第131話・水難×災難

 夏休みというのは時間の経ち方がいつもより早い。ちょっと前に休みが始まった感じだったのに、あと2日もしない内に終わりを迎えようとしているという事実がそれを強く実感させる。

 時間の経ち方を早く感じるということは、それだけ楽しい時間を過ごしていたという証明なのかもしれない。

 お昼を少し過ぎた時間。部屋のベッドで寝転がりながら、朝にダウンロードした昔懐かしいテレビゲームの携帯アプリ版をやっていた。

 しかし最初こそ懐かしさで楽しく遊んでいたのだが、昔やり込んだゲームそのままなので、飽きてくるのもやはり早い。

 半分ほどまで物語を進行させた携帯ゲームを終了させて枕元へと置き、両腕をグッと上へ伸ばしてから大きく息を吐く。


「……本屋にでも行くか」


 ベッドから起き上がって服を着替え、出かける準備をする。

 夏休みの最初の方こそ色々なことがあって目まぐるしく日々を過ごしていたが、そんな特殊な日々などそうそう続くものではない。事実、夏休みの半分を過ぎる頃には暇を持て余すことが多くなっていたからだ。

 まあそれでも友達と遊びに行ったりなんだりと、それなりに楽しく過ごしてはいたけどな。


「――暑い」


 着替えを済ませて外へ出ると、相変らず元気いっぱいの太陽が地球を熱く照らしていた。

 外に出てまだ5分と経っていないというのに、額には汗が浮かんでくる。この暑さと虫の多ささえなんとかなれば、夏は最高の季節なんだけどな。

 とりあえず外に出たのはいいものの、さっそくその暑さに音を上げ始めた俺は本屋への道を急いだ――。




「はあー、涼しいな」


 最寄駅近くにあるいつもの本屋へと着いた俺は、店内の快適さに顔をほころばせていた。

 そしていつものように新刊コーナーを真っ先にチェックし、そのあとで各コーナーを見て回る。


「――おっ?」


 ちょうどライトノベルのコーナーを回っていた時、ちょっと見知った顔を見つけた。


「こんにちは。秋野さん」

「あっ、鳴沢くん。こんにちは」


 一冊の本を手に持ち、表紙を見ていたおさげで黒髪の女の子が、にこやかに挨拶を返す。

 黒のフレームにはめ込まれたレンズが店内のライトで反射し、青く光る。おそらくブルーライトカットの加工がされているのだろう。


「久しぶりだね」

「そうですね。夏休み前以来ですから、約1ヶ月ぶりですね」


 持っていた本を元の位置に戻し、しっかりと俺の方へ身体を向ける。

 柔らかな口調で話すこの女の子は“秋野鈴音あきのすずね”と言って、俺のクラスメイトだ。

 言い方は悪いかもしれないが、黒のおさげ髪に黒縁の眼鏡、そして引っ込み思案な性格のせいか、クラスでは目立つ女の子ではなかった。少なくとも去年の10月の終わり頃までは。

 かく言う俺も入学時からクラスが一緒だったのに、彼女の存在にまともに気づいたのは11月の文化祭の準備期間が始まってからだったしな。

 そんな彼女と顔見知りになった切っ掛け、それは俺の悪友である日比野渡だった。

 実は彼女、渡とは幼馴染ということなのだが、あの騒がしいバカにこんなおしとやかな幼馴染が居るなんて未だに信じられない。だが現実にそうなのだから認めるしかないだろう。

 騒がしくも元気な俺の幼馴染に、少しそのおしとやかさを分けてあげてほしい。


「夏休みは満喫した?」

「そうですね、たくさん本を読むことができました」


 渡とは違いアクティブではない秋野さんは、見た目のイメージそのままにインドア派。本を読むのが好きで、休憩時間にはいつも本を取り出して読書をしている。

 これだけ聞くと地味な女の子――なんてイメージを持つかもしれないが、交友関係は広いようで、二年生になってからは色々な人が話しかけている様をよく見かけるようになった。

