第284話・二人×行く道

 俺達が何気なく送っている日常と言われるものは、ちょっとした事ですぐに変わってしまう。

 だが、ちょっとした事で変わってしまうのが日常なら、俺達の送る人生はそのほとんどが非日常と言う事になるのかもしれない。現に俺も、今までの日常とはちょっと違った日常の中に居るからだ。

 お互いの言いたい事を、お互いの思っていた事を言い合ったあの夜から十日が経った。あれから俺と杏子はそれぞれに日常を送っている。

 しかし、杏子がどうかは分からないが、俺が今までの日常とは違った日常を送っていたのは間違い無い。

 なぜならあの日以来、俺は告白の返事をする為に杏子の事を義妹としてではなく、一人の女の子として見ていたのだから。そんな生活を送る中、俺は杏子と言う女の子がどういう子なのかを改めて見ていた。

 普段は甘えん坊なところが目立つ杏子だが、それも俺への想いがあったからだと思えば尚更に可愛く思えるし、いつも明るくて元気な様は見ていてとても愛らしい。

 そんな事を改めて思った時、俺は初めて杏子を異性として意識した時の事を思い出した。

 あれは、俺が小学校五年生になってから迎えた七夕祭りでの事だった。あの時も俺は、恒例になりつつあった杏子との七夕祭りデートへと出掛けていた。

 そしてその時に杏子にねだられて屋台で売っていた玩具の指輪を買ってあげたんだが、その小さな指輪を杏子に言われて左手の薬指につけてあげた時、杏子が満面の笑みを浮かべながら、『これでお兄ちゃんのお嫁さんは私だね』と言われた時に、思わずドキッとしたのを今でも覚えている。おそらくあの瞬間が、俺が杏子を本当の意味で初めて異性として意識した瞬間だったと思える。

 杏子が義妹として我が家へ来てから今まで、俺達はずっと一緒に居た。両親が仕事でほとんど家に居ない分、俺達はどこの兄妹よりも長く仲良く過ごして来たと思う。

 だからこそ杏子は俺に対しての想いを募らせ、俺も杏子に妹として接する一方、気付かない内に異性としての想いを小さくでも積み重ねていたのかもしれない。

 そう。俺は誰よりも長い時間杏子と接し、誰よりも多く杏子の色々な表情を見てきた。そしてこれからも俺は杏子と長い時間を過ごし、杏子の色々な表情を見て行きたい。そんな思いが俺の心の中を満たしていた。

 実妹じゃないとは言え、妹として受け入れた杏子の好意を兄の俺が受け入れてもいいのか。その好意を俺が受け入れたとして、先々で杏子が傷付く事があったりはしないだろうか。その事で杏子が泣いたりする事は無いだろうか。そんな風に自分の中で凄まじい葛藤があったのは事実だ。

 だが、杏子も杏子なりに考えただろうし、甘えん坊でお子様ところはまだまだあるけど、杏子は俺よりも賢くて理知的だ。だから俺が心配している様な事は既に想像しているだろう。

 あとは俺が厳しくなるかもしれない先々に対して覚悟を決めるだけだ。杏子はその覚悟を決めた上で俺に告白をしたのだろうから。


「……よしっ! 決めたっ!」


 俺は様々な葛藤を乗り越え、やっと自分の中で答えを出した。

 そしてこの時の想いを忘れない為に、俺はある物を準備しようと思った。それはきっと、俺の覚悟を杏子に伝えるには一番の手段だと思う。

 迷いが晴れた俺の心は爽やかな青空の様に澄み渡り、そこにはもう、杏子の想いに対する迷いは一切なかった。


× × × ×


 自分の中で杏子の想いにどう答えるのかを決めてから数日後。

 俺と杏子は予定通りに二人で毎年恒例の七夕祭りへとやって来た。

 杏子は去年も着ていた薄紫色とピンク色の朝顔が描かれた綺麗な藍色の浴衣に身を包み、この日の為に新調したと言っていた下駄を履いて楽しそうな笑顔をべながら、カランコロンと軽快な下駄の音を立てて歩いていた。


「ねえっ、お兄ちゃん! まずはどこから見て回る?」


 今日は杏子がした告白の返事をする日だと言うのに、当の本人には緊張している様子は見られない。ガチガチに緊張されるのも困るけど、こんな風にまったく緊張を感じさせないのも考えものだ。

 しかしまあ、いつもと変わらないそんな杏子の姿を見ていると、妙に緊張していた俺も少しは気が楽になる。


「そうだな……杏子の好きなところを回ってもいいけど、最初に金魚すくいとかは無しな」

「ええっ!? どうして? せっかく去年みたいにお兄ちゃんと金魚すくい対決をしたかったのに」

「別に金魚すくいをするなとは言ってないだろ? やるのは構わんが、最初にやるのは止めとけと言ってるだけだ。金魚を持ちながらだと移動も大変だし、金魚だってこの暑さの中で持ち歩かれるなんて地獄だろうしな」

