつ、昨夜完治しきれなかった分の治癒を頼む。
「…最初に言っておくけど、ここで完治させた分だけアンタの疲労は増すし余力は減るわ。その状態ですぐさま昨夜のリベンジしに行こうってんなら考え直した方がいいと思う」
「大丈夫ですよ。昨日も言いましたけど、今度はこの子と一緒に行くんで」
俺の腰にしがみ付くようにして寄り添っている幸の頭を撫でる。
「どうかしらね。幸、おはよう。アンタも朝から大変ね」
「…?」
何が?と言いたげな表情で幸が小首を傾げた。
「夕陽に振り回されて、朝も弱いのにこんな時間から外出して。文句があるならきちんと吐き出しておいた方がいいと思うわよ、この契約者に」
「…(ふるふる)」
無言で首を左右に振るう。
文句は無いってか。あればあったで是非とも聞かせてほしいもんなんだけどな。不満や文句の一つでも言ってくれないと、溜め込ませているんじゃないかと俺が不安になる。
いつものように閃奈さんは肩を竦める。
「ま、そうでしょうね。こき使われて喜ぶようだし、文句も何もないか」
呟きながら、俺を対面の椅子に座るよう手振りで示す。
「それじゃあ、昨日の続き。数分程度で済むと思うわ」
「はい」
うまいこと動かない両腕を差し出して、閃奈さんの両手から放たれる淡い光に包まれて“治癒”が発動する。
「ところで夕陽、リベンジするつもり満々なようだけど、祓魔師の居所は掴めたの?」
「ええ…まあ」
完治するまでの短い時間潰しの話題に、俺は曖昧な返事をしてしまう。
居所は、判明した。
主に、日向日和さんのおかげで。
『撤退した祓魔師と鬼性種の少女が向かった先も教えておくね。多分そこが拠点なんだろう。この街に“千里眼”の使い手がいることを知らなかったのかね、間抜けなもんだ』
とのことで。
まったく日和さん様様だ、一生頭が上がらん。
「そう。ならちゃっちゃと済ませてきなさいな。どうせ今日は学校も休むんでしょ?」
「そうですね、優先すべきはそっちなんで」
「あたしとしては
彼女達の守るべき対象である学生の一人である俺は、できれば危険なことはせずに普通に通学して普通に勉強して普通に下校してくれるのが最善の行動だ。
少なくともこの双子さんにとっては。
ただ、俺にとってはやはり優先順位が違う。
二の次だ。学校も、それに関するものも。
自らが関わった人外との案件と比べれば、いくらやっても天秤は傾かない。
「…すいません」
だから、とりあえずそれだけ言って終わらせる。
「はあ…。悪いと思ってるなら早めにね。それまで反省文も待っててあげるから」
そういえばまだ反省文も提出してなかったな。やばい。
ーーーーー
「よっし、いい具合だ」
学校の敷地から出て、俺は両手を握って開く。
両腕の感覚が完全に戻った。閃奈さんのおかげで完璧に治ったようだ。
これで万全。鬼の子との約束通り、完治して行ける。
「…」
隣を歩く幸が、両手で長方形の紙を掲げてじっと見つめている。
閃奈さんと蓮夜さんから遠ざかっているからだろう。
「幸、先に言っておくけどさ」
「…?」
お札を凝視していた幸が俺を見上げる。
「あまり深くまでは潜らなくていい。表面上の程度で充分だ。お前は見てるだけでいい、もちろん痛覚も繋げるなよ」
見上げる瞳が、じとっとしたものに変わる。睨んでいるつもりらしい。
「もしそれでやばそうなら、また俺が指示する。だからそれまでは浅い状態を維持しててくれ。な?」
「…」
しばらく隣で俺の腰ほどしかない少女が俺をジト目で見ていた。前見ないと危ないと思うが。
「…(こくん)」
だが、渋々ながらに了解したのか、最後には浅く頷いてくれた。
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