第47話・イタズラ×気分
俺は夢を見ている時、それが夢だと分かる時がある。少なくとも俺の場合、心地良い感覚を味わっている時はそれが夢だと気付く。
その感覚は例えるなら、じいちゃんの家にあったゆらゆらと揺れる椅子、確かロッキングチェアって言ったかな。あれに座って穏やかに揺られている様な感じだ。
「――ちゃん」
穏やかな眠りの世界に居る俺の耳に誰かの声が聞こえてきた。
そして少しの間その声が聞こえたかと思うと、次は身体が大きく揺さぶられ始める。
「お兄ちゃん、起きて」
「もうちょっと……」
「えーっ? あとどれくらい?」
「あと五――」
「5分?」
「五十年……」
「お兄ちゃん、即身仏にでもなりたいの?」
ぼやけた頭で何だかこんなやり取りをした事があるような……などと思っていると、俺の頭にビシッと鋭い衝撃が走った。
「いって! 何すんだよ杏子」
「お兄ちゃんが起きないのがいけないのよ」
むくっと上半身を起こすと、そこには杏子に美月さん、そしてまひろの姿があった。
そのまま辺りをゆっくり見回していくと、既に昨日から場所取りをしていたほとんどの場所で花見という名の宴会が始まっている。
ポケットから取り出した携帯を見ると、時刻は午前9時30分を表示していた。
「もうこんな時間だったのか」
「おはよう龍之介。場所取りありがとうね」
「おはようございます。龍之介さん」
「おはよう二人共」
欠伸を出しながら傍らに視線をやると、そこには気持ち良さそうに眠っている茜の姿。
――くそう……俺が安らかな眠りから叩き起こされたというのにすやすやと寝やがって。
「あっ、そうだ」
俺はニヤリと笑みを浮かべ、傍らで眠る茜の耳元にそっと顔を近付けて行く。
「お兄ちゃん何やってるの?」
「んふふ。なーに、ちょっとしたイタズラだよ」
杏子の問いかけに答えた後、俺は再び茜の耳元へと口を近付ける。
「茜、起きろ。朝だぞ」
まるで恋愛物語に出て来る主人公の様に甘く囁いてみる。
しかしこちらの期待とは裏腹に、ターゲットからの反応がまったく無い。
――ちっ、こんなんじゃダメか……もっと刺激的にいってみるかな。
「起きろ茜、早く起きないとほっぺにキスしちまうぞ?」
我ながらむず痒くなる事を言っているとは思うけど、イタズラをするなら徹底的にやらないと意味が無い。
「ん……」
――おっ、反応ありか?
茜の口元が僅かにだけどニヘッとなった。それを見た俺は更なる追い討ちをかけるべくさっきよりも甘く耳元で囁く。
「早く起きろよマイハニー」
「んんっ……」
耳に優しく吐息を当てると、茜は艶っぽい声を出して顔を紅くする。
さすがにこれには目を覚ますと思い顔を覗き見たが、どうやら起きはしなかったようだ。
そして茜が起きないと思って完全に調子に乗った俺は、普段なら絶対に口にしない止めのセリフを耳元で囁いた。
「茜、早く起きろよ。大好きなお前の笑顔を早く俺に見せてくれよ」
我ながら何と歯の浮くセリフだろうか。人生で一度は恋人に言ってみたいセリフだ。
「な、ななななっ!?」
ニヤニヤしながら自分のセリフに悶えていたその時、俺の耳に茜の声が聞こえてきた。
「あ、あれっ!? 茜さん? もしかして今の聞いてたかな?」
「い、今の言葉、ホント……?」
横たわったままの体勢で俺を見つめてくる茜。
――やべえ……何とか誤魔化さないと俺の命が消える。
「いやあ~、あれはだな……」
「お兄ちゃんは茜さんに悪戯をしてたんですよ」
「バ、バカっ!」
――何て余計な事を言ってくれやがるんだ杏子の奴! そんな事実をありのままに伝えたら俺が死ぬじゃないか!