「なるほど。そういえばそうだね」

「ちなみにだが、俺としては金魚すくいをするのはお勧めしない」

「どうして? 私に負けるから?」

「おい。その言い草だと、まるで勝負をしたら俺が負ける事が確定してるみたいじゃねーか」

「うん。お兄ちゃんが負けると思ってるもん」

「…………」


 ――コイツはどんだけ金魚すくいに自信があるんだよ……。


「……まあ、それはともかくとしてだ。現在我が家では白雪姫と言う猫を飼ってるんだから、金魚なんて連れて帰れんだろう?」

「あ、そっか。確かにそうだね」

「理解してもらえたみたいで良かったよ」

「それじゃあ、今年はヨーヨー釣り対決にしよう! ほらっ! 行こうよお兄ちゃん!」

「ちょっ、行くからそんなに引っ張るなって!」


 杏子はテンション高くそう言うと、俺の手を握ってから人混みの中へと分け入って行く。

 これじゃあ毎年の七夕祭りと大して変わらない気がするけど、それでもどこか違った楽しさを感じていたのも事実だった。

 こうして俺達はいつもの様に七夕祭りの会場をあちらこちらと回り、存分に祭りを楽しんでいた。

 ヨーヨー釣り対決で負けた俺にたこ焼きを奢らせ、そのたこ焼きを美味しそうに頬張りながら最後の一個を俺に食べさせてくれたり、違う味のかき氷を買ってお互いに食べさせあったりと、本当にこれでもかと言うくらいに祭りを満喫しまくった。

 そして祭りも終盤に差し掛かった頃、俺達は会場を出てから花火を見る為にいつもの場所へと向かった。


「大丈夫か? 杏子」

「うん。大丈夫だよ」

「足下が暗いから気を付けろよ?」

「大丈夫だよ。ちゃんとお兄ちゃんが手を握ってくれてるから」

「そ、そっか。それならいいけどさ」


 繋いでいる手の力を少し強め、そんな事を言う杏子。俺はそれに思わずドキッとし、声が上擦ってしまった。

 俺は杏子の歩調に合わせてゆっくりと神社の階段を上り、年々花火を見物する為に来る人が増えている神社へと辿り着いた。


「今年もまた見物客が増えてるな、ここは」

「お兄ちゃんと初めてここで花火を見た時は、まだこんなに人は多くなかったもんね」

「そうだな……」


 年月が経てば色々なものが変わる。それは物であれ人の心であれ同じだろう。普段はあまり気にもしないけど、こうして自分の見てきたものが変化していく様を見るのはどこか寂しい。

 そんな事を思っている内に花火が上がり始め、暗い夜空とその下に居る者達を明るく照らし始めた。


「あっ、花火が上がり始めよ! お兄ちゃん!」

「今年のは結構派手ででかいな。これなら無理に前に行かなくても十分に見えるな」

「だねっ♪」


 俺達は周りに居る人達と同じく、夜空に咲く花々の芸術にしばらくの間目を奪われた。

 彩り鮮やかな花火が一つ上がる度に、あちらこちらから歓声が上がる。

 いつもなら杏子も周りの人達と同じ様に歓声を上げているところだが、今回に限って杏子は一言も言葉を出さずにじっと花火が打ち上がるのを見ていた。

 そして三十分間の花火打ち上げが終わり、花火を見る為に来ていた人達がぞろぞろと神社を後にし始めても、杏子はその場で花火が上がっていた暗い夜空をじっと見つめたままだった。


