第238話・誤魔化し×気持ち

 陽子さんの先輩である憂さんから『つき合ってほしい』――いう告白を受けた日の夜、俺は部屋にあるベッドの上に身を投げ出した状態で真剣に悩んでいた。

 俺が言うところの悩みがなんなのかと言えば色々とあるが、どれも最終的には“憂さんの告白に対してどうすればいいんだろうか”――という一点に辿り着いてしまう。終着点が同じである以上、アレコレと悩んでいても仕方がないことは分かる。しかしそうは思っていても、無駄に悩むのが人間という生き物ではないだろうか。


「はあっ……」


 陽子さんたちが住む下宿先を出てから、いったい何度目の溜息になるだろうか。いちいち数えたりしてないけど、それでもおそらく20回以上はやっていると思う。

 しかしまあ、悩んでいるとは言っても憂さんからの告白自体は嬉しく思っている。なんて言っても異性から愛の告白をされるなんて、二次元以外のリアルでは初めてのことだったから。

 例外的に言えば妹の杏子は『お兄ちゃんのお嫁さんになる』――みたいなことを未だに口走ってはいるが、それだって俺は本気だと思っていない。そりゃそうだ。小さな頃ならともかく、高校生にもなった妹のそんな発言を真に受けるほど俺は子供ではないのだから。


「どうすればいいのかな……」


 憂さんは見た目も艶やかで、清潔感もあって好みだ。それでいて性格も明るく元気で気遣いもできるし、とても良い人だと思える。まあ一つ難を言えば、悪戯好きなところが玉にきずと言えなくもない。けれどそれこそが憂さんの大きな魅力の一部と言えなくもない。まさに長所と短所は紙一重の典型と言ったところだろうか。

 それに陽子さんと接する機会が増えてからは、憂さんともそれなりに接点が増えてきた。

 だから憂さんという人物のこともそれなりに分かってきたつもりではいる。そう思うからこそ、憂さんが彼女になってくれれば楽しいおつき合いができるのではないかと思える。

 それに憂さんに答えたとおり、今の俺には好きな人もつき合ってる異性も居ない。ならば憂さんの告白を受け入れるのにそこまで悩む必要は本来ないはず。

 だけど俺は深く悩んでいた。それは帰る前に見た陽子さんの寂しげな表情が、なぜか頭にずっと残っていたからだ。なんで陽子さんのそんな表情が気にかかっているのか……それは当の本人である俺自身がよく分かっていない。

 しかしあの寂しげな表情を見て胸がキュッと締めつけられる思いがしたのは確かだった。

 そしてそんな悩みの無限スパイラルに陥っていると、それを断ち切るかのようにして枕元に置いていた携帯がブブブッ――と数回震える。

 こんな時に誰からのメールだろうと思って画面を見ると、そこには雪村陽子と表示が出ていた。そして今日、あんなことがあったせいもあるからか、俺は奇妙な緊張を感じながら届いたメールを開く。


「…………」


 届いたメールは今日お見舞いに来てくれたことに対するお礼とお詫びという内容だが、そんな文につけ加えるようにして『明日の19時頃、どこかで会えないかな?』――という一文が添えられていた。

 そんな一文を見た時、俺はなによりもまず嬉しさを感じていた。それは陽子さんと会える――という、とても単純な感情のものだったんだけど、その想いがどこから来るのかはよく分からない。そしてそんな自分の感情に気づくようになったのはつい最近のこと。

 通う学校自体が違う陽子さんとは、はっきり言ってそんなに接点はなかった。でも制作研究部で作っている作品への協力でちょこちょこ会う機会が増えるのに比例して、彼女の演技に対する情熱などを目の当りにする機会も増え、それを見ている内に彼女を自然と目で追うことが多くなっていた。


「これってやっぱりアレなのかなあ……」


 自分の中にある訳の分からない感情。それに対する答えは考えていないわけではなかった。いや、むしろ答えとしては一番しっくりきて納得のいく答えは既に出ていたわけだが、それを認めるには抵抗があったのも確かだ。

 仮に自分が出していたその答えを認めてしまえば、俺は激しい緊張と不安に見舞われることは分かっていた。それはとても怖いことで、自分ではどうしようもないくらいに感情の制御が難しいこと。だからその答えにはできればずっと目を伏せていたいと思っていた。それが一番楽だから。

 しかし降って湧いたような今回の出来事を前に、そんなことも言っていられなくなってしまった。

 人生には大なり小なり分岐点があるのだと先人たちは言う。確かにその通りだと思う。そして今回の件が俺にとって大小どちらにあたる分岐点なのかは分からないけど、真剣に考えなければいけないことは確かだ。そうじゃなければ俺は、自分にも憂さんにも、そして陽子さんにも嘘をつくことになるかもしれないのだから。

