第6話〔6〕紅紫群立つ

 

 

 

 

 

【ガアァッ……!!】

 

 “飛竜そいつ”が、あるいは“彼女”が、耳で何かを察して、猛獣めかしい吠え声を発する。

 

【ガツンッ……バタンッ!】

 

 気が立ったのか、彼女はたくましげな肩でもって天蓋付きのベッドを押し、そのまま横へ倒してしまった。

 

 

ポピー「ひゃっ!」

 

 

 すぐさま片翼を伸ばし、その先端を器用に使って窓辺にいたポピーをかかえ上げ、自らの前あしの間に持ってくる。

 

直後……。

 

【カッ!!】

 

 

アステル「ああっ!!」

 

 

 アステルは落雷のような音に驚き、とっさに身を伏せた。

 

2つの出窓が強い光を放って爆発し、その間の壁が内側にふくらんで一挙に崩れ落ちる。

 

割れたガラスや石くれが飛んできた。

 

【ドンッドンッ、ドパンッ!】

 

 何が起こったのかも把握しきれぬまま、次々と強烈な炸裂音と地響きが巻き起こる。

 

いやしかし、爆撃が始まってしまったのだろう。

 

ナーシサス・アレンビー率いる爆撃機編隊が、この城に攻撃を加えたのだ、有りべからざることに。

 

 打ち続く轟音と地響きの中、幼子たちが何事か叫んでいた。

 

爆煙のせいで、視野がきわめて暗い。

 

【ゴォォォ──……】

 

 相当に遠くからの炸裂音を最後に、爆撃が止んだ。

 

室内を申し訳程度に照らしていたのは、がれきの中で散らばって揺らめく、ろうそくの火だった。

 

 

モモ「コンッ……コホンッ……」

 

 

ポピー「コホッ……」

 

 

 横倒しになったベッドのこちら側で、幼子たちが床に突っ伏して、苦しげにむせている。

 

【ビョオオォォ──……】

 

冬の風が吹き込んで、じょじょに煙を払ってゆく。

 

 アステルがそろそろと起き上がってベッドの向こうをうかがってみれば、2つの出窓があった壁は爆発を受けた形にくり抜かれ、ぽっかりと大穴があいていた。

 

【オオオォォォ──……】

 

日が落ちた暗い空に、大編隊が旋回して遠ざかるプロペラの音が響き渡る。

 

【フゥッ……フゥ……フゥッ……】

 

 再び静かになると、鼻息荒く竜が立ち上がった。

 

黒い肢体をうねらせて、重たげな後ろ足をどしどしと前に送り出し、彼女は外とつながった壁のほうへ向かっていった。

 

 アステルは辺りを見回してみた。

 

床一面に散乱するがれき。

 

未だ、がらがらと音を立てて崩れなずむ石造りの壁。

 

 ジャスミンがうずくまって顔を手でおおっているのが見えたので、アステルはズボンのポケットからハンカチを取り出しつつそちらへ駆け寄ってしゃがんだ。

 

 

アステル「見せて……、大丈夫、かすり傷だ。

これで押さえて」

 

 

 飛んできた破片がかすったのだろう、彼女のひたいにわずかな切り傷ができていた。

 

アステルはハンカチをそこへあてがった上で、それを彼女に手渡す。

 

 デイジーも何かけがをしている様子だったが、あちらはルナが処置している。

 

モモとポピーは無傷のようだ。

 

 一瞬の出来事だった。

 

突然のことに、アステルは少女たちをかばうことすらできなかった。

 

いち早く危険を察知し、城主がすべきことを代わりにしてくれたのは、リリィだった。

 

天蓋付きのベッドを地物ちぶつにし、窓ぎわにいたポピーを引き寄せ、自らも盾となって皆を守ってくれたのだ。

 

【ギャアッッ……ギャアッッ……】

 

 それが飛竜の鳴き声だと気付くのに、ほんの少し時間が要った。

 

