第227話・これまで×これから
今日一緒に撮影をする5人の中であえて一番緊張しそうな相手の名を挙げるとすれば、それは間違いなくまひろになるだろう。
なにせ小学生の頃からつい最近まで男だと思っていた相手なのに、その頃からどんな女の子よりも可愛らしく、言動も雰囲気もどんな女の子よりも女の子らしかった。そして何度となくまひろが女の子じゃなくて男であるということを思い、神様を呪ったもんだ。
しかしそんなことを思っていたのも、二年生の修了式の日まで。
あの日水族館でまひろに真実を聞いてから約3ヶ月ほどが経った。
まひろが女の子であるという事実を知ってから多少はそのことに慣れてきたとは言え、それまでまひろを男だと思っていた期間が長かったせいか、やはり所々の会話のやり取りや態度にぎこちない感じが出てしまうことがある。
まあそれは状況的に仕方のないことなので、今更気にしてもしょうがない。この問題もいずれは時間が解決してくれるとは思う。とは言え、のんびりと時間が経つのを待っているだけでは良くないのも事実。
まひろも自分なりに頑張っているんだろうし、俺も少しはなにか行動をしないと駄目だろうと思う。そんな風に思えるのも、まひろ自身が今までの偽りの日々を一生懸命に取り戻そうとしているのが
男として偽りの日々を送っていたことをみんなに告げ、本来の女性としての生き方を選んだまひろ。その偽っていた日々のことを告白するのは、どれだけ勇気が必要だっただろうか。正直その重圧のようなものは、俺には想像もつかない。
とは言え、知り合った頃から女性であることを告白するまでのまひろの存在がなかったことになるわけではないので、やはり俺の心境は複雑だ。
その点で言えば茜や杏子はまひろが女性であることを上手に自分の中で消化しているようで、前とさほど変わりない距離感を保っているように見える。そういった割り切りの良さと言うか器用さは、女性ならではと言っていいのかもしれない。
そういえば少し前、茜に対して『まひろが女の子だったことについてどう思う?』――と聞いてみたことがあったのだけど、その時に茜の口から出た言葉は結構意外だったのを覚えている。
あの時の茜は俺の質問に対し、少しだけ考えるように間を空けたあとにこう答えた。『うーん……少しはビックリしたけど、あー、そうだったんだなー、て感じだったかな』――と。
この言葉を聞いた時の正直な気持ちを言えば、“なんだか軽いな”――と言う感じだった。
俺がまひろから本当は女性であると打ち明けられた時の衝撃は凄まじく、色々な意味で混乱をしていたから、茜のこの言葉はある意味で相当なショックだったわけだ。
しかしこのあと、不満げな表情をしていたのを悟られたのか、茜は続けるようにしてこう言った。『だってあんなに可愛らしい子が男の子だって方が違和感あるもん。むしろ女の子だって聞いて色々とスッキリしたくらいだよ』――と。
俺はその言葉に妙に納得したのと同時に、なんだか少し吹っ切れたような感覚になったのを今でも覚えている。
それに茜のその言葉に妙に納得をしてしまったのも、まひろと出会ってからまひろが男であるということに常に違和感があったからだろうと思う。
未だまひろに対するぎこちなさは完全に拭えてはいないけど、茜からこの言葉を聞いていなければ、俺はもしかしたらまともにまひろの目すら見れないほどにぎこちない関係と距離感になっていたかもしれない。そういった意味ではあの時にあの質問を茜にしてみて良かったと思える。
「――龍之介くん、どうかしたの?」
「へっ?」
杏子と茜との撮影の時に使っていた会場から別の会場へと移動をし、次の撮影相手であるまひろと撮影をし始めてから1時間。休憩に入ってから用意された椅子に座って喉を潤したあと、ぼーっとそんなことを考えていた耳元で優しく温かな吐息と共に艶やかな声が聞こえてきた。
「あ、ああ、まひろか。ごめんごめん。ちょっと昔のことを思い出してたもんでさ」
「昔のこと?」
隣にはプリンセスラインドレスを身に纏った可愛らしい俺の嫁――もとい、俺の親友の姿があった。
「うん、まひろと出会ってから今までのこととかさ」
「あっ……」
まひろはその言葉を聞いた途端、急速に表情を暗くして顔を俯かせた。
どうやらまひろの中では男として過ごして来た期間のことは相当に心苦しいらしく、この手の話題が出るとまひろの口数は急激に少なくなる。まあ女性であることを明かしてからまだ間もないのだから、そんな風になってしまうのも分からなくはない。
けれどどんな形であれ、まひろとして過ごして来たことに変わりはないのだから、そのことは後悔しないでほしいと思う。そうじゃないとあまりにも悲しいじゃないか。俺の中には男性として過ごして来たまひろとの思いでも沢山あるんだから……。
