第88話・約束×本音

 七夕祭りの熱気が益々の高まりを見せる中、俺と杏子はあちこちの屋台を巡りながらその雰囲気を思う存分に楽しんでいたのだが、途中から少し気になる事があった。


「杏子、さっきからちょくちょく足を気にしてるみたいだけど、どうかしたのか?」

「あ、うん。何だか履いている下駄が合わないみたいで、少し足が痛くて」


 この下駄はずっと前からあった物だから、きっと足の大きさに合わなくなってたんだろう。


「足、大丈夫そうか? 無理するなよ?」

「うん、多分大丈夫。ありがとう、お兄ちゃん」


 にこっと微笑んで見せる杏子。本当に出会った時と違って、よく笑顔を見せるようになった。

 杏子が俺の妹になる前。つまり、本当の母親と過ごしていた頃の杏子の事はほぼ知らない。だけどきっと、元々はこんな風に明るく笑顔が多い子だったんだろうと思う。

 杏子の母親の顔は写真でしか見た事がないけど、今の杏子を見たら、天国に居る杏子の母親もきっと喜んでくれるんじゃないだろうか。


「あっ、見て見て、お兄ちゃん」


 そんな事を考えていた俺に杏子が声をかけてきたので、指差す方の空を見上げた。

 指し示された空には数発の花火が打ち上がり、暗く染まった空を明るく鮮やかに照らしていた。どうやら花火が始まる5分前の合図用花火が上がったらしい。


「おっ、そろそろ花火が始まる時間なんだな。それじゃあ行くか」

「うん」


 俺達は花火を上げる場所へ向かう人波に逆らって移動し、そのまま祭りの会場を抜け出した。そしてそこから例の神社へと向かう。

 神社の境内へと向かう階段を、一歩ずつゆっくりと杏子の歩調に合わせて上がって行く。こうして二人でこの階段を上って行くのは、もう何度目になるだろうか。


「わあー、綺麗だなあ」


 階段を上って境内の方へ進むと、打ち上がる連発花火の光が境内を明るく照らした。

 そして空が再び暗闇に染まると、じっくり花火を見れる場所を探して辺りを見回す。だがこの高台にある神社には既に沢山の人が集まっていて、その中へと分け入って行くのはもう無理だろう。