最初の炸裂音に両耳をつんざかれ、音を捉えづらくなっている。

 

アステルは立ち上がってがれきを踏み分け、残照のもとへ出た飛竜の背を追いかけようとしたが、追いつけなかった。

 

竜が黒い翼を広げて、地を蹴って飛び上がってしまったからだ。

 

【バサバサッ……バサリッ……バサリッ】

 

 力強く羽ばたき、巨体がみるみる空中を昇ってゆく。

 

 

アステル「リリィ、待って……ハッ!」

 

 

【……──ォォォオオオオオ】

 

 城外へ脱しようとするリリィを呼び止めようとして、アステルは気付いた。

 

再び近付いてくる大編隊のプロペラの音。

 

アレンビーが爆撃の第二弾を仕かけようというのか。

 

 アステルも崩れた壁から外へ出ると、暮れ残る西の空に敵機の姿が確認できた。

 

横一列になって向かってくる、十数機の真っ赤な単葉機。

 

先ほどの攻撃をもう一度食らえば、こんな古城は瓦解してしまうだろう。

 

 またしても、なす術もなく立ち尽くして、城主は天を見上げるしかなかった。

 

もはやこれまでか。

 

このまま指をくわえて、領地や従者が踏みにじられてゆく様を、ながめているしかないのか。

 

【……ギャアァッ、ギャアァッ!】

 

 ふと、中空なかぞらに飛行機でないものの影が横切った。

 

【バキッ……ボォン!!】

 

通り過ぎた影と重なった一機が、Vの字に折れて爆発する。

 

 

アステル「……!」

 

 

 まさかとは思った。

 

エンジンのトラブルや爆弾の暴発でなければ、誰のしわざかと考えられる答えは一つ。

 

【ブゥゥゥゥ──……ン】

 

 すぐさま隊列が乱れ、機が縦横に交錯する。

 

【カッ!】

 

【ボンッ、ボォン!!】

 

 閃光を放ち、爆炎を上げ、鉄の戦闘機がもろくも次々墜ちてゆく。

 

炸裂音の裏で、竜の吠え声がかすかに聞こえた。

 

【ヒュゥゥゥ──……ドンッ!】

 

 炎をまとった機がこちらに向かってきて、城壁の外側にぶつかってはぜたらしい轟音。

 

黒々しい夜空に描かれる、狂った火煙かえんの線描画。

 

【ボォン、ドォン!】

 

 状況がめまぐるしく転々として、それが現実に起こっていることなのかも疑わしくなる。

 

眼界いっぱいに広がる爆煙に、この世の終わりにも似た恐ろしさが感じられた。

 

呼吸が思うようにはかどらない。

 

【オオオォォォォォ──…………】

 

 みるみる数が減り、爆撃機はやがてあと1機を残すのみとなった。

 

さすがに全滅は避けたかったのだろう、隊長機と思しき機影が機首を反転させて逃げてゆく。

 

【バサッ……バサッ……】

 

 

アステル「ハッ……、リリィ!

もういい……!

帰っておいで!」

 

 

 それを追いかけてゆく竜に向けてアステルが呼び止めたが、しかし彼女の姿も羽音もすぐに夜空の闇に溶けこんでしまった。

 

 

アステル「リリィ……」

 

 

 彼女は野性化をして獣となり果てたのだろうか。

 

亜人の血に支配されてしまったのだろうか。

 

土ぼこりにまみれたジャケット姿で、アステルはただ呆然と、竜の足あとが刻まれた雪の上へたたずんだ。

 

 

デイム・ルーディ「かかれ──!」

 

 

 月毛の大馬に乗って、デイム・ルーディが兵舎のほうからやって来る。

 

 

城兵たち「オオオオオ──!」

 

 

 城兵長に率いられ、城兵たちもときの声を上げて現れた。

 

彼女たちはなだれを打って裏門をくぐり、城の外へと繰り出していった。

 