 主に同性の子から話しかけられているようだが、それには彼女の特技が関係している。


「でも、新学期が始まったらまた大変そうだね。秋野さんは」

「そ、そうですね、そうかもしれません」


 少し苦笑いを浮かべる秋野さん。

 そんな表情を浮かべたくなる気持ちはなんとなく分からないでもない。なぜならその理由が先に述べた彼女の特技に関係するからだ。


「でもまあ、秋野さんの占いは凄く当たるって聞くからね。みんなが占ってもらいたくなるのも分かる気はするよ」

「そ、そんなことはないと思うんですけどね」


 そう言ってまた苦笑いを浮かべるが、さっきとは違いちょっと嬉しそうにも見えた。

 俺は実際に占ってもらったことはないけど、彼女の占いの的中率は相当に高いと聞く。

 ウソかホントかは分からないが、『鈴音の占いの的中率は99パーセントだ』――と言うのが、幼馴染の渡の弁だ。


「そうだ。せっかくだから今日の俺の運勢を占ってもらったりできるかな?」


 今日という日は既に半分以上終わっているというのに、こんなことを占ってもらうのも変な話だが、仮に恋愛の占いをしてもらって、“一生彼女ができない”――的な結果を叩きつけられたら、俺はもう部屋に閉じもるしかなくなるからな。


「は、はい、いいですよ。ではさっそく」


 秋野さんはそう言うと、チリンチリン――という複数の音と共に小さな鞄から携帯電話を取り出した。

 その携帯電話にはストラップの代わりに複数の大きさの違う鈴が取りつけられていて、秋野さんはその中で一番小さな鈴を取り外してからそれを俺の目前に突き出してチリンと鳴らす。

 最初にこれを見た時には驚いたものだけど、この鈴こそが彼女の占い道具である。その名も秋野さんいわく、“鈴占い”だそうだ。

 前に何度か秋野さんが占いをしている様を見たことがあるけど、この占い、相手の前に突き出した鈴を鳴らし、その時の音色で占いをするというものらしい。だが何度聞いてみても、俺にはただの鈴の音にしか聞こえないんだよな。

 まあ彼女にしか分からないなにか特殊な音が聞こえるのかもしれないが、凡人の俺には分かりようもない。


「――鳴沢くん、今日は水に気をつけて下さい」

「水?」

「はい、大量の水が鳴沢くんを襲うと出ました」


 大量の水――ってのがよく分からないが、なんだろう……雨にでも降られるってことなんだろうか。

 夏は急な大雨も多々あるから、考えられない可能性ではない。だけどそれなら俺だけに限ったことにはならないしな……。


「いわゆる水難ってやつか、具体的にはどういうことになるの?」

「はっきりとは分かりませんけど、屋外ではなく屋内で水難に遭うようですね」


 この話しを聞く限り、雨に降られるとかそういったことではないようだ。それにしても、屋内で水難て……いったいどういう事態だろうか。


「なるほど……ありがとう、気をつけておくよ」

「はい。では、私はこれで失礼しますね」

「うん。ありがとね、秋野さん。気をつけて帰ってね」


 秋野さんは鈴を元に戻すとペコリと頭を下げ、他のコーナーから持って来ていたのであろう占いの本を持ち、レジの方へと向かって行った。

 それにしても、占いが当たると評判なのに、なぜ占いの本が必要なのだろうか。別の占い方を模索しているのかな? そんなことを考えつつ、しばらく店内をウロウロして回った。


「――マジかよ……」


 約20分ほど経ったあと、本屋から出て別の場所でも適当に散策しようかと思っていたのだが、俺から見た自動ドアの向こう側、つまり外はバケツをひっくり返したような大雨が降っていた。

