*15*ダイヤモンドの雫
不幸事とは、立て続けに起こるもの。
「……ヒマだ」
灰色の寒空を見上げて、何度目のため息だろう……。
平日の昼下がり、噴水広場に独りぼっち。
行くとこなんて余るほどあるのに……ま、そんくらい想い出にすがってるんだよな。
傷心この上ない。隙ありまくり。
楓ー、今ならコロッと落ちるかもだぞ。お得な物件だぞー。
「そう……あたしは、やっすい女だ……」
独りが寂しい……あんたたちのせいだよ、責任取りやがれ楓……雪。
ちらちらと、額をかすめる何か。
白銀の粉雪が宙を舞う。
鼻の奥がツンとして仰いだ鈍色の空――を遮る、クリスマスカラー。
「風邪を引きますよ」
会わなければ諦めがついたかもしれないのに、どうして、どうしてここにいるの……雪。
「社会人なのにヒマしてんだね、あんたも」
「……なんだか、気になって」
よくわからないのに、見ず知らずの他人に傘差し出すんだ。
まごうことなき雪だな、このお人好しは。
「まぁちょうどいいや。これ、渡しとくね」
薄笑いで紙袋を手渡されると、チョコレート色の瞳がぱちぱちと瞬く。
「これは、ぼくのコートですね。どうしてきみが?」
「さくらさん忙しいから、代わりに返しときまーす」
そういうことにしときゃ万事解決でしょ。
雪も合点がいったように、ペコリとお辞儀をひとつ。
「わざわざお手数をおかけしました」
「いえいえー」
借り物を返して用事終了。はい解散。
なのにだよ、雪はどうしてか動こうとしない。
「きみは、いつからここに?」
「聞いてどうすんの?」
「……風邪を、引くと思います」
おいおい、大事なことなので2回言いましたってか。
もう他人なんだ。あたしがどうしようと雪に不都合はないだろうに。
「残念だったね。もう引いてる」
ほくそ笑んで、優越感に浸る。
この際だ、いいことを教えてやろう。
「ねぇ雪、あたし今日ね、お店からもう来なくていいって言われちゃった。なんかね、取り立ての人が父さんの居場所問い詰めに来て、怒鳴ったわけ。それでオーナーが、お店の評判悪くなるからって……」
そこそこ長くお世話になってたのに、一瞬で邪魔者扱い。
知らない。
関係ない。
どうしてあたしが。
単純に腹が立った。
だけどね、本当は知ってる。世界は不条理なんだ。
清く正しく生きたって、幸せが保証されるわけじゃない。
「あたしの人生も、そろそろ潮時なんかね。何のために生まれてきたのやら……って、あんたに言ってもわからんでしょうが」
雪は何も言わない。
他人の話に愛想を尽かさず、ただ聞き入っている。ホント、あんたってやつは……。
「ま……悪いことばっかでもなかったよ。不幸不幸だって諦めてた人生で、一番嬉しかったことがあるとすれば、雪に会えたこと」
思えば、摩訶不思議な出会いだったね。
面識なんてカケラもないあたしの夢に出てくるなんて、物好きなやつだった。
だけど、そこからすべてが始まった。
雪がくれた言葉が、あたしの世界を変えたんだ。
「雪……ありがとう。傘貸してくれたり、コートかけてくれたり……あたしのこと、大好きって抱き締めてくれたり。嬉しかった。泣きそうなの、堪えてたんだから……」
もう、袋に入ってる紙切れなんかに頼らない。
自分の言葉で伝えるね。
「雪の気持ちに、ちゃんと返事してあげられなくてごめんね。雪……好きだよ。大好き。あたしのことは、忘れてね」
――ひときわ強い風が吹き下ろし、舞い上がる粉雪に視界が白む。
キラキラと、手の甲へ溶けたダイヤモンドダストには、なぜか温もりがあった。
質量を増すそれは、粉雪なんかじゃない。雪の頬を伝う、宝石だ。
ぽろぽろと両の目から零れる、大粒の雫。
綺麗だ――あたしの感嘆は、刹那、奪われる。
放られた傘と紙袋。
視界の端にそれらを認め、我に返る。
一体誰が予想できただろうか。
ともすれば唇が切れそうなほど、強く求められるだなんて。
「んんっ……!」
「……っは……」
交わりはほどけ、交錯する視線。
ゾクリと肌が粟立つ。
なんてとろけた瞳で、あたしを映し出すの……。
「できない……ぼくは、ぼくには、きみを忘れることなんて、絶対にできない……っ!」
身体を引き寄せるもの。
それが腕だと即座に理解できなかったのは、あまりに乱暴だったから。
「……幸ちゃん、幸ちゃん……っ!」
まるでリミッターが外れたように、性急にあたしを掻き抱く。
「……セ、ツ……?」
「うんっ……ぼくは雪だよ。幸ちゃんのことが大好きで大好きでたまらない、雪だ。きみを忘れたことは、一瞬だってない……!」
「ウソ……だって、あたしのこと知らないって……!」
「ぼくが間違ってた。こんなやり方できみを守ろうなんて、間違っていたんだ……!」
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
とめどなく零れる涙を拭いもせず、雪は絞り出すように訴える。あたしを守る? それはどういう――
「……うぁ……っ!」
突如雪が膝から崩れ落ちる。
苦しげなうめき声を上げ、頭を抱えていて……全身の熱が、一気に冷えた。
「雪!? 頭っ、頭が痛いの? 誰か――痛っ!」
支えようとした腕を鷲掴む手のひら。
ギリギリと締め付ける雪は、酷く辛そう……。
「お願い、幸ちゃん……もう、行って……」
「バカなこと言わないで! 雪を置いて行けるわけないでしょ!」
「時間がないんだ! 早くしないと、あの人に見つかってしまう!!」
怒号とも取れる叫びに身がすくむ。
雪が何を言っているのか、何が起きているのか、何ひとつわからない。
「行くんだ、幸ちゃん!!」
嫌だ、無理だ、そんなことできない……頭ではわかっていた。
だけど足はひとりでに動く。
魔法にかかったみたいに、雪へ背を向けてしまう。
「……それでいい」
やだ……。
「ぼくは、いつでもきみを想ってるよ……」
嫌だよ、雪……っ!
「この先に、きっといる。あの子がいてくれるから……頼って。そしてどうか……」
穏やかな声音は、あたしが振り向くことを許さない。
どうして、なんて問う時間も与えてはくれない。
涙があふれる。
頭がグチャグチャになる。
吹きつける白雪に抗い、広場を、大通りを疾走した。
やがて駅前で長身の後ろ姿を見つけた瞬間、人目もはばからず叫ぶ。
「楓ッ!!」
「…………ユキさん!?」
振り返った楓は、当然ながらひどく驚いた様子。
それでも、人ごみを掻き分けながら駆け寄るあたしの異変に、いち早く気づいてくれた。
「何があったんだ」
「ごめんっ……あたしじゃ、どうにもできなくて……お願いっ、力を貸して! 雪を助けて!!」
「セツ……セツ、だって?」
動作を停止してしばらく。
楓が何を思ったかはわからないが、打って変わったように震えるあたしの手を取る。
「大丈夫だから。そのセツって人のところに案内してくれる? 事情は行きながら聞く」
何もかも意味がわからず、不安で死にそう。
そんなあたしを、楓は助けてくれると言う。
ごめん、ありがとう、ごめん……何度繰り返しても、あふれた涙が止まらなかった。
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