おそらく、パラシュートで降ってくる者や、墜落した爆撃機から這い出る者を捕らえに行ったのだ。

 

 ここから見た限りでは、敵機の多くが飛行場辺りに落ちたのではないか。

 

 

ニア「ご主人様……!」

 

 

 背後でニアの声がした。

 

振り返ると、がれきの中に彼女が立っていた。

 

 部屋の戸口にはパレンバーグ先生もいて、彼は何か大がかりな機器をかついでいる。

 

暗がりでよくは見えなかったが、それはジーンデコーダーだ。

 

 

ムスリカ「アステル君……大丈夫か、この有り様は……。

リリィは……?」

 

 

アステル「たった今、変異を終えて飛んでいったところです。

彼女はクモではありませんでした。

ドラゴンでした。

プテロナラクニスは、飛竜の亜人だったのです……」

 

 

ムスリカ「飛竜……?」

 

 

 落ち着かず困惑ぎみに先生に問われて、たんたんと答えたアステルのほうがむしろ、心は澄んでいた。

 

 

ムスリカ「くわしく聞かせてくれないか……」

 

 

アステル「リリィの背を突き破って現れ、私たちが8本のクモの足だと思っていた物は、変異の過程で前あしと後ろあし、翼、尻尾、頭に変わってゆくものだったのです。

彼女は竜の姿となって、爆撃機を撃退したのです」

 

 

ムスリカ「なんと……それは、……ああ、どうにも、信じられん話だな……」

 

 

 先生がいぶかるのも無理はなかった。

 

リリィの姿を目の辺りにしていなければ、アステルも信じられなかっただろう。

 

12歳の女の子が、単葉機ほどもある巨大な竜に変身したというのだから。

 

だが、確かなことだった。

 

 ムスリカも大穴を通り抜けて外へ出て、アステルのそばまでやって来た。

 

 

ムスリカ「では、あの子は今どこに……?」

 

 

アステル「爆撃機の最後の1機を追って東へ……」

 

 

ムスリカ「そうか、では……これは無駄になってしまったか……」

 

 

アステル「……いいえ」

 

 

 ムスリカがかついでいた物に目を落として悲観して言ったので、アステルはしおしおとならぬようきっぱりと否定した。

 

 

アステル「彼女はやさしい子です。

爆撃の最中、自分の身を盾にして小間使いたちを守りました。

あの竜の中に、まだリリィが生きているんです。

をいただきましょう……」

 

 

ムスリカ「ああ、重いよ、10kg近くになる」

 

 

 言いつつジーンデコーダーを受け取るアステル。

 

バッテリーユニットのベルトをたすきがけにして肩にかけ、アサルトライフルのような照射ユニットを両手で持つ。

 

放射光発生装置“ジーンデコーダー”は携行型とはいえ、走るのも難しいほどずっしりと重かった。

 

 

ムスリカ「聞いてくれ、バッテリーは大きいが、設定通りの放射光を照射できるのはせいぜい10秒ちょっとが限界だ。

しかし、亜人の遺伝子を断ち切るためには5秒以上、

人間の遺伝子を傷付けないようにするためには8秒以下で照射する必要がある。

放射光は本来、目に見えないが、目安として白色光を混ぜてある。

照射口から出る光を決してのぞいてはいけないよ。

直接見ると、目がつぶれてしまうほどの威力はあるからね」

 

 

アステル「分かりました」

 

 

 先生が手ぶりと指さしを交えてレクチャーしてくれた。

 

【ボンッ!】

 

 その間にも、炸裂音が聞こえて城壁の向こうで炎が上がる。

 

墜落した爆撃機が二次爆発でも起こしているのだろう。

 

アステルたちはしばらくそちらのほうをうかがったが、何事もないようだったので視線をもどした。

 

 

アステル「先生、いろいろとありがとうございました」

 

 

ムスリカ「ああ、私ができるのはここまでだ。

あとのことは、君に託そう」

 

