YANKEE AND BITCH

京元

第1話 Ready 1

「まったく、俺としたことが逃げ遅れるなんて……」


 先ほどのガサ入れを思い出し、慎吾は自嘲しながら辺りを見回した。

 飾り気のまったくない部屋の小さな窓には、頑丈な鉄格子がはまっている。通路側の壁もドアも鉄格子で、排泄の瞬間すら隠せない。離れた所から監視の目線が常に注がれる、プライベートゼロの「留置場」に、彼は囚われていた。

 狭い簡易ベッドから身を起こし、ゆるいウエーブのかかった金髪をかきあげる。薄い紫色のジャケットを着て、刺繍の施された高そうなジーンズを穿いている姿は、どこかの金持ちの息子といった風情だ。たが品の良い素振りを装っていても、ふとした瞬間の目がすこぶる鋭く、カタギの人間かどうか疑わしげに見えた。


「七番、おい七番!」

「あ?」

「名前を言いなさい」

「……小島、サトシ」

「出なさい、早く!」


 ドアが開けられ、警官が居丈高に吐き捨てる。慎吾はゆっくり立ち上がり、イライラとせっつく警官に伴われ、留置場をあとにした。





「どうぞ座って楽にして、小島サトシくん」


 既に来室していた署長の京田は、慎吾を被疑者用のパイプ椅子へ座らせた。

 ここは首都近郊にある海原市中央警察署三階、第一取調室だ。新築したばかりの小綺麗な室内には、おそらくどこの取調室もそうであるように、事務机とパイプ椅子、監視用マジックミラーが配置されている。

 京田は慎吾の向かいへ座り、薄い番茶を勧めると、引率してきた警官に人払いと退出を命じた。


「さて、と。これで大丈夫。悪いね、打合せが署長室じゃなくて。小島──いや、榊君」

「いえ」

「とりあえず今回の潜入は終了だ。いつも最後は留置場でゴメンね」

「仕事ですから……あの、署長。今年のゴールデンウィークの代休、ちゃんと貰えるんですよね?」


 慎吾が横目で窺うと、京田は目を泳がせた。


「んー、み、三日ね」

「ハァ? 俺が一体どんだけ潜ってたと思ってんですか、春からですよ、春から! 休みはない、有休は流してばっか、おまけに常に命がけ。こんな状態で、任務後にインターバルも取れないなんて、アンタ、俺を殺す気か!」

「じ、じゃあ奮発して五日あげるから。ごめんねえ、アンダーカバーは人員不足でさ」


 京田は拝むように手を合わせた。


「頼むから、辞めないでね。君みたいにSAT出身で体力ある優秀な人材、中々いないんだよ」

「死んだら益々人員不足ですよ? 他の奴等より危険度高い分、休まなきゃ死んじまう」

「そうなんだ。そうなんだけどね、今、ちょっとマズイんだ」


 整った長い眉を寄せると、京田は胸元から金色のシガレットケースを出した。続けて中から細葉巻を抜き、慎吾をちらりと見やった。


「吸う?」

「頂きます」

「煙草吸うと体力落ちるよ」

「じゃあ勧めんな」


 仏頂面の慎吾に一本くわえさせ、続けてその先端へ、ダンヒルのライターを近づけた。軽い着火音が響き、互いの煙草の先端が燃える。やがて紫煙が広がり、バニラに似た甘い芳香が満ちた。


「良い味だろ? キューバ産なんだ」

「美味い……良い趣味してますね」

「行きつけのシガーバーから、こっそり分けてもらったんだ。今度、一緒に行こうか」

「じゃあ、そのうちに」


 あてのない口約束は、どちらにとっても社交辞令のようだ。しばし芳醇な煙を味わってから、京田はようやく切り出した。


「先日管内であった襲撃事件の話、聞いてる?」

「概要だけですけど」

「そうか」


 京田は目を伏せて紫煙を吐いた。

 最近、管内の歓楽街で怪しい動きが相次いでいる。目をつけていた幾つかの裏組織が潰れたり、合併しているのだ。その一方で新たな組織が台頭しつつあり、同時に夜間徘徊する若者を中心に、麻薬汚染や売春などの不法行為が広がっている。京田は現在、その実態を把握しようと動いていた。


