第172話・閉ざした×心

 二階部分の入口から館内へと入り、パノラマ大水槽の中に居る海の生き物たちを見てから、メガマウスの標本が置いてある場所へと移動した。

 そして3分ほどでそこから離れてラッコが居る場所へと移動し、しばらくラッコが飼育員さんから餌を貰うところを見物したあと、俺たちは三階へと向かった。


「ラッコさん、可愛かったよね」

「そうだな。一生懸命に貰った貝を割って食べようとしてしな」

「うんうん! 特に貝を割っている途中にこっちをチラッと見るのが可愛いんだよね」


 ラッコを見てからのまひろのテンションは更に高くなっていた。いつもは物静かで大人しいまひろが、こうして饒舌じょうぜつに喋っている様を見るのは珍しい。

 まひろは昔から可愛い生き物が大好きだと言っていたが、こと水族館や動物園に来た時の嬉しがり方は普段とは違い過ぎて驚いてしまう。

 まあ普段でも猫を見つけただけで近寄って行っては、『可愛い~』と言っていつまでもその猫を撫で回しているくらいだから、動物好きだというのは本当だ。

 それにしても、未だにラッコのことを“ラッコさん”と、さんづけで呼んでいるところがまた可愛らしい。

 確か小さい頃に初めて2人でこの水族館に来た時からずっと、ラッコのことをラッコさんって言ってたからな。まあ、まひろの場合はラッコに限らず、他の動物も“さん”や“ちゃん”づけで呼ぶことが多いけどな。

 楽しそうにラッコの話をするまひろの言葉に耳を傾けて相槌あいづちを打ちつつ、俺たちはカラフルな熱帯魚が颯爽さっそうと泳ぐトンネル型水槽の前へと来た。


「――ここも相変らず綺麗だよな」

「うん。綺麗な色の熱帯魚がいっぱいで凄いよね」

「このカラフルな色も、警戒色だとか、仲間を見つけやすくするためとか色々言われてるけど、実際のところはどうなんだろうな」

「そうだねえ、お魚とお話ができれば分かるんだろうけどね」


 そんなことをにこやかに言うまひろは、やはりいつもどおりに可愛らしい。


「まあ熱帯魚にも苦労はあるだろうしな。あんなカラフルな色をしてたら、敵にも見つかりやすいだろうし。でも、中にはカメレオンみたいに擬態する熱帯魚とかもいるのかな?」

「…………」


 俺がなんとなくそんなことを口にした瞬間、水槽に反射して見えていたまひろの表情が明らかに曇ったのが分かった。

 先ほどまで見せていた明るい表情はどこかへと吹き飛んでしまったかのように消えてしまい、まひろは少しもの悲しげな表情を見せながら、トンネル型水槽の中を泳ぐ熱帯魚を見つめていた。


「……どうかしたか? まひろ」

「えっ? ううん、なんでもないよ。ちょっと熱帯魚に見惚みとれてただけ」

「そっか……」


 まひろは俺の言葉に対してにこっと笑顔を見せると、まるで何事もなかったかのようにしてそう答える。

 その様子を見た俺は、やはりまひろにはなにか悩みごとがあるんだろうなと思った。

 基本的にまひろは嘘をつくのが下手で、感情がわりと表情へ出やすい。だから注意して観察していれば、比較的そういった部分は分かりやすい方だとは思う。

 だけど長年親友をやっていると、そういったことにも慣れが生じてしまい、どこか鈍感になってしまうところがある。

 いや、これはただの言い訳か。正確に言えば、あまり気にしないようにしている――と言った方が正しいのかもしれない。

 現実ではいつも他人のことを気にかけることはできない。それは例え家族であってもだ。

 家族でもそんな感じなのだから、親友であってもそれは例外ではないと思う。

 それに実際はなにかおかしいなと気づいたとしても、そのことを直接本人に聞くのは難しい時もある。悩みは人それぞれだし、言いたくないことだってあるだろうからだ。

 それに人との距離の測り方というのは、その時その時で常に変わる。秒刻みで変化する感情を読み取りながら悩みを聞くなんて、もはや神様でもない限りは無理な領域だと思う。

 そんな小難しいことを少し考えながら熱帯魚たちが泳ぐ様を見ていると、館内にイルカショーの開催を告げるアナウンスが鳴り響いた。


「おっ、イルカショーか。まひろ、行ってみようぜ」

「うん」


 アナウンスを聞いてそう誘うと、まひろはここに来た時のような満面の笑顔を再び見せてくれた――。




 俺たちはイルカショーを見たあとでアザラシへの餌やりなども体験し、イルカが居る水槽が見えるレストランで遅めの昼食を軽く済ませたあと、実際に海辺の生物に触れることができる体験フロアへとやって来ていた。


