第241話・届け×この想い

 桜花おうか高校には演劇専用のホールがあるらしく、俺はホールへ入る前に渡された簡素なパンフレットを持ってやや真ん中あたりの席へと向かう。

 以前陽子さんたちの手伝いでこういった会場に来たけど、その時よりは間違いなく会場が小さい。

 確かあの時の会場は客席500ほどと言っていた気がする。この会場はその時の約半分くらいに見えるから、客席200から300ってところだろうか。

 そんな分析をしながら目的の真ん中あたりの席へと更に足を進める。会場間もなくということもあったからか、人が少なかったおかげでなんとか良さそうな席を取ることが出来た。


「ふうっ……」


 特になにかあったわけではないけど、なぜか小さく溜息が漏れ出した。

 自分でも訳の分からない気分の中、とりあえず受け取ったパンフレットに目を通すと、そこには出演のキャストと演劇のあらすじ的なものが少々載っている。

 そんなパンフレットのあらすじを見て率直に思ったことを述べるとしたら、この物語の主人公ってまさに俺の立場と同じじゃね? ――ってことだ。

 なぜそう思うのかを簡単に説明すれば、どうやらこの主人公、登場するメインヒロイン2人から告白を受けるらしいからだ。なんとも個人的にタイムリーな内容だなと思いつつも、その内容が参考にならないかなという淡い期待を抱いてしまう。

 それにしても、あと数時間もしない内に俺は大きな選択の答えを出さなければならないわけだが……本当にどうすればいいのだろうか……。

 こうなった以上、誰も傷つけずに物事を済ませるのは不可能な話。それは分かっている。

 しかしそれでもどうにかならないかと考えるのは、人として普通ではないだろうか。

 陽子さんと憂さんの想いにはできるだけ報いたい。ではこの場合で言うところの2人への最大の報いと言えば、告白に対してOKを出すことだろう。

 だがそれは1人にしかできない。必ず片方はその思いが実らないのだから。


「ダメだダメだ……」


 小さくそう言いながら頭をふるふると左右に揺さぶる。

 こうまで2人のことで悩むのも、陽子さんと憂さんが仲が良いからというのもあった。

 もしもどちらか片方を選べば、必然的に2人の距離は遠くなってしまうだろう。それはどうあっても避けたいところだ。それを防ぐことを考えた最善の手段をとるとすれば、俺がどちらともつき合わない――という選択肢を選ぶしかない。

 だがそれを選ぶのは、あまりにも2人に対して失礼になる。それだけはできない。2人は精一杯の勇気を振り絞って気持ちを伝えてきたのだろうから。


「あっ、居た居た。龍之介くん、ちょっとちょっと」

「えっ?」


 開演20分前だというのに、なぜか客席に憂さんが姿を現し通路から俺へ向けて手招きをしている。

 そんな憂さんの方へ慌てて向かうと、ガシッと手を握られてホールの外へと連れ出された。


「ど、どうしたんですか憂さん!?」

「いや、あのね、ついさっき陽子から聞いたんだけど、あの子龍之介くんに告白したの?」

「は、はい。つい昨日のことですけど、告白されました」

「あちゃー。やっぱり本当だったか」

「あの……憂さんは知ってたんですか? 陽子さんが俺のことを好きだったことを」

「うん、知ってたよ。君については色々な話を聞いてたからね。だから知ってる。あの子がどれだけ君のことを好きか。好き過ぎてどれだけ悩んでたか」

「……」


 優しい表情で話し続ける憂さんを前に、挟む言葉が見つからない。


「龍之介くん、陽子はね、本当に君が好きで好きでしょうがないの。君は気づいてなかったかもしれないけど、あの子は君に振り向いてもらおうと、気づいてもらおうとあの子なりに必死だったの。まあそういった経験がないから、やり方は随分ともどかしい感じではあったけどね。でもあの子の気持ちを知った今なら分かると思うんだ。あの子が必死だったことが」


 確かに憂さんの言うとおり、陽子さんが俺に対して好意を持っていることが分かった今、それを裏付けるような行動や言動について思い当たる点は多い。

 そしてそんな陽子さんの気持ちに気づいてあげられなかった自分が情けなくなってくる。


「龍之介くん、自分が感じた気持ちを素直に認めてあげて。そして絶対に嘘はつかないで。自分に対しても陽子に対しても。じゃあ、私はもう戻らなきゃいけないから」

「あ、はい。分かりました」

「よろしい! それじゃあまた後でね!」


 そう言うといつもの明るい笑顔を浮かべて走り去って行く。

 俺はそんな憂さんを見送ったあとで席へと戻り、陽子さんたちが演じる舞台を見せてもらった。


× × × ×


 約2時間に及ぶ演劇が終了したあと、ホールの中に居る人がほぼ全員外へ出るのを見計らってから外へと向かった。

 それにしても、陽子さんたちの演技は相変わらず素晴らしかった。もちろん下手とか上手とか、そんなことは専門家ではない俺にはよく分からないけど、その世界観に引っ張り込まれるようなものは常に感じていた。

