第123話・突然×来訪

「美月さん。とりあえず軽い食事を作って戻って来るから、このままベッドで寝てて。もし何か用事があったら、携帯を鳴らしてくれたらすぐに行くから」


 病院で診察をしてもらって美月さん宅へと一緒に戻って来た俺は、ベッドに寝かせた美月さんに毛布を掛けた後、そう言って枕元に彼女の携帯をそっと置いた。


「ありがとうございます。龍之介さん」


 美月さんはお礼を言いながらにこっと微笑んだ。

 病院へ行く前は本当に青白い顔をしていて心配だったけど、点滴をしてもらったおかげか、顔色は随分と良くなっている。


「それじゃあ、ちょっと家の鍵を借りて行くね」

「はい」


 俺は美月さんの家の鍵を手に取ってから部屋を出て行く。

 とりあえず美月さんのベッドの近くには飲み物を用意してあるし、食事を作る時間くらいは大丈夫だろう。色々と心配もしたけど、病院でちゃんと診察してもらったし、薬もちゃんともらったし、とりあえずは一安心だ。

 ほっとした気分で自宅へと戻り、俺は美月さんの食事を用意する為に冷蔵庫を漁り始める――。




「お待たせ」


 二十分の時間をかけて食事を用意した俺は、鮮やかな黄色のトレーに温かなおかゆとジューサーで絞ったオレンジジュースを乗せて美月さんの部屋へと戻って来た。


「わざわざありがとうございます」

「何度も言うけど、こういう時は遠慮しなくていいんだよ? 身体起こせる?」


 美月さんにそう問いかけながら、俺は近くにある小さなテーブルにトレーを置いた。

 その問いかけに『はい』と答えると、美月さんはゆっくりと上半身を起こしていく。


「大丈夫? 寒くない?」

「少しだけ肌寒い感じです」


 外はだる様な暑さだけど、風邪をひいている相手にそんな事は関係無い。

 それに、病気からくる悪寒ってやつは本当に嫌なものだ。身体は凄く熱いのに、寒く感じてしまうという矛盾した感覚を生むから。


「これ、俺が使ってたやつで悪いけど使ってよ」


 俺は予め用意していた、冬場に愛用している半纏はんてんを美月さんにそっと羽織らせた。


「ありがとうございます」

「気にしなくていいよ。ところで、用意したのがお粥とオレンジジュースだけだけど、大丈夫かな? 他に欲しい物あった?」

「いえ。まだそこまで食欲も無いので気にしないで下さい」

「そっか。それじゃあこれもあんまり無理して食べなくていいからね?」

「すみません。ありがとうございます」

「よし。それじゃあちょっとごめんね」


 お礼の言葉を聞いた俺はテーブルをベッドの近くに寄せ、ジュースの入ったコップをテーブルの上に置き、お粥の入った器が乗るトレーを持ち上げてから美月さんの居るベッドにそっと座った。


「あっ……」

「さあ、あーんして」


 ベッドの中心付近の淵側に座った俺は、小さなスプーンですくったお粥をこぼさないようにしながら美月さんの口元へと差し出した。

 しかし美月さんは差し出されたスプーンを前に口を開かず、俺とスプーンを交互に見つめながらもじもじとしている。

 そんな美月さんの示している態度に対して少し考えを巡らせた結果、自分がしている事がちょっと恥ずかしい行動だという事に気付いた。


「ご、ごめんね、美月さん。つい杏子の面倒を見ている時の癖が出たもんだから」

「あっ、違うんです!」


 トレーごと美月さんに手渡してベッドから立ち上がろうとした時、慌てて離れるのを止められた。


「おっと!」


 俺が離れるのを止める為、両手で持っていたトレーから片手を放して背中部分の服をグッと掴む美月さん。

 その予想外の行動に、俺は引っ張られた方へとバランスを崩す感じでベッドに尻餅を着く。


「ごめんなさい」

「い、いや、美月さんこそ大丈夫?」

「はい。大丈夫です」


 トレーの上ある器は俺がベッドに尻餅を着いた時の衝撃で揺れはしたようだけど、幸いにも中身がこぼれたりはしていなかった。


「急にどうしたの?」

「あの……ご飯、食べさせてもらっていいですか?」

「えっ? でも、恥ずかしいんじゃないの?」

「確かに恥ずかしい気持ちはありますけど、さっきのはどういう顔をしていいのか分からなかっただけなんです。私、こういう事をしてもらった事が無いので……」


 美月さんはそう言って少し寂しそうな表情を浮かべた。


 ――そっか。美月さんは物心ついた時には天涯孤独の身だったんだもんな……。


「……分かった。それじゃあ、あーんして」


 俺はしっかりとベッドに座りなおし、美月さんに渡していたトレーを引き寄せてから再びスプーンでおかゆを掬って口元へと差し出した。


「はい」


 美月さんは嬉しそうにしながら返事をし、なぜか両目を閉じてから口を開けた。

 俺が口の中にスプーンを入れると、あむっと口を閉じる。それを確認した後でゆっくりとスプーンを引き抜くと、口をモグモグと動かしながらゆっくりとお粥を咀嚼そしゃくする。