 

 2人は互いにうなずき合った。

 

 

アステル「また爆撃機がもどってくるかもしれません。

みんなと一緒に地下室へとどまっていただけませんか。

できれば、けが人の手当てをお願いします」

 

 

ムスリカ「ああ、任せてくれたまえ」

 

 

アステル「ニア、飛行場へ急ごう。

ビフでリリィを追いかける」

 

 

ニア「はい、ご主人様」

 

 

アステル「ルナ、城をたのんだよ、みんなも」

 

 

ルナ「ご主人サマ……」

 

 

少女たち「はい……」

 

 

 今生こんじょうの別れというわけでもないのに、大層な言葉を言い置いてしまった。

 

まるでもう、帰って来られないみたいに。

 

 実際、そうなのかもしれない。

 

ナーシサス・アレンビーの爆撃機編隊が現れた時点で、すでに戦争状態に突入していたのだから。

 

 アステルはエプロンドレスのままのニアを従えて、飛行場へ急ぐ。

 

だが、裏門を通過して城壁の外へ出たところで、想像以上の惨状におののいた。

 

 平野に積もった雪の上に墜落した敵機が、火柱を上げて燃えている。

 

暮れ果てた空は黒煙にかすみ、炎を照り返して不気味にうず巻いている。

 

 火の手は飛行場の格納庫にもおよんでいた。

 

心配なのは複葉機だ。

 

くつがすっぽりと沈むほどの深さの雪に足を取られながらも、アステルはできる限り急いだ。

 

 単葉機の残骸の周りで白刃をひらめかす城兵たちを横目に、一路飛行場へ。

 

格納庫の入口にたどり着き、中をのぞいてみると、消火作業に追われる飛行場番たちの姿があった。

 

やはりここにも爆弾を落とされていたらしい。

 

 

アステル「だめか……」

 

 

ガウラ「アステル様……!」

 

 

 アステルが落胆して言った声に、消火器一本で炎と格闘していたガウラがこちらを向いて彼を呼んだ。

 

奥のほうにあった複葉機は猛火につつまれている。

 

 

ガウラ「2号機はもうだめです!

1号機なら、切れた張線ちょうせんを張り替えれば飛べます!」

 

 

 幸いだったのは、片方がまだ健在であったことだ。

 

 

アステル「手伝おう!」

 

 

 アステルも、かついでいた物を危険のおよばぬ場所にひとまず下ろし、ニアとともに消火作業に加わった。

 

炎は手ごわく、作業は難航したが、ここを死守しない限り次の手が打てない。

 

 皆で力を合わせ、ようようのことで格納庫内を鎮火したが、今度は1号機を修理するのにずいぶんと手間取ってしまった。

 

もろもろの準備が整い、いざ発進という段になると、夜もかなりふけた頃となっていた。

 

 満月が頂点を過ぎて、西の空にかたむいている。

 

リリィがあれからどうなったのかも分からない今、わずかな希望をたよりに、前へ進むしかなかった。

 

 ジーンデコーダーを再び装備し、アステルの乗った複葉機が勢いよくプロペラを回して滑走路へ入ってゆく。

 

操縦するのはメガネとホワイトブリムを外したエプロンドレス姿のニアだ。

 

 2人ともすすにまみれていたが、着替える余裕など当然ない。

 

おかげで、冬の風に抗するすべがなく、手先や耳がとても冷たかった。

 

長時間の作業をこなして、くたくただった。

 

しかしそれでも、一人の少女を救うため、アステルたちはビフに乗り込んだのだ。

 

ジャケットを羽織った普段着のアステルではあったが、背中にはパラシュートを背負っている。

 

 夜間飛行は初めてだ。

 

足もとをうっすら照らすのは、前席からもれる計器の光。

 

プロペラの回転数が上がり、機体が滑走路を滑走してゆく。

 

 ふわりと、地面を離れる感触。

 

