第239話・告白×動いた気持ち

 憂さんに呼び出されて陽子さんのお見舞いに行った翌日の19時頃、俺は昨日の返信メールで指定した最寄駅前の時計塔下に来ていた。

 高校生活最後の夏休みもそろそろ終わりを迎えようとしている時期だが、19時と言う時間帯の割りに空はまだいく分か明るさを保っている。


「陽子さん、大丈夫かなあ……」


 今更だとは思うけど、俺は陽子さんの体調のことを心配していた。昨日の今日で体調が良くなっている保障はどこにもないのに、俺は陽子さんの申し出を受けてしまったからだ。本当ならちゃんと体調のことを考慮しないといけないのに、憂さんの告白に気を取られていたり、陽子さんからのメールで気が舞い上がっていたこともあってそこまで気が回っていなかった。

 それならメールなり電話なりでそのあたりを確かめればいいじゃないかと言われそうなところだが、それができるなら既にそうしている。まあなんにしても、今更そんなことをメールや電話で聞こうとしても時既に遅しってことだ。


「お待たせしてごめんなさい」


 どの方向から現れるのか分からない陽子さんを捜していると、ちょうど真後ろから控えめな声音でそんな言葉が聞こえてきた。その声に後ろを振り返ると、いつもとは違って神妙な面持ちをした陽子さんが立っていた。


「あ、いや。全然大丈夫だよ。俺が来たのはほんの5分くらい前だから」


 本当は約束の30分くらい前には来ていたんだけど、わざわざそんなことを馬鹿正直に言う必要はない。そんなことを言えば陽子さんが気にするのは火を見るより明らかなのだから。


「そ、そうだったんだ。でもごめんなさい。来てくれてありがとう」

「ううん。それよりも体調は大丈夫?」

「うん。龍之介くんがお見舞いに来てくれたおかげなのかな、すっかり元気になったよ」

「そ、そっか。突然お見舞いに来て迷惑だったかなって思ってたけど、それなら良かったよ」

「うん。本当にありがとう」


 にこっと優しく微笑む陽子さんの表情を見て心臓が大きく跳ねた。

 それと同時に心臓が大きく速く鼓動をし始め、全身が急激に熱くなっていくのを感じる。陽が沈みかけている以上、身体に感じているこの熱さが太陽のせいじゃないのは明らかだ。


「ところで陽子さん、メールで言ってた話ってなんのかな?」

「あ、うん……ちょっと歩きながら話してもいいかな?」

「え? うん、別に大丈夫だけど」

「ありがとう。それじゃああっちに行こっか」


 短くお礼を言うと、陽子さんはサッとある方向を指差してから足を進め始めた。そんな彼女の横に並ぶようにして歩きつつ、2人で話を始める。


「明日の舞台、楽しみにしててね」

「うん。お誘いを受けてずっと楽しみにしてたから、精一杯頑張ってね。見ながら応援してるから」

「ありがとう。その言葉を聞けたからもっと元気が出たよ」

「陽子さんが演技をしてるのを見るのは凄く好きだからね。何度だって見ていたいよ」

「そうなの?」

「うん。最初こそ演劇とか演技とか、そういうこと全般に興味はなかったけど、陽子さんからそういう話を聞いたり見たりする内に段々とそんな気持ちが変わっていったんだ」

「そうだったんだね。興味がなかったのに手伝ってもらったりしててごめんなさい。でも、龍之介くんが興味を持ってくれたのは素直に嬉しいかな」

「謝る必要なんてないよ。もしも陽子さんから色々と話を聞かなかったら、俺はずっとこんな楽しいことを知らないままだったかもしれないんだし。むしろ陽子さんには感謝したいところだよ」

「そっか。凄く嬉しいな……」


 そう言って微笑む陽子さんの横顔を見ていると、心臓の鼓動が更に速くなってくる。俺がもし高齢なら病気の線が濃厚になる現象かもしれないが、そうじゃない俺がこうなっている原因はもう、恋心アレしか考えられなかった。


