第254話・日常×その中の幸せ

 コスプレコンテストの衣装作りを愛紗の家でする事に決まった翌日のお昼過ぎ。文化祭準備期間で午前中授業の俺達は、予定通りに愛紗の家へと向かっていた。

 一定のリズムで揺れる電車の中、空いている座席のちょうど真ん中辺りに二人で座り、いつもと変わらない談笑を交わす。

 そんな談笑の中、突然愛紗が表情を曇らせながら口を開いた。


「あの……先輩、本当にごめんなさい。突然こんな事になっちゃって」

「そう何度も謝らなくていいって。だいたいコスプレ衣装を手作りしようって最初に言ってたのは俺なんだしさ。それに考えてみれば、俺んちにはミシンとか無いから、この展開はむしろ良かったと思ってるよ。裁縫が出来る愛紗や由梨ちゃんにしっかりと教えてもらえるからさ。それよりも、衣装が出来るまで俺が愛紗の家に行く方が迷惑なんじゃないかって、そっちの方を心配してるくらいだよ」

「そんな事は絶対にありませんっ! あっ…………」


 愛紗は力強く俺の言葉を否定したが、どうも力が入り過ぎたらしく、声が大きくなってしまっていた。その声にまばらとは言え、乗っていた乗客が視線を向けてくる。

 そんな様子を見た愛紗は慌ててスッと立ち上がり、『ごめんなさい』と言いながらあちこちに向きを変えては頭を下げ、最後に座席へ座ると恥ずかしそうに顔を深く俯かせた。


「ふふっ」

「な、何で笑ってるんですか……」

「あ、いや悪い。恥ずかしそうにしてる愛紗が可愛く見えてさ、思わず微笑ましくて笑っちゃったんだよ」

「な、何ですかそれは……そんな事言われても嬉しくありませんよ……」

「すまんすまん」

「もう……」


 俯かせていた顔を、俺が居る方とは逆側に向けて表情を見せないようにする愛紗。そんな仕草一つが、俺にとってはとても可愛らしく見える。

 愛紗と再会した頃はその態度にビビる事も多かったけど、今ではそれにも慣れ、逆に可愛く見える様になったんだから不思議なもんだ。ホント、人間には慣れって必要なんだなとしみじみ思う。

 顔を逸らしている愛紗の表情を想像しながら一人微笑み、リズム良く揺れる電車の振動を全体で感じながら目的の駅へと運ばれる。

 その間ずっと愛紗は黙って顔を逸らしていたけど、それは俺にとって嫌な沈黙ではなかった。


「――先輩、少し買い物をして行ってもいいですか?」

「ん? いいよ。ちょうど俺も買いたい物があったし」

「ありがとうございます。それじゃあ行きましょう」


 顔を逸らして沈黙していた愛紗も、電車から降りて改札をくぐる頃にはいつも通りの様子に戻っていた。俺はそんな愛紗の歩幅に合わせて横に並び、見知らぬ街を歩いて行く。

 ここへ来るのは初めてではないけど、こうしてじっくりと街並みを見ながら歩くのは初めてだ。

 街中は昼間と言う事もあってか静かで、時折買物袋を抱えた主婦とすれ違うくらい。俺が住む街と同じくらいに静かでのんびりとした雰囲気を感じる。


「先輩、夕ご飯食べていきますよね?」

「えっ? いいの? 親御さんもそのうち帰って来るだろうし、迷惑じゃないか?」

「いいえ。お父さんもお母さんも結構忙しくて、職場で泊まる事も多いんですよ。仮に帰って来たとしても、深夜な事がほとんどなんで」

「そうなの? ご両親て何の仕事をしてるの?」

「二人共獣医をやってるんですよ。だから預かっている動物の面倒を看たりで忙しくて、滅多に家族全員が揃う事は無いんです」

「なるほどねえ。俺んちも家族全員が揃う事は少ないけど、愛紗のとこもそうだったんだな」


 愛紗と高校で再会してからだいぶ経つけど、お互いの家族について話すのは初めての事だった。

 前に忙しい両親の代わりに愛紗が家事全般をこなしているとは聞いていたけど、これなら愛紗の家事スキルが高いのは納得がいく。


「でも、両親が居ないと寂しかったりしないか?」

「まあ小さな頃はそう思ってましたけど、中学生くらいからは両親の仕事に対してある程度理解もしてましたし、何より由梨が居るからしっかりしないとって思ってましたから」

「そっかそっか。俺も愛紗と同じ感じかな。杏子が居るから俺がしっかりしないとって感じはあったから。ははっ、そう考えると俺達って、案外似た者同士なのかもな」

「あ、はい……そうかもしれませんね……」


 愛紗はそう言いながら少し照れた様にして微笑む。そんな愛紗の可愛らしい表情を見ていると、最近は胸がドキドキするようになっていた。

 再会した頃には無かったこの感情。それは俺にとって、懐かしくも苦しいもの。

 そして俺は、自分の抱えるこの気持ちが何なのかは気付いていた。それが自分にとって経験のある感情だからだ。

 そう、これは間違い無く、愛紗に対する恋心。

 俺はいつの間にか愛紗に対して恋をしていた。いつからこの感情を愛紗に対して持っていたのかは本当に分からないけど、少なくとも、愛紗の笑顔や拗ねている時の顔、色々な表情を見ている内にこの感情を抱いたのは間違い無い。


