音律歴程

青波零也

The Five Black Keys - 俺と奴にまつわる五つの記憶

鉛の箱 - The Five Black Keys 1

 二三六七年十月某日


 

 『運送屋』と一言で言ってもこの国における業界はピンからキリまで、強盗まがいの奴だっている。

 かく言う俺は、統治機関の《鳥の塔》から隔壁間を巡る認可を受けた『運送屋』だ。俺らの業界では、塔からの認可があるかないかで、仕事の質も量も大きく変わる。安全で、確実で、信頼の置ける『運送屋』のイメージが、鳥の羽を模ったハンコ一つで得られるのだ。面倒な手続きを踏んででも、認可を受ける価値はある。

 唯一、難点があるとすれば……塔認可の『運送屋』は、塔からの依頼を断ることが難しいという一点だ。

 それが最大の難点である、ともいえる。


 例えば、何が入ってるかわからない箱を渡されて、目的地だけを告げられた場合とか。


「なあ、隼」

 助手席からの呼びかけに、俺はあえて視線を前方に固定したまま答える。

「何だ?」

「何か面白い話でもないのか、赤面必至の羞恥エピソードとかさ」

「ねえっつの。仮にあったところで誰が言うかハゲ」

「全く、サービス精神が足らないなあ」

「野郎に振りまくサービスなんてありませーん」

 別に、助手席側に視線を向けたって、運転に支障はないのはわかりきっている。

 何しろフロントガラスの向こうに広がっているのは、地平線の向こうまで続く荒野。地面の状態は決してよくないが、そこは悪路走行に長けた……逆に言えばそれだけが取り得の愛車だ、相棒の車両搭載型人工知能、神楽の力を借りるまでもなく、目を瞑ってたって前には進む。

 正直、変化の見えない荒野を眺め続けているのに、飽き始めたところではある。

 だが、それで、助手席側を見たところで、目の保養になるわけでもない。

「あーあ、隣に座ってんのがヴィクなら、こんな不毛な数時間を過ごすこともねえのに。あの美貌、あのエロい体! ヴィクになら人生捧げてもいいんだが」

「今のご時勢、歌姫といえばヴィクよりリザじゃないのか?」

「あんなのまだまだガキじゃねえか。まあ、どんなガキでも、手前よか絶対にマシだろうけど、なあ?」

「結局誰でもいいんじゃないか。なら、その辺で好みの女を買って、助手席に座らせときゃいいだろ。アンタの身の安全は保障されないけどな」

 おかしそうに笑うそいつを、思わず横目で睨んでしまって、やっぱり後悔した。

 どんなに夢を見たところで、俺の横には首都の《歌姫》なんか座っちゃいない。そこにいるのは、青白い肌をした、骸骨みたいな野郎だ。刺青を入れた禿頭に、目を覆う仰々しいミラーシェード。鼻筋や口元は人形みたいに綺麗だが、そりゃあそうだ、こいつの身体は頭のてっぺんから爪先まで、よく出来た人形なんだから。

 理由は知らんが、こいつは脳味噌以外の全てを機械に換装しちまった、俺の知り合いの中でもトップクラスの変人だ。と、同時に、俺にとっては最も信頼のおけるボディーガードでもあった。高いがそれに見合った仕事をする、という点では定評がある。

