第1話〔4〕大樹なき身
メイドたちの視線を四方から浴びながら、廊下を行き、階段を昇って一つの部屋へと案内された。
全く息の詰まる思いだった。
室内はタイル張りになっていて、半開きになったカーテンの向こうの続き部屋に大きめのバスタブとシャワーがあった。
アステル「さ、着いたよ」
ドアが閉められると、かすかに反響を起こす声が、この部屋の広さを物語る。
エディはかかえてくれていたアステルから無言で降り、手を引かれて奥のほうへ進む。
アステル「脱いだものはここに入れてね」
赤子が入るような大きさの編みカゴを示して言うと、彼は着ていた物を脱ぎ始めた。
いきなりだったものだから、エディは急に恥ずかしくなって横を向き、そろそろと帽子を取る。
ボタンのないチョッキを脱ぎ、サスペンダーを外してズボンを脱いだくらいにそっとそちらをうかがってみると、アステルはすでに腰巻き一枚という姿になっていた。
アステル「先に行くからね」
慣れた様子で隣の編みカゴに自分の服を放りこみ、彼がさっさと洗い場のほうへ向かっていったので、エディはにわかに下着を脱ぐ手を早めた。
シャワーの流れ出る音がし始めると、風呂場はすぐに白い湯気でいっぱいになった。
4つある出窓から差しこむ西日と、それぞれの壁にある
おかげでエディは服を全て脱ぎ払い、意を決してアステルのそばまで近寄ることができたのだが。
アステル「おいで、髪を洗ってあげよう」
シャワーが降る横で、彼が片ひざをついて呼びかける。
エディは湯気が逃げないうちにシャワーの下に尻を据え、意外にたくましいアステルの体を極力見ないようにしてうつむいた。
途端に自分の髪の毛がどどめ色の液体を垂れ流し、タイルの床を泥の海にする。
湯が目の中に入るのを嫌ってまぶたを固く閉じたあとは、大人の手が頭をもみしだき終えるのをじっと待つだけとなった。
アステル「うわ~、ひどい汚れだね。
キレイな髪が台無しだ。
よし、立って、体のほうも流そう」
言われるまま、エディは相手の声と手だけをたよりに立ち上がる。
アステル「…………え?」
急に彼が声色を変えておどろいたので、エディは顔のしずくを手の平でぬぐって目を開けてみる。
丸くなった星空の瞳が、目の前にあった。
アステル「君……女の子?」
エディ「…………うん」
うたがわしげに問いかけられたので、エディは何かいけないことでも仕出かしてしまったのではないかと不安になって、元気なくうなずいた。
アステルはまたやさしくほほ笑んで、納得した様子で目を伏せた。
アステル「…………そっか」
ルナは黒毛のミミとシッポをつんと立て、つかつかとした足取りで廊下を行くが、内心もおだやかではなかった。
自分が城の中に引き入れた浮浪児のことだ。
何がどうしてそうなったのか、少年は主人と一緒に湯に入り、食事をももてなされようとしている。
そしてその少年が、少年ではなく実は少女だったというのだから、これは見過ごすわけにはいかなかった。
勝手に彼女を少年だと思いこみ、勝手に彼女が主人の客だと信じてうたがわなかったのは、他の誰でもない、ルナ自身ではあったが。
土まみれの帽子の下は、みすぼらしい泥みどり色の髪だったのに、浴室から出てきてみれば、さくら色のキレイな髪になっていたのを目撃しては、心中も取り乱れざるを得なかったのだ。
ルナ「このアタシでさえ、ご主人サマとお風呂にゃんて、いっしょに入ったコト、なかったにょに──!」
いくぶん勝手な嫉妬心をにぎりこぶしにこめて叫んで、同じ廊下をゆく他のメイドたちを驚かせる。
周囲の視線を気にする余裕もなくルナは、しかめっ面で先を急いだ。
長廊下を過ぎ、ダイニングルームの扉をノックもなく開け放つ。
6人がけのテーブルが置かれた室内は、すでに暖炉に火が灯っており、向かい合って2人分の豪勢そうな料理が配膳中だった。
見習いメイドの3人とともに食器を並べていたニアを見つけてずいと詰め寄る。
ルナ「ニア!