じょじょに上を向く機体。

 

 夜空に達した複葉機は充分に上昇してから旋回し、満月を背にして東へ針路をとった。

 

飛竜となったリリィが向かったであろうはるか東方の地、アレンビー侯爵領を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深々しんしんとした夜空に、乾いたプロペラの音が遠のいてゆく。

 

ルナはまっ暗な長廊下の窓から、城主を乗せているのであろう複葉機が飛び立つ姿を見届けていた。

 

 

モモ「ひこうき……とんだの?」

 

 

ルナ「うん、たぶん……リリィサマを連れ帰りに向かわれたんだにゃ……」

 

 

 ルナの隣で同じように窓の外へ耳をすませていたモモが、不安げに問いかけた。

 

ルナは幼子を見ずに、何でもないことのように返しておいた。

 

 今夜は地下室で寝ることとなったため、2人は全員分の毛布をかき集める作業をしていた。

 

ルナは3人分を、モモは1人分をそれぞれ胸にかかえて、地下へもどろうとしていたところだった。

 

 

ルナ「さ、コレを運べば、完了にゃ」

 

 

モモ「うん……」

 

 

 複葉機が東の空にまぎれて消えると、ルナたちは仕事を再開した。

 

 

モモ「落っこちたひこうきの人は……?」

 

 

ルナ「デイム・ルーディがゼーンブ、兵舎の下の牢屋にブチ込んだのにゃ。

だからもう安心にゃ。

あっ、崩れてるから気を付けるにゃ……」

 

 

 長廊下の途中にも、爆撃によって外とつながった壁がある。

 

脅威は去ったとはいえ、逃げた敵機がいつまた爆弾をぶら下げてもどってくるか分からない。

 

それゆえに、地下室での就寝となったのだ。

 

 ネコは夜目がきく。

 

ルナが前を行き、彼女のシッポをモモがつかめば、がれきが散乱する灯火ともしびの消えた廊下も何とか進めた。

 

 階段にさしかかり、歩みを遅める。

 

 

ルナ「階段にゃ。

ゆっくり……」

 

 

モモ「こわい……」

 

 

 一段一段確かめるように降りる幼子に調子を合わせ、ルナは地下への階段を降りてゆく。

 

子どもには急だろう石階段が終わり、地階へたどり着くと、モモは安堵して小さく息をついていた。

 

 メルヴィル城の地下は割合に奥深い。

 

細い通路は城外まで通じていて、出口はいくつか存在する。

 

寝泊まりが可能な部屋も多かったので、城仕えのメイド2百余人が避難するには充分だった。

 

 通路を進むと、一つの木戸の前で手燭を持った女中頭が立っていた。

 

 

ウェブスター「ルナ、モモ、無事でしたか。

あなた方で最後です……さ、お入りなさい」

 

 

 女中頭のミセス・ウェブスターは犬頭の獣人だ。

 

彼女がこちらを呼びかけて木戸を開けてくれたので、ルナはモモを先にして入室した。

 

 

ウェブスター「せっかく取りに行っていただきましたが、ルナ、毛布は余ってしまいました。

そこへ置いていらっしゃい」

 

 

ルナ「了解にゃ……」

 

 

 女中頭が手燭を向けた部屋のすみには、他のメイドたちが持ってきたのだろう相当数の毛布が積まれてあった。

 

ルナたちは持ってきたうちの2枚をその上へ積み重ね、その横のスペースにおのおの毛布をかぶって腰を下ろした。

 

 室内は20人ほどのメイドたちでいっぱいだったが、皆が横に寝て余裕のあるくらいには広い。

 

女中頭が中央のテーブルに火のともったままの手燭を置き、ルナの隣へやって来て座った。

 

彼女はかけていたチェーン付きのメガネを外してそばに片付け、毛布にくるまって横になった。

 

 

声「どうなってしまうのかしら……」

 

 

声「ここにいれば、大丈夫よね……?」

 

 