 俺は溜息をついて、不毛に過ぎる仮定を言葉にする。

「高望みしたって仕方ねえし、あくまで仕事とはいえ、手前がせめて女ならなあ」

 どんな女だっていいってわけでもないが、ハゲでグラサンの人形を助手席に座らせている図を考えれば、正直女なら何でも構わないという気分になってしかるべきだ。

 すると、『何でも屋』シスルは細い顎を撫でて言う。

「別に女の形になれなくもないけどな。それこそ、アンタ好みの綺麗なお姉さんに作り変えてもらうことだって、できないわけじゃ」

「よしなれすぐなれ三分待ってやるからなれ」

「三分じゃ無理だ。あと、中身はこんなんだけどいいのか」

「見かけさえよければ欲情できる」

「……動くマネキンに欲情するとか、不毛に過ぎるんじゃないか」

「うるせ」

 シスルは軽く肩を竦めて、視線を窓の外に逃がした。俺も視線を前に戻して、なおも意味の無い会話を続けようと試みる。

「で、そういうお前さんは、綺麗なおねーさんにむらっと来たり、襲いたいとか思ったことねえのかよ」

「機能が備わってないから、よくわからないな。そりゃあ、かわいい女の子を見かければ幸せな気分にはなるが、世間一般の欲情とは違うんじゃないか」

「その身体になる前はどうだったんだよ」

「どう、って言われても、そういう欲求とは縁遠い生活だったしな」

「どんな苦行だそれ。僧か、僧なのかお前は」

 確かに、そのつるりとした頭と黒尽くめの服は、百歩譲って坊主に見えないこともない。それ以前に暴力組織の一員にしか見えないってのは、言わないお約束だ。

 そこで、一旦言葉は途絶えて。俺が最も避けたかった沈黙がやってきた。そこで訪れるのが、単なる静寂ならどれだけ幸せだろう。俺には縁遠い世界だが。

 それに今回ばかりは、沈黙を恐れていたのは、シスルだって同じだったはずだ。

「なあ、隼」

 見ていて楽しいはずもない荒野を眺めていたシスルが、ついに呟いた。

「後ろから、何か、聞こえてるよな」

「……言うなよ、考えないようにしてたのに」

 そう、そうなのだ。

 俺とシスルとの間で、こうも意味の無い会話が続くことなんて、いつもならありえない。

 シスルは厳つい見かけによらず話好きで、単に話をしている分には愉快な野郎だ。そうでなければ、いくら評判のいい『何でも屋』といえ、わざわざ一緒に仕事をしたいとは思わん。仕事は安全に確実に、そして楽しく。これは何だかんだで大切なことだ。

 これで、こいつがハゲでグラサンの動くマネキンじゃなくて、とびきりの美女だったら言うことなしだったんだが、それは高望みに過ぎると思うことにしている。

 とはいえ、無理やり実のない話題を探すほど、お互い会話に飢えてるわけでもない。

 この不毛極まりない会話も、考えないようにするための手段に過ぎない。

 後部トランクから聞こえてくる、明らかに不穏な音のことを。

「おい、これ動いてるぞ絶対! びちゃって言ったぞびちゃって!」

「知らねえよ、依頼人が何も話してくれねえんだもんよ!」

 本当に意識しないようにしてたんだが、聞こえてくる音は明らかに生物特有のそれだ。このトンデモ聴覚をこれほど恨んだことはない。聞こえなければわからないままでいられたことだって、絶対にあると思うんだよ俺。

 シスルに視線をやると、シスルはミラーシェード越しにもわかる「遠い目」をして、こいつには珍しく完全に魂の抜けた声で言った。

「もうやだ私おうち帰る」

「……自力で帰れるなら、降ろしてやるよ」

「…………」

「…………」

「くそおおおおお! どうして私は車型に変形できないんだよおおお!」

「余計な機能はいらねえって言ったのどこのどいつだ!」

「過去の私を殴りたい!」

 わかった、わかったから肘掛を叩くのはやめてくれ。いくら腕が細いといえ、機械仕掛けの力で叩かれたら、愛車の寿命が縮む。

 そして、俺たちの願いむなしく後部トランクから聞こえる謎の音は続いている。びちゃびちゃ、という水気を含んだ音に、何かが激しくぶつかるような音まで加わっている。一体何だっていうんだ帰りたい。

「な、何か、出てきたりしないだろうな?」

「一応、頑丈そうな鉛の箱だったが……何か出てきたらお前が上手くやってくれ」

「それは依頼内容から外れてるから却下」

「おい護衛。俺の身を守ってこその護衛だろ」

「私の仕事は外部からの暴力に対する護衛であって、運んでるものに襲われることまでは想定してない!」

「俺だって想定してねえから!」

 誰だって、こんな荷物を運ぶことは想定していない。したくない。

 仕事を放棄することが許されるなら、ここに放り投げて逃げ去ってしまいたい。だが、投げ捨てずに何かが起きてしまう「かもしれない」リスクと、投げ捨てて「ほぼ確実に」失職するリスクを天秤にかければ、自ずと答えは決まってしまう、わけだ。