「――私と龍之介くんが初めて会ったのはあそこだったんだよね……」


 しばらく2人で何気ない会話を交わしながら歩いていると、いつの間にか俺が一時期働いていたゲームショップが大きな道路の向こう側に見えていた。

 車の行き来がまるで流れる川のように見える中、昔を懐かしんでいるような表情で陽子さんはゲームショップを見つめている。


「そうだね……ほんの少しの間ことだったけど、今でも覚えてるよ」

「龍之介くんにはたくさん迷惑かけちゃったもんね」

「なーに言ってんの。俺だって陽子さんにはずいぶんと助けてもらったじゃないか」

「そうかな?」

「そうなの。それに陽子さんが居てくれたから、俺は楽しくバイトができてたんだからさ」

「そ、そうなんだ。それなら良かった……」


 顔を伏せながら小さくそう言うと、なぜか陽子さんは来た道を振り返って戻り始める。なんでこんな所まで来て戻るのか聞きたいところではあるけど、なんとなくそれを聞くのは野暮なような気がした。

 謎の行動をする陽子さんの後に続いて踵を返し、来た道を戻り始める。そしてしばらくの間また他愛のない会話を交わしながら歩いていると、今度は駅の方へと戻る途中にある公園へと陽子さんは入って行った。

 公園へ入った陽子さんはベンチの方へ向かうわけでもなく、一直線に2つ並んだブランコがある方へと向かって行く。

 そんな陽子さんから遅れること約1分、公園前の自販機で飲み物を2人分買ってから急いでブランコがある方へと向かう。


「はいどうぞ。喉渇いたでしょ?」

「あっ、ごめんなさい。ちゃんと代金は払うから」

「いいよいいよ。明日は舞台を見せてもらうわけだし、大した物じゃないけど誘ってもらった御礼だと思ってよ」

「ううん、そんなことないよ。ありがとね」


 ブランコに座っている陽子さんは手渡した缶ジュースの蓋を開けると、中身を一口だけ口にしてからふうっ――と大きく息を吐いた。そして俺は陽子さんの正面にある鉄製の小さな黄色の柵の上に腰かける。


「ねえ陽子さん、今日話したかったことってなんだったの?」


 陽子さんと会ってからここまででそれなりに会話をしてはいたけど、なんとなく今日俺を呼び出してまで話したかったことを話しているとは思えなかった。もちろん確信があったわけじゃないけど、会話の内容が演技関係のことだけだったことが、そういった考えに至った一つの要素になったのは間違いない。


「えっ? それは……」


 こちらの予想通りだったのか、陽子さんはあからさまに視線を逸らした。よほど言い辛いことを話しに来たのだろうか。

 そんな風に少しの間視線を逸らしていた陽子さんだったけど、やがてなにかを決意したかのように小さく『よし』――っと声を発して缶を地面へと置き、ブランコから立ち上がって真剣な表情でこちらをじっと見てきた。


「あ、あのね、龍之介くん。憂先輩から告白、どうするのかな……」

「えっ? それはその……正直どうすればいいのか悩んでるんだよね」

「憂先輩のこと、好きじゃないとか?」

「あ、いや、別にそういうわけじゃないんだけどね……」


 陽子さんのことが気になって――なんてことが言えるはずもなく、そのまま口ごもってしまう。言ってしまえばスッキリするのだろうけど、それは同時に新たなる怖さを生む要因にもなる。

 スッキリしたい気持ちと怖さが入り混じる複雑な感情の中、その言葉は唐突に耳へと入って来た。


「あのね、私も龍之介くんのことが好きなの……」

「えっ!?」


 その言葉はハッキリと俺の耳へ届いていた。しかしあまりに突然のことで、その言葉の意味をしっかりと捉えることができなかった。


「私はね、龍之介くんが好き。こんな気持ちになったのは初めてだからどう言っていいのかよく分からないけど、例え憂先輩であっても、龍之介くんのことは渡したくない。そんな気持ちなの」

「…………」


 真っ直ぐにこちらを見ながら気持ちを伝えてくる陽子さんを前に、俺はなにも言葉を発することができなかった。驚きとか嬉しい気持ちとか、とにかく自分の中に色々な感情が沸き起こって反応をするどころではなかったわけだ。


「突然ごめんね。でも、今日伝えておかないときっと私は後悔する。だから私の気持ちを伝えたの。龍之介くん、明日憂先輩と一緒に龍之介くんの気持ちを聞かせてくれないかな? その結果がどうであれ、私はそれを受け止めるから……突然のことで悪いとは思うけど、よろしくお願いします。それじゃあ、私は帰るね。明日の舞台、絶対に見に来てね!」


 それだけ言うと陽子さんは足早に公園を出て家の方へと走り去って行く。

 俺はと言えば最後までなにも言葉を発することができず、走り去って行った陽子さんが居た方をじっと見つめているのが精一杯だった。

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