第171話・遠い×思い出

「よし、そんじゃ帰ろうぜ」

「うん」


 三学期初日の放課後、俺は久しぶりにまひろと一緒に帰ろうとしていた。いつもならまひろは部活があるから、なかなか一緒に帰る機会がない。

 でも今日は部活が休みだと始業式前に聞いていたので、久しぶりに寄り道でもして遊んで帰ろうと誘っていたのだ。

 俺はまひろが帰る準備を済ませて鞄を持ったのを確認してから、廊下へと向けて歩き始めた。

 今日は授業もなく、始業式とちょっとしたホームルームだけで終わったので、たっぷりと遊びに行く時間はある。平日の昼前に学校が終わり、堂々と遊ぶことができるってのはなんだか得した気分だし、ちょっとわくわくするんだよな。

 そんなちょっとした浮かれ気分を感じてはいるが、今日の本来の目的は、まひろと遊びながらそれとなく色々な話を聞いてみることだ。

 今朝に秋野さんから、まひろがちょっと思い詰めたような様子だった――と話を聞いていた俺は、これをいい機会だと思っていた。


「今日はどこに行くの?」

「うーん、そうだな――」


 廊下を一緒に並んで歩いていると、まひろがにこやかにそう尋ねてくる。こうして話している分には、特に悩んでいるようには感じられない。

 だけどまひろは、そういったことを上手く誤魔化そうとする癖があるのも知っている。だから目に見える表情だけで判断してはいけないわけだ。


「――まひろはどこか行きたい場所とかあるか?」

「僕が選んでもいいの?」

「ああ、どこか行きたい場所があるならつき合うぜ」

「それじゃあ……ちょっと行きたい所があるからついて来てくれる?」

「おう、いいぜ」

「良かった……じゃあ行こう」


 まひろは嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言うと、行きたい場所も告げずに軽やかな歩調で前へと進んで行く。


「お、おい、待てよ」


 俺は浮かれたようにどんどん前へ進んで行くまひろを追いながら、まひろがご所望する場所へと一緒に向かった。


× × × ×


 花嵐恋からんこえ学園の最寄り駅から、電車に乗ること約30分。俺たちは水族館の海世界へと来ていた。

 俺がここへ最後に来たのは、確か去年の5月前、陽子さんの役作りの手伝いで仮想カップルとして来た時以来だ。


「わあー、綺麗……龍之介、早く早く!」


 持っていた鞄をコインロッカーにまとめて入れ込み、学割のチケットを買って入口を通ったまひろは、入ってすぐ目の前に広がる大きなパノラマ大水槽の前へとテンション高く駆けて行き、そこから俺を手招きしている。

 俺はそんないつもとは違うテンションのまひろの方へと向かい、同じく大きな水槽の中を見た。


「おー、相変らずのすげえ迫力だな」


 2人で見ている水槽の前を、全長3メートルはあろうかというサメがスーッと泳ぎ過ぎて行く。

 そしてサメが通り過ぎた場所から視線を上の方へ向けると、大きな羽を広げて空を滑空しているように泳ぐエイの姿があった。こうして見ていると、水の青さもあるせいか、本当に空を飛んでいるように見える。


「あっ、龍之介、あっちにイワシの群れが居るよ」


 まひろはパノラマ大水槽の右奥を指差しながら目を輝かせてそう言うと、イワシの群れが居る方へと進み始めた。


「――はあー、本当に凄い数だよな。どんだけの数が居るんだろ?」


 イワシの群れが居る方へと歩いて行くまひろのあとに続き、俺も水槽の中を見ながら移動をして、イワシの群れを正面から見据えた。

 小さな頃はサメと一緒の水槽に居て、イワシは食べられたりしないのだろうか――と気になったこともある。

 そういえば、小学校5年生くらいの時に杏子と茜、そしてまひろと一緒にこの水族館へ来たことがあったが、当時の俺は係員のお姉さんにその質問したことがあった。

 確かその時のお姉さんは、『サメが空腹になってイワシを襲わないように、定期的に餌をあげている』――と言っていた覚えがある。

 その時の俺はそれを聞いて感心した覚えがあったが、しかし係員のお姉さんはつけ加えるようにして、『それでも実際は、多少なり食べられてはいるかな』――とも言っていた。

 そしてその時、その話を聞いたまひろが係員のお姉さんに、『イワシさんが食べられないように、たくさんサメさんに餌をあげて下さい』――と頼んでいたのを覚えている。ホント、昔から優しくて可愛いやつなんだよ、まひろは。


「どうしたの? 龍之介。なんだかくすくす笑ってるけど」


 懐かしいことを思い出してほっこりしていたからか、それが表情に出てしまっていたらしい。


「あ、いや、ちょっと昔のことを思い出してさ」

「昔のこと?」

「ああ。小学校の時、茜や杏子たちと一緒にここへ来たことがあっただろ?」

「うん」

「あの時にまひろがさ、係員のお姉さんに、『イワシさんが食べられないように、たくさんサメさんに餌をあげて下さい』――って言ったことがあったんだけど、覚えてるか?」

「あっ……」


 当時のエピソードを簡潔に話すと、まひろは途端に顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに俺から視線をらした。

 まひろのそんな態度を見れば、答えを聞くまでもなく、その時のことを覚えているんだと察しがつく。


「いやー、あの時のまひろは実に可愛かったな。イワシのことをそこまで心配してあげられるなんて、まるで天使のようだと思ったよ」

「も、もう、からかわないでよ……恥ずかしいなあ」


 少しむくれたような表情をしながらも、チラチラと恥ずかしそうにこちらへ視線を向けては逸らすを繰り返し、そんなことを言うまひろ。本当にいちいちやることや言うことが可愛いらしいやつだ。


「わりいわりい。あっ! あのメガマウスの標本、まだあったんだな。まひろ、見に行こうぜ」

「あ、うん」


 むくれていても可愛らしいまひろに謝りを入れ、俺はパノラマ大水槽のほど近くにあるメガマウスの標本がある場所へと向かう。

 こうして俺とまひろの、放課後水族館巡りは始まった。

 まひろがなにか悩んでいることがあるのかは分からないけど、今はじっくりと2人で遊ぶことに専念しよう。その内にそれとなく、話を聞く機会もできるだろうからな。

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