MUSICALIVE

京元

第1話 三月

 撃ち抜かれた――愛美はそう感じた。


 彼らが音を出した瞬間、ステージで光が爆発した。暗いホールがぐわりと歪み、瞬く間に重低音とノイズで溢れ返った。


(何?)


 全身を音圧で押さえ付けられ、酷く揺さぶられる。空間じゅうにギターの音が渦巻きながら絡まり、耳をぎりぎりと締め上げる。重く鋭いドラミングと、腸を打つようにうねるベース、そして歌と言うよりは叫びに近い声が、動きを奪われた体を何度も貫いた。


(これは、何?)


 もっと間近で観たい。でも目の間には、自分よりも背の高い男達が壁のように並んでいる。愛美はじわじわと前へ寄り出した客の中で、壁の隙間を探した。


「愛美!」

「へ?」


 かすかに聞こえた叫びに振り向くと、すでに有希と離れていた。慌てて戻ろうとしたが遅く、周囲はガタイの良い客達に囲まれている。そのうちにどんどん前へ運ばれ、有希の顔は見えなくなった。

 流れに逆らえず、押されて揉まれる。そうして最前列近くまで押し出されて、ようやく目の前の人壁の隙間からステージ上が見えた。


「あ……」


 ステージ正面奥には、汗を散らしながらスキンヘッドを振るドラムス。左には外国人のような風貌の、背の高いベースが重低音を奏でている。右では金髪を振り乱したタトゥーだらけのギターが踊り、そして中心では、黒髪のボーカルがマイクへ噛みつくように歌っていた。抱えた赤いギターが揺れ、ボディに反射したスポットライトが眩しい。


(誰……?)


 目が、離せない。

 歌は切ない旋律と叫びを繰り返し、ノイズで創られた楽曲と絡み合う。それがうねりながらフロアへ叩きつけられ、たまらない爽快感を生んだ。後ろから伸びた手に頭を小突かれ、背や肩に何かがぶつかるのも気にならない。ただ愛美はそこに立ち尽くし、圧倒されていた。

 あっという間に迎えた一曲目のエンディングに、拳と歓声が上がる。曲の余韻を味わう暇もなく、ボーカルは正面を睨み、ガツリとマイクを掴んだ。


「ダイブ!」


 叫んだ直後、音が稲妻のように弾けた。息を吐かせぬほどの早いビートに客達は叫び、モッシュを繰り広げる。最中にいる愛美も、問答無用で全身を揺すぶられた。そのうちに前に立つ客の何人かが、背から後ろの客に飛び込み始めた。いわゆるダイブだ。


(すごい……)


 たくさんの手が、それがさも当たり前とでも言うように、飛び込んだ人間を支えてあちこちへ運んで行く。中には前に押し出されてステージに上がろうとし、ギタリストに蹴り落とされた者もいた。

 こんな光景を目の当たりにしたのは初めてだ。愛美が呆然としていると、すぐ前に立つ男がバンザイしたまま、勢い良く倒れて来た。


「キャッ!」


 男の体重を、身長百六十センチほどの女の子が支えられる筈もない。周りから伸びた手も間に合わず、愛美は仰向けのまま、あっけなく男の下敷きになった。

 目の前が真っ暗になり、頭に酷い痛みがはしる。圧迫された身をよじる隙もなく、やがて視界がチカチカと火花を散らした。


「おい、しっかりしろ!」

(無理、アタマ、痛い……)


