第161話・危ない×お店

 花嵐恋からんこえ学園の文化祭は、他の学校では考えられないと言われているほど規模が大きい。本校舎や文化部棟、他のレクリエーションルームもフル活用しての盛大な祭りだからだ。

 校門から本校舎へと続く道のりやグラウンドには、夏祭りの出店を思わせる露店がいくつも立ち並び、そんな光景が更に文化祭のお祭りらしさを引き立てている。

 外は晴れているとは言え、風は冬のそれらしく冷たくて寒々しい。

 しかしそんな寒い外でもお構いなしに賑わいを見せているのが、我らが花嵐恋学園の文化祭だ。

 ふと視線を上の方へ向けると、立ち並ぶ食べ物の露店や品物を買い求める人たちの熱気が陽炎のように揺らめいているのが見える。

 そんな熱気と寒さが混在する独特の雰囲気の中、俺はとある露店の前でまひろにふんしたまひるちゃんと一緒に注文したクレープが出てくるのを待っていた。


「それにしても……このクレープ屋はいったいなんなんだ? 愛紗」


 露店の中で一生懸命に小さなクレープを作っているミニスカサンタ衣装姿の愛紗にそう問いかけながら、俺は露店に書かれた“ロシアンクレープ屋”――という不穏な名称を見つめていた。


「な、なんだもなにも、見てのとおりですよ……」


 なんだか申し訳なさそうにそんなことを言いながら、ちまちまと手の平サイズのクレープ生地にクリームと小さなフルーツなどを挟んで巻いていく愛紗。

 この寒空の下でミニスカサンタ衣装はさぞ寒いとは思うが、見ているこっちとしては眼福なのでこの際良しとしておこう。


「お兄ちゃんも興味があったからここに来たんでしょ?」

「この店に興味を示したのはまひろだよ。俺はそのお供だ」


 愛紗の隣で同じくミニスカサンタ衣装を身にまとった杏子が、フルーツなどの在庫管理をしながらにこやかな笑顔で俺にそんなことを言ってきた。

 お祭りとしてこんな店があるのも一興かとは思うが、自ら進んで危ない目に遭おうと思うほど、俺はマゾヒストではない。

 こう言うとまるでまひるちゃんがマゾヒストだと言っているように誤解を与えるかもしれないから一応言っておくが、まひるちゃんはここで注文をするまではロシアンクレープというのがどういう物なのかを理解していなかった。

 実際まひるちゃんにこの店の趣旨を説明したら、驚いた表情で店内を見つめながら身体が固まってしまったかのように硬直していたからな。


「それにしても涼風先輩、はかま姿が本当に似合ってますね」


 クレープ生地を鉄板で焼きながら、愛紗が羨望の眼差しにも似た視線をまひるちゃんへと向けた。

 愛紗はややキツイ言葉を使う時もあるし、ちょっと取っつきにくい雰囲気もある。でもそれは愛紗自身も多少なり自覚しているらしく、そういった自覚があるからか、誰よりも女性らしさのようなものを求めている節があったりする。

 だからだろうけど、男性なのに女性のような、柔らかく優しい雰囲気を持つまひろを愛紗は尊敬しているようだった。


「うんうん、まさに大正ロマンって感じだね」


 杏子の言う大正ロマンという言葉の使い方にいささかの疑問は感じるが、雰囲気としては分からなくはないので、ここは野暮なツッコミをするのは止めておこう。


「あ、ありがとう……篠原さん、杏子ちゃん」


 2人の言葉に照れくさそうな笑顔を浮かべながらそう答えるまひるちゃん。その表情には嬉しさのようなものが見て取れる。


「お兄ちゃん、ちょっといい?」


 そんなまひるちゃんの穏やかな表情を見つめていると、杏子がいつの間にか俺の隣に来て小さく耳元でそう呟いた。


「なんだ? どうした?」


 俺がそう言うと杏子は俺の腕を掴んでから軽く引っ張り、少しだけ店から距離を取った。


「どうしたんだよ」

「なんだか今日のまひろさん、変じゃない?」


 なにやら愛紗と楽しそうに話をしているまひるちゃんの方を見ながら、杏子はコソコソと小さな声でそんなことを言ってきた。

 そして俺は杏子のその言葉を聞いて少し動揺してしまった。まさか今居るまひろが入れ替わったまひるちゃんだと気づかれたとは思えないが、杏子は妙に勘が鋭いところもあるから決して油断はできない。