「見て龍之介、ウニさんがたくさん居るよ」


 平日ということもあってか、水族館の中には人がまばらにしか居ない。

 いつもなら大勢のちびっ子たちで賑わっているであろうこの体験フロアだが、今居るのは俺とまひろの2人だけ。


「このウニって、やっぱり食べられるのかな?」

「もう……水族館に来てそんなことを言わないでよ」

「あっ、わりいわりい」


 黒々としたウニの長い針に優しく触れながら、小さく口を尖らせてそんなことを言うまひろはやはり可愛かった。

 なんでそんなに可愛いの? ――と、質問攻めにしたくなる。

 でもこう言っちゃなんだけど、水族館に来たら一度くらいは“アイツ食べられるのかな”――なんて思うのが普通じゃないだろうか。それとも、こんなことを思ったりするのは俺だけなのだろうか。


「おっ、このコーナーって今はヤドカリも居るんだな」


 まひろの可愛らしくもむくれた表情をいつまでも見ていたいところだが、それをすると俺の心臓がもちそうにないので、素早く別の話題へと切り替える。


「あっ、貝の中に引っ込んじゃった。まるで僕みたい……」


 貝殻に触れようとまひろはヤドカリに手を伸ばしたが、ヤドカリは伸びてきた手の動きを察してスッと貝殻の中へと身を引っ込めてしまった。

 そしてその様を見たまひろは、先ほどトンネル型水槽の前で見せたようなもの悲しげな表情をしたかと思うと、突然妙なことを口にした。


「なんだそりゃ? まひろはヤドカリみたいに、隠れるための貝殻でも持って歩いてるってのか?」


 いったいどうしたんだ? ――と聞くのが本来は正しいのかもしれないけど、まひろは真面目に聞くと逆にそのことを話さない場合が多い。だから俺は、少しだけおちゃらけた感じでそう言った。


「あはは。貝殻なんて持ち歩いてないけど、でも、ある意味で僕はいつでも殻に閉じこもっているようなものだから」


 俺の言葉に対し、自嘲じちょう的な笑顔を浮かべてそんなことを言うまひろ。時々よく分からんことを口にすることはあるが、今日のは特に意味が分からない。


「なんだよそれ、どう言う意味だ?」


 流石に今のまひろの言葉に対し、おちゃらけた返答をする技量は俺にはない。


「――ねえ、龍之介は嘘をつかれるのは嫌だよね?」


 少しの沈黙が流れたあと、こちらの質問に対しての答えを出すことなく、まひろは逆に俺に対してそんな質問をしてきた。

 本当に今日のまひろは変な質問をしてくるなと思いつつ、俺はその問いかけに答える。


「そりゃあ、嘘をつかれるのが嬉しいなんて人間は居ないと思うけどな」

「そうだよね……」


 俺の返答に対しまひろは、“分かりきったことを聞いちゃった”――みたいな表情を浮かべた。


「でもまあ、嘘をつくのはよろしくないとは思うけど、許せる嘘なのか、許せない嘘なのか――ってのにもよるんじゃないのか?」

「そうなの?」

「ああ。他のやつはどうかは知らんが、少なくとも俺はそうかな」

「そっか……うん、質問に答えてくれてありがとう、龍之介。僕、今日はこれで帰るね。龍之介はゆっくりしていって」

「えっ!?」


 突然そう言ってから水族館の出口へと向かい始めるまひろ。


「お、おい!? どうしたんだよ急に!」


 そう言って出口へ向かって行くまひろに声をかけると、ピタッと足を止めてからこちらを振り向いた。


「ごめんね、龍之介。ちょっと考えたいことがあるんだ。だから今日は1人で帰らせて、お願い」


 まひろの表情は至って真剣そのものだった。

 そして今までに見たことがないまひろのその真剣な表情に、俺はある意味で圧倒されてその場から動けないでいた。


「ごめんね……ありがとう、龍之介。今日は楽しかった。また明日ね」


 まひろはそう言うと、いつものにこやかな笑顔を見せながら、俺に軽く右手を何度か振って水族館を出て行く。

 やはり秋野さんから聞いていたように、まひろにはなにか悩みがあるのは間違いない。だが、結局それを知ることはできなかった。

 俺はモヤモヤとした感覚を抱きながら、体験コーナーに居るヤドカリをしばらくじっと見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る