第97話・温もり×鼓動
夕食後、俺は杏子と愛紗が片付けをしている間に風呂掃除に勤しみ、綺麗に洗い終わった浴槽にすぐさまお湯を入れ始めた。
風呂場の窓は外の強い風の影響でガタガタと揺れていて、今は少しだけ雷は静まっているものの、未だその状況が緩和したとは言えない状況である事を物語っている。
俺は蛇口から出ているお湯の勢いを強め、浴槽に早くお湯が溜まるようにした。こんな嵐の日は何が起こるか分からないから、出来る事は早めに済ませておくべきだろう。
蛇口から勢い良く出るお湯を見た後、台所で片付けをしている杏子達のもとへと向かった。
浴室を出てから向かった台所に入ると、杏子と愛紗が皿洗いと皿拭きを分担しながら片付けをしていて、その様子はとても楽しそうに見えた。そういえば、愛紗が友達とこうやって楽しそうに何かをしている風景をちゃんと見るのは初めてかもしれない。
今の愛紗が見せている笑顔は俺と一緒に居る時の笑顔とはやはり違い、リラックスした感じのとても柔和な笑顔だ。
とりあえずそんな状況の邪魔をするのは悪いので、俺はリビングへと向かいソファーに腰掛けた。
そしてテーブルの上にあるリモコンを手に取りおもむろにスイッチを入れると、テレビからは天気に関するニュースが詳しく流れていた。俺はリモコンで少しだけ音量を上げ、そのままリモコンをテーブルに置いてからその情報に目と耳を傾ける。
「ずいぶんと酷いみたいだな……」
ニュース番組から流れてくる情報を見聞きする限り、やはり愛紗を家に泊めたのは大正解だったと思う。
なぜなら愛紗が帰ろうとしていた時間帯には既に大雨と強風、雷と雨の影響で電車はストップ、バスも運行を見合わせ、タクシーに至っては乗り場に行列が出来ているところが映し出されていたからだ。
「お兄ちゃん。お風呂掃除ありがとうね」
「あっ! いけねっ!」
しばらくして二人がリビングへと戻って来た時、杏子から出た言葉を聞いた俺は慌てて風呂場へと走った。
「あちゃー!」
風呂場に着いてすぐ、俺は急いで勢い良くお湯を出す蛇口を閉めた。浴槽には溢れ出る寸前まで溜まったお湯。
状況的にセーフと言うべきかアウトと言うべきか。とりあえずお湯は溢れ出していなかったから、セーフ判定という事にしておこう。
「どうしたのお兄ちゃん? あー!? お湯がいっぱいじゃない! お兄ちゃん、また蛇口全開でお湯を出してたんでしょう」
「悪い悪い、急いで溜めた方がいいと思ったんでな。とりあえずお湯は入ったんだから、洗い物が終わったなら入れよ」
杏子はしょうがないなと言った感じの表情を浮かべながらも、足取りも軽やかに浴室を出て行った。おそらく、お風呂へ入る順番を決めに行ったのだろう。
「――お兄ちゃーん。ちゃんとそこに居るー?」
「ああ。ちゃんと居るから安心しろ」
「の、覗いたら承知しませんからねっ!」
「んな事しないって!」
俺は今、浴室の出入口横の床に座って携帯をいじっている。
そんな俺の左側にある浴室の扉の向こう側では、二人の少女がキャッキャウフフと楽しげな声を出しながらバスタイムを楽しんでいる最中。
どうしてこんな拷問にも似た状況に置かれているのかと言うと、雷様が栄養補給でも終えたのか、勢い良くライブ活動を再開したからだ。
そんなわけで二人は一緒にお風呂へ入る事を決めたらしく、加えて杏子は恐怖を軽減する為に俺を脱衣所に配備する事を強制的に決定し、現在こうなっているわけである。
「「キャ――――ッ!」」
時折鳴り響く雷の轟音。その雷様のライブ活動で、甲高い悲鳴を上げる二人の少女。
俺は年頃の女子が楽しそうに騒ぐ声と、恐怖に震える声を交互に聞きながら脱衣所で携帯アプリのゲームに興じている。
でもこの状況、下手をしたら風呂を覗いて悲鳴を上げられていると勘違いされそうだ。渡なら躊躇無く覗きそうだが。
「あっ、お兄ちゃんどこ行くの!?」
風呂の中から俺の動きを監視でもしているのか、持って来ていた充電器の差し込みプラグをコンセントに差し込もうと移動を始めた瞬間、杏子がすぐさま声をかけてきた。
「どこにも行かないよ。ちょっと携帯の充電器をコンセントに差し込むだけだ」