「なんだよ急に……どこが変だって言うんだ?」

「どこがって言われたら困っちゃうけど、強いて言うなら、いつもより女性っぽいって言うか……可愛らしい感じがする」

「そ、そうか? 俺にはいつものまひろにしか見えないけど」

「それにいつものまひろさんなら、私たちがさっき言った言葉に対して『ありがとう』――って答えるのはちょっと変なんだよね……」


 我が妹ながら、なんという勘の良さだろうか。傍目はためにはどう見てもまひろにしか見えないまひるちゃんだが、杏子にしてみれば色々とおかしく感じる部分があるのだろう。

 確かに杏子が言うように、普段のまひろなら女性の袴姿を褒められても、きっと『そうかな?』みたいな感じの答え方をすると思う。

 仮にありがとうと答えたとしても、今のまひるちゃんのように嬉しそうな表情を見せはしない。

 それを考えると、まひろに限りなく似せた行動や態度をとっていると思っていたまひるちゃんの演技が、実は案外穴のあるものだと気づかされる。


「ま、まあお前の言っていることも分からんでもないが、まひろも花嫁コンテストのあたりから心境の変化もあったみたいだし、別に変ではないんじゃないか?」


 杏子を前にすれば苦しい言い訳に聞こえるかもしれないが、実際まひろ自身に小さくとも心境の変化があったのは間違いない。それは本人も口にしていたことだからな。


「そっか、じゃあ私の考え過ぎってことなのかな……」

「そうそう、考え過ぎだよ」


 俺が杏子の言葉に同調してウンウンと頷くと、杏子は『それならいいや』と言いながら店の方へと戻って行く。


「はあっ……」


 そんな杏子を見たあと、俺は3人に背を向けてから小さく安堵の息を吐いた。

 幸か不幸か杏子のおかげでまひるちゃんの弱点も判明したし、これ以上墓穴を掘る前にここから退散した方が身のためだろう。


「愛紗、あとどのくらいで出来上がる?」

「えっ? えっと……あと2分くらいで出来上がりますよ?」

「そっか、ありがとう」

「なにか急ぎの用事でもあるんですか?」

「ああいや、別に用事があるってわけじゃないけど、せっかくだから色々と見て回りたいからさ。そういえば、愛紗と杏子はもう休憩には行ったのか?」

「ううん、私と愛紗の休憩は14時からだよ」

「そっか。じゃあ休憩に入ったら俺たちが居る喫茶店に来いよ。せっかくの文化祭だから、なにかおごってやるからさ」

「ホント!? やった!」

「そ、そんな、先輩に悪いですよ」


 俺の言葉に杏子はいつもどおりの素直な反応を見せて喜ぶが、愛紗は杏子の反応を見ながらも、遠慮がちにそんな言葉を口にする。

 普段はツンツンしてるところも多いけど、基本的に愛紗はとても相手に対して気を遣う子だ。それは良いことだとは思うけど、時には素直に俺の提案を飲んでほしいなとは思ってしまう。

 でもまあ、それができないちょっと不器用なところが実に愛紗らしいんだけどな。


「気にしなくてもいいんだよ、愛紗。せっかくなんだから店に来てくれた方が俺も嬉しいからさ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、遠慮なくご馳走になりに来てくれ」

