第133話・嵐の×予感
二学期の開始早々、転校生を前にした我がクラスは活気づいていた。
その顔立ちはとても整っていて、まるでファンタジー世界に居る妖精さんがそのまま飛び出してきたかのように可愛らしい。
「じゃあ、自己紹介をお願いね」
「はい。みなさん初めまして、私は
そう言ってペコリと頭を下げると、パチパチと拍手がクラス中から起こった。
俺はと言うと、他のクラスメイトみたいに拍手をする余裕はなく、明るい笑顔でそう言うるーちゃんを見ながら唖然としていた。
まさかるーちゃんがこの
「では朝陽さん、窓際の一番後ろの席に座って」
「はい」
先生にそう言われたるーちゃんはこちらの方を見て一瞬微笑むと、スタスタと俺の後ろに用意されていた席の方へと歩いて来た。
「よろしくね、たっくん」
横を通り過ぎて後ろにある席に座ったるーちゃんが、俺にしか聞こえないくらいの小さな声でそう言ってきた。
俺は後ろを振り向くこともできず、何度か小さく頭を縦に振るくらいしかできなかった。
先生からの連絡事項が終わり、朝のホームルームが終了したあと、俺はるーちゃんから話しかけられるんじゃないかと少し身構えていたが、その予想は見事に外れた。
なぜならるーちゃんはクラスメイトの面々に囲まれてあれやこれやと質問を受けていたからだ。
「――龍ちゃん、ちょっといいかな」
少しだけほっとした気分でいたその時、右斜め前の席に居る茜が話しかけてきた。
「なんだ? どうした?」
「いいからちょっと来て」
「お、おい!?」
茜はなにやら険しい表情で俺の腕を掴んで無理やり立たせると、そのまま廊下へと引っ張って行く。
「――なんだってんだよ!」
廊下に出て一番奥の方まで連れて来られた俺は、茜の手を強引に振り払ってから少しきつめに睨みつける。
「龍ちゃん、あの転校してきた女の子、“あの時の子”だよね?」
茜は俺の睨みに一切動じるような様子もなく、先ほどから変わらない険しい表情のままでそう聞いてきた。
「な、なんだよ、あの時って」
茜の言っている言葉の意味はすぐに分かった。でも俺はその意味が分かっていながら分からない振りをした。
だってそうしなければ、この2人は絶対に仲良くできないだろうから。
「なんでとぼけるの? あの子は龍ちゃんをあんな酷い目に遭わせたんだよ? 忘れちゃったの?」
忘れるわけがない。
あの時のことは今でも鮮明に思い出せるくらいだ。だから茜がこうして
「おいおい、ちょっと落ち着けよ。なんで朝陽さんがあの時の子だと思うんだよ」
「…………だってあの子、席に座った時に“たっくん”って言ってた。龍ちゃんのことをたっくんて呼んでたのって、あの子以外に居ないもん」
なんであの小さな囁き声が聞こえていたのか不思議でならないが、茜はもう、転校生があの時の子だとはっきり認識しているようだった。
「か、仮にそうだったとしてもさ、そんなのはもう過去の話だろう?」
「龍ちゃんはまだ……あの子のことが好きなの? だからあの子を
「えっ?」
茜は少し悲しげな感じの表情でそんなことを聞いてくる。
「そ、それは――」
「私は嫌だよ、龍ちゃんがまたあんな目に遭うかもしれないなんて……想像しただけで嫌――」
茜はそれだけ言うと、しょんぼりと肩を落として教室へと戻って行った。そんな元気のない姿は、一時期疎遠になっていた当時の茜のことを思い起こさせ、追いかけようとした足を動かなくした。
なんで茜の問いかけに対してすぐに違うと言えなかったのか……それは俺にもよく分からない。ただ、あの幼い頃のモヤモヤとした気分を思い出したのは確かだった――。
茜とのひと悶着があったあとの最初の授業、俺の隣にはるーちゃんの姿があった。
「ごめんね、邪魔にならないかな?」
「い、いや、大丈夫だよ」
授業が始まってすぐ、るーちゃんが耳元で囁くようにそう言ってきた。耳に感じるくすぐったい吐息。
そのぞくぞくとした感覚に耐えながら返答をし、生物の教科書を机の上に出す。
まだ転校初日ということもあり、すべての教材がそろっていなかったるーちゃんに俺は教科書を見せていた。そういえば昔もこんなことがあったな……まあ、あの時は俺が教科書を忘れて見せてもらっていた方だけどな。
そんな昔なことを少し懐かしく思いながら隣に居るるーちゃんをチラリと見ると、るーちゃんは先生の書き出す文字を一生懸命ノートに書き写しながら平行して教科書の文章にも目を通していた。
「――ん? どうかした? たっくん」
何度目かのチラ見をした時、偶然るーちゃんと視線がぶつかってしまった。
「えっ? あ、いや、なんでもないよ……」
チラチラと様子を見るようにしていたことが恥ずかしくなり、すぐに視線を
「そう? 授業はちゃんと聞かないと駄目だよ?」