「イタズラ?」
低い声でそう言いながらむくっと上半身を起こしてゆっくりと寝袋のファスナーを下ろしていく茜。
顔を俯かせているからその表情は読み取れないけど、間違い無く笑顔ではないだろう。なぜならその雰囲気からは凄まじいまでの悪寒を感じるからだ。
もしもこの場面を漫画で表す事ができるとしたら、きっと茜の背景には燃え盛る炎とゴゴゴゴゴッという効果音が見えるだろう。
「あ、茜さん? 落ち着いて聞いてくれよ?」
「何? 遺言なら聞いてあげるけど?」
俺の淡い望みも虚しく、もはや茜の中には極刑以外の選択肢は無いらしい。
「……遺言は無いみたいね」
俺が何も言えずにいると、茜は右手を力強く握り込んで肘を後ろに引き処刑の準備を開始する。
そして目の前に居る茜の顔がスッと上がると、その鋭い視線が俺を捉えて金縛りにした。まさに蛇に睨まれた蛙状態とはこういう事を言うのだろう。
「ま、待てっ!」
「龍ちゃんの……バカ――――――――ッ!」
「ほげら――――っ!」
花見の朝一番。俺は茜のメガトンパンチを腹に受けて本日二度目の夢の世界へと誘われる事になった――。
それからしばらくして茜のパンチから目覚めた俺は、みんなと一緒に花見の準備を始めた。危うく花見をする前に天国を見に行く破目になるところだったけど、どうやら天国には行かずに済んだ。
「そういえば杏子、頼んでおいた飲み物は買ってきてくれたか?」
「もちろんちゃんと買ってきたよ。重かったんだからね」
杏子は沢山の飲み物が入った袋を俺に見せて褒めろ褒めろと言わんばかりに頭を俺の前に突き出してくる。
「はいはい、杏子は偉いな」
とりあえずそんな杏子の頭をよしよしと撫でる。こういうのを拒否するとうるさくてかなわんからな。
「えへへ~」
まるでチョコレートが溶けていく様に表情を緩ませる杏子。これで満足してくれるんだから安上がりな妹だ。
「龍之介さん、荷物運びは私も手伝ったんですよ?」
すると今度は期待に満ちた目をしながら美月さんが頭をこちらへと出してきた。
「み、美月さんも偉い偉い~」
まるで妹がもう一人増えた様な錯覚に陥りながらも、空いている方の手でその頭を撫でる。
「りゅ、龍之介。僕もその……手伝ったんだよ?」
右手で杏子の頭を撫で、左手で美月さんの頭を撫でていた俺を正面から上目遣いで見てくるまひろ。
――何この可愛い生き物! 両手で撫で回したい!
思わず思いっきり撫で回したくなる可愛さのまひろ。
だけど俺はその衝動をグッと抑える。だってまひろは男だ……男なんだ……。俺はその真実を前に思わず涙が零れそうになってしまった。
「ほ、ほら、今は両手が塞がってるしさ」
「そ、そうだよね。ごめんね、龍之介……」
しゅんと残念そうに俯くまひろ。
そんな様子のまひろを見ていると、全てをかなぐり捨ててでもまひろの頭を撫でてやるべきだったと激しい後悔の念に駆られてしまう。
「むう……」
そしてそんな俺をチラチラと見て膨れっ面をしている茜。何なんだこの状況は。
二人の頭を撫で終えた俺は杏子達の買ってきた飲み物の袋を開けて中を見た。
――あれっ? 俺は確かみんなで飲めるジュースやお茶を杏子に頼んだはずだが……。
袋の中には見た事の無い柄の缶が所狭しと入っていた。
一見するとお茶やジュースの類には見えない。まさかとは思うけど確認はしておくべきだろう。
「杏子、これって何だ?」
「ん? 何って飲み物だけど?」
「いや、それは見れば分かるんだけどさ。まさかアルコールじゃないだろうな?」
「そんなわけ無いでしょ。私達未成年だよ? アルコールなんて買えるわけ無いじゃない」
「まあそうだよな……」
「そうだよ。それに気になるなら中の商品を取り出して見てみればいいじゃない」
確かに杏子の言うとおりだ。それが一番手っ取り早い。
一番簡単な方法を失念していた俺は、言われたように袋の中の商品を一つ取り出して見た。
――はっ? お酒気分?
取り出した缶には確かにそう書かれていた。俺はその缶を傍らに置いてからもう一缶を袋から取り出してみる。
――今度は酔いどれ気分?
それから俺は次々に袋の中の缶を取り出した。
アルコール気分、泥酔気分、陽気な気分、吐きそうな気分と、様々な気分シリーズが次々と出てくる。どれもこれもお酒を連想させる商品名ばかりだ。最後のに至っては絶対になっちゃいかん気分だろうと言いたくなってしまう。
「杏子、これってお酒じゃないのか?」
「お兄ちゃん、ちゃんと表示を見てよ。それノンアルコールだよ?」
杏子にそう言われて缶に書いてある成分表示の部分を見ると、確かにノンアルコールだった。
――なるほど、だから気分って訳か。
それにしても商品名を考える人って大変だろうな。名前一つがヒットの切っ掛けになったりもするわけだし。
俺は飲み物の商品名を一つ一つ確認しながら再び花見の準備を進める。
そして午前10時過ぎ。いよいよ準備が整った俺達の花見が開始されようとしていた。
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