「わ、分かりました……先輩がそう言うなら、あとでお邪魔します」


 愛紗は顔を紅くしながら、少し俯き気味にロシアンクレープが詰め込まれた箱を手渡してくる。


「ありがとうございまーす! お代は600円でーす!」


 手渡された箱を俺が受け取ると、愛紗の隣に居る杏子が元気にお代を請求してきた。


「なあ杏子。ちょっと聞いておきたいんだが、この中身の当たりってなにが入ってるんだ?」

「なんだと思う~?」


 ロシアンクレープの当たりが気になってそう問いかけると、杏子はニヤッと怪しげな微笑を浮かべながらそう聞き返してきた。


「分からないから聞いてるんだろ? 質問を質問で返すなよ」

「まあそれは当たってからのお楽しみってことだよ。中身がなにか分かってたらフェアじゃないでしょ?」


 なんとも無茶苦茶なことを言っているように感じるが、まあ誰かとこれを食べるとなると、フェアじゃないと言う杏子の言い分は分からないでもない。

 まあとりあえずここでの目的は達したのだから、さっさとここから離れるとしよう。


「分かったよ、食べる時のお楽しみってことにしておく。じゃあな」

「ばいばい、篠原さん、杏子ちゃん」

「あっ! ちょっと待って!」


 俺とまひるちゃんがきびすを返して別の場所へと向かおうとした時、杏子が慌てた様子で露店を出てこちらへと向かって来た。


「お兄ちゃん、まひろさん、2人ともどっちでもいいから手の平を出して」

「えっ? なんでだよ?」

「いいから早く」

「う、うん、分かった」


 杏子の言葉に素直に左手の平を差し出すまひるちゃん。

 まひるちゃんが素直に手を差し出してしまった以上、俺だけがそれを拒否するわけにもいかない。多少の不安は感じるが、ここは素直に手を出しておくとしよう。


「ほらよ」

「ありがとう。じゃあ、押しまーす!」


 俺とまひるちゃんが手の平を見せて差し出すと、杏子はポケットから小さな筒型の判子はんこのような物を取り出す。

 そしておもむろに筒型の物のふたを取ると、俺とまひるちゃんの手の平の真ん中にそれを押しつけた。


「はーい、これで終了でーす」


 筒型の物を押しつけられた手の平の真ん中には、赤い色をした可愛らしいウサギの印が残っていた。


「杏子、なんだこれは?」

「なにって、私が作ったスタンプだけど?」

「いや、それは見れば分かるよ。俺が聞きたいのは、これを押した理由だよ」

「ああ、なるほど。実はうちのクラスでスタンプラリーをやってて、頑張って合計七つのスタンプを集めると、私が一つなんでも願いを叶えてあげるよ?」

「お前はどこぞの龍神と同じ力を持っているとでも言うのか?」


 杏子のボケに軽やかにツッコミを入れつつ、早く本当のことを話せとうながす。


「えへへっ、スタンプラリーをしてるのは本当だよ。校内を回ってスタンプを集めると、ちょっとした粗品をプレゼントしてるの」

「なるほどな。でもさ、こういうスタンプって本来はスタンプラリーカードとかを用意するものなんじゃないか? それに手に押すにしても、手の平には普通押さないだろう」

「カードは最初用意する予定だったけど、落としたりなくしたりする可能性があるから手に押そうってことになったの。ちなみに手の平に押したのは私の気分」


 なんとも軽い感じでそんなことを言う杏子、いつもながら適当なやつだ。


「でも手の平に押したら手汗とかで消えるかもしれないじゃないか」

「ああ、それは大丈夫だと思うよ。渡さんから貰った特殊インクだから、ちょっとしたことじゃにじみもしないって言ってたし」

「……なんでそこで渡の名前が出てくるんだよ」

「実はスタンプカードを止めて手にスタンプを押そうって話になった時に、インクをどうしようかってなって色々な店を回ってたんだけど、その時にたまたま買出しに来てた渡さんに会って事情を話したら、『いい物があるから俺が調達してあげるよ!』って言われてこうなったの」

「……あいつ、本当に色々な所で暗躍してるのな」

「色々な所?」

「いや、こっちの話だから気にするな。じゃあ俺たちは行くから」

「うん。頑張ってスタンプを集めてね」

「はいはい、なるべく頑張りますよ」


 こうして俺とまひるちゃんはロシアンクレープ屋をあとにし、杏子の言っていたスタンプを集めるために休憩時間すべてを費やすことになってしまった。

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