第十一章 皐道場の危機


 死可沼流皐道場でも細川唯継の鍛えた剣がツバナリりを起していた。

 剣と剣が共鳴し合っている。剣を抜かなければならない危機が、ひたひたと忍び寄ってくる。今風にいえば、ツバが音を立てるのはアラームのベルだ。


「吸血鬼の襲撃だ。臨戦態勢をとれ」


 師範代、久野の声だ。

『吸血鬼の襲撃』その言葉を久野も先生から聞いてきたばかりだ。


「特Aランクの実戦だ。くりかえす。特Aランクの実戦だ。これは訓練ではない」


 劇画調のアナウンスだが、マイクから流れてくる久野の声は緊張していた。1メートル85もあり、平常心を失うような男ではない。剣の道で鍛え抜いている。やわな男ではない。それが、声を高くはりあげている。声をふるわせている。


 むりもない。伝説だった。話でしか聞いていなかった。吸血鬼、の襲撃。それがいま現実となっている。犬がほえている。日が陰ってきた。


 吸血鬼などこの世に存在するはずがない。昔からこの地方に伝えられ、炉辺で語り継がれてきた〈鬼〉伝説だ。この世に、吸血鬼の襲撃が実在するなんて、信じていいものなのだろうか。隣町、栃木の大中寺の青頭巾の話は日本で最初の吸血鬼小説だともいわれている。でもすべて伝説だと、いままでないがしろにして来た。

 

2


 久野たちの修行の道場であった空間が、ふいに奇怪な異空間とまざりあっている。怪異な空間と溶け合ってしまった。あの黒川夏子という娘が道場にきたからなのか。


「半弓を用意するんだ」

 古武道の道場である。武芸百般とまではいかないが、弓道、柔術は鍛練教科にはいっている。


「皐の矢ジリのついた矢を持ってこい」


 西中学剣道部の荒川は道場にいた。くわえて柔道部の福田、弓道部の加藤が師範の命令にしたがって厳しい顔で働いている。


「中学生は参戦させないほうがいい」


 久野がだれにいうともなくつぶやく。迷いがあった。中学生が怪我でもしたら……。


「かまわぬ。責任はおれがとる。会津の白虎隊の故事がある。荒川、福田、加藤もこれからの鹿沼を守っていかなければならない若者だ」


 師範の幻無斎の命令だ。


「みんな。若ものに怪我させるなよ」


 久野が道場生に念をおす。


「オス」


 と元気な声が異口同音に応える。

 刺す木、皐の矢は、いかなる悪霊おも刺しとおすと古来からいわれていた。

 半弓を持ったものに混じって、諸葛弩(しょかつど)を構えているものがいる。

 諸葛孔明の発明という。連射10本のすぐれものだ。こうした武器が備蓄されていたということは、吸血鬼の存在と襲撃を予期していた道場主がいたということだろう。

 あるいは、過去に吸血鬼の襲撃にあい、こうした武器が有効だという実体験をしたものがいたのか。

 鹿沼土によって栽培された皐を削った矢ジリ。 矢の先の突き刺さる部分は鉄製が普通。古くは石、骨を使った。だが、ここ皐道場では、皐の矢じりだった。今、まさに、それが吸血鬼に有効かどうかためされようとしている。道場始まって以来の危機がそこに迫っている。


 そして胸に対しての突き技のおおい死可沼流の剣技。

 心臓部を突きぬくような激しい技。

 首を切り落とすとしか思えないような攻撃。

 すべてが人間を相手にした流派ではなかったのだ。

 それらは、吸血鬼を敵としての修行であった。そう理解すればまことに理にかなった剣の修行であったと、久野はいまさらながら納得した。

 それを、その理論を証明できる機会が訪れたのだ。


 くるぞ。くるぞ。不安はある。でもひるむことはない。  


3


 ざわざわと狂念が吹き寄せてくる。


「この異様な殺気はひとの放つものではない。ひるむなよ」


 荒川、福田、加藤は師範代の久野に励まされた。


「オス」

 勇ましい気合のこもった声で三人が応える。

 道場生もひるむどころではない。取得した剣の技を存分に振るえる時がきたのだ。久野たちは武者震いしている。

 道場の違い窓が閉ざされていく。加藤の前の窓はあけられたままだ。

 引き絞った半弓。見えた。黒い影。木陰に見え隠れしている。

 ピュと矢をいる。

 異形のモノがケヤキの影からのっそりと現れた。


「胸か、喉仏をねらえ」


 足に突き立った矢をもぎとっている。二ャリと笑う。平然と近づいてくる。ピュー。ピュー。ピュー。隣りのセンパイが諸葛弩から矢をたてつづけに放なった。


「あたった。融ける。中田センパイ。敵が融けちまった」


 中田は二の矢を十本いっきに補給する。

 加藤の顔がきびしくひきしまる。

 加藤も西中学の弓道部のメンツを賭けて、ヒョウとはなつ。

 吸血鬼の喉元にみごとに当たった。

 吸血鬼はよろめく。ジューと融けていく。矢ジリは皐でできている。トリネコ、セイヨウサンザシ、ビャクシンなどと、同じような効果があることが。これで証明された。トリネコの杭を打ち込んだと同じだ。

