第287話・近付く×想い

 夏休みが始まってから一週間が経ち、俺もだいぶ女子バスケ部のマネージャー業に慣れた。

 聞いていた通りにこの女子バスケ部のマネージャー業は忙しいが、やる事はある程度決まっているので、俺はそのタイミングを見計らって行動をすればいい。だからそのルーチンワークさえ覚えてしまえば、このマネージャー業もさして難しい内容ではなかった。

 そして今日も女子バスケ部の厳しい練習が終わった後、俺はみんなが使った大量のタオルを、体育館の準備室にある洗濯機にかけては干して行くという作業を繰り返していた。


「それじゃあ鳴沢君、また明日もお願いね」

「はいよー。お疲れ様ー」

「あっ、それと、茜の事もちゃんと見ておいてね? あの子、放って置くと心配だから」

「だったら俺なんかより、新井さんが見ててあげた方がいいんじゃないの?」

「そうしてあげたいんだけど、私は私で忙しいのだよ。全国で相手をするかもしれない強豪の分析もしなきゃだしね。だから、茜の事は優秀なマネージャーにお任せするよ。それに、茜もその方がいいだろうし」

「へっ? どういうこと?」

「ん? まあ、私の言った事は気にしないでいいよ。それじゃあ、また明日ね」


 新井さんは明るくそう言うと、片手をぱっと上げてから準備室を出て行った。全国の強豪を相手にする為の対策は必要だが、大切なチームメイトをなりたてのマネージャーに任せていいんだろうかと不安になる。

 古い洗濯機が大きな音を立てて稼動する中、俺は準備室の中にある古ぼけたパイプ椅子に座って洗濯が終わるのを待った。


「――茜。そろそろ切り上げて帰る準備をしとけよー?」

「あ、うん。分かったー」


 俺は時間を見計らって茜に声をかけた。

 次の洗濯が終わってそれを干し終われば、俺の今日のマネージャー業は終了だ。だからその間に茜に着替えをさせておけば、タイミング良くこの体育館から去る事ができる。

 その言葉を聞いていそいそと片付けを始めた茜を見た俺は、準備室の中へと戻ってジャージから制服へと着替え、稼動する洗濯機がその動きを止めるのを待った。

 そして今日のマネージャー業を無事に終えた俺は、チーム練習後の自主練を終えた茜と一緒に夕暮れの帰路を歩いていた。


「なあ、茜。ちょっと練習量を増やし過ぎなんじゃないか?」

「そっかな?」

「そうだと思うぜ? 実際に一昨日おととい立秋館りっしゅうかん高校の映像を見てから練習後に自主練を増やしたじゃないか」

「確かにそうだけど、これくらいしないと立秋館に勝つ事はできないからね」

「立秋館は六年連続インターハイで優勝している強豪だしな」


 インターハイは全国の予選を勝ち抜いた都道府県の代表が、AグループとBグループに分かれてトーナメント戦を行う。そして最終的にAグループとBグループのトーナメントを最後まで勝ち抜いたチームが決勝戦を行い、優勝チームを決める。

 そして我らが花嵐恋からんこえ学園女子バスケ部は抽選によりBグループに割り振られたのだが、これがまた運の悪い事に、とんでもない激戦地帯へと割り振られていた。

 初戦は去年のインターハイベスト9の強豪、四方しほう学園。

 そしてその四方学園に勝つ事ができたとしても、次の対戦相手はさっき言っていた全国ベスト1の立秋館高校。この組み合わせは完全に優勝が難しいパターンだ。

 俺は先日、今年の高校バスケット女子インターハイの記事を見たんだけど、俺のそんな思いを裏付けるかの様に、その優勝予想は大方が立秋館高校だった。まあ、六年連続の優勝校なんだからそんな予想になるのは分かるし、今年の立秋館高校は今までで最強の選手が集まったとも言われているから、茜がああ言うのも分かる気はする。


「まあ、どこが相手でも私達が優勝するには勝つしかないんだから、頑張らないとね」

「確かにそうだろうけど、正直あの組み合わせはきついよな」

「もう、せっかく気合を入れてるんだから、萎えさせる様な事を言わないでよね。私だって全国を前に結構不安なんだからさ」

「あっ、わりい」


 豪快そうな性格に見える茜だが、これで案外プレッシャーに弱い。それは昔から茜を見て来た俺が一番良く知っている。だからきっと、全国を前にした今は凄く緊張をしていたり不安だったしていると思う。

