*29*白雪は夜空にとけて

 12月23日、あたしは死ぬはずだった。トラックに跳ねられる運命を、雪が変えたんだ。

 運命はあくまで折り曲げられただけ。気休めに過ぎない。

 どうせ死ぬんでしょ? だったら雪、なんであたしなんかに構うのよ。

 未来をあげるとかバカ言ってないで、楓のそばにいてあげてよ。

 家族なんていないあたしより、雪が生きるほうがずっとずっと……!


「人間らしく泣いたり怒ったりするきみに、ぼくは恋をした」


 ……ウソ。

 ホントは知ってた。記憶と一緒に伝わって来たんだもん。


「不条理な世界で、がむしゃらでも生きようと足掻くきみが、とても愛おしくなった」


 あたしの生き様にふれた雪が、色んな感情と向き合うことを知ったって。


「大好きな幸ちゃんのために命を賭けられる自分が、今すごく誇らしいんだ」


 嫌だ、そんな誇りは要らないと訴える時間さえ、残されてはいない。


 ヒュオオオ――……


 落ちながら、それでも雪は告げる。


「最後にきみと出会えて、ようやくぼくは、人間になれたんだよ」


 ふいに落とされた口付け。

 ふれた先から、温もりが流れ込む。

 ……涙があふれた。

 それが雪の〝未来〟だと、直感したから。


「怖がらないで。大丈夫」


 いや……受け取れない。

 覆い隠そうとした手を優しく取り払われ、いっそう近づく唇。

 チョコレート色の澄んだ瞳が、あたしを愛おしげに映す。


「ふふっ……あと5年早く会ってたら、将来お嫁さんにもらってた自信あるなぁ」


 ふにゃっとゆるんだ笑みが、次第に薄れてゆく。

 近づくイルミネーションが、世界を鮮やかに塗り潰そうと。


「愛してる。たとえ離れていても、ふれられなくても、月森 雪という人間がきみを愛していることを、忘れないでほしい」

「……やだ。どこにも、行かないで……雪がいなきゃ、あたし……っ」

「ぼくの出番は、もう終わり。……かえくんをよろしくね。大丈夫、きみは幸せになる」


 今度受け止めたら、本当に最後だ……。

 激しい風に抗い、背けた頬を、そっと包み込まれる。


「きみらしく、この世界を生きるんだ」


 わずかに強まった語尾。

 グイッと引き寄せられる肩。

 あたしたちの距離は――ゼロ。


 温かい……。

 離さないでよ……。

 ずっとずっと、抱き締めていてよ……。

 そんな文句も、名前すら、きみは言わせてくれない。


「……っふ……ぅうっ……!」


 ミルクティー色のダッフルコートにしがみつき、ボロボロと大粒の涙を流す。

 頬に添えた手が濡れることも厭わず、ふわりと細まるチョコレート色。

 ふれるだけだった唇が、あたしのすべてを覆う。

 それこそ、息もできないくらい。

 最後の時まで、ひとときも離さぬように。


 サァッ――……


 砂時計が落ちるように、足先から消えゆく雪。

 零れた砂は風にさらわれ、白銀の結晶と宙を舞う。

 彩り豊かなイルミネーションにライトアップされ、キラキラと、漆黒の夜空に吸い上げられていく。


 待って……散らばらないで……。


 手を伸ばそうとも、彼に与えられた体温が甘く思考を奪い、全身を麻痺させる。

 めまいのしそうな光に包まれ、白んだ視界。


〝ア イ シ テ ル〟


 愛しい彼の、やわらかい囁き。

 ひどく安心し、脱力する。

 やっとの思いで微笑み返す。

 彼はまた笑って、満足げに閉じたまつげから、ひとしずくの宝石が零れ落ちる。



 ――呼吸を忘れるほど綺麗な笑みを遺し、白雪とともに、最愛の彼は聖夜の空へ溶けていった。

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