「あーん」


 口の中のお粥を食べ終えると、今度は自分から口を開けて続きを催促してきた。

 何て言うか、俺は案外こういった事をするのは嫌いじゃない。杏子は今でも風邪をひけばこんな感じでご飯を食べさせる事を要求してくるし、俺もこんな看病には少し慣れっこになっているところもあるから。

 美月さんのリクエストにお応えし、再びスプーンで適量のお粥を掬ってから口の中へと運ぶ。そしてしばらくの間、そんな事の繰り返しが続いた。


「――ごちそうさまでした」

「いえいえ。それじゃあ俺は薬を飲む為の準備と片付けをしてくるから、ちょっと台所を借りるね。美月さんはちゃんと寝てるんだよ?」

「はい。分かりました」


 美月さんに羽織らせていた半纏を取ってから横にさせ、俺は毛布をそっと掛けてから部屋を出て行く。

 食欲があまりないとは言っていたけど、作って来ていたお粥の半分以上を美月さんは平らげていた。その事実だけでも少しは安心できる材料になる。入らない時は本当に一口すらも喉を通らないものだから。

 美月さんの症状が少し落ち着いた事でほっとしながら階段を下りていた時、不意に玄関の方からチャイムが鳴り響いた。

 俺はとりあえず階段を下りてからトレーを床に置き、玄関へと向かう。


「はーい! どちらさまでしょうか?」

「あっ! あの、こちらは如月美月さんのお宅ですよね?」


 玄関先からは不安げな感じの声でそう問いかけてくる若い女性の声が聞こえてきた。


「あっ、間違い無いですよ。今開けますね」


 きっと如月さんの友達だろうと思った俺は、鍵を開けてから扉をそっと開く。

 すると開いた扉の先には、ライトブラウンの明るい髪色でサラサラのショートヘアをしたとても可愛らしい女子が、大きな赤色のキャリーバッグの持ち手を掴んだままで立っていた。その姿は旅行にでも来たかの様な余所行きの風貌だ。


「あの、美月ちゃんはご在宅でしょうか? 四日くらい前から連絡が取れなくて心配してたんですけど」

「あっ、ちゃんと居ますよ。だけど今は風邪をひいて寝込んでるんですよ」


 俺は美月さんを心配して訪ねて来たのであろうお友達に、軽くだが経緯を話して聞かせた。


「――なるほど、そういう事だったんですね。相変らず気を遣うところがちょっとずれてるなあ、美月ちゃんは」

「ところで、あなたは美月さんの学園のお友達ですか?」

「あっ、私ってば自己紹介もしないでごめんなさい!」


 俺の問いかけに対し、丁寧に頭を下げて謝ってくる。その様を見ているだけでも、礼儀正しい子なんだろうと思える。


「いやいや。美月さんの事が心配だったんでしょうし、気にしないで下さい」

「ありがとうございます。私は桐生明日香きりゅうあすかって言います! 美月ちゃんがこちらに転校して来る前の学校からのお友達なんです」


 にこやかな笑顔を向けて自己紹介をしてくれる桐生さん。

 美月さんとはちょっと違ったタイプで、とってもハキハキとした元気の良い人だ。


「ああっ! 君が美月さんがよく話してた前の学校のお友達ですか。初めまして、自分は鳴沢龍之介って言います。ちょっと待ってて下さいね。これを台所に置いたらリビングに案内しますので」

「あっ、大丈夫ですよ。場所は分かりますから」

「えっ? そうなんですか? それじゃあ、上がって待ってて下さい」

「はい! それじゃあ、お邪魔しますねー」


 そう言って靴を脱ぐと、桐生さんはそれを綺麗に揃えてから何の迷いも無くリビングのある方へと歩き始める。その様を見た俺は、この家に来た事があるのかなと最初は思った。

 しかしよくよく考えてみれば、彼女は玄関を開ける前、『こちらは如月美月さんのお宅ですよね?』とこちらに聞いてきていた。普通は一度でも訪ねた事がある家なら、こんな聞き方はしないだろう。

 ちょっとに落ちない点がありつつも、俺は台所に食器を運んでからお薬とお茶の準備を始めた。

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