 本屋に来る時には雨が降りそうな気配など一切感じなかったのに、本当に天気というのは気まぐれなもんだ。

 とりあえずただの通り雨の可能性も考えて少しの間は様子をうかがっていたが、広範囲に広がった雨雲は夏の太陽の光を完全に遮断し、街はその彩りを失っている。


「仕方ないか」


 俺は空模様を見て覚悟を決め、大雨が降る中を全力で走った。

 そして本屋から出て自宅までの道を急ぎ走っていたが、半分も来る頃には走ることを諦め、雨という天然シャワーをふんだんに浴びながら歩いて帰っていた。

 最初は自宅まで走ろうと決めていたというのに、人の意志というのはなかなか長続きしないものだなと、今更ながらにそう思ってしまう。

 まあ走り始めて5分もする頃には全身ずぶ濡れになっていたし、どうせ濡れてるなら走って体力を無駄にすることもないだろうと、そう思ったから歩いているわけだけどな。

 でもこうやって雨にうたれていると、なんだか小さな頃のことを思い出すようで少しだけ楽しい気分でもあった。


× × × ×


「ふうっ」


 しばらく大雨の中を歩いたあと、自宅前へと着いた俺はポケットから鍵を取り出して鍵を開け、家の中へと入った。

 玄関に置いてあるタオル入れからタオルを2枚ほど取り出し、頭と身体を拭いていく。

 蒸し暑い夏とはいえ、急に雨に降られると身体は冷える。俺は濡れたついでだからと、少し身体を温めるためにシャワーを浴びにお風呂場へと向かう。

 それにしても、秋野さんの言うとおり酷い水難にあったもんだ。屋外ではなく屋内での出来事だとか言ってたけど、まあそのへんは占いなんだし、大して気にするほどの間違いではないだろう。

 上半身の服を脱ぎながら廊下を歩き、お風呂場へと着いた俺は上半身だけ裸のままお風呂場の扉を開け放った。


「「えっ!?」」


 開けた扉の向こう側、そこにはなぜか全身泡だらけの愛紗の姿があり、扉を開けた俺とばっち視線が合わさった。


「なっ、なんで愛紗が!?」

「きゃあ――――――――っ!」


 思わず俺がそう聞くと、愛紗は泡まみれの身体をよじって横を向き、大きな叫び声を上げながらお湯を出していたシャワーをこちらに浴びせかけてきた。


「ちょっ!? まっ!? お、落ち着けって愛紗!」

「おおお落ち着いてられるわけないでしょ!? ななななんで先輩がここに来るんですかっ!」


 脱衣所に後退してもなお、愛紗は容赦なくシャワーのお湯を浴びせかけてくる。


「な、なんでって、雨に濡れたからシャワーでも浴びようと思ったんだよ!」


 未だにシャワーのお湯を浴びせられている俺は愛紗の方を向くことが出来ないので、背を向けたままでそう話す。


「だ、だからって、確かめもせずにお風呂の扉を開けないで下さいっ! 先輩のバカッ!」


 その言葉のあとにシャワー攻撃が止み、素早く扉を閉める音が背後から聞こえてきた。


「はあっ……」


 水浸しになった脱衣所。俺は溜息を吐いたあと、近くにある雑巾を取り出してからびしょびしょの床を拭き始める。

 そして風呂場の中からご立腹な様子の愛紗の話を聞くと、杏子と由梨ちゃんの3人で遊んだ帰り道、道路を通り過ぎた車に思いっきり水をかけられたらしく、杏子と由梨ちゃんが近場のコインランドリーに洋服を乾かしに行っている間、『風邪をひかないようにお風呂に入っておいて』と杏子に言われたらしく、こうしてお風呂に入って居たんだそうだ。

 俺は水浸しの脱衣所の掃除をする間、ずっと愛紗のお怒りの言葉を聞きながら謝り続けた。

 そして杏子たちが帰宅後、着替えを済ませた愛紗と入れ替わりでシャワーを浴びたそのあとで、そこから更に20分ほど愛紗に土下座で謝ることとなった。

 恐るべし、秋野鈴音の鈴占い……。今度占ってもらう時は、もう少し詳しくその内容を占ってもらうことにしよう。

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