第274話・来訪×妹

 夏休み初日を迎えた朝。

 俺は枕元に置いていた携帯を右手に持ち、ベッドに寝そべったままで天井を見つめていた。今日は朝早くから杏子は出かけているし、家の中からは物音一つ聞こえてこない。


「どうすっかなあ……」


 俺は昨晩からまひろに連絡をしようかどうかをずっと迷っていた。なぜならまひろに避けられている様な気がしていたからだ。

 終業式の日も登校して来た時から様子がおかしかったし、その日の放課後に屋上へ来てほしいと言っていたにもかかわらず、なぜかまひろは屋上へ来てくれなかった。そんなまひろの様子を考えれば、こうして連絡をする事に躊躇するのも当然だと思う。

 そう言った理由から、俺は朝目覚めてから何度も携帯画面と天井を交互に見つめる事を繰り返していた。

 そしてこんな感じで朝の時間を過ごし、そろそろお昼を迎えようとしていた頃、不意に玄関のチャイム音が鳴り響き、俺はベッドから飛び起きて来訪者が居る玄関へと向かった。


「はーい。どちら様でしょうかー?」

「あっ、お兄ちゃんですか? まひるです」

「へっ!? まひるちゃん!?」


 俺は慌てて玄関に置いてあるサンダルを履き、急いで玄関の扉を開けた。


「こんにちは、お兄ちゃん」


 扉の先には懐かしくも可愛らしい笑顔を見せるまひるちゃんの姿があった。


「本当にまひるちゃん?」

「あれっ? もしかして、私の事なんて忘れちゃってました?」

「いやいや、忘れてなんかいないよ。ただ、こうやって話すのが久しぶりだったからさ」

「そう言えば、お姉ちゃんが自分の事を皆さんに話してからは、お兄ちゃんとは一度しか話をしていませんでしたね……」

「そうだね……」


 まひるちゃんと初めて知り合ってからこれまでの間、本当に色々な事があった。

 今ではまひるちゃんがまひろの中に存在する別人格である事は分かっているけど、それでも俺の中ではまひるちゃんと言う人物は確かに存在している。だから今更、まひろとまひるちゃんを同一に感じる事はできない。