 耳を塞いだシスルが、意識して苦い顔を作ってこちらを睨んでくる。俺を睨まれても困るんだが。

「最低でも、正体不明っていうのはやめてくれよ……」

「仕方ねえだろ、塔の連中秘密主義なんだから。案外、塔が開発したモンスター、スライムか何かだったりしてな」

「おいやめろ、奴ら物理攻撃は全く効かないし、種類によっては肉も金属も溶かすんだぞ。私が敵う相手じゃない」

「えっ、スライムってそんな恐ろしいもんなん?」

「スライムがかわいいのは『ドラゴンクエスト』だけだ」

「鳥山明は偉大だなあおい」

 いらない知識がまた一つ増えた。多分明日には忘れてると思うが。

 とはいえ、金属を溶かすスライムとなれば、鉛の箱なんてとっくに溶けているはずだ。鉛だけ溶かさない種類、とか言われたらそれまでなのだが。

 当然、モンスターなんて空想の存在でしかないが、どんな荒唐無稽なことが起こってもおかしくないのが《鳥の塔》の研究室だ。旧世界の空想から生まれたモンスターが現実に存在しても、さほど驚かない。驚かないが、俺に迷惑かけることだけはやめてほしい。

 その時。

 ぴたり、と音が止んだ。

 シスルと思わず顔を合わせる。聞こえ続けるのも嫌だが、いきなり聞こえなくなるのも不安だ。しん、と静まった空間に、車の立てる音と、シスルの放つダブルリードを思わせるCの音色、それと背後から響く形容しがたきノイズが耳に届く。

 ノイズが聞こえているから、いきなり死んだということもなさそう、だが。荷に何かがあれば、俺の責任が問われる。それが、どんな荷であろうとも。シスルも不安になったのか、後部トランクの方に顔を向けたが……。

 突然、がん、と車全体を震わす音が響き渡った。

 それを皮切りに、トランクからの激しい揺さぶりが車を襲う。

「うわああああ」

「ぎゃああああ」

 怒ってる、絶対に怒ってるぞこの音。

 閉じ込められているとでも思っているのか、何なのか。俺にはさっぱりわからないが、ひとまずこのまま放っておくと、箱どころかこの車まで破壊されかねない。

 すると、シスルが顔を上げて叫んだ。

「あれは、町か? 町だよな?」

 確かに、シスルが指差した先には小さいが、確かに町を示す隔壁と、町の中心に聳え立つ《森の塔》が見えた。《鳥の塔》が築いた衛星都市のひとつ、俺たちの目的地だ。

 そう、あそこまでたどり着けば、この箱ともおさらばできるのだ!

「町だ! 俺たちは、助かったんだな!」

 と、叫んだ瞬間に、背後から、一際大きな音が響いた。今にも箱を壊しかねない勢いと、憤りを反映した空気を震わすノイズ。

「急げ、嫌な予感がする!」

「言われなくても、急いでるっつの!」

 アクセルは既にベタ踏みだが、何しろ丈夫なだけがとりえのポンコツだ。俺の焦りをそのまま反映してくれるわけもなく、もたついた動きで隔壁に近づいていく。背後の箱はなおも暴れ続けたが、間一髪で門の中に滑り込む。

 俺の焦り方をいぶかしむ門番に、《鳥の塔》の紹介状を押しつけるように渡す。

「責任者を呼べ、早く、早くしろ!」

 それでも、俺の望みは通じたのか、すぐに箱を受け取りに、白い大きな車がやってきた。降りてきたのはこれまた白い、研究員の集団だった。

 すぐに長と思しきおっさんが指示を飛ばし、箱を俺の車から奴らの乗ってきた車に移し始める。その時、研究員の一人が怪しげな機械で何かを照射してたが、あれは、何なのだろう。その瞬間に、箱が音を立てるのをやめて、ノイズも聞こえなくなったから「何かした」んだな、ということだけはわかったが……それ以上は、考えないことにした。

 あれよという間に鉛の箱は白い車に収められ、研究員も統率の取れた動きで車に戻っていく。ぼうっと突っ立っていることしか出来なかった俺に、長のおっさんが笑顔で声をかけてくる。

「ご苦労だった、フジミくん。傷一つなく運んでくれるとは、さすが塔認可の『運送屋』だな。報酬は本日中に、規定の口座に振り込んでおくよ」

「は、はあ」

「それでは、また何か依頼することもあるかもしれんが、その時はよろしく頼むよ」

 また、は勘弁してくれ。

 そんな俺の心の叫びが届くはずもなく、白い車はとっとと走り去ってしまった。俺たちを散々悩ませた鉛の箱を連れて。


 やがて、横で立ち尽くしていたシスルが、呟いた。

「……中身、結局何だったんだろうな」

「その話はもういい、忘れよう」

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