第82話・ジューンブライド×準備中

 熱狂に包まれた花嫁選抜コンテストが終わってから、今日でいよいよ六月最後の日曜日を迎えていた。


「すげえ……」


 お昼を少し過ぎたあたり、俺はコンテストを学園長にお願いしていたデザイナーが指定したホテルへと来ていた。地元から少し離れた場所にあるこのホテルは、世間でも三本の指に入るくらいに有名だ。

 大きく豪華な外観に圧倒されながらホテルの中へ入ると、その外観とは裏腹に白を基調とした清潔で落ち着いた感じの内装が施されていて、非常に雰囲気が良い。

 とりあえず目的を果たす為、俺は事前に聞いていたとおりにフロントでデザイナーさんからの伝言を聞き、指定された部屋へと向かった。


「――はーい!」


 指定された部屋の前に着いて扉をコンコンと叩くと、中からとても聞き慣れた声の返事が聞こえてきた。


「龍之介だけど、入っていいか?」

「あっ、龍ちゃんか! いいよー、入って入ってー」


 その言葉を聞いた俺は、ゆっくりと部屋の扉を押し開けて中を覗き見る。

 そして覗き見た扉の向こう側には、美しい純白のウエディングドレスを纏って椅子に座る茜の姿があった。


「ほほう……こりゃあなかなか」

「ふふっ。どう? あまりの綺麗さに見惚れちゃった?」


 身につけたドレスを見ながら、茜がにこやかにそんな事を聞いてくる。

 コンテストの時に着ていたドレスもかなり良かったけど、こっちのドレスはまるで茜の為に作られたかの様に良く似合っていた。はっきり言って綺麗だ。


「ああ、馬子にも衣装とはよく言ったもんだよな」

「んー!? どういう意味だー!」


 俺より遥かに成績の良い茜が、この言葉の意味を知らないはずがない。とは言え、俺が口にしたその言葉が嘘なのは確かだ。

 しかしそんな本心を素直に話してしまうほど、俺は愚か者じゃない。

 こちらの本心を知らない茜は、椅子に座ったままの状態で猛烈に抗議をしてくる。


「おいおい、そんなに暴れるとメイクさんに迷惑がかかるぞ」

「あっ、いけない。ごめんなさい」


 その言葉にはっとした茜は、隣で苦笑いを浮かべていたメイクさんに向かってすぐに頭を下げる。するとそのメイクさんは『大丈夫よ』と言ってにこっと微笑んでだ。

 そんなメイクさんはやって来た俺と茜に気を遣ってくれたのか、『ちょっと席を外すわね』と言い残して部屋を出て行った。


「気を遣わせちゃったみたいだな」

「そ、そうだね」


 お互いに苦笑いをしながら顔を見合わせる。そして不意に訪れる沈黙の時間。

 そんな沈黙に何となく気まずさを感じ、茜の居る方から視線を逸らす。


「ね、ねえ、龍ちゃん。こういう衣装って、やっぱり私には似合わないかな?」

「えっ?」


 その言葉に逸らしていた視線を再び茜の方へ向けると、何だか元気なさげに言葉を続けた。


「やっぱりこういうのって、美月ちゃんとか杏子ちゃんみたいな可愛い子が着る方が似合うよね。私はあんまり女の子らしくないから……」

「どうしたんだよ、急に」

「ううん……何でもない」


 そう言ってちょっと弱々しい笑顔を向けてくる茜。

 突然どうしたってんだろうか。茜がこんな感じだと、こちらとしては拍子抜けしてしまう。もしかして、さっき言った言葉を気にしてるんだろうか。


「あー、あのさ、その……上手くは言えないけど、似合ってると思うぞ。そのウエディングドレス」

「本当に?」

「あ、ああ、本当だよ。すげえ似合ってると思う……」


 戸惑いながらも小さく自分が思っていた事を口にした。

 しかし自分が口にした言葉の恥ずかしさに、顔や身体が急速に熱くなっていくのを感じてしまう。


「えっ!? 今何て言ったの? 聞こえなかったからもう一度言って」

「こ、こんな恥ずかしい事を二度も言うかよ!」

「ねえ、お願い。もう一度言ってよ」

「やだよ!」

「えーっ! 龍ちゃんのケチッ!」


 口先を尖らせながら文句を言う茜。ようやくいつもの調子を取り戻してきたみたいだ。


「そういえばさ、茜はこれから撮影なんだろ?」

「うん。13時から式場で撮影って言ってたよ」

「13時か、あと20分くらいはあるな。どうだ、緊張してないか?」

「んー、まったく緊張してないとは言えないけど、コンテストの時に比べたら大丈夫かな」

「まあ、コンテストの時みたいに大人数が見てるわけじゃないしな。でも、いざ撮影になってガチガチになっても、今度はコンテストの時みたいに助けられないからな?」

「えっ? 今度はって……私、コンテストで龍ちゃんに助けてもらったっけ?」


 コイツはコンテストの時、俺を大いに笑い飛ばした事をもう忘れたのだろうか。やっぱりファミレスメニューのフルコースを要求してやればよかった。