「あっ、とりあえず上がってよ、まひるちゃん」

「は、はい。それではお邪魔します」


 俺はそそくさとまひるちゃんを家の中へ招き入れ、リビングへと案内した。


「――はい、お茶をどうぞ」

「あっ、すみません。ありがとうございます」


 冷蔵庫から冷えた麦茶を淹れて戻って来た俺は、ソファーに座るまひるちゃんの前にあるテーブルにコップを置き、そのまま対面のソファーへと座った。


「それで、今日は突然どうしたの?」

「えっとあの……今日はお兄ちゃんに聞きたい事があって来ました」

「俺に聞きたい事? 何かな?」

「あの、お姉ちゃんに何かあったんでしょうか?」

「へっ!?」

「お姉ちゃんの様子がおかしいんです。最近はお姉ちゃんとお話もできなくなっていますし……だから、お姉ちゃんに何かあったなら教えてほしいんです」


 まひるちゃんは今にも泣き出してしまいそうな程の悲しげな表情を浮かべ、俺にそう質問をしてきた。

 確かにまひろの様子がおかしいのは俺も気付いている。だが、その原因が何なのかと言われても、はっきり言ってよく分からない。


「まひろの様子がおかしいのは俺も分かってるけど、原因が何かは俺にもよく分からないんだよ。何だか急にそんな感じになったからさ……」

「そうだったんですか……」

「せめてその原因を探る為のヒントみたいなのがあればいいんだけどね」

「ヒントですか……」


 そう言って考え込む様に黙り込んだまひるちゃんを前に、俺ももう一度まひろの様子がおかしくなった原因を考え始めた。

 しかし、いくら考えてもその原因になる様な出来事は思い浮かばなかった。


「あっ!」


 そしていよいよ答えが出ずに手詰まりになったと感じ始めていた頃、突然まひるちゃんが大きな声を上げた。


「ど、どうしたの?」

「あっ、ごめんなさい。ちょっと思い出した事があったので」

「思い出した事?」

「はい。実は、お兄ちゃんが『告白の返事をする』ってメッセージを送った翌日の午後までは、お姉ちゃんと意志の疎通ができてたんですよ」

「あの日の午後まではか…………あのさ、どのタイミングでまひろと意志の疎通ができなくなったか覚えてない?」

「えっと……確か学園の男の子に手紙で呼び出されてて、それでお姉ちゃんは屋上に行ったんですよ。お昼休みに」

「確かにお昼休みになった途端に教室を出て行ったな。あれって屋上に行ってたのか」

「はい。それで、屋上で待ってた男の子に告白をされたんですよ、お姉ちゃん」

「そ、そうだったんだ……」

「あっ、心配しなくても大丈夫ですよ? お姉ちゃんはちゃんと断ってましたから」


 そのあたりについては別に心配していたわけではなかったんだけど、とりあえずその言葉を聞いて何だかホッとした。


「そうなんだ」

「はい。それで、その男の子の告白を断った後から、急にお姉ちゃんと意志の疎通ができなくなっちゃったんですよ」

「なるほど……」


 まひるちゃんの話を聞く限り、どうもその告白を受けた前後でまひろの心境に何かがあったのだと推測ができる。

 しかし、まひろの様子がおかしくなるだけの何があったのかはまだ予想すらつかないけど、そこに今回の件を解決するヒントがあるのは間違い無いと思えた。


「まひるちゃん、まひろがその告白を受けた前後の事、分かるだけでいいから俺に教えてくれないかな? できるだけ詳しく」

「は、はい。分かりました」


 俺はそれから約一時間程をかけ、まひるちゃんからその前後の状況を聞いて問答を繰り返した。

 その時のまひるちゃんの記憶はわりとはっきりしていて助かったけど、その結果、逆に原因が分からなくなってしまった。なにせまひるちゃんから聞いた話のどこをどう考えても、まひろの様子がおかしくなる様な原因があるとは思えなかったからだ。


「あっ! そろそろお姉ちゃんが起きる頃だから早く帰らないと。お兄ちゃん、今日私と会った事、お姉ちゃんには内緒にして下さいね?」

「分かった。俺はまひるちゃんから聞いた話を元に原因らしきものを考えてみるよ」

「ありがとうございます。私も原因を色々と考えてみますね。あっ、それから……これは言っておくべきかどうか迷ったんですけど……」

「何?」

「実はあの告白の後なんですけど、お姉ちゃんからお兄ちゃんに会うのを拒む感情があったんですよ」

「俺に会うのを拒む?」

「はい。だから話そうかどうかを迷ったんですけど、一応伝えておいた方が良いかと思って……」

「そっか……ありがとね、まひるちゃん」

「いえ……また何か手段を考えてお兄ちゃんに連絡をしますから、しばらくの間はお兄ちゃんからお姉ちゃんへの連絡は避けた方がいいかもしれません」

「分かった。とりあえずそうするよ。気を付けて帰ってね? あと、まひろの事をよろしく頼むよ」

「はい。お姉ちゃんは私も大好きですから、任せておいて下さい。でも、最後はちゃんとお兄ちゃんがお姉ちゃんを幸せにしてあげて下さいね?』

「うん。分かった」

「それを聞けて安心しました。ではまた」


 俺は自宅へと帰って行くまひるちゃんを見送った後、自室に戻ってからベッドに寝転がり、まひるちゃんから聞いた話を整理しながらその原因を再び探り始めた。

 まひるちゃんからの話を聞く限りでは、まひろが受けた告白は至って平凡なもので、何かしらの特色を感じる様なものではなかった。

 ただ、まひるちゃんが言うには屋上にまひろを呼び出した相手は、それまで告白をしてきた男子達とは違って明らかにしつこかったらしく、断るのに相当苦労していたと聞いた。

 ちなみにまひろは『好きな人が居るからごめんなさい』と断ったらしいのだけど、その相手はまひろの帰り際に、『君も好きな相手に振られるかもしれないんだよ!』と、そう言ったんだそうだ。捨て台詞としてはいただけないが、こういった感じの事を言うの奴は男女共に珍しい事ではない。

 それにしても気になるのが、まひるちゃんの言っていた『お兄ちゃんと会うのを拒んでいる』と言う言葉だ。

 まひるちゃんはまひろの中にあるもう一つの人格で、まひろの感情や思いもある程度共有している。だから、まひるちゃんの言っていた事はほぼ間違い無いと思う。

 だが俺には、まひろに会うのを拒まれる様な事をした覚えが無い。まひろの様子がおかしくなった原因を探るのも大事だが、そのあたりの事も考えてみる必要があるかもしれない。

 俺はベッドから両足を下して立ち上がり、そのまま台所へと向かって昼食を作った。そしてその昼食を食べ終わった後、杏子が帰って来る夕方頃までずっと今回の件を考え続けていた。

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