第142話・懺悔《ざんげ》×始まり

 海での遊びを楽しんだ日の夜、俺たちが朝から夕方まで遊んでいた浜辺には学園の生徒全員がジャージ姿で集合していた。


「よーし、各人周りに気をつけて遊ぶように! それと、遊んだあとのゴミはちゃんとバケツに入れて持ち帰ること!」


 先生の注意を促す声に、あちらこちらから“はーい”と返事が聞こえてくる。

 一年生の修学旅行で先生たちは肝試しを計画していたので、今年もなにかをやるとは思っていた。面倒なイベントを企画してなければいいなと思っていたけど、今回はなんともシンプルな内容で、浜辺での花火大会だった。

 まあ花火大会とは言っても、打ち上げ花火のような派手な物はない。手に持って遊べる手持ち花火と、地面に置いた筒型の置物から噴火した火山のように火花が出るタイプの噴出し花火など、至ってシンプルな物だけだ。

 個人的にはねずみ花火も欲しかったけど、これだけ人がいる中でやるのは危険だから諦めるしかない。

 でも俺としてはヘビ花火がついていたのは嬉しかった。あれって別に派手さも美しさもないんだが、見ていると面白いんだよな。


「龍ちゃん見て見てー!」


 それぞれの班に分配された花火はわりと大量にあるのだが、茜は早速その一つに火をつけて遊び始めていた。

 茜は小さな子供のようにはしゃぎながら、花火がパーッと火花を散らす様を見せてくる。


「お前は小さな子供かよ」

「むー、龍ちゃんの意地悪!」


 花火の光で見える茜の表情はむくれていて、餌を口に詰め込んだハムスターのようになっている。

 しかし茜にはそんなことを言いながらも、俺もそれを見てテンションが少しずつ上がってきていた。


「うおっ! すげえ勢いだな!」


 立てていた蝋燭ろうそくの火に手持ち花火の先を近づけて火をつけると、ブシュッ――と勢い良く火花が出始めた。この花火が火花を吹くまでの瞬間って、結構ドキドキするんだよな。


「龍之介の花火は色が変わっていくタイプなんだね」

「そうみたいだな。小さい時と違って、今は花火も色々あってすげえよな」

「うん、色も種類もたくさんあって綺麗だよね。僕も龍之介と同じのをしようかな」


 まひろはそう言って花火の束が置いてある場所から俺が持っている物と同じタイプの花火を探し始めた。


「渡、お前はやらないのか?」

「おう、俺のことは気にしなくていいから、みんなで存分に楽しんでくれ」


 手に持っているカメラのファインダーを覗き込みながら、パシャパシャと写真を写している渡。きっと花火より写真撮りの方が楽しいのだろう。


「さようか」


 俺が渡から視線を花火へと戻すと、既に手に持っていた花火は消えていた。花と美人の命は短い――という言葉はよく聞くけど、花火もそれに負けず短命だ。

 子供の頃は10分ぐらいできる花火があればいいのになー、なんて思っていた時期もあったが、今考えると本当にガキだったなと思える。いや、もしそんなのがあったら見てみたいけどさ。

 消えた花火を用意していたバケツに入れて辺りを見回すと、あちこちで綺麗な彩りの火花が散っているのが見える。


「龍之介さん」


 後方に居た美月さんの声が聞こえ、俺はそちらを振り返った。


「どうしたの?」

「そのまま私の持つ花火を見てて下さい」


 美月さんはそう言うと、激しく火花を散らす花火を動かし始めた。

 どうやらなにか文字を書いているようだが。

 なになに……“たのしいですね”――かな?