「どうしたんですか? 先輩。突然ぼーっとして」

「えっ? ああいや、何でもないよ」

「そうですか? それならいいんですけど」


 自分が考えていた事を思って思わず顔が熱くなり、俺はこんな表情を愛紗に見られたくないと顔を空の方へと向ける。

 そして一緒に駅から歩く事15分程の位置にあるスーパーで買い物をし、俺達は愛紗の自宅へとやって来た。


「お邪魔します」

「あっ、先輩、荷物持ってもらってありがとうございました。後は私が運ぶので、私の部屋で待ってて下さい」

「いいよいいよ。台所まで運べばいいんだろ? 任せとけって」


 昨日来た時に何となく家の間取りを予想していた俺は、自分の予想に従って台所があるだろう方へと荷物を持って歩く。

 そして予想通りに台所へと辿り着いた俺は、そこにあったテーブルに荷物を置いて中身を取り出し始めた。


「冷蔵品とか出していくから、愛紗は俺が出すのを冷蔵庫にしまっていってくれよ」

「あ、はい。分かりました」


 二人で行うささやかな共同作業。やっている事は大した事では無いけど、俺にとってはそんな些細な事すらも嬉しく感じてしまう。

 そして買って来た物全てを適切な所に収めた愛紗と一緒に部屋へと向かい、俺達は持っていた鞄を置いた。


「手伝ってもらってありがとうございました。私は昼食の準備をするので、先輩は部屋で待ってて下さいね」

「俺も手伝おうか?」

「駄目です。先輩は昼食後の衣装作りの準備をしてて下さい」


 そう言うと愛紗は一緒について行こうとした俺を部屋に押し込めて扉を閉じた。

 俺としては一緒に料理作りを楽しみたかったんだけど、こればっかりはこの家に住む愛紗に従うしかない。ちょっと寂しい気持ちを感じつつも、俺は愛紗の部屋で衣装作りの準備を始める。

 それから愛紗が作ってくれた昼食を一緒に食べ終えた後、俺は愛紗に手取り足取り教えてもらいながら、コスプレコンテスト用の衣装を作り始めていた。

 裁縫なんてやるのは小学校の家庭科の時以来だった俺は、針の使い方一つ取っても上手くいかずに苦戦を強いられはめになった。


「――いてっ!」

「大丈夫ですか!?」

「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっとチクッとしただけだから」


 針先が刺さって痛みの走った指からは、じわりと血がにじんでいる。

 小学校以来の裁縫とは言え、恋心を抱く異性の前でこれはカッコ悪い。


「血が出てるじゃないですか!? ちょっと待ってて下さい。確か引き出しの中に絆創膏があったはずですから」

「いいよいいよ。大した傷じゃないし」

「駄目です! 小さくても傷は傷なんですから、ちゃんとしておかないと」


 怪我を軽く考えていた俺をいさめる様にそう言うと、愛紗は自分の机から可愛らしいうさうさの絵が描かれた絆創膏を取り出し、怪我をした指に巻いてくれた。


「ありがとな。流石はお姉ちゃんしてるだけはあるよな。俺に姉ちゃんはいないけど、もしも居たらこんな感じだったのかもな」

「止めて下さいよ。私は歳下ですよ?」

「あはは、わりいわりい。でもさ、今まで知らなかった愛紗の一面を見れた感じで、俺は嬉しかったな」

「えっ? そ、そうなんですか?」

「おう。お姉さんぽい愛紗とか、学園では見られないからな」

「それって普段の私が子供っぽいって事ですか?」

「いやいや、子供っぽいと言うよりは、普段は可愛い妹みたいな感じだからさ」

「もう……私は先輩の妹じゃないんですからね」

「ははっ、すまんすまん」


 小さく口を尖らせながら、むくれた表情を見せる愛紗。そんな愛紗がとても愛らしく見え、やっぱり微笑んでしまう。

 そんな俺を見て頬を膨らませる愛紗にポカポカと身体を叩かれつつ、俺と愛紗の衣装作り一日目は穏やかに過ぎて行った。

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