「杏子、大丈夫か?」

「……あっ、お兄ちゃん。大丈夫って何が?」

「いや、花火が終わってもずっと空を見てたからさ」

「そっか……いつまでこうやってお兄ちゃんと花火を見られるのかなって考えてたから、ちょっとぼーっとしちゃってたみたい。ごめんね」

「……ずっと立ってたから疲れてないか?」

「少しね」

「それじゃあ、あそこのベンチに座って少し休んで帰るか」

「うん。そうする」


 人もまばらになり始めた境内けいだいを移動し、その片隅にある誰も居ないベンチへと腰を下ろす。


「今年も楽しかったね。お祭り」

「そうだな。暑いのと人が多いのを除けば良かったよ」

「お兄ちゃんは毎年同じ事を言ってるね。気持ちは分かるけど、祭りはこの人の多さも含めて楽しむものだと思うけどなあ」

「言ってる事は分かるが、それでも人混みは嫌だな」

「まあ、それはそうだね」


 こんな調子で少し今年のお祭りについて感想を述べ合った後、誰も居なくなった境内に残された俺と杏子はお互いに沈黙してしまった。

 しかしその状況も長くは続かず、杏子が話し始めた事により再び会話が始まった。


「ねえ、お兄ちゃん。白雪姫の事だけど、家でずっと飼う事にしちゃ駄目かな?」

「それは白雪姫の事をちゃんと考えた上での事か?」

「うん。私は最期までちゃんと白雪姫の面倒を見るよ。絶対に」

「そっか。分かった。それならいいんじゃないか?」

「本当?」

「ああ。杏子がそこまで言うなら信用するさ。それに、家で飼うなら俺も杏子とずっと一緒に面倒を見れるしな」

「えっ!? 今、ずっと一緒って言った?」

「ああ」


 俺は杏子の問い掛けに短く答えた後、自分のズボンの後ろポケットに詰め込んでいた小さなアクセサリー箱を取り出し、その蓋を開いた。

 蓋を開けたアクセサリー箱の中には簡素なシルバーリングが一つ入っていて、俺はそれを箱の中からそっと取り出した。

 そして空いている方の手で杏子の左手を握ってから優しく引き寄せ、その左手の薬指に持っていたシルバーリングをはめ込んだ。


「お兄ちゃん、これって……」

「これが杏子の告白に対する俺の答えだよ。これから色々と大変かもしれないけど、ずっと一緒に居よう。杏子」

「本当にいいの? お兄ちゃん?」

「本当にいいも何も、ずっと一緒に居ようって言ったろ? その指輪の意味、解らないわけじゃないだろ?」

「……当たり前だよ。だって、小さな頃からずっと夢見て来た事なんだもん……解らないわけないよ……」

「まあ、学生の身分じゃそんな指輪しか渡せないけどさ」

「ううん。これでいいんだよ……ありがとう、お兄ちゃん……」


 杏子は瞳から涙を流しながらお礼を言っていた。

 そんな杏子を見て愛おしさを感じていた俺は、杏子の頭にそっと手を乗せてからその頭を優しく撫でた。思えば小さな頃からこうして杏子の頭を撫でて来たけど、ずっとこうしていたいと思った事は今までに無かった。


「杏子、これから色々と大変だぞ? 義理とは言え俺達は兄妹なんだから、風当たりは厳しくなると思うし、時には嫌な事を言われるかもしれないぞ?」

「うん、分かってる。でも、私は大丈夫だよ。お兄ちゃんがずっと一緒に居てくれるなら」

「そっか。それじゃあ、一緒に頑張るか」

「うんっ!」

「さて。それじゃあ手始めに、母さんと父さんを説得しなきゃな」

「それなら大丈夫だよ」

「えっ? どうしてだ?」

「だって、お兄ちゃんが入院して目を覚ました日に、お母さんとお父さんには私がお兄ちゃんに告白をする事は話をしてたから」

「そうなのか!? で? 二人は何て言ってた? 反対されたんじゃないか?」

「それがね、二人揃って『いずれどっちかがそんな事を言い出すんじゃないかと思ってた』って言ってたよ。しかも二人共、私の話を聞いて反対するどころか、逆に『頑張れっ!』って応援されちゃったし」

「ははっ……なんてノリの軽い親だ」

「だねっ」


 本当なら親の軽さに呆れ返るところだろうけど、今回ばかりはその軽さに感謝したいと思う。それに、杏子の手回しの良さにも感服した。


「まあ、何はともあれ無事に用件は片付いたし、そろそろ自宅に帰りますか」

「うん。そうだね」

「よしっ。それじゃあ帰りますかね。我が家へ」

「うん! 帰ろう!」


 そう言ってベンチから立ち上がると、杏子は俺の左腕に両手を絡めてぎゅっと抱き締めてきた。


「杏子さん? それだと俺が歩きにくいんですが?」

「大丈夫大丈夫。お兄ちゃんならこれくらいの困難は乗り越えてくれるから♪」

「やれやれ。俺はとんだ甘えん坊さんを選んだのかもしれないな」

「フフフ。今更後悔しても、もう遅いからね? お兄ちゃんはずっと私の側に居るって決まったんだからっ♪」


 そう言って俺が左手の薬指にはめたシルバーリングを見せる杏子。


「分かってるよ。これからも俺達はずっと一緒だ」

「うん! 何があってもずっと一緒に居てねっ! お兄ちゃん♪」


 今までに見た事も無いくらいの明るい笑顔を見せる杏子。

 そんな杏子の笑顔を見ながら、ずっとこの愛しい笑顔を守って行きたいと、そう思いながら二人で自宅への帰路を歩いて帰った。





アナザーエンディング・鳴沢杏子編~Fin~

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