ちらりと周りを見ると、スタッフさんたちは撮影のための最終チェックを行っている。撮影が再開されるまでにはまだ少しだけ時間はあるだろうと思い、俺はまひろと思い出話をしてみることにした。
「なあ、まひろ。初めて俺の家に来た時のことを覚えてるか?」
「えっ? うん……ちゃんと覚えてるよ」
「あの時は大変だったんだぜ? 母さんがまひろを女の子だと勘違いしてて、まひろが帰ったあとにやたらと色々な質問をされてさ」
「そうだったの?」
「ああ。『いつあんな可愛い子と知り合ったの?』――とか、『どうやって仲良くなったの?』――とか、色々なことを聞かれたもんだよ。途中でどうも質問が変だと思ったから、“まひろは男だよ”――って言ったらさ、母さん俺が照れて嘘をついてると思ったらしくてさ、全然信じてくれなかったんだよ」
「ふふっ、そんなことがあったんだね」
話を聞いてくすくすと笑うまひろ。俺の母さんとは面識もあるし、そんなやり取りをしているのがなんとなくイメージとして頭に浮かんだんだろう。
「そうなんだよ。あれからしばらくはまひろが来る度に同じようなことを言われてたもんだよ。まったく、我が母親ながら本当にしつこかったぜ……」
「色々と迷惑かけてたみたいでごめんね。でも、龍之介くんと知り合って、こうやってずっと親友で居続けられたことは凄く嬉しかったよ。時々ビックリしちゃうこともあったりはしたけど、それも今では良い思い出だし」
「えっ? ビックリしたこと? 例えばどんなこと?」
「えっ!? そ、それは…………」
特にまひろをビックリさせた覚えがない俺にとっては、いつそんなことがあったのか非常に気になる。だからこの質問は、至って普通の会話の流れだと思う。
しかしまひろは予想に反して顔を赤らめながら顔を少し横に逸らしてしまった。なんだろう……そんなに顔を赤くするようなことをしたことがあったかな……。
「それは?」
まひろがこういった反応を見せる時は、だいたい俺がろくでもないことをしている時だけど、はっきりと覚えがないことはどうしても知りたくなるのが性分だから困ったもんだ。
「えっとあの……例えば中学生の時に龍之介くんの部屋でエッチな本を見せられたこととか……」
「へっ!?」
そう言われてから色々と思い出してきたけど、考えてみれば俺って男に扮装していた時のまひろに対して結構とんでもないことをしていたような気がする。
「いやあの……あの時はなんと言うか、生真面目で
あの時もそれなりにエッチな本を見せたことに対して後悔をしていたけど、まひろが女性だと明かした今となってはその後悔具合は半端じゃない。
そりゃそうだ。どこの世界に物静かな女友達に堂々とエッチな本を見せる男が居るってんだ。でもまあ、まったく居ないとは言い切れないけど、相手が女の子だと分かっていてそんなことをするのは、もはや只の馬鹿としか言いようがない気がする。
「もう……あの時は本当にビックリしたんだよ? 面白い物を見せてくれるって言うからどんな物かなって楽しみにしてたのに、まさかあんな本を見せられるなんて思ってもいなかったから……」
「わ、悪かったって。あの時のことはマジで反省してるんだからさ。許してくれよ」
「あっ、別にまだ怒ってるわけじゃないから誤解しないでね? あの時もビックリしただけで別に怒ってなかったから。それよりもあの時は本を破いちゃってごめんね。本当はあのあとにちゃんと謝りたかったんだけど、なんだかあの時のことを口にするのが恥ずかしくて」
本当に申し訳なさそうにしながらも、恥らうように顔を赤くしているまひろの表情はどこまでも清純で可愛らしい。男装をしていようと女性の姿に戻ろうと、まひろはやっぱりどこまでもまひろなんだな――と、改めてそんな風に思った。
「いやいや、そんなこと気にしなくていいよ。それよりまひろ、今度俺の家に遊びに来ないか?」
「えっ? いいの?」
「もちろん良いに決まってるじゃないか」
女性であることを明かしてから、まひろが我が家に来たことは一度もない。特に我が家へ来る用事がなかったからと言えばそれまでかもしれないけど、なんとなくそういったことを遠慮しているのではないかという素振りも見られた。
まあ俺もまひろを家に誘うことにはちょっとした戸惑いがあったのも確かだけどな。
「じゃあ、今度のお休みにお邪魔してもいいかな?」
「おう。それじゃあ今度の休みに待ってるよ。あっ、せっかくだからその時に良い物を見せてやるよ」
「うん、楽しみにしてるね。あっ、でもエッチな本は嫌だからね?」
「そ、そんな物見せるわけねーだろっ!?」
「ふふっ、冗談です」
「たくっ……」
くすくすと楽しそうに笑うまひろを見ながら、休憩が終わるまでの間思い出話に華を咲かせた。
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