*31*バカやろう

 予想外のことで、身体は固まっちゃって。

 唇を覆われながら、たくましい腕に抱き込まれていくだけ。


「……雪兄さんは、どんな風にキスしてた? どんな強さでユキさんを抱き締めてた?」

「か、えで……何を……」

「わかんないからさ、教えて? 俺、言われた通りにするよ」

「……雪に、なるつもり……?」

「超えられっこないってわかってる。けど、きみの泣き顔を見るよりずっといい」


 抱く力は、いつもより弱い。

 一方で首筋に擦り寄る仕草が、あたしの心臓を鷲づかむ。

 ぎゅっとしてもいいですかって、甘えたようにおねだりしてきたあいつが、頭をよぎるなんて。


「力、抜いて」


 言われるがまま脱力した身体を、そっとベッドに寝かせられる。

 上体を乗り出し、囲うように両肘をシーツに沈ませた楓は、あたしの髪をさらっと横に流す。


「目を閉じて。大丈夫、優しくする……」


 催眠にかかったみたい。何の抵抗もなく、光を遮断する。

 額へ落とされたキスに、手足が強張った。


「俺、頑張るから」


 頬へ落とされたキスに、胸がキュッと締め付けられる。


「雪にされてるって、思えばいい」


 それから、言葉は必要なかった。


 ついばむように繰り返されるキス。

 思考が奪われる。

 髪を梳く右手。

 指を絡めた左手。

 密着した上半身。

 暗闇の中、時折息継ぎをしてはすぐに落とされる熱を受け入れる。

 空っぽな身体は、与えられる温もりを嬉々として享受していたけれど。


「……んっ……うぅっ……」


 流れ出した涙が、あたしの心が、抵抗するの。

 やっとの思いで胸を押す。

 熱をはらんでいるのに純粋な瞳が、あたしを見下ろしていた。


「バカやろう……」

「ユキさ……」

「あたしの……大バカやろうっ……!」


 突然の剣幕に、楓が硬直する。

 焦げ茶色の瞳には、戸惑いの色が滲んでいて……でも、尻すぼんでる場合じゃない。

 口に出すほど、ハッキリすることがあるの。


「楓だって……大切でしょうが」

「え……」

「すきなのに! お兄ちゃんみたいだって、頼りにしてるクセに、あたしは……っ!」


〝きみが笑ってくれれば、それでいい〟


 そんな自己犠牲を強いる、大バカ者だ。


「……ごめん」

「謝んないで……楓にだって、自分の気持ち大事にする権利があるんだから」

「俺……ユキさんのこと、好きでいてもいい?」

「楓の自由でしょ」

「ウゼェくらい一緒にいたくって、隙あらばキスとかハグとか、何なら押し倒したりとかもしたいって思ってるけど、いいの?」

「か……かえでの、自由デショ……」


 思うだけなら、と付け足しする前に、やられた。


「ユキさ――――ん!」

「待てコラ楓っ、どこさわって……!」

「胸にダイブしてます!」

「堂々と言うことじゃない!」

「だってユキさんが惚れ直させるから」

「あたしのせいかよ!!」

「あー、ユキさんやわらけー……そろそろ手ぇ出してもいいですか? てか出すよ?」

「ただちに引っ込めろ変態!!」

「じっとしてー」

「きゃあああ! さわんなばかぁ!!」


 ジタバタもがくあたしをいとも簡単に押さえ込み、ニィッと白い歯を見せる楓。


「ホント、かわいいなぁ」

「おいふざけんな。マジでそのニヤけ面ブン殴るぞ」

「大丈夫、何もしないって。今日は」

「今日〝は〟!?」

「ユキさん、ケガ治ってないしね」

「理由が生々しい!!」

「あはははっ」


 なんだ、このやり込められてる感。

 楓のやつ、雪に似てきてないか? 色々と吹っ切れたから? もうやだこいつ……。


「ユキさん、雪兄さんのこと好き?」

「えぇ好きですとも。あんたの何億倍もね」

「っへへ」

「……なんで嬉しそうなのよ」

「俺が世界中で一番好きなふたりが、すっげー仲良しなんだ。めっちゃ嬉しい」


 ホント……なんでそういうこと、恥ずかしげもなく言えるのかね。


「ね、約束して。この先何があっても、雪兄さんのこと好きでいるって」

「言われなくとも、そのつもりだっつの」


 何を今さら。

 いぶかしげに見上げたときだった。真摯な瞳を前に、言葉を呑み込んでしまう。


「ユキさん、あのさ――」

「失礼します。楓くんはいらっしゃいますか?」


 語尾と重ねて、病室のドアがスライドした。

 口をつぐみ、振り返った楓の後ろからひょいと顔をのぞかせる。

 と、そこに淡いブルーのナースウェアを着た男性の姿が認められた。


「あ、はい。ユキさんが目を覚ましたんで」

「あぁそれはよかった! 初めまして、佐藤さん。担当看護師の笹原ささはらです。何かございましたら、遠慮なくお申しつけくださいね」


 中背で、どちらかといえばやせ型。40代くらいだろうか。柔和な笑みが印象的な看護師さんだ。


「……よろしくお願いします」


 人の良さそうな男性――笹原さんを前に、ペコリ。

 隣に座る楓がヘラッと笑ったので、肘鉄を食らわせておいた。


「おやおや、青春ですねぇ」

「いやぁそれが、なかなか落ちてくんなくって」

「まだ若いじゃないか。頑張りなさいな」

「もちろんです。ってか笹原さん、俺呼んでませんでしたっけ?」

「ああ、福園ふくぞのさんがいらしてね。きみを探していましたよ」

「……わかりました。すぐ行きます」


 口早に返答した楓が、少し真顔だったような?

 確認の意味を込めて見上げたときには、いつもの笑顔がそこにあった。


「今日はごちそうさま」

「……なっ!」

「また明日来るよ。じゃあね、ユキさん!」


 絶句している間に、楓は颯爽と病室を後にする。


「…………笹原さん、面会拒否ってできますか」


 しばらくして漏れたつぶやきに、ペンを走らせていた笹原さんは手を止めて、くすっ。


「楓くんも、やるねぇ」


 バインダー越しの笑顔に居たたまれなくなって、逃げるように布団を被る。

 ……明日は大雪になれ。

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