 だけど、茜達は今まで努力を積み重ねて来た。その結果としてインターハイへの出場権を獲得したわけだし、全国でも十分に通用する実力を持ったチームだと俺は思っている。


「私、全国でちゃんとやれるかな……」


 途端に不安げな表情になり、そんな言葉をポツリと漏らす茜。チームメイトの前では決して見せない表情とその言葉は、紛れもなく今の茜の本心なんだろうと思える。

 俺はただのバスケット好きなだけだから、茜の悩みとか不安に本当の意味で手を差し伸べてやる事はできないだろうし、その気持ちを真に理解してやる事もできないだろう。

 だけど、茜が長い時間と努力を積み重ねて来たのは誰よりも知っている。だから俺はこれだけは言いたくて口を開いた。


「大丈夫さ。茜はずっと昔から努力をして来たし、それを積み重ねて来た。だから部のみんなも茜を信頼してるんだよ。まあ、それがプレッシャーになる事もあるとは思うけど、茜はそれに応えられるだけの事は絶対にしてる。だから自信を持て。俺がそれを保障するから」

「……龍ちゃんに保障されてもちょっと不安だけど、でも、ありがとね。少しだけ楽になったよ」

「お、おう……」


 茜が不意に見せた微笑に、俺は思わずドキッとしてしまった。

 ここ最近は茜の練習に付き合って一緒に居る事が増えたせいか、練習をしている茜を見て、かっこいいな――とか俺は思い始めていた。

 小さな頃はやんちゃだけど凄く泣き虫で、俺は幼いながらも、ずっと一緒に居てやらないと――くらいの事を思っていた時期もあった。だけど今ではそんな泣き虫な一面もすっかり無くなり、立派になったもんだ。

 俺としては茜との賭けに負けて渋々始めたマネージャーだったが、今ではそんなかっこいい茜の姿を見て、そんな茜を支えるのがどこか楽しみになっていた。


「それにしても、龍ちゃんのマネージャーもかなり板についてきたよね」

「そうだろ? 我ながら素晴らしいマネージャーだと思ってるよ」

「もう。ちょっと褒めるとすぐ調子に乗るんだから」

「ははっ。まあ、ご褒美とかがあるわけじゃないし、こうやって自分を褒めてやるくらいはいいじゃないか」

「ご褒美かあ。うーん…………それじゃあ、私達のインターハイが終わるまでしっかりとマネージャーを勤めてくれたら、私が個人的にご褒美をあげるよ」

「ほほう。そりゃあいいな。どんなご褒美をくれるんだ?」

「うーん……そうだなあ……私が出来る事で龍ちゃんのお願いを一つ聞いてあげるっていうのはどお?」

「それって何でもいいのか?」

「私が出来る事ならいいよ?」

「おっしゃ! その条件乗った!」

「改めて言っておくけど、くれぐれも無茶な要求はしないでよ? そんな事をしたらこの約束は無しだからね?」

「分かってるよ。でも、これじゃあ俺が一方的に得するだけで気分が良くないな。うーん……そうだっ! 茜がインターハイで頑張ったら、俺が何か一つお願いを聞いてやるよ。もちろん、俺が出来る範囲でな」

「ほ、本当に!? 本当にいいの!?」


 いきなり興奮した様子で俺に詰め寄って来る茜。

 こんなに興奮している様子を見ると、何かろくでもない事でもさせられるのではないかと不安になる。


「い、いいけど、俺が出来る事にしとけよ? ファミレスフルコースとか無しだからな?」

「分かってるって♪」


 なんだかニヤニヤしている茜を見ていると不安になるけど、これでインターハイへのモチベーションが上がるならそれでいいだろう。

 そしてそんな事を約束し合う内に、俺達はそれぞれの家の分岐路へと辿り着いた。


「それじゃあ龍ちゃん、インターハイで優勝したら絶対に約束を守ってよねっ! それじゃあっ!」

「えっ? あ、ああ。またな」


 茜はご機嫌な様子でそう言うと、軽快な足取りで自宅の方へと去って行った。


「……別にインターハイで優勝したらとか言ってないんだけどな。まっ、いっか」


 茜が俺の言った言葉を勘違いする事は多々ある。だから今回も特にそれを気にはしなかった。

 そしてこの約束をした翌日から、茜の自主練習は更にハードさを増す事になった。

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