「なんて書いたか分かりましたか?」

「楽しいですね――で合ってるかな?」

「正解です!」

「あー、文字当てしてるの? 私もやるー!」


 楽しそうにはしゃぐ美月さんを見た茜が新しい花火に火をつけ、目の前に花火を差し出してから文字を書いていく。


「――さあ、なんて書いたでしょうか?」


 みんなで茜が書いていた文字を見ていたけど、誰1人としてその答えを口にしようとしない。


「龍ちゃんは分からなかった~?」


 ニヤリと微笑みを浮かべてから、茜はわざとらしくそう聞いてきた。

 コイツ……俺が最初に“小さな子供かよ”って言ったことを根に持ってやがるな。

 茜が花火で書いた文字は、“りゅうちゃんのバーカ”という内容だった。いつもながら生意気な幼馴染だぜ。


「いやー、俺には分からなかったな~。なにせ茜の書く字が下手くそなもんだから」

「な、なんですって!?」

「ところで茜さん、俺がこれから書く字も読んでいただけませんかね?」


 憤慨ふんがいしながら近づいて来る茜の前に右手の平を突き出し、その動きを止める。

 そして俺はおもむろに花火を手に取って点火し、茜に見えやすいようにして文字を書いていく。


「――だ、誰がアホだー!」


 茜が再び声を荒げながら近づいて来る。


「おいおい茜、誰も“アホ”なんて書いてないだろ?」


 そう、俺はアホなどとは書いていない。

 俺が花火で書いたのは、“あかねはほんとうにア”――というところまでだ。


「だってあそこまで書いたらアホしかありえないでしょ!?」

「そんなことはないだろう?」

「じゃあなんて書こうとしてたのよ!」

「言っていいのか? みんなが聞いてる前で」

「い、いいよ。どうせろくでもないことなんだから」

「あれはな、“茜は本当に愛くるしい”――って書こうとしてたんだよ」

「なっ!?」


 その言葉を聞いた茜は、驚きの声と共に激しい動揺を見せ始めた。

 最近分かったことだが、茜とは真っ向勝負で張り合うよりも、こうした意表を突いた方法が効果的なんだと分かった。


「も、もう、そんな心にもないことを言ってさ……」


 言葉尻を弱々しくしながら段々と俯きだす茜。

 茜はこの手のめ言葉には慣れていないようで、ちょっと褒めるとすぐに顔を紅くして俯く。まあこうしている時の茜は本当に可愛いとは思うけどさ。

 こうして俺たちの班はしばらくの間、花火で文字を書く遊びに興じていた――。




「たっくん、ちょっといいかな?」


 花火で文字を書く遊びを始めてから30分ほどした頃、俺の側に来たるーちゃんが小さな声でそう聞いてきた。


「ん? どうしたの?」

「ちょっと話があるの」

「えっ? うん、別にいいけど」

「ありがとう。じゃあこっちに来て」


 そう言うと軽く俺の左手を握ってどこかへ連れて行こうとする。

 俺の手を握って歩き出したるーちゃんの足は徐々に速さを増し、握られた手に込められる力も強さを増していた。


「――それで、話ってなんなの?」


 花火で遊んでいる生徒たちから少し離れた波打ち際まで連れて来られた俺は、沈黙したまま暗い海の先を見つめるるーちゃんに向かってそう問いかけた。


「あっ、ごめんねたっくん。いざ話そうとすると、どうしても勇気が出てこなくって……」


 るーちゃんはそう言って苦笑いを浮かべる。

 そこまでの覚悟を必要とする内容を喋ろうとしているのかと、俺はそれを聞いて少し緊張し始めていた。


「俺はちゃんと話を聞くから、慌てずにゆっくりでいいよ」

「ありがとう、たっくん。昔から優しいよね、あの頃もそうやって私をいつも気遣ってくれてたし」


 そう言ってるーちゃんはにこっと微笑む。少しは気持ちが楽になったのだろうか。


「あのね、たっくん。小学生の時に私に告白してくれた時のことなんだけど、あの時私に起こっていたことを全部話そうと思うの」

「……うん、聞くよ」

「ありがとう」


 一言丁寧にお礼を言うと、るーちゃんはあの頃のことをゆっくりと話し始めた。

 長い間分からなかったるーちゃんの当時の気持ち。

 そして俺の告白を断った本当の理由。俺の体験した事件が起こった真相、茜との確執を生んだ出来事とその内容。

 途中で言葉を詰まらせることもあったけど、るーちゃんは一つ一つを噛み砕くように丁寧に話してくれた。


「――なるほど、そういうことだったんだ」

「うん、ずっと黙っていてごめんなさい。本当なら引越しする前にでもちゃんと話しておくべきだったのに……」

「あの時はお互い本当に子供だったわけだし、仕方ないよ。お互いに自分の心を守るだけで精一杯だったってことさ」

「でも、私のせいでたっくんを傷つけちゃったのに」

「確かにあの時は凄く悔しかったり恥ずかしかったりしたし、それからもあの時のことをまったく気にしてなかったわけじゃないけど、こうしてるーちゃんの口から真実も聞いたわけだし、むしろすっきりした感じだよ」