 持っていた携帯に表示されていた受信画面から返信画面へと切り替えをし、陽子さんへの返答文を書いて送る。


「お兄ちゃん、私そろそろ寝るね」

「あっ、杏子! ちょっといいか?」

「なに? どうかしたの?」


 呼び止めたことがよほど珍しかったのか、杏子は扉を開いてこちらを覗き込みながらそんな言葉をかけてきた。


「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」

「聞きたいこと?」

「ああ。少し長くなるかもだけどいいか?」

「まあいいでしょう。他ならぬお兄ちゃんの頼みだからね」

「わりいな」


 そう言うと杏子は俺の机の椅子を引き出して座り、ベッドの上に居る俺の方へと身体を向けた。

 我ながら意見を聞けそうな相手が妹しか居ないのが情けないけど、杏子はこれでしっかりとした考えを持っているからなにかしらの参考にはなるだろう。


「それで? 聞きたいことってなに?」

「そのまあ……なんと言っていいのか上手いこと浮かばんのだが、俺の男友達が仲良くしてる女子が居るんだが、その女子と仲の良い先輩に告白をされたらしいんだよ。それでな、そいつには今好きな人が居なくて、つき合っている異性も居ないんだ。どうすればいいと思う?」

「どうすればって、その男子がその先輩を嫌いじゃないならつき合えば良いんじゃないの?」


 これは俺の聞き方がまずかったと思う。こういうことって言語化して説明しようとすると難しいんだよな。


「あー、すまん。今のは説明の仕方が悪かったわ。正確にはその男には好きな人が居ないんだけど、気になる人は居るんだよ。それが仲の良いその女子なんだ。でもさ、そいつは先輩のことも嫌いじゃないし、告白自体は嬉しいと思ってるらしいんだけど、その気になってる女子ことがあって踏ん切りがつかないでいるみたいなんだよ」

「なるほどねえ。ちなみに一つ聞きたいんだけど、その気になっている女子のことをその男子は好きなわけ?」

「それはなんだか曖昧でさ、自分のそんな感情をどう見ていいのか分からない――って言ってたよ」

「う~ん……肝心な部分が曖昧だと返答に困るなあ」


 杏子は小さく唸りながら腕組をし、足を動かして椅子をクルクルと回転させながらなにやら考えている。まあ本人である俺がよく分かってないんだから、第三者である杏子が悩むのも無理はない。


「ちなみにさ、その男子と女子のエピソード的なものとか、関係とかを聞いたりしても大丈夫?」

「あ、ああ。別に大丈夫だけど。まあ掻い摘んで話すとだな――」


 俺は自分のことだとばれないようにしながら、簡単にこれまでの出来事を話して聞かせる。その間、杏子は腕組をしたまま黙って俺の話を聞いていた。


「――てことなんだよ」

「なるほどねえ、そういうことか」

「そういうことかって、なにか分かったのか?」

「分かったもなにも、その男子は気になってる女子のことが好きなんだよ。間違いないね」


 杏子はなんの迷いもなくそう言い放った。ここまでなんの迷いもなく言えるということは、なにかしら確信めいたものがあるということだろう。


「なんでそんなことを断言できるんだ?」

「お兄ちゃんさ、こんなことはちょっと考えてみれば分かるよ。ん~、まあもしもの話だけど、お兄ちゃんがその男子の立場だったとして、なんの興味も好意もない人のことをそんなに目で追ったりする?」

「うっ! まあ確かにそうかもだが……」

「でしょ? こんなのは問題文の中に答えが載ってるクイズをやってるようなもんだよ」

「そ、そっか……」


 そんなこと、言われるまでもなく分かるでしょ? ――とでも言いたげに両手の平を上へと向けて軽く横へと腕を広げる杏子。

 確かに第三者的な目線で考えればその答えに行き着くのが当然の結果なのかもしれない。だがそこは俺が当事者であるせいか、やはりどうにも納得いかない部分もある。


「まあそれはそれでいいとして、その男子はどうするのが一番良いと思う?」

「えっ? そんなの私には分からないよ。だってその人がどうしたいかなんて分かるわけないもん」

「まあそうだよな……」


 別にスッキリするような答えが杏子から出るなんて思ってはいなかったけど、それでも心のどこかでなにかしら期待する気持ちがあったのも確か。だから杏子から出た言葉に多少の落胆も感じていた。


「でもね、もしも私がその人を前にして同じ相談を受けたとしたら、これだけは言っておくと思うな」

「なんだ?」

「自分の気持ちをいつまでも誤魔化さないで、素直にその感情を認めてみれば? ってね」

「…………」


 その言葉になんの反応もできなかった。なにせその言葉は当事者である俺の心にこれでもかと言うくらいに突き刺さってきたから。


「さてさて、話も終わったし私は寝るね。おやすみ、お兄ちゃん。私も頑張るから、お兄ちゃんも頑張ってね。男でも女でも、素直が一番だよ?」


 杏子はそう言いながら部屋の扉を開けて自分の部屋へと戻って行く。色々とツッコミどころが多かった内容だと思うけど、その内容に杏子が何一つツッコミを入れてこなかったのは助かった。


「素直にか……」


 妹に言われた言葉を短く口にしながら再びベッドに大きく身を預け、自身の気持ちの整理をつけようとあれやこれや考えを巡らせて長い夜を過ごした。

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