あの子、おんにゃのこよね?
おんなのこだったよね?」
ニア「ふふふ、本当びっくりよ。
わたくしも、あの子が男の子のかっこうをしていたので全然気付かなかったわ」
ニアはこちらと対照的で、全く何でもないことのように返事をした。
彼女の落ち着き払った態度に毒気を抜かれ、ルナもぴんと逆立てていた4本のネコのひげをだらりと
それでもまだおさまりつかないといった感じで、口をとがらせながら鼻からため息。
ルナ「それで?
アステルサマは……?」
ニア「奥の部屋で着替えていらっしゃるわよ、エディと2人で。
あの子の服はジャスミンが貸してくれたの。
ね、ジャスミン」
そう言ってニアがハーフオーク族の見習いメイドに目配せすると、彼女、ジャスミンがつんとそば立ったブタみたいな鼻を隠しもせずに満面の笑みを返した。
ルナ「にゅ~、ジャスミンの裏切りもの~……!」
またしても勝手な理屈で小腹を立てて、少女を悪者呼ばわりするネコメイド。
食事の支度を終えたジャスミンのほうは、けむたげに苦笑いを浮かべて、他の2人の見習いメイドとともにダイニングルームをそそくさと退散していくだけだった。
面白くないのはルナばかり。
彼女は思い立って奥のドアまで忍び寄り、聞きミミなどを立ててみようとくわだてる。
【ガチャ……】
ルナ「にゃ……っ!?」
が、こちらの手がドアノブに触れる前に、向こう側からそのドアを開けられてしまった。
先を越されて、ルナは思わず小さな悲鳴をこぼした。
アステル「ん……?」
ルナ「あ、ああっ、ご主人サマっ、
お食事の用意がととのってるのにゃ」
アステル「そう、ありがとう」
ルナ「にゃはは、にゃはは……ハッ!」
現れたのがあるじだったので、ルナは背すじが伸びる思いをしたが、彼の後ろにひかえた少女の姿を見つけて、さらに面食らった。
ルナ「か……かわいい~~~……」
それは、公爵の街に母子で住み着いているという、エディというらしい浮浪児だった。
黄色いワンピースを着た人間の少女。
けばけばしくとがったミミも、
熟した果実のように赤くまどかな瞳に、小さくみずみずしい口付き。
細作りのいたいけな体はどこもすべすべとした白い肌。
首すじまでのさくら色の髪がきらきらとして輝き、まるで一輪の春花のようにか弱く美しかった。
土まみれの帽子をかぶり、傷みのひどかったチョッキやズボンを着けていた少年とは全くの別人に見える。
理由もなく胸がざわついてしまうほどに、その子はかわいらしかった。
アステル「ふふふ、かわいいでしょ?」
ルナ「にゃっ……!?」
こちらの視線の先に気付いて、あるじが楽しげにミミもとでささやきかけてくる。
なぜだかルナは負けた気がして、衝撃が全身を駆け抜けるとともに、ものすごい顔つきのまま凍りついてしまった。
実際、あと少しで半開きの口から魂とやらが出そうになったくらいだ。
アステル「さ、おいで」
石化したルナの横を素通りし、まるで恋人のように少女をもてなすアステル。
これはもう、あるじはこの子を正妻として城に迎え入れ、(自称)婚約者であるアタシをただの飼いネコとして庭のすみに追いやるおつもりなのだ、と、とっぴょうしもない憶測を頭の中にめぐらせてますます暗くなってゆくルナであった。
アステル「エディ、ここに座って……」
少女「エディ……じゃない……」
アステル「えっ?」
少女の席のイスを紳士っぽく引いたアステルに、少女は子供っぽくかぶりを振ってつぶやくように言った。
少女「エディじゃない。
ぼく、前は“モモ”ってよばれてた。
お母さんがそうしなさいって。
でも、ホントの名前は……わすれたけど……」
アステル「…………」
ルナもあるじも、ニアも、その言葉にかいま見た少女の事情に、心中複雑そうな面持ちを浮かべた。