「それならいいけど、絶対にどこにも行っちゃ駄目だからね?」
「分かってるって」
中に居る杏子達が、どういう状態で俺に声をかけているのかは分からない。なぜなら扉越しとはいえ、お風呂側を見るのは愛紗に禁止されているからだ。
別に最初っから見るつもりは無いのだけど、『扉は不透明素材だから、見えてもシルエットしか分からないぞ?』と愛紗に言ったところ、『影で身体のラインが分かっちゃうじゃないですか!』と怒られてしまった。
まあ、女子ってそういうのを気にするって言うから、これに関しては俺の思慮不足だったと思う。
急いでコンセントに充電器のプラグを差し込み、その先を携帯の充電部分へと差し込む。
二人が風呂に入ってから、まだ15分も経っていない。
愛紗が普段、入浴にどれだけの時間を費やしているかは知らないけど、杏子は最低でも一時間は使う。今までで一番長い時には、三時間も風呂に入っていた事があった。
だからこうして待っている俺も、長期戦の覚悟で準備をしていないと、あっと言う間に手持ち無沙汰になるわけだ。
「愛紗ってこうして触ると凄いボリュームだよねえ」
「ちょ、ちょっと杏子! 後ろから何してるのよ!」
――うちの妹様はいったい何をしてらっしゃるんでしょうか……。
聞こえてくる言葉から内容がとても気になるので、是非とも妹には今やっている行動と感想を余すところなく実況してほしい。
そんな事を思いながら、止まっていた指を動かしてゲームアプリを再開した。
浴室からは今もバシャバシャと水を打つ音と共に、二人が騒ぐ声が聞こえてくる。おそらくは湯船の中で何かをしているんだろう。
しかし中に居るのが妹とその友達とはいえ、女子が入浴中のシチュエーションてのは健全な男子には毒だ。そんなつもりはなくても、色々な想像をしてしまうし。
楽しそうに騒ぐ二人の少女の声を耳にしながら、俺は携帯ゲームをやり進め続けた。
「――絶対にこっちを向いちゃ駄目ですよ!」
「何度も言わなくたって分かってるよ」
杏子と愛紗がキャッキャウフフの時間を過ごし始めてから40分後。どうやら愛紗はそんなに長風呂をする方ではなかったらしく、杏子を残して脱衣所へと出て来ていた。
長風呂の杏子は雷が怖いから愛紗に居てほしかったみたいで、風呂から上がろうとする愛紗をしきりに止めていたけど、のぼせたらいけないからと俺が助け舟を出した事により、無事に愛紗は杏子から解放されたわけだ。
そして今、俺の背後ではパジャマに着替えるべく身体を拭いているであろう愛紗の気配があり、風呂上りという事もあるからか、背中には室温とは違った温かみを感じる。
鼻に届いてくるフルーツの様な甘い香り。杏子は自分専用のシャンプーを使っているのだけど、おそらくはその匂いだと思う。
しかし何と言うか、背後で裸の女子が身体を拭いているのかと思うと、妙にドキドキしてしまう。加えてこの甘い香りが、俺の妄想力を加速的に助長するから大変だ。
「「キャ――――ッ!」」
ちょっとした妄想に耽っていたその時、再び大きな雷が鳴り響いたかと思った次の瞬間、部屋全体が突然暗くなった。
それを見てついに停電したかと思った俺は、その場でスッと立ち上がる。
「先輩っ!」
立ち上がった瞬間、背中――と言うか、背中に近い腰部分に温かく柔らかい感触が当たった。
どうやら愛紗が俺に飛びついて来たようだったが、背後からお腹の部分にしっかりと回された両腕は、これでもかと言うくらいに力が込められていて、その腕から伝わる震えは愛紗がいかに怖がっているのかをダイレクトに伝えてくる。
「愛紗、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……じゃない……です……」
愛紗にしては珍しく弱気な発言。まあ雷に加えてこの暗闇だから、怖くて当然かもしれないけど。
「安心しろ。ちゃんと俺が居るから」
愛紗はその言葉に声では答えず、頭を小さく何度も動かしていた。
背後に感じる頭の動きとその吐息の熱さが、俺の心臓の動きを加速的に速めていく。
「杏子は大丈夫か?」
俺は胸のドキドキを紛らわそうと必死だった。何とか誤魔化さないと、この心臓の音が抱きついている愛紗に聞こえてしまうと思ったからだ。