 グワッという獣の吠え声のような衝撃波。

 閉じたばかりの窓が内側にはじきとばされた。

 床が鳴っている。きしみながら反り返る。波打っている。

 分厚い檜の床がひびわれそうだ。

 屋根の瓦が空に舞い上がる。

 半開きの窓から弓をかまえた道場生は、それを見ている。タジロガナイ。

 連射して、吸血鬼を近づけまいと必死だ。

 刺す木。鹿沼特産の皐を矢ジリとした吸血鬼撃退アイテムの特殊な矢を射る。


 死可沼の地で皐が栽培されてきた理由を理解する。


 古代、天国の園丁であったという吸血鬼の死を可能とした死可沼、かぎりなくやさしい癒しの沼が道場の裏の森にひっそりと存在している。


 屠血苦墓(とちくぼ)と呼ばれていた。いまの〈栃窪〉溜めだ。

 神の宿る沼。

 死を望んだ吸血鬼が、死ぬことのできる沼。吸血鬼にとっては神の沼。屠殺されたように血を吐き苦しみながら死んでいく沼。


 吸血鬼の墓場。

 屠血苦墓。

 死を望まない吸血鬼にとっては癒しの沼なのだ。

 それでこそ吸血鬼が古代、この地に集まってきた。

 それでこそ吸血鬼との戦いの経験がこの地にはのこっていた。

 世の乱れを、吸血鬼の侵攻をくいとめる聖なる地。

 神の宿る沼。それがいつしか、神沼、、死可沼、鹿沼と呼ばれるようになった。


 その神なる沼の底を支えた土。神なる沼の土。

 鹿沼土で栽培された皐。

 その矢の効果をみて幻無斎は目を見張っていた。皐の矢の効果は幻無斎を満足させていた。すべては伝説ではなかった。歴史の中で起きた事実だった。



 おおきく歴史が変わろうとするとき、ほの見える鹿沼。

 近世では桜田門の変。刃こぼれひとつせず、敵に天誅をくわえた剣。水戸の浪士がふるった破邪の剣。鹿沼は稲葉鍛冶。細川一門が鍛えた剣であった。

 

 平時には、鹿沼特産の大麻を収穫する時に用いる農具。

〈麻切り刀〉を作る野鍛冶だ。

 その切れ味はいかなる名刀をも凌ぐといわれてきた。

 浪士のなかには、死可沼流の剣士もいた。その子孫がいまも生きている。

 その名剣が、魔倒丸を筆頭にまだいく振りものこっている。

 その剣士たちの子孫や名剣が吸血鬼をいま迎え撃っていると幻無斎は思う。


 感慨無量だ。

 