「う、うん……」
少し動揺している俺を見てくすくすと小さく笑いながら、再びノートにペンを走らせていく。
それから午前中の授業が終わるまでの間、美月さんが転校して来た時とは違い、特に俺が慌てふためくようなことも起こらなかった。
それというのも、その端整な姿から注目が集まったからなのか、休憩時間になればクラスメイトに囲まれていたので、まともにるーちゃんと話す時間はなかったからだ。
しかしまあ、今朝の茜のことを考えると、むしろそれで良かった気はする。
でも、午後の授業に入ってるーちゃんに教科書を見せる必要がある授業の度に、茜がこちらを向いて複雑な表情をするのだけは気にかかった。
× × × ×
るーちゃんの存在と茜の気持ちに板挟みにされているような、そんな居心地の悪い気分で午後の授業も乗り切り、放課後になると俺は逃げ出すようにして教室をあとにし、帰路を歩いていた。
「――たっくーん!」
少しぼやーっとした気分で帰路を歩いていたその時、不意に名前を呼ばれて後ろを振り返った。
「あっ」
振り返った先に見えたのは、急いでこちらへと走って来ているるーちゃんの姿。
「はあ~、やっと追いついた。ねえ、一緒に帰らない?」
るーちゃんは荒れる息を整えながらそう誘ってきた。
「うん、いいよ」
特に断る理由もないのでそう言ったけど、そのあとで思わず茜が近くに居ないかを確認してしまう。我ながら茜のことが相当気になっているんだなと、そんな風に思ってしまい、少し気恥ずかしくなった。
そんなことを考えている内に息を整え終えたるーちゃんと一緒に再び帰路を歩き始める。
「ねえ、たっくん。私が転校して来て驚いた?」
「そりゃあ驚いたよ。まさかるーちゃんが転校して来るなんて、夢にも思ってなかったから」
「そっか。ごめんね、驚かせちゃって。本当は前に会った時に言っておくべきだったと思うけど、ちょっとたっくんを驚かせてみたくなっちゃったから」
少しだけ申し訳なさそうに苦笑いを浮かべたるーちゃん。昔から少しイタズラ好きなところがあったけど、それも相変らずのようだ。
「もう驚き過ぎて心臓が止まるかと思ったよ」
「ええっ? そんなに!?」
「いや、さすがにそれは嘘だけどね」
「もうっ、たっくんの意地悪」
「あはは、ごめんごめん」
なんとも他愛ない会話を交わしながら、のんびりと帰路を歩いて行く。
まるで仲良くしていたあの頃を思い出すような、そんな懐かしい感覚に俺は少し頬を緩ませていた。
「そういえば、親の転勤でこっちに戻って来たって言ってたけど、こっちにはどれくらい居られるの?」
「うーん……正直どれくらい居られるかは分からないけど、少なくとも
「そっか。じゃあ、改めてよろしくね」
「うん。こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いにペコリと頭を下げあう。こんな調子で本当に何気ない会話を交わしながら歩き、もうそろそろ自宅が見えようかという十字路まで来た時だった。
「あの、たっくん。ちょっと聞いてもいいかな?」
「ん? なに?」
ピタッと足を止めたるーちゃんが、少し神妙な面持ちで声をかけてきた。
「朝のホームルームのあと、一緒に教室の外へ出て行った女の子が居たでしょ? もしかして、あの時の子?」
「えっ!? それは――」
朝の茜といい、るーちゃんといい、今日は本当に答え辛い質問が飛んで来る。
さて、どう答えたらいいだろうか。茜にもすぐばれた手前、とぼけるのもどうかと思うし、かと言って正直に答えるのもな……。
どう答えていいか迷った俺は、しばらく沈黙して悩んでしまった。
「――あ、ごめんねたっくん、変なこと聞いて。今の話は忘れて」
「えっ、でも」
「いいの、ちょっと気になっただけだから。あっ、それからこれ」
そう言ってるーちゃんは鞄からハンカチを取り出して手渡してきた。
それは約7年ぶりに再会したあの夏休みの日に貸したハンカチだった。
「あの時はありがとう、たっくん」
「こちらこそ、わざわざありがとう。るーちゃん」
「ううん、ちゃんと約束を守れて良かったよ」
にこにこと笑顔でそう言うるーちゃん。
そういえばあの時、『必ず返しに来るから』とか言っていた気がする。てことは、あの時点で既に
「じゃあ、私はこっちだから」
「あっ、うん。気をつけて帰ってね」
「ありがとね、たっくん。バイバイ」
「バイバイ、るーちゃん」
るーちゃんはそう言って十字路を右に曲がり、ぽつぽつと歩いて行く。
その後姿を見ながらまた懐かしい感覚を思い出していたが、同時にこれからのことを考えて少し気が重くもなっていた。
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