「わ、私は大丈夫。愛紗は平気?」
「愛紗は大丈夫だ。俺の近くに居るから」
「そっか、良かった」
こんな時でも友達を思いやる我が妹の優しさに、俺は精一杯の称賛を送ってやりたい。
「杏子、ちょっとブレーカーを見てくるから待ってろな」
「わ、分かった。早く戻って来てね」
「おう。愛紗、そういうわけだから、ちょっとここで待っててくれないか?」
「い、いや……お願い……離れないで下さい……」
愛紗は小刻みに顔を左右に振りながら、小さく囁くようにそう言った。
「そうは言ってもなあ……」
このままの状態では移動もまともにできないし、何より危ない。しかしこのままの状態で居ても仕方がないのも確か。
それに杏子にああ言った手前、早いところブレーカーを上げて安心させてやりたい。
「……しょうがない。愛紗、このままブレーカーがあるところまで行くから、そのままゆっくり歩いて来れるか?」
その問いかけに愛紗はゆっくりと頭を何度か縦に動かす。こうして愛紗の意志を確認した俺は、携帯のライト機能を使って少しずつ前へと進み始めた。
ゆっくりとブレーカーのある玄関へと向かう途中、先程よりも更に密着度を高くした愛紗の温もりを感じながら俺は歩いている。
その密に感じる温もりと同時に、さっきよりも刺激の強い柔らかな感触を感じていた。
――あ、愛紗って結構胸が大きいんだな……。
身長の割には大きいかなと思っていたけど、まさかこれ程とは思っていなかった。直接見たわけでもないし、触ったわけでもないけど、その感触だけで十分に大きいと分かる。
「もう少しで着くからな」
震える愛紗と共にブレーカーへと向かい、ようやく辿り着いた俺は玄関にある靴べらを手に取ってからブレーカーをライトで照らし、靴べらをブレーカーへと伸ばす。
そしてブレーカースイッチを靴べらで押し上げると同時に家の中の電気がパッと点き、それぞれの部屋を明るく照らし始める。
「愛紗、もう大丈夫だぞ」
「あっ……良かった……」
そう言うと愛紗はゆっくり手と身体を離し、背後から大きく息を吐き出す音が聞こえた。
そんな愛紗の安堵した声を聞いて安心したからか、俺は思わず愛紗の方を振り返ってしまった。
「大丈夫か? あっ――」
「えっ!?」
振り返った先には、ピンク色のバスタオルを身体に巻いた愛紗の姿。
停電のせいでまだちゃんと拭けていなかったのか、薄いブラウンのショートカットの髪はしっとりと濡れていて、いつもはクルッと外側にカールを巻く様になっている左右の髪も、ウエーブがかかった様な状態になっている。たったそれだけの事なのに、何だかいつもの愛紗と違って見えるから不思議だ。
そして何より目を引いたのは、ピンク色の薄布一枚を隔た向こう側にある、圧倒的存在感の二つの豊満な膨らみ。俺はその豊満な膨らみに自然と視線が引き寄せられ、そのまま全てを固定されたかの様にそこを見つめてしまった。
「あ、あ、あわわ…………」
この時の俺は、愛紗がどういう表情をしていたのかまったく見ていなかった。
だがおそらく、熟したトマトもビックリな程に赤く染まっていたであろう事は想像に難くない。
「こ、こっちを見ないでえええ――――っ!」
「うがっ!?」
愛紗が大きな声でそう言った次の瞬間、俺の腹部に重い衝撃と痛みが走った。
そしてその衝撃に腹を抱えて膝を着くと、愛紗が浴室の方へとダッシュしているのが見えた。
「ど、どうしたの!?」
それから愛紗と入れ替わるように現れた杏子に助け起こされ、何があったのかを聞かれた俺は、とりあえず事の経緯を説明した。その後、杏子のパジャマに着替えて来た愛紗に20分くらい責められたが、杏子の助力もあり、何とかその機嫌を少しは収める事ができた。
でも、確かに約束を破って振り向いたのは悪かったけど、直接裸体を見た訳でもないし、あそこまで怒らなくても――と、少しは思ってしまう。
しかし悪かったとは思いつつも、目の前で口をアヒルの様にしている愛紗を見ながら、俺は心の中で手を合わせる。
――眼福、眼福……。
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