「たっくんは私の話を信じてくれるの? もしかしたら私が、自分のために都合の良い話をでっち上げてるとか思わないの?」


 るーちゃんはすべてを受け入れた俺に対して不安を感じたのか、突然そんな妙なことを聞いてきた。

 まあ、るーちゃんの中の罪悪感がこんなことを言わせているのかも知れないけど、いい加減るーちゃんも自分を許してやってもいいと思う。


「思わないよ。仮にそんなことを考えてるんだったら、わざわざ自分が疑われるような考え方を相手に提示してくるはずはないからね」

「でも……」

「るーちゃん、罪悪感が残るのも分かるけど、当事者である俺はもうあの時の事を思い出にしたんだ。人生でいくつ経験するか分からない恋愛の中の、ほろ苦い一つの思い出。だからるーちゃんもそろそろ自分自身を許してあげてよ。じゃないと、るーちゃんも前に進めなくなるからさ」

「私は許されてもいいのかな……」

「今まで思い悩んで苦しんできたんだし、もう十分だよ。スパッと自分を許して、学園生活を楽しもうよ。ねっ、お互いにこうして再会できたわけだし、あの時に遊べなかった分もしっかり遊びまくろうよ!」

「……うん。ありがとう、たっくん」


 月明かりで見えるるーちゃんの瞳からは、涙がこぼれていた。

 それは悲しみとか苦しみとか、そういった負の感情からくるものではなく、長い間抱えていた重圧から解放された安堵からくる涙だと思った。


「あっ、そろそろ花火が終わる時間だ」

「そうだね、そろそろ戻らないと」

「うん。それにしても俺、なんでか手持ち花火を1本持ったままでるーちゃんの話を聞いてたみたいだ」

「あっ、本当だね」


 手に持っていた花火をるーちゃんに見せながら、お互いにくすくすと小さく笑いあう。


「ねえたっくん。その花火、私にくれないかな?」

「ん? 別にいいけど」

「ありがとう」


 俺が持っていた手持ち花火を手渡すと、るーちゃんは一言お礼を言ってからジャージのポケットに入れていた点火用のライターを取り出した。


「ちょっと待っててね」


 るーちゃんはそう言って俺から少しだけ距離を取ると、手渡した花火にライターで火をつけ始めた。


「たっくん、今から書く文字を見ててね」


 るーちゃんはそう言うと、点火された手持ち花火を使って文字を書き始めた。

 なになに……“わたしはいまもたっくんが”――あっ。


「あっ、消えちゃった」


 るーちゃんが文字を書いている途中で花火が終わってしまい、その続きの言葉がなんなのかが分からなくなる。


「途中で消えちゃったね」


 るーちゃんは苦笑いを浮かべながら俺のところへと戻って来た。


「ねえ、るーちゃん。あのあとはなんて書こうとしてたの?」


 俺にはあのあとの言葉を書こうとしてるーちゃんが躊躇ちゅうちょしていたように見えた。


「ん? うーん……内緒」

「ええっ!? そりゃないよ、気になるじゃないか」

「そんなに気になる?」

「そりゃあ気になるよ」

「じゃあいつかあの言葉の続きを教えるから、その時まで待ってて」


 るーちゃんは照れくさそうにしながら上目遣いでそんなことを言ってくる。


「う、うん……分かったよ」


 そんなるーちゃんにしつこく答えを迫ることもできず、俺はコクンと頷いた。


「さあ、みんなの所に戻ろうよ」


 そう言って俺の手を握り、引っ張って行くるーちゃん。

 その握られた手から感じる熱が、俺には昼間の太陽の光よりも熱く感じられた。

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