 遠くから誰かの声が引き止めるが、体がまったく動かず、声も出ない。そのうち意識がぐるぐる回り、フェードアウトした。


   ◆


「――愛美、愛美」


 遠くで誰かに呼ばれた気がして、薄く瞼を開けた。


「まぶし……」


 剥き出しの蛍光灯が目に染みた。つい目をつぶると、今度はノイズのような耳鳴りがした。耳が爆音にやられてしまったようだ。

 誰かが傍にいるのを感じて再び目を開けると、有希の心配そうな顔が飛び込んで来た。


「気がついた? 良かった、このまま起きなかったらどうしようかと思ったあ」

「有希……あれ、何で?」

「愛美、どっかのデブ男に潰されちゃったんだよ」

「潰され、た……?」


 愛美は記憶と現状を繋げようと、もやのかかった頭を懸命に働かせた。

 今夜、有希と一緒に初めてライブハウスへ来た。

 単純に興味があった。知らない世界を、音楽を知りたかった。ただ、ラストまではいられない。家の門限に間に合うように、有希のお目当てのアフロバンドを観たら帰るつもりだった。それなのに、次に出番だった彼らが最初の音を出した瞬間、動けなくなった。むしろ前へ出てしまい、ダイブの下敷きになった。

 ――あの、撃ち抜かれたような強烈なインパクトは何だったんだろう。今も強く心に残っている。

 疼く頭を押さえながら考えていると、有希の向こう側から男が顔を見せた。


「大丈夫か? ごめんな、俺らの客、荒っぽくって」


 すまなそうに眉を寄せたのは、あのバンドのギターボーカルだ。

 勝手にダイブして来た男が悪いのだから、別に彼が謝らなくても良いのだが、何とも申し訳なさそうな顔をしている。愛美も何だかバツが悪くなり、有希の手を借りてゆっくり起き上がった。


「いたた……」

「やっぱ、頭打ったみたいだな。冷やしたほうが良い、タンコブになってるかも」

「そうだね。愛美、痛む?」

「ううん、大丈夫……ありがと」


 彼が差し出した濡れタオルを、有希が受け取って後頭部に当ててくれた。


「あ、マジ腫れてる。病院、行く?」

「ううん、こんなの、すぐ治るよ」


 有希が支えてくれているタオルに手を伸ばし、自分で当て直した。本当に腫れている。タンコブを作ったのは何年ぶりだろうと思いながら、愛美は部屋の中をゆっくり見回した。

 殺風景な室内はくすみ、天井も染みだらけで、誰かがふざけてやったのか、半分ほどオレンジに塗られている。壁にはあちこちに、今まで出演してきたバンドが残したと思われる落書きがあった。

 部屋の中心にはちぐはぐな高さのテーブルが並べられ、上にはオブジェよろしく盛られた吸殻の山がある。その周りには不揃いな丸椅子がいくつかと、愛美が座っているグレーのソファが並べられていた。

 床にはケースに収められた楽器や機材がたくさん置かれていて、時折誰かが運び出していた。


「……もしかして、ライブ、終わっちゃったんだ」


 深い溜息を吐くと、有希が応えてくれた


「うん、残念だけど、ね」

「もっと見たかったな」

「え?」

「すごく格好良かったです、あなたのバンド」


 精一杯の気持ちをこめて、彼に伝えた。すると彼は少し不思議そうな、そして何か言いたそうな顔をした。


「へーえ、良かったじゃん雄介、褒められてさあ」


 隣の有希がわかったふうにニヤニヤしながら彼――雄介を横目で見やる。雄介は複雑な表情だ。初対面の相手に変なことを言ってしまったかとドキドキしていると、ふいに長身で金髪の男が現れた。