 むしろなにも分からない素人の俺にとっては、それだけ分かれば十分だろう。

 本当なら演劇を楽しめた気持ちを噛み締めたまま帰路に着くところだが、今日はこのあと最も大切なイベントがある。

 憂さんから演劇が始まる前に色々と話を聞き、色々なことを思う内に俺の中で1つの答えが出ていた。その答えを出したことが、これからの自分にどんな影響をもたらすかは分からない。

 でもそれでいいと思う。人生なんて先はどこまでも分からないものなんだから、分かりそうな少しだけ先のことを考えよう。


「よしっ! 行くか!」


 奮い立たせるように両の拳を握り、気合を入れて約束の場所へと向かう。

 そして約束の校門前で2人を待ちながら、演劇を見終わった人たちが桜花高校の校門を抜けて去って行くのを見ながら、日陰で陽子さんと憂さんが姿を現すのを待つ。

 人がどんどん少なくなっていく中、俺の緊張感はどんどんと高まっていく。

 この感覚はある意味でヤバイ。なにせ緊張の高まり具合と比例して心臓がドクドクと送り出す血液の量を増やしているから、走ってもいないのに妙な汗もかいてくるし、妙な息遣いにもなる。

 そんな俺は傍から観察するとただの変態にしか見えないかもしれない。

 はあっ、この緊張感から早く抜け出したい……。


「ふうぅぅぅ……」


 しかし一刻も早くこの緊張感から脱したいという思いも虚しく、この大いなる緊張感はしばらく続いた――。




「待たせてしまってごめんなさい!」


 校門近くの日陰で待つこと約30分。ようやく待っていた内の1人がその姿を現した。


「いや、気にしなくていいよ。後始末が大変だったんでしょ?」

「うん、本当にごめんなさい」

「いやいや、そんなこと気にしなくていいよ。ところで憂さんは?」

「あっ、あの、憂先輩がね、『まだ時間がかかりそうだから、先に話を進めてて』――だって」

「そうなんだ。それじゃあお言葉に甘えてそうしよっか」

「う、うん……分かった。それじゃあ中庭にいいかな?」

「OK」


 緊張の面持ちを見せる陽子さんのあとに続き、中庭へと進んで行く。

 いよいよこの時が来たか――と思いつつ、今まで経験した中で一番の緊張を感じながら、今にも口から心臓が飛び出しそうな気分を味わう。

 そしててくてくと2人で歩を進めて中庭に着くと、陽子さんは大きな木の下へと更に歩を進めてからその木に背中を向け、恥ずかしそうに俺を見てきた。


「今日は本当にごめんなさい。せっかく舞台を見に来てもらったのにこんなことになっちゃって……」

「ううん、気にしないでいいよ。大切なことなんだしさ。それに舞台凄く良かったよ! 専門家とかじゃないから偉そうなことは言えないけど、見る度に陽子さんの演技に惹き込まれていく感じがするよ」

「ほんと!? 龍之介くんにそう言ってもらえると凄く嬉しい……」


 緊張気味だった陽子さんの表情が一瞬にしてほぐれる。こんな表情をずっと見ていたいところだけど、今日だけはそうもいかないだろう。


「あの、陽子さん、雰囲気もなにもあったもんじゃないけど、昨日の告白の返事を伝えてもいいかな?」

「あ……う、うん……お願いします……」


 ほぐれていた表情が再び強張ったかと思うと、まるで神に祈りを捧げるシスターのように両の手を握り合わせてから両目をギュッと閉じた。

 その気持ちは俺にも分かる気はする。

 きっと彼女の一番感じている気持ちは“不安”――どんな返事がくるのかという不安、駄目だったらどうしようという不安、駄目だったらその先をどうすれば良いんだろうという不安……様々な不安の形が彼女の中を凄い速さで駆け巡っているんだと思う。

 俺にも経験があることだからこそ分かる気がする。


「突然のことだから色々と考えたよ。陽子さんのこと、憂さんのこと、自分のこと――」


 そう、本当に色々と考えた。一生分悩んだんじゃないかってくらいに悩んだ。そして俺は結論を出した。


「陽子さん、自分なんかで本当にいいのか分からないけど、こんな俺で良ければよろしくお願いします!」

「――えっ…………」


 俺の発した言葉はちゃんと聞こえていたはず。だけど目を見開いた陽子さんは呆然自失と言った感じだった。


「あのー、陽子さん? 大丈夫?」

「あ……あの、えっと……ごめんなさい……」


 そう言うと陽子さんはぽろぽろと涙を零し始めた。

 笑顔になるならともかく、どうして泣き始めるのか分からなかった俺はこの状況に困惑してしまった。


「よ、陽子さん!? なんで泣いてるの!?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「あーあー。女の子をこんなに泣かせるなんて、龍之介くんはとんだ困ったさんだねー」