「はあっ……まあいいや。そういえばさ、茜の好きな人が結構昔から居たってのはビックリだったな」

「えっ!? そ、そう?」

「ああ。茜との付き合いも長いけど、そんな話は聞いた事もなかったしな。ところで……相手は誰なんだ? 俺の知ってる奴か?」


 俺はニヤリと笑みを浮かべながら、茜を見据えてそう尋ねる。すると茜はその質問に顔を紅くしながらそっぽを向いた。


「そ、そんな事、龍ちゃんに言えるわけないじゃない……」

「どうしてだよ。別に聞いたからってからかったりしないぜ? むしろ知ってる奴なら協力してやるよ」

「だーめっ! 今は絶対に龍ちゃんには教えないもん!」


 頑なに意中の人を明かすのを拒否する茜。俺ってそんなに信用が無いのだろうか。


「まあいいさ。さて、俺はちょっとトイレに行って来るわ」

「……龍ちゃん!」


 トイレへ行く為に出入口の方へと向かって歩き、扉を開けようとドアノブに手をかけた瞬間、後方に居る茜が不意に大きな声で俺の名前を呼んだ。


「な、何だよ。急に大きな声を出してさ」

「あ、あのね、今は教えられないけど、いつかきっと龍ちゃんには教えるから。だからその時は……ちゃんと話を聞いてくれるかな?」

「ああ、分かったよ。いつでも聞いてやる」

「うん。ありがとう、龍ちゃん」

「おう」


 にこやかな笑顔を浮かべる茜を見た俺は、握ったノブを下げて扉を開け、トイレへと向かった――。




 トイレから戻った俺は茜が撮影に行くのを見届けた後、フロントで聞いたデザイナーさんの伝言どおりに次の部屋へと向かった。


「おっ、ようやく来たか」


 目的の部屋へと着いて扉を開けると、中にはデニム生地のホットパンツに白のTシャツ姿のとてもラフな格好をした宮下先生が居た。

 何と言うか、あまりにも場違いな格好だとは思うけど、普通に似合っているから文句の言いようもない。それにしても、普段は白衣を着ているからよく分からなかったけど、かなりスレンダーな体型だ。


「ん? どうした?」

「あっ、いいえ、何でもないです。それよりも、何で宮下先生がここに?」

「私には今回の件を最後まで見届ける義務がある。責任者だからな。だからこうして様子を見に来たのさ」

「そう言えばそうでしたね。納得しました」

「君はこれから衣装に着替えるのだろう?」

「まあ、そういう事になるんでしょうね」


 部屋の中には新郎用の衣装として定番のタキシードが色違いで数着、衣装掛けに並べ掛けられていた。


「今日はとても大事な日だ。君も気合を入れて臨みたまえ」

「はい。でも、本当に俺で良いんですかね……」


 俺は今日、優勝者のご指名によってパンフレットに載る撮影の相手役としてここに来ているのだけど、優勝者に相手役としてご指名されてからずっと、俺なんかでいいんだろうか――と、ちょっと悩んでいた。


「もちろん良いに決まっているではないか。君を選んだのは紛れもなく、コンテストの優勝者なのだから」

「それはそうですけど……」

「まあ理由はどうあれ、君を選んだという事実は変わらないんだ。君は余計な事を考えず、相手のご指名に対して全力を尽くす事が大事なのではないか?」


 宮下先生にそう言われ、俺は確かにそのとおりかもと思った。

 みんな頑張ってコンテストを乗り越え、こうして今日という日を迎えているんだから、それに報いるのは当然だよな。


「分かりました。全力で頑張ります」

「うむ、それでいい。ところで、他の面子の撮影は終わったのか?」

「さあ? どうなんでしょうか。時間をずらして撮影しているとは聞いてますけど」

「そうか。それでは少し様子を見て来るとしよう」


 宮下先生はそう言うと、軽く手を振りながら部屋を出て行く。

 実はモデルの依頼をしたデザイナーさんの計らいで、コンテストに参加していた優勝者以外の四人も撮影を行う事になっていた。

 コンテスト当日。学園長に依頼をしていたデザイナーさんもこっそりと仕事の合間に様子を見に来ていたらしく、出場した五人を見ていてインスピレーションが湧いたとかで、コンテストの後、他の四人もドレスのモデルに使いたいと学園側に申し出てきたらしい。

 と言う訳で、コンテストに出場した五人は時間をずらしてこのホテルに集められ、それぞれ個別で撮影をしていると聞いている。


「さてと、俺も頑張らなきゃな」


 宮下先生が部屋を出て行ってから10分程が経った頃、俺の居る部屋にもメイクさんがやって来た。今どきは男性でもちゃんとしたメイクさんをつけるのが普通らしい。

 俺はやって来たメイクさんの手入れを受けながら、コンテスト優勝者の相手役をしっかりと務める為の心の準備を始めた。

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