「ゆーすっけくーん……あ」


 雄介の隣で踊っていた、タトゥーだらけのギタリストだ。彼は愛美を見るなり、目を輝かせて寄って来た。


「目、覚ましたんだカノジョ。へーえ、けっこう可愛いじゃん。コウコウセイ?」


 まるでナンパするような軽い調子に、雄介が眉を寄せた。


「うわテメ、来んな」

「良いだろ、お前のトモダチは俺のトモダチ。仲良くしよーぜ」

「するかボケ、あ、ちょっ」


 金髪は有希と雄介の間に無理やり割り込むと、有希へにっこり微笑んでから、いきなり愛美の手を握った。


「可哀想になあ、痛かっただろ」

「え? は、はあ」

「アタマぶつけたんでしょ、まだ痛む? 辛かったら、俺が抱っこして送ってやろうか?」

「ちょ、止めろって。オマエなれなれしいって」


 雄介がむっとして制止するが、金髪はにやにやしながら愛美の頬に右手を伸ばした。そしてごく自然に、キスでもするように唇を寄せた。


「あの、待っ……」


 一体何を考えているのかと、とがめる間もない。体をよじり逃れようとするが、金髪の手がそれを許さなかった。あっという間に距離を詰められ、愛美は咄嗟に叫んだ。


「うわーっ!」

「ぐえっ!」


 頭を思いっきり下げた拍子に、ごいんと鈍い音が響いた。続けて金髪が短く響き、頬から手の感触が消えた。額の真ん中が痛い。おそるおそる目を開くと、金髪が鼻を押さえ俯いていた。どうやら額を当ててしまったようだ。


「ひって……」

「おいおい、大丈夫かタツ?」

「やわ……ハナ……」


 タツは両手で鼻を挟んだまま、呻きながらゆっくり立ち上がった。合わせた両手の隙間から、赤い血が一筋、ゆっくりと伝って行く。雄介は呆れ笑いを洩らしながらジーンズの尻ポケットを探った。


「ザマーミロ、自業自得だ……ちょ、有希。ティッシュ持ってね?」

「あ、ない、かも」

「じゃ、アンタは?」

「……あ、ええっと……」


 問い掛けられ、愛美がポケットをのろのろ探る。だが残念なことにティッシュはなかった。


「ありま、せん……」

「マジか」

「もーひい。ひくひょう、ほもえてろ、このふぁかおんにゃ」


 不鮮明な悪口を愛美に投げつけると、タツは背を丸めて足早に出て行った。愛美と有希が唖然として見送る一方、雄介は腹を抱えて笑った。


「バカ、マジバカタツ! 鼻血ってダッセーっ!」


 よほどウケたのか、ひいひいと苦しそうにしながら目尻を指先で拭っている。だが愛美も有希も笑えなかった。


「どうしよう……」


 焦る愛美の額に冷や汗が滲んだ。

 無理に顔を近づけて来たタツが悪いのだが、かなり痛そうだった。万一骨でも折れていたらと思うと、頭から血の気が引いていく。


「大丈夫かな……あの、今すぐ病院とか行った方が」

「あ? 大丈夫だろ。つうか、アイツが悪い」

「でも」

「気にすんなよ、多分大したことないから。それにアイツ、にわとり頭だし」

「え?」

「三歩あるいたら忘れる」


 雄介は笑いつつ、青いネルシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。一本くわえて火を点けるのを見ながら、有希が不機嫌そうに呟いた。


「って言うか、あんな本格的にバンドやってるなんて聞いてないし」

「ん? ああ、言ってなかったっけ」

「うん。もう田中ともやってないし、てっきり止めたんだと思ってた。言ってくれればもっと早く観に来たのに」

「悪い、ちょっと忙しくってさ。それに俺ら、アフロかぶんねえし」

「え、何それ」


 一瞬ぽかんとした有希へ、雄介は一服しながら苦笑いした。


「だってお前、アレ観に来たんだろ」

「アレ?」

「アグレッシブ・アフロ」

「そうだけど……何で知ってんの? って言うか、知ってるなら尚更、声掛けてよね」

「遠慮しますよ島野サン」

「何で?」

「一月の終わりに知り合いのライブ観に行ったらあの人達も出ててよ。そこで、お前がすげえニヤニヤしながら踊ってんの見て、ぶっちゃけ引いた」

「えー、ちょ、ソレひどくない?」


 有希が唇をとがらせると、雄介はあいまいに笑い、テーブルに放置された缶コーヒーの中へ煙草を捨てた。

 会話や雰囲気から察するに、どうやら有希と彼は知り合いらしく、しかも親しいようだ。どういう関係なのか訊きたい気持ちが湧いたが、愛美はそれをすぐに押し込めた。雄介と初対面なのに、有希との仲をあれこれ詮索するようで気が引けたからだ。