 でも、そこまで近付かなくても花火は十分に見えるし、特に問題は無い。

 俺達は花火見物のギャラリー達が居る方とは逆の位置に移動し、そこにあるベンチに腰掛けた。


「年々この神社に花火を見に来る人が増えてる感じがするよな」

「そうだね。ここって花火を見るには丁度良い位置だから」


 座ったベンチから空を見上げながら、しみじみとそんな事を話す。

 しばらくは空を彩る大輪の花火を見つめながら、様々な大きさの花火に二人して歓声を上げる。

 それは花火を見物している他のギャラリーも同様で、大きな花火がドドーンと打ち上がると、少し離れた位置に居るにもかかわらず、大きな歓声が聞こえてきていた。


「――こうしてお母さんの着ていた浴衣を着ていると、何だかお母さんが一緒に居る気がするなあ……」


 見物していた花火もそろそろ終盤を迎えようとしていた時、杏子が突然そんな事をぽろっと呟いた。


「…………杏子のお母さんてさ、どんな人だったんだ?」


 杏子が自分から母親の事を口にするのは、あの日以来の事だ。ちょっとした戸惑いがあったのは確かだけど、俺はそう聞いてみたくなった。


「優しくて温かい人だったよ」


 空に向けていた視線を下ろし、杏子はにこやかにそう答えてくれる。そんな杏子の一言に、全てが詰まっているという感じがした。


「そっか。俺も会ってみたかったな」

「お兄ちゃんならきっと、お母さんのお気に入りになっていたと思うよ?」

「どうしてだ?」

「だって、私とお母さんは好みが似てたから」

「つまり何だ。杏子が気に入るものは、お母さんも気に入ってたはずだと?」

「うん。そうだよ」


 ウンウンと頷きながら、にこにこと何の迷いも戸惑いも無くそんな事を言う杏子。


「だからもしお母さんが居たら、お兄ちゃんの取り合いをしてたかも」


 ――俺を取り合うって……お母さんはどんだけ性格が杏子と似てたんだ。想像するだけでもちょっと疲れる。


「それは頭が痛くなりそうな話だな。でもさ、お母さんが生きていたら、そもそも俺と杏子は出会ってなかっただろうけどな」

「そっか。そうだよね……」


 杏子は少しだけ寂しそうに呟く。

 そして少しの間お互いが沈黙した後、杏子は再び口を開いた。


「ねえ、お兄ちゃん。もしも私のお母さんと、お兄ちゃんのお父さんが死なないで私達が出会っていたら、いったいどうなってたのかな?」


 いつものおちゃらけた感じとは違い、真面目な感じでそんな事を聞いてくる。

 さっきも言ったように、俺も杏子も片親が亡くならなければ、おそらく出会う事は無かっただろう。だけど杏子にそう尋ねられると、ついそんなもしもを想像してしまう。

 正直に言うと、そんな事を考えた事が無いと言えば嘘になる。そしてもしも杏子と普通に出会っていたとしたら、俺は杏子に対して恋心を抱いていたかもしれない。

 はっきり言って可愛い方だし、性格も良くて明るいし、ぽ~っとしてたりもする事も多いけど、基本的に元気で前向きだし、一緒に居ると嫌な事も忘れて元気になるから。


「そうだな……少なくとも、良い友達にはなってたんじゃないか?」


 思っていた本心を口に出来る訳もなく、俺は至って無難な答えを述べた。


「友達~?」


 そんな俺の答えに対し、杏子は口をアヒルのようにして不満そうにしている。


「不満そうだな顔だな」

「そんな事は無いけどさ……」


 そう言って口を尖らせたままでそっぽを向く。誰がどう見たって、拗ねている様にしか見えない。


「まったく、何を拗ねてるんだか」


 たまにこうしてよく分からない事で拗ねたりするけど、未だに杏子のこういったところは分からない。

 気がつくと花火を見ていたギャラリー達が、散り散りになって神社の外へと向かい始めていた。どうやら話をしている間に花火の打ち上げが終わったようだ。


「杏子、花火が終わったみたいだぞ」

「あっ、本当だ……」


 杏子は少しだけ儚げな表情をして、さっきまで明るい花火が上がっていた空を見つめる。


「……帰ろっか」

「うん」


 ギャラリーのほとんどが神社を去った後、俺達は名残惜しむようにして神社の階段を下りて行く。俺が杏子の一歩先を行き、そんな俺の後ろを杏子はゆっくりとついて来る。


「きゃっ!」


 後ろからついて来る杏子の様子を見ながら階段を下りていると、途端に杏子がよろめいて声を上げ、俺の方へと倒れてきた。


「おっと!」


 よろめいて倒れてきた杏子をしっかりと抱き止め、体勢を安定させる。


「大丈夫か?」

「ごめんね、お兄ちゃん。もう大丈夫だから」


 そう言って離れると、しゃがみ込んで右足の下駄を触り始めた。


「ああ、鼻緒が切れたのか」


 しゃがみ込んでから携帯のライトを使って杏子の右足の下駄を見ると、見事に鼻緒が切れていて、このまま歩いて帰るのは無理な状態だった――。




「お兄ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫さ」


 俺は杏子をおんぶして帰路を歩いていた。

 あの時は鼻緒を直せるかと思って色々とやってみたのだけど、やはり素人の俺には無理だった。なので俺は、杏子をおんぶして自宅へと帰る事にした。家はそんなに遠いわけではないので、それだけは幸いだったと思う。

 小さな頃はこうして杏子をおんぶして家へと帰るって事も多々あったけど、今こうしておんぶをしていると、本当に大きくなったなと実感する。いつまでも小さな子だと思っていたけど、やっぱり成長しているんだな。

 自宅への帰路をゆっくり歩いていると、少しずつ周りから人が居なくなっていく。そしてもう少しで自宅へと着こうかという時、杏子が耳元で言葉を発した。


「ねえ、お兄ちゃん。私と兄妹にならずに出会っていたら、私とお兄ちゃんは恋人になれたりしたのかな?」

「はあ? いきなり何言ってんだよ」

「答えられないの?」

「当たり前じゃないか。杏子だってそんな事には答えられないだろ?」

「私だったら……お兄ちゃんと普通に出会ってたら、恋人になってあげても良かったよ?」


 そんな事を可愛らしく耳元で囁く杏子。それにしても、言っている事が上から発言なのが気にかかる。


「恋人になってあげても良かったよ――か。それだと俺が完全に尻に敷かれる未来になるな」

「ふふっ、そんなの気のせいだよ、お兄ちゃん。それにお兄ちゃんが大好きって気持ちがあるんだから、それでいいじゃない」


 そう言って組み合わせていた両手をぎゅっと締め、おんぶをされながら俺を強く抱きしめてくる。


「ちょっ!? 苦しいって杏子!」


 俺の言葉などまるで聞こえていないかの様に、抱き締める腕の力を強めてくる。

 そして杏子は俺の背中に自分の顔をスリスリと擦りつけ、何やらクスクスと小さく笑っていた。


「聞いてるのか杏子!」

「いいじゃない。未来のお嫁さんがする事なんだから」

「だから、それは昔した約束だろ」

「昔でも今でも、約束は約束だもん。だからお兄ちゃんも、お兄ちゃんの物も私の物だもん」

「お前はどこのガキ大将だ」

「いいの。私はお兄ちゃんの妹で、お兄ちゃんのお嫁さんなんだから」


 まったくもって理屈になってない妹様の発言に、思わず苦笑いがでる。しかしまあ、これはこれで杏子らしいと思う。


「分かった分かった。分かったから、少し大人しくしてろ。このままだとお前が地面に落ちちまうぞ」

「はーい」


 ようやく大人しくなった杏子をおんぶしながら、目前に見える家へと歩いて行く。

 まだまだ甘えん坊なところが抜けない妹だけど、俺にとって最愛の妹。きっと俺と杏子は、ずっとこんな感じで兄妹をやっていくのだろう。

 そんな事を考えながら我が妹様と自宅へ入り、着替えを済ませた後で庭に用意していた笹に願い事を書いた短冊を括り付ける。

 そしてその日の夜遅くまで二人で星を見ながら、七夕の夜は過ぎて行った。

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