 ひそひそとした不安げな声があちこちから聞こえる。

 

ケガをしたデイジーとジャスミンは別の部屋で手当てを受けてポピーとともに休んでいたし、他にも何人かが逃げ遅れて爆撃に巻き込まれたという。

 

 傷だらけのこの城がこれからどうなってしまうのか、不安で仕方ないのは皆一緒だった。

 

もう夜もずいぶんとふけてきたというのに、横になってもルナは全く寝付けなかった。

 

 

モモ「ミセス・ウェブスター……」

 

 

ウェブスター「どうしました……?」

 

 

モモ「はりと糸、がないかなって思って……」

 

 

 一度は眠ろうとしたモモだったが、すぐに上体を起こしてルナ越しに女中頭へ呼びかけた。

 

 

ウェブスター「何か、ぬい物?

そででもやぶれてしまいましたか?」

 

 

モモ「これを……ぬいたくて」

 

 

ルナ「……?」

 

 

 モモは積まれた毛布を片手で触れつつ言った。

 

 

ウェブスター「毛布を?

いったい何をする気です?

今夜はもう大人しく寝ましょうね……」

 

 

モモ「…………はい」

 

 

 即座に女中頭にたしなめられ、モモは元気をなくして伏し目になった。

 

気になって、今度はルナが上体を起こし、声を低めて幼子に問いかける。

 

 

ルナ「モモ……?

どうしたのにゃ?」

 

 

モモ「…………」

 

 

 彼女は始め、言いにくそうにしていたが、やがて手ぶりとともに切り出した。

 

 

モモ「ふとんを大きくして、アステルさまのひこうきをうけ止めるの。

“ヒース”みたいに。

もえて落ちてきたら、あぶないから……。

それでお助けしようと思って……」

 

 

ルナ「…………」

 

 

 ずいぶん前に話したことを憶えているものだ。

 

リリィの部屋で話題にのぼった、荒野に生える草むらの話。

 

昔、気球から飛び降りて、ヒースに落ちて助かった人がいたというエピソード。

 

 幼子も、幼子なりに考えているのだろう。

 

 

ルナ「ミセス・ウェブスター……」

 

 

ウェブスター「何です、ルナまで……」

 

 

 ルナは反対を向いて呼びかけてみると、女中頭が億劫おっくうそうに答えた。

 

 

ルナ「今、アステルサマは、リリィサマを助けようと必死で頑張ってるにゃ。

アステルサマはきっとリリィサマを助けて、もどっていらっしゃるにゃ……。

その時、せいいっぱい準備してお迎えしてさしあげるのが、アタシたちメイドの仕事だと思うのにゃ……」

 

 

ウェブスター「…………」

 

 

 横になったまま女中頭はしばらく考え込んでいた様子だったが、やがて観念したように彼女もむくりと起き上がった。

 

 

ウェブスター「はぁ……仕方がございませんねぇ……。

さいほう道具はそこの引き出しの中です。

あたくしの毛布もお使いなさい」

 

 

メイド「わたしのも使って!」

 

 

メイド「わたしのも……!」

 

 

 案外乗り気らしい女中頭が許可を下すと、周りのメイドたちが次々と声を上げた。

 

 皆、同じ気持ちだった。

 

城主が大変な時に、安穏あんのんと眠っていられるような従者は、ここにはいなかったというわけだ。

 

 気付いてみれば、部屋じゅうの者が立ち上がっていた。

 

すぐさま針と糸が用意され、明かりが増やされ、毛布の端と端をぬい合わせるという作業が開始された。

 

もちろん、複葉機をコレでキャッチできるとは思っていないが、不測にも複葉機から転落してきた人間であればそれも不可能ではないはずだ。

 

 アステルサマのメイドとして、できることをできる限りするということ。

 

あるじの共として複葉機には乗れなかったが、彼のメイドであるルナはすべきことを得てにわかに、力付くのだった。

 

 

 

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