 ぶつぶつ文句をたれる有希を放って、雄介は床に置かれたギターのハードケースへ手を掛けた。


「さ、俺もそろそろ運ばなきゃ。ここはしばらく開けとくってスタッフさんが言ってたから、もうちょい休んでけば?」

「あ、うん……」


 愛美が小さく頷くと、雄介も頷いて微笑んだ。束の間流れた穏やかな空気に、有希が少し眉を寄せた。


「なーんか、愛美には優しいんだ、キモッ」

「いやアフロ愛してるお前も充分キモいし」

「あ、何か言った?」

「何でもないデス」


 有希のキツい口調に目を逸らし、雄介は楽器を携え出て行った。


 その少しあとに横田というスタッフが来て、謝罪とともに愛美の状態を確認した。そして、もしこのあとに具合が悪くなったら必ず連絡を寄越すようにと言って、携帯番号が書かれた名刺を置いて行った。


「何か、温和なクマみたいだったね」

「確かに。不精ひげだしね」


 有希の例えに愛美も笑う。その間も楽器の搬出は続き、やがてすべての楽器が持ち出されたころ、再び雄介が顔を出した。愛美と有希もちょうど帰宅の用意を終えたところで、彼に見送られる格好になった。

 楽屋から出て人気のないエントランスを通り、階段を上って地上へ出ると、外はすっかり冷え込んで雪がちらついている。愛美が思わず見上げると、空は白く濁り、周囲のネオンがやけに光って見えた。


「じゃあまたね、雄介」

「おう、気ィつけてな」


 素っ気ない返答へ、有希は顔をしかめた。


「次はちゃんと教えてよね、ライブの予定」

「気が向いたら」

「絶・対・に! 約束だからね、証人いるんだから忘れないでよっ」


 有希が愛美の左腕を取ってぶんぶん振り回し、証人の存在を強くアピールする。雄介は少し目を泳がせたあと、遠慮がちに愛美を見つめた。


「えっと……良かったら、樋田さんもまた観に来てよ」

「あ、うん。ぜひ」

「うん。あ、それから、アタマお大事に」

「うん、ありがと」


 雄介の言葉はぶっきらぼうだ。だが愛美には、かえって本心から気遣ってくれているよう感じられた。もしかしたら彼は不器用なのかもしれない。そんなことを感じながら、愛美は有希とともに別れの挨拶をして歩き出した。


「ねえ愛美、歩いてキツくない?」

「うん、大丈夫。触らなかったら、もう痛くないし」

「そっか。何か……ごめんね」

「何で? 有希、全然悪くないじゃん。私の運が悪かっただけだって」


 申し訳なさそうな有希に対し、愛美は笑って見せた。

 痛い思いはしたが、とても鮮烈な夜だった。爆音に貫かれた感触は、耳鳴りとともにまだ生々しく残っている。そして雄介の歌声も――そこまで思い出し、愛美は自分が自己紹介しなかったことに気がついた。


(でも、私の苗字を知っていた)


 もしかしたら有希が教えたのかもしれない。愛美は自分の中でそうオチをつけた。

 角を曲がるついでに振り向けば、彼はまだ留まり、寒そうに身を縮ませながら手を上げる。有希と共に手を振り返した後で、愛美は再びライブを回想し、密かに感動を味わった。

 今度はいつ観られるだろう。楽しみが増えた分、つまらない日常もそれなりに楽しく過ごせそうな気がする。とりあえずは帰宅を待っている母へ、遅くなってしまった言い訳を考えなければならない。


「ね、有希?」

「ん?」

「今日のライブ、来て良かった。また連れてってね」

「うん、もちろん!」


 有希の言葉に愛美は大きく頷き、疼く後頭部をさすった。今夜はピアノのレッスンを延長して貰ったと言おう――愛美はそう考えながら、午後十時をすぎてしまった腕時計を眺めた。


 まだ雪が残る三月の夜の出来事だった。

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