「新興勢力……潜ってた組でも噂は聞きました。でも例の二大組織の派ではないとかで、情報がなくて」

「うさん臭いだろ」

「ええ」

「これ以上増えたら困るし、ましてや連中の間で手打ちなんかされたら、この街はよってたかって、メチャクチャにされるだろうな」

「でしょうね。そうなったら被害は拡大、エリート署長の出世にも響く」

「そうそう。行く行くは警視総監になりたいからね。その時は君を警視庁捜一課の課長にしてあげるよ。そして僕の右腕として……」

「絶対イヤです」


 間髪入れず拒絶される。京田は気を取り直すように咳払いしながら、オールバックを撫でつけた。


「……そんな訳でね、君が休んでる間に用意しとくから。詳しくは改めて遣いを出すよ。休み中はあそこにいるんだろ?」

「はあ、まあ多分」

「あの、喫茶店やってる情報屋って、君の恋人かい?」

「違います」


 あっさり吐かれた否定に、京田はにっこり笑った。


「そう、なら良かった。気をつけてね。アッチの人間と警察関係がツルんでるのが大っぴらになると、マスコミとか世論とか、対外的に面倒だからさ」

「分かってます」

「で、具体的な話、今回はメインバックアップを一人付けるよ。五日後にソイツを遣いに出すから、それまで休んでて」

「誰ですか?」


 イヤな予感に、慎吾が眉を寄せる、それを見ながら京田は小首を傾げた。


「んーっと、マル暴のはぐれヤンキー純情派?」

「またアイツですか! つうか、何で捜一の人間じゃなくて、あのバカなんですか?」

「いやあ、マル暴の課長から、色々経験させてやってくれって頼まれちゃってさ」

「だからって、何で? 俺と相性悪いっての、知ってますよね」


 本気のイラつきが舌打ちになる。だが京田は折れなかった。


「そこをさあ、何とか頼むよ。ほら、慎吾ちゃんのアバズレ的な魅力でさ」

「は?」

「だって、今までの、彼以外のバックアップは全部食っちゃったんだろ?」


 もれなく聞いているんだとニヤつく京田へ、慎吾はムカついた視線を送った。


「チッ……つうか、俺も相手は選んでるんで」

「じゃあ彼は?」

「論外」

「そう、それは残念だね。でも、仕事だからさあ、今回だけにするから頼むよ」

「……ハイハイ」


 上司から言われれば、基本的に拒否は出来ない。それが警察組織というものだ。任務の選択に部下の意見や感情は反映されない。

 他に簡単な打ち合わせを済ませ、慎吾は京田にバイバイされながら取締室を辞した。


「またあのバカと組むのかよ……」


 玄関へ向かう途中で、苦々しい気持ちがつい洩れた。

 ヤンキーというあだ名の通り、そのマル暴の刑事は気が荒く生意気だった。

 仕事は出来る。正義感も、責任感も強い。しかし捜査の主導権はこちらにあるのに、素直に指示に従うという態度がまったく見られない。おまけに向こうも慎吾を良く思っていないのが、彼の全身からありありと伝わって来る。そんな相手と組むのは正直、非常に苦痛だ。

 いら立ちまぎれに壁を軽く殴りつけながら階段を降りると、すれ違う内勤の連中が訝しげにこちらを見て来る。慎吾は眼を合わさないようそっぽを向き、足早に一階を目指した。


 それにしても、キナ臭い話だ。

 新興勢力の台頭、塗り替えられつつある裏の世界のパワーバランスを、絶対に見過ごす訳には行かない。小さな芽のうちに、潰さねばならない──潜入明けで疲労の濃い慎吾に、再び強い想いがたぎった。

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