ニア「お母様がそのように名乗らせていらっしゃる、ということでございましょうか。
この子、何かわけがありそうですわね」
アステル「……名前をいつわるほどのわけ……か」
ルナ「…………」
名前をいつわってまで、何から逃げているというのだろう。
本当の名前を忘れなければならないほど、過酷な生活を強いられてきたというのだろうか。
ルナはほんの一時間ほど前の、あのうす汚い浮浪児の姿だった少女を思い起こしてみると、胸の奥に何か重くて冷たい感情が芽生えて、どうしようもなかった。
アステル「よし、じゃあモモ。
かわいい名前だね。
ごはんにしよう、座って」
モモ「うん……」
少女をイスに座らせたあと、あるじも向かいの席につく。
ルナ「あっ、ニア、アタシも……」
ニアがさっと水差しを手にとってモモのグラスに水を注いだので、ルナもあわてて主人のほうの飲み物を支度した。
ナプキンを両者のひざの上にかけて、メイドの2人がともに部屋のすみへ待機すると、城主と浮浪児だけの食事が始まる。
アステル「さ、食べて」
モモ「うん……あ、ありがとう」
少女は目の前の皿に乗ったロールパンを素手で一つつかみ上げると、それを口まで運んでみけんをこわ張らせながらかじりついた。
アステル「どう?
お口に合うかな?」
モモ「…………うん」
少女は両手で大事そうに持って、ひとかみふたかみ味わうようにそれをほおばった。
アステル「……おいしい?」
モモ「……うん、うん」
食べることにせいいっぱいといった様子で、少女は小忙しくかみしめつつ余裕もなげな返事をくり返す。
よく見ると、少女の手はかすかに震えていた。
アステル「全部、食べていいからね」
モモ「……うん、…………うん」
少女は泣いていたのだった。
悲痛に顔をひずませて、少女はあふれんばかりの涙を左右の目にためて、食べていたのだった。
アステル「そっか、そんなにお腹が空いていたんだね……」
モモ「……ちがう。
だって、そうじゃなくって。
おいしくって……、目をさましたら、こんなにおいしいものが、こんなにいっぱい“食べられるのに”って……」
アステル「……目を、…………覚ましたら?」
あるじの問いかけに、ルナも何かがおかしいことに気付いて、同じ疑問をいだいているのだろうニアと顔を見交わした。
モモの涙はもはや大粒となってほほを流れ、手もとのパンにしたたり落ちている。
モモ「だって……もうずっとねむったまま、だから。
昨日の昨日、おやすみって……言ったきり、まだ起きない……から。
……お母さん……も、
目をさましたら、
こんなにすごいごはん、が、
食べられたかも……しれない、のに……って、思って……」
アステル「……!」
少女の言葉に、主人の顔がみるみる色を無くしてゆく。
青ざめたのは、ルナもニアも同じだったが、あふれ出す涙を構いもせず、懸命に食べ物をかみしめる少女の姿を見ると、いずれもそれ以上のことを聞き出そうなどという気は起こらなかった。
アステル「ゆっくり食べるといいよ。
ベッドは用意させておくからね。
君の母上も、すぐにここへ招待しよう……」
モモ「……んっ、…………ん」
やさしく語りかけたアステルに、モモはもはや声にならない返事でうなずいていた。
もう、限界だったのかもしれない。
母の身に起こってしまったことが理解できずに、この少女は今までずっとさまよい続けていたのだろう。
たよりにする者もなく、孤独にさまよい続けた果てに、きっと心細い思いをしてここまでやって来たのだ。
幼すぎる孤児の心を推理してみて、また彼女の待遇に嫉妬を覚えてしまったことをも思い合わせてみて、ルナは自分の胸がちくちくと痛むのを感じていた。
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