「えっ?」


 明るい声音が大きな木の後ろから聞こえたかと思うと、その陰から憂さんが姿を現した。


「ゆ、憂さん!? いつの間に!?」

「んー、『自分なんかで本当にいいのか分からないけど、こんな俺で良ければよろしくお願いします!』――ってあたりからかな」

「先輩!?」


 ぽろぽろと涙を零していた陽子さんの表情が変わったのが分かった。

 それは多分、憂さんに対する悪いという気持ち。自分が憂さんの望みを、その気持ちを断ってしまったという思い。


「あ、あの……憂先輩――」

「ストーップ! 陽子、ここで謝るとかはなしだからね? そんなことをされたら私が困るから」

「こま……る?」

「そうよ。陽子に、ううん。2人に謝るのは私の方だからね。ごめんなさい!」


 憂さんはそう言って深々と頭を下げた。

 その光景を前にして、俺は更にこの状況が分からなくなってきた。


「どういうことですか?」

「んー、ここに来て隠しても仕方がないから言うけど、ぶっちゃけて言うと私は龍之介くんのことが好きだったわけじゃないの」

「「はっ?」」


 思わずして陽子さんと反応が被る。

 しかしそれも仕方がないだろう。誰だって今の憂さんの言葉を聞けば同じような反応をすると思うし。


「要するにね、私が龍之介くんにした告白は全部嘘だったってこと」

「あの、憂さん。どうしてそんなことを?」

「理由は凄く単純なんだけど、陽子が今回の舞台の役作りで悩んでたのを見てね。それでどうにかできないかと考えていた時に、今回の舞台の内容をそのまま現実で再現してみればいいんじゃないかって考えたの」

「そ、それで龍之介くんに嘘をついてまであんな告白をしたんですか?」

「ま、まあそういうことかな。まあ陽子のためとは言え、今回のことはやり過ぎだったと思う。本当にごめんね、龍之介くん」

「あ、いや、正直色々と衝撃的過ぎて混乱してますけど、陽子さんのためだったってことは分かったんでいいですよ」

「さっすが龍之介くんだね! でもまあ、龍之介くんが陽子を選んでくれて良かったよ。もしも私を選んだりしたらどうしよう――って、内心結構ビクビクだったからね」


 本当に安心したかのような晴々とした表情をする憂さん。言ってることは分かるんだけど、ちょっとだけ複雑な気分だ。


「龍之介くんが怒ってないから私も憂先輩を責めるつもりはないですけど、こんなことはもう絶対にしないで下さいね?」

「この件については凄く反省してます。でも良かったね、陽子。好きな人に想いが届いて」

「あうっ……」

「あっ、紅くなってる~。かーわーいーいー!」

「も、もうっ! 憂先輩! 怒りますよ!」

「おー、怖い怖い! それじゃあ邪魔者はさっさと消え去るとしますかねー!」


 そう言うと憂さんは嬉しそうに踵を返してホールがある方へと走って行った。


「相変わらずと言うかなんと言うか、どこまでも憂さんらしいね」

「うん、ごめんね。先輩が色々と……」

「そんなの気にしなくていいよ。それに結果論かもしれないけど、憂さんの行動がなかったら俺は陽子さんの気持ちに気づけなかったし、陽子さんも俺に告白しようとか思わなかったんじゃない?」

「あうっ……それはそうだけど……」


 どうやら図星だったようで、陽子さんは顔を真っ赤に染めながら視線を横に逸らした。


「ははっ。なんだか色々急展開だったけど、これからよろしくね」

「うん……よろしくお願いします」


 差し出した右手を見て、陽子さんは恥ずかしそうにその手を握ってきた。その手に感じる柔らかな温かみは、以前水族館で擬似恋人デートをした時に握った時よりも熱く感じる。


「そうだ。夏休みが終わるまでに暇はあるかな?」

「えっ? どうして?」

「ちょうど水族館に行きたい気分だったんだ。だから一緒にどうかなって。今度は前みたいに恋人の真似事じゃなくて、本当の恋人として」

「龍之介くん……うん、行く! 一緒に行きたい!」

「よっし! それじゃあ一緒に計画を立てよう!」

「うん! 龍之介くん大好きっ!」

「おっと!?」


 そう言って俺の右腕に抱きついてくる陽子さん。

 その嬉しそうな笑顔を間近で見つつ、いつまでもこの笑顔を大切にしていきたいと思った。





アナザーエンディング・雪村陽子編~Fin~

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