 ツバナリが高まっていた。久野師範代やそれに次ぐ面々がありったけの細川の剣を引き抜く。


「われらが鹿沼を守る。吸血鬼に対抗できるのは死可沼流の剣士のみだ」


 じぶんたちの土地はじぶんたちで守る。

 古代からひきつがれた古流剣法の教えだ。剣士たちの使命だ。

 愛する郷土を守る。加藤の顔が矢を射るたびに大人びてくる。戦いの中で精神的にも成長している。そんな仲間を福田が見ている。荒川が見ている。

 雷鳴がとどろく。稲妻が光る。コウモリの群れがいっせいに道場めがけて降下してくる。


「先生。討つって出ますか」と久野。

「いや、闇の中に出ては相手に有利になるだけだ」

「道場で迎撃するぞ」


 久野が道場生に激励の声をはりあげる。


「どうした。襲ってきませんよ」


 福田が柔道着の襟を両手でぴんと引き締めながら久野に聞く。


「いやもう来ている」


 幻無斎がわかい中学生の三人組をやさしい顔で見ながらいう。


「やっと現れた!!  待っていたぞ」


 血気にはやる荒川が、扉を開けて乱入した鬼島に斬りつける。

 とても中学生の太刀筋ではない。それも、初めての真剣だ。

 ビュという太刀の風を切る音を聞いた。鬼島は天井までとぶ。


「油断するな。上からの攻撃がヤッラの得意技だ」


 幻無斎が弟子たちに叫ぶ。床に着地した鬼島の腕を福田が取る。一本背負いで投げ飛ばした。壁に激突しても平気で鬼島は立ち上がる。



 道場のいたるところで戦いが開始された。

 吸血鬼のほうが数からいっても優利だ。倒しても、すぐ新手が立ち現れる。際限なく湧き出る感じだ。剣士のおおくは鉤づめで腕や胴を引き裂かれている。


「血を吸われるな」


 このときだ。隼人たちが血路を開き道場に駆けこんできた。


「よく駆けつけてくれた」

「どうやら、おじいちゃん、間に合ったようですね」

 隼人が近づくRFを後ろ手に斬り捨てる。


「わたしたちも共に戦います。生まれた家で、吸血鬼を迎え撃つのも運命です」

「争いの原因をつくったのはわたしですから」

 夏子も母の言葉に続けていう。

 鹿未来は細川の太刀を幻無斎から渡される。

 鹿未来は万感の想いをこめて幻無斎に目礼し、道場を見回す。

 鹿未来のなつかしさには、どれだけの時間が封じ込められているというのか。

 鹿未来。

 夏子。

 雨野。

 隼人。

 四人が毅然と道場に立っている。


「さすがと夏子さまほめておきましょう。よくこちらの道場を襲うとわかりましたね」


 鬼島が余裕のある声でいう。となりに田村も並んでいる。

 ふたりともナイフを光らせている。

 シャカシャカと音で威しながら迫ってくる。

 はじめから夏子をねらっている。

 隼人が魔倒剣をかまえて夏子の前に出る。

 危機をしらせてくれた鍔鳴りは止んでいる。

 刀身が白く光る。

 武者窓がコウモリの激突でひびわれた。

 無数の鋭い歯で分厚い板壁に穴が開いた。

 穴はみるまに広がり黒い邪気がふきこんできた。


 コウモリの大群がなだれこんできた。

 ギイという絶叫。

 肉をしゃぶるような咀嚼音。波状攻撃がつづく。

 無数のコウモリが空間にみちる。

 めげずに、隼人は敵の群れに踏みこむ。毎日、踏みなれた道場の床だ。過酷な修行をつづけてきた場所だ。この神聖な道場をブラックバンパイアに踏み荒らされることは許せない。この道場に侵入したことを悔やませてやる。夏子に害意を持ち、敵対する者は斬り捨てる。隼人は本気で彼らを敵とみなした。


「いくぞ」

 セツナ、剣は田村と鬼島のフタリの胴をないだ。空を斬った。

 ビユンと弓がなった。加藤が天井に飛び退いたフタリを連射した。みごとに田村の足と鬼島の腕を射ぬいた。

「すごいぞ。加藤」と隼人。ビユンと弓の弦が鳴る。10連射のきく諸葛弩が威力を発揮する。吸血鬼の喉に矢が吸いこまれていく。

「円陣をつくれ」

 床には緑の粘液が流れている。倒されたRFは溶けて粘液となる。皐、刺す木で射ぬかれると溶けてしまう。真正吸血鬼であっても再生できない。緑の粘液の海からは、怨嗟の声がする。ギシュギシユと恨みの声が渦巻いている。


6


「円陣を組め」

 幻無斎の声が響き渡る。弓の矢はつきようとしていた。半弓を持ったものたちを中心にすえた。剣をもったものが外側を固めた。吸血鬼とそのRFがジリジリと迫ってくる! 

「夏子」

 隼人が夏子と鹿未来の前にかけよった。剣を得意の地ずりのにかまえる。


「斬りこむのは待って。これ以上の殺傷はごめんだわ。犠牲がおおすぎる。鹿人どこにいるの? ……わたしが説得する」

「お母さん、試したいことがあるの。協力して。隼人、母とわたしの髪をギターの弦にみたてて、刀のミネで弾いてみて」


 ふたりの髪がねじり合された。ふとい髪の弦が即座にできあがった。

 ギターよりハープにちかい。

 

 隼人は黒髪の弦を剣のミネで弾く。

 可聴ぎりぎりの……しかし妙なる音が流れだした。

 闘争本能むきだしであったRFの動きが乱れた。

 糸の切れたマリアネットのようにギクシャクした。


「効果ありね。もっとつづけて」


 鹿人がRFの背後で実体化した。

 人型はとれず、吸血鬼のままの顔がひきつっている。

「夏子。どこでこんな技を?……」


「欧米のあらゆる芸術家との心の交歓を一世紀にわたって経験してきたわ。わたしの心に蓄えられた彼らの芸術に捧げた純粋な心、美神への賛美の心の叫びは、あなたたちに苦痛を与えるのね。あなたたちの邪心を浄化してあげたいの。お兄さま、争いは、やめて」


「そんなバカな」

 隼人は人気絶頂の葉加瀬太郎の気分になっていた。肩をゆすってメロデーにのる。鹿人とそのRFにむけて、黒髪の弦から音をたたきつけた。


「やめろ」

「やめてくれ」

「くるしい」

「くるしいぞ」


 暗雲のように道場を満たしていたコウモリが逃げていく。

 血吸鬼の姿が薄らいでいく。

 吸血鬼の気配が消えていく。

 夏子が泣いていた。……どうしてこうも争うの。人はなにを考えているの。

 この世を支配するだなんて。どうやって? なにを考えているのかしら。


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