闇の守護者

高山 昶

その男、闇を統べし者

1

夢に見る。想い描く。結果、無駄だと分かっていても。それでも願わずにはいられない……。

衝動…とはまた違う。そう、コップに水を注いで水が溢れる一歩手前の感じだ————


この季節、どこへ行こうとも桜化粧が拝める。白や淡紅色、紅色に紅紫色に色づいて、街もここも白桃一色はくとういっしきである。

ゆかり様、境内の掃除は終わりましたで」

禰宜ねぎ高倉絢ノ介たかくらあやのすけに声をかけられる。禰宜とは、神主である宮司ぐうじを補佐する者のことで、立ち位置としては副社長のようなものだ。一部では宮司と禰宜の間の階位で権宮司ごんぐうじというものがあり、その場合は権宮司がそのような役割を担う。しかしここでの補佐役は禰宜である。

「そうか。ご苦労様」

「紫様、今年も綺麗に咲きましたなぁ」

「ん?…ああ、そうだな……」

境内にある樹齢約一千年以上であろう桜の樹。丁度見頃を迎え、満開に咲き誇る桜を見上げる二人。だが紫の顔は美しいモノを見る時の感動している様子のそれとは違い、憂いをおびた顔をしている。サァ…っと吹く風に木々は大きく揺れる。ひらりひらりと花弁はなびらが舞い散る。時折風に流され、神社へ続く緩やかな坂の下の方に、桜の花弁が幾枚も積もっていく。紫はその光景を眺めながら、ふと思い出したかのような口振りで話しかける。

「…ところで、学校は平気か?朝練があるんだろう?」

「あ!そやった!!」

慌てて境内にある事務所へ行く高倉。自分の荷物は現在、事務所内に置いているのだ。高倉は未成年で、現在高校二年生の十七歳である。幼い頃から御蔭家と深い関わりがあり、御蔭紫とは二人目の幼馴染なのだ。活発で物怖じしない性格だが、要領はそれ程良くない。

「ほな紫様、行ってきます!」

学生服姿の高倉が学校へ行く前に、紫に挨拶する為やって来た。高倉は旧家育ちの坊ちゃんである。エスカレーター式の名門私立高校に在学中だ。濃紺で詰襟の学生服に校章の入った銀色のぼたん。高い代わりに物持ち良さそうな学校指定で革製の靴と鞄。頭には帽子を被っている。肩には部活動で使用する弓と矢、それぞれを収納している袋が掛かっている。

「様はいいって言ってるだろ?昔みたいに紫兄さんって呼べばいい」

「そうもいかへんのや…あの時は何も知らん子やったからええけど、今は御蔭家の事を知ってしもうた。うちは何処よりも伝統を重んじとる。掟やさかい、守らにゃあかんねん」

「でもなあ…」

「大丈夫、使うとるのはココとの御前だけや!っちゅうわけで、行ってきます」

「——いや、だぞ?様は要らんだろう…」

ブツブツと小言を言いながら、事務所へ戻る。

御蔭紫みかげゆかり25歳。彼の朝はいつもこんな感じだ。陽が昇っているうちは平穏そのものである。事務所につくなり机にお茶と茶菓子を用意して、のんびりと過ごす。

「お!茶柱が立ってる」

「ホーッ…ホケキョ」

桜の木の上で鶯が美しい声を響かせた。

「春はいいね」

ぽかぽかとした暖